第9話
東京で使っていたマグカップを手に取り、無理にでも自分を東京に引き戻そうとした。
その日のコーヒーはすっかりぬるくなってしまい、飲んでも苦すぎて真新しいシンクにそのまま流してしまった。
窓から見えるのは、街灯の灯り。燦然と輝く高層ビルの光に見下ろされる感覚が遠い過去のように感じられた。
仕事は日々退屈さを極めていた。そもそも社会人とは、自分の時間を充実なものにするために働き、数ある選択肢の中から漂うように選択する、そんな暮らしを思い描いていたのに、やってることといえば外交員の同行と採用活動のお手伝い、それから何故やらなければならないかもわからない地域のお祭りでの出し物の練習。
営業先の企業は家族経営の小規模なところがほとんどで、会話の話題もほぼ地元に根差したものばかり。昼休みに立ち寄った定食屋では、顔なじみらしいお客たちが店主と世間話を交わしているのが聞こえた。
高知の人の言葉は本当に分からなかった。本当に日本語?というくらいに訛っていた。その度に宮崎の高校時代の苦手な国語の先生の顔が思い浮かんで、また嫌な気持ちになるのだ。滑舌も悪く、ひどく訛っているうえ、すぐ怒る、あぁ、コミュニケーションに苦労するとは思わなかった。同じ日本人なのだろうか。本当は日本語を練習している外国人なんじゃないだろうかと思いたかった。初めて聞いた土佐弁はどことなく宮崎弁にも似ている気がした。似ている気がすると感じた私自身に、逃れられない地方の呪縛を感じてしまった。
退屈な仕事な一方で、人間関係はそこそこだむた。毎朝上司にコーヒーを出して回ったり、電話に真っ先に出る、みたいな昭和を体現したような仕事をするのは新入社員だからなのか、女子社員だからなのか分からないが、久しぶりの若い女の子の社員ということでかなりチヤホヤされたし、気を使われていた。事あるごとにお土産と称して芋屋金次郎のお菓子を与えてくれたり(半年でほぼ全メニューを貰い物でコンプリート出来た)、体調が優れないときには、お休みを勧めてくれたし、そもそもいつでも好きな時に有給休暇を取らせてくれた。
けれど、今自分が高知にいるという実感は、なにか透明で蓋が閉まったビンの中に閉じ込められて、開くはずもないのに必死で内側から栓を押している、そんな感覚を覚えさせていた。
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