第6話

入社式で由梨枝と出会った。社長からのありがたい話を身体だけは真面目なふりをして、話の中にやたら登場する「要するに」の後が毎回全然"要されていないこと"を見つけては、ニヤニヤしながら、時間が過ぎるのをただ、眺めていた。

会議室に移動して、新入社員のネットワーキングの時間となり、自己紹介が始まった。

私はいつもの通り、喉の奥の気持ち悪さに押し殺して東京出身を軽く擦って、席に着いた。次に立ち上がった子に目をやった。


「吉田由梨枝です。由梨枝の"り"は梨とかきますが、出身は愛媛県でみかんが有名です。お酒を飲むのが好きで、たまに1人で飲みにいったりします。よく実家からみかんが届くのに、1人では消費しきれないので、好きな方はお裾分けさせてください」


由梨枝は、最初から「東京人」のオーラを纏っていた。長い手足に、どこか力の抜けた立ち居振る舞い。

それなのに、愛媛出身だと堂々と言ってのける清潔さ。そのギャップに驚かされると同時に、なんとも言えない劣等感が胸の奥に広がった。ふと頭をよぎる最後に目にした両親の泣き顔を打ち消すように、由梨枝の話に相槌を打つことしかできなかった。


最初はビジネスマナーやら文書やら法律やらとにかく新人研修の毎日だった。名刺を渡すという単純な所作一つとっても、マナーだの礼儀だのあるのは、まぁ社会人としてのイニシエーションなんだろうと思い、真面目に取り組んでいた。グループワークでもなにかと由梨枝と同じグループになることが多く、由梨枝の学生時代の話や、実家には少なくとも半年に一度は帰ってること、東京の自分の家に両親を招いたこともあること、東京で稼いで両親に楽をさせたいことなど、たくさん話をしてくれた。どれも私の胸を刺し続けたが、彼女の東京人らしさに、惹きつけられる自分もいて、もやもやとした自尊心の揺らぎを、その時ははっきりと感じていた。


ただ、新任研修終わりに同期と行く丸の内HOUSEで飲むやけに気取った名前のワインは、私をますます東京人にした。私が一年留年したせいで同期は大抵が一個下のはずだったが、やけに大人びていて、金融業界の将来を口々に語り合っていた。保険営業でまずは支店トップを取るんだ、とか債券の運用でトラックレコードを作るんだ、とか。それに周りで飲んでいる同じように真っ黒なリクルートスーツに身を包んだ人たちも、よく知らない横文字を繰り返しては、グラスの氷が溶ける音さえかき消していた。このスーツがだんだん他の色に変わっていくにつれ、更に輝きを放っていく東京の新鮮な光景は、神楽坂と高田馬場だけで、東京人になったと錯覚させていた私を更に東京にのめりこませた。夜まだ少し肌寒い中、東京という煌びやかな世界を身に纏って、いくつもの人間が通り過ぎていく中、何にも縛られずに生きていくんだと思っていた。


配属発表があるまでは。

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