第七章 『永遠の輪の中で』


 胆振の大地に春の訪れを告げる風が吹き渡っていた。フレペの髪に白いものが目立つようになって久しい。四十年の歳月が、彼女の表情に深い刻みを残していた。しかし、その眼差しには若い頃と変わらない輝きがあった。


「フレペの話を聞きたい」


 子どもたちが、またチセを訪れていた。十人ほどの子どもたちが、囲炉裏を囲んで座る。アペフチカムイ(火の神)の炎が、柔らかな光を投げかけている。


「何のお話がいい?」

「イオマンテのことを教えて」

「織物の意味を聞かせて」

「カムイたちのことを」


 様々な声が上がる中、フレペは静かに微笑んだ。


「私たちの世界は、大きな輪のようなもの」


 フレペは、炎を見つめながら語り始めた。


「過去も、未来も、すべては今という時の中にある。カムイたちは、その輪の中で私たちを見守っている」


 その言葉には、二つの時代を生きた者だけが持ちうる重みがあった。研究者としての分析的理解と、アイヌの女性として生きた経験が、完全に溶け合っていた。


「この文様を見て」


 フレペは、自分が織った反物を広げた。そこには、伝統的なモレウ(渦巻き)が、これまでにない形で表現されていた。


「渦は終わりのない始まり。私たちの命も、カムイたちとの約束も、すべてがこの渦の中にある」


 子どもたちは、息を呑んで文様を見つめている。


「でも、フレペ」

 十歳になる少女が、おずおずと口を開いた。


「和人たちが増えてきて、私たちの暮らしも変わってきている。これからも、この輪は続いていくの?」


 フレペは、その問いの重さを受け止めた。研究者としての記憶が、アイヌの人々が経験することになる苦難を知っている。しかし同時に、その先にある希望も。


「変化は、命ある全てのものに訪れる」


 フレペは慎重に言葉を選んだ。


「大切なのは、その変化の中でも変わらないものを守ること。私たちの心の中に宿る、カムイたちとの約束を」


 チセの外から、若者たちの話し声が聞こえてきた。既に多くの若者が和人の言葉を覚え、和人の衣服を身につけている。しかし、フレペはそれを否定しなかった。


「新しい風は、私たちに新しい知恵をもたらす。でも、それは古い知恵を捨てることではない」


 フレペの言葉はこどもたちの心に深く染み込んでいった。

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