第六章 『異なる世界との出会い』

 胆振の空に、秋の気配が色濃く漂い始めていた。チセの前で刺繍を施していたフレペは、遠くから聞こえてくる話し声に、ふと手を止めた。和人の商人たちが、また村を訪れているのだ。


「フレペ、また和人衆が来ているぞ」


 幼なじみのポロシリが駆け寄ってきた。彼の表情には、期待と不安が入り混じっている。


「今度は、珍しい織物を持ってきているらしい」


 フレペの胸が締め付けられる。研究者としての記憶が、これから起こる変化を知っている。和人との交易は、便利な品々をもたらす一方で、アイヌの伝統的な生活を大きく変えていくことになる。


「見に行ってみましょう」


 立ち上がったフレペの横で、母のピリカマッが静かに頷いた。


「気をつけるのよ」


 その言葉には、深い意味が込められていた。


 村の広場には、既に多くの人々が集まっていた。和人の商人たちは、色とりどりの反物や、鉄製の道具、磁器などを広げている。


「これは素晴らしい品だ。お前たちの毛皮と交換しよう」


 商人の一人が、派手な模様の着物を掲げながら声を上げた。村人たちの目が、その鮮やかな色彩に釘付けになる。


「フレペ、どう思う?」


 エカシのレラが、静かに尋ねてきた。長老たちは、フレペの言葉に何か特別な意味を見出すようになっていた。


「新しいものを取り入れることは、必ずしも悪いことではありません」


 フレペは慎重に言葉を選んだ。


「でも、それは私たちの心が確かであってこそ。取り入れるべきものと、守るべきものを、しっかりと見極める必要があります」


 レラは深く頷いた。その表情には、安堵の色が浮かんでいた。


「フレペ!」


 突然の呼びかけに振り向くと、一人の若い和人が立っていた。


「私は菊地と申します。松前藩の……いや、アイヌの文化を研究している者です」


 その青年の目には、純粋な好奇心が輝いていた。フレペの中の研究者の記憶が、かつての自分の姿を重ね合わせる。


「どうか、あなたの織物について教えていただけないでしょうか」


 フレペは一瞬、戸惑いを覚えた。しかし、この出会いには意味があるのかもしれない。


「織物は、私たちの魂の表現です」


 フレペは静かに語り始めた。


「文様には、カムイたちとの約束が込められている。それは、ただ見て理解できるものではありません」


 菊地は熱心にメモを取ろうとしたが、フレペは優しく制した。


「言葉で記すことも大切です。でも、もっと大切なのは、心で感じ取ること」


 青年は戸惑いながらも、その言葉の意味を理解しようと努めているようだった。


 その夜、村では緊急の会議が開かれた。和人たちとの新しい交易について、話し合う必要があったのだ。


「彼らの求めるままに、毛皮を差し出していては、山の恵みが枯れてしまう」


 ポロシリの父が、強い口調で主張した。


「かといって、交易を断れば、彼らの怒りを買うことにもなる」


 別の長老が、現実的な懸念を口にする。


 フレペは、その議論に静かに耳を傾けていた。研究者としての記憶が、この時代のアイヌと和人の関係の複雑さを理解している。しかし、今の自分にできることは何か。


「提案があります」


 フレペが立ち上がった。


「交易は必要です。でも、それは対等な関係でなければなりません。私たちには、私たちの誇りと知恵がある。それを忘れずに、新しい関係を築いていくべきではないでしょうか」


 チセの中に、深い静けさが広がった。


「具体的には、交易の時期と量を、私たちの側から提案する。そして、その見返りとして、私たちの文化を理解しようとする和人たちには、少しずつ扉を開いていく」


 その言葉には、二つの時代を生きる者としての、確かな重みがあった。


「フレペの言う通りだ」


 レラが静かに賛同を示した。


「変化は避けられない。しかし、その変化の主体は、私たちでなければならない」


 会議は深夜まで続いた。その結果、村は新しい方針を決めた。和人との交易は続けるが、それは村の主体性を保ちながら、計画的に行うことになった。


 チセに戻った夜、母が静かに語りかけてきた。


「フレペ、あなたは不思議な子ね」


「どうしてですか、ハポ」


「まるで、遠い未来を見通しているかのよう」


 フレペは、母の言葉に微笑みを返した。確かに自分は、未来を知っている。しかし、それは運命を変えるためではなく、今を正しく生きるための知恵なのだ。


 窓の外では、満月が輝いていた。その光の中に、フレペは永遠の輪を見た。変化の中にも、変わらないものがある。それを知ることが、自分に与えられた使命なのかもしれない。

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