第三章 『山野の教え』

 初夏の陽気が、胆振の山々を温めていた。フレペは母に連れられ、山野草の採集に出かけた。


「これはピタキ(マタタビ)。傷を治す力を持っている」


 母の説明に、フレペは熱心に耳を傾ける。研究者としての記憶には、その薬効についての知識があった。しかし、実際に葉の感触を確かめ、香りを嗅ぐことで、より深い理解が生まれる。


 小川のほとりでは、エゾエンゴサクの群生を見つけた。


「これは、カムイが私たちに与えてくれた大切な薬草よ」


 母の言葉に、フレペは思わず口をついて説明を始めようとした。アルカロイドの含有量や、薬理作用について。しかし、それは研究者としての知識。今必要なのは、この土地に生きる者としての理解だった。


「ハポ、どうやって採れば良いですか?」


 素直な少女の問いかけに、母は満足げに微笑んだ。


「根っこを傷つけないように、やさしく。そして、必要な分だけ」


 その言葉の重みを、フレペは体で感じ取っていた。


 昼過ぎ、一休みのために小さな空き地に腰を下ろした。母が携えてきた干し肉とシト(団子)を分け合う。


「見て、フレペ」


 母が指さす先に、一羽のシマフクロウが止まっていた。


「チカプカムイが私たちを見守っているわ」


 フレペの中の研究者の記憶が、シマフクロウについての民族学的知識を呼び覚ます。しかし、実際にその姿を目の当たりにすることは、まったく違う体験だった。


 シマフクロウは、しばらくフレペたちを見つめ、やがて悠然と飛び立っていった。


「カムイたちは、いつも私たちと共にいる。山で、川で、そして空で」


 母の言葉が、フレペの心に深く沁みていく。


 帰り道、二人で採集した植物を振り返る。それぞれの草花が、それぞれの物語を持っている。薬として、食べ物として、あるいは織物の染料として。


 チセに戻ると、日は既に傾きかけていた。


「今日は良い学びができたわね」


 母の言葉に、フレペは静かに頷いた。今日一日で、文献からは決して得られなかった知恵を学んだ。それは、身体全体で感じ取る自然との対話だった。

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