第61話

 これが魔王ネロドマイガだ。


 口に落ちた衛兵を救おうと、エンデミュートが手を伸ばしたがまるで間に合わない。エンデミュートは舌打ちをして腰の剣を引き抜き、足下の大きな口に突き立てた。ネロドマイガは熱風の如き鼻息で竜騎士を吹き飛ばす。


 地下王墓に暴風が吹き荒れた。ネロドマイガが吠えたのだ。


「なんだオマエラは」


 よろよろとゼメト王が巨大な顔に近寄っていく。


「不死を、私に不死を!」


 酒樽よりも大きな目玉が、着飾ってなお貧相な老人を睨みつけた。悪い予感しかしない。そもそもゼメト王はネロドマイガのもたらす不死を勘違いしている。それを利用して、俺はここにいる。


 ネロドマイガは口を動かした。籠った絶叫となにかが潰れる音。ぶ、と塊を吐き出す。


「ひっ!」


 引き攣った悲鳴があがった。魔王ネロドマイガから吐き出された塊は、先程飲み込まれた衛兵の頭部だ。


「ななな何年も、ななな何十年も、祈りを捧げてきた甲斐があった。お会いしとうございましたぞ、我が救いの神よ。さ、さあ、さあ、私に奇跡のお恵みををを」


 ゼメト王の飽くなき求めがやっとこのタイミングで叶ったのか。地べたを這いつくばる蟻の懇請を聞き入れたということなのか。


 ネロドマイガは黄色い目でゼメト王を睨み、ぼそりとなにかを呟いた。濁り過ぎていてなんと云っているのかわからない。


「ななな何でありましょう?」


 ゼメト王はネロドマイガの大きな口に顔を近づけた。


「危ない!」


 俺の言葉など届きはしない。この国の王は端から俺を相手にしていなかったではないか。不死の秘術を携えるゼンガボルトはともかく、その従者としてついてきた青二才になど、どうして興味を惹かれようか。


 べろりと大蛇のような舌がのたくって、枯れたゼメト王に巻き付いた。俺は走ったが到底間に合わず、王は魔王に飲まれた。


 ばりばりと音を立て噛む。


「なぜ人を食べる!」


 エンデミュートに突き飛ばされた。巨大な右手が俺の身体を掴もうとするところだった。


「なんて大きな手だ……ッ!」


 更に逆方向から左手が襲い掛かってくる。俺の盾となったゼンガボルトが摘まみ上げられ、大きく開かれた魔王の口の中に落とされる。


「これはぁ」


 エンデミュートの嘆息する声が聞こえた。俺は噛み潰される寸前のゼンガボルトを力任せに引っ張り上げた。巨手が襲い来る。俺はエンデミュートに襟首を掴まれゼンガボルトごと後ろに引っ張られた。


「カザン!」


 地面が揺れ土埃が舞う。足もとが傾ぐ。土埃の向こうには見たこともないほど大きな足が現れている。


 俺たちは、王家の墓地の下に寝そべっていた魔王の上に立っていたということになる。生き物にとって大きさは強さだ。どれほど剣技に優れようと、様々な武具を扱えようと、万種の魔法を操れようと、自分よりも何十倍も大きな相手に敵うものではない。だから戦闘に慣れているエンデミュートは簡潔な言葉を放った。


「逃げるぞ」


 とても話を聞ける状況ではない。魔王ネロドマイガは目についた人間を口の中に放り込むことしか考えていない。理由などわからない。また一人近衛兵が喰われる。


「待テ」


 背を向けた俺たちにネロドマイガが声を投げた。


「何故逃げル……?」


 そりゃ逃げる。食われたくないからだ。魔王というのはどいつもこいつも目的が知れない。盛大に地面が揺れて石畳が剥がれ、ネロドマイガが起き上がる。思わず目を瞠ってしまうほどの大きさだ。こんなもの、たとえ竜騎士が百人いてもかなうまい。


「待テ。生き返らせて欲しい人間はオランカ?」


「……なんだって?」


 立ち止まろうとする俺に、エンデミュートが首を振る。


「そんな言葉に乗ってはいけない!」


「いや、でも」


 魔王ゴシャが云っていた。魔王ネロドマイガの行う不死の法とは、死なずの身体を授けることではなく、死体となっても動くことができるようになるというものだ。そのふたつは似ているようでまるで違う。


「それでも」


 俺はキルシマに礼を、せめて今までの礼を云いたい。死を超越したところで、腐って骨となるまでの時間を再び与えられるのみ。そんなものに価値があるのか。朽ち果てるまでの数日間かりそめの生を与えられ、やがて二度目の死を迎える、いや迎えさせることのなんと残酷なことか。それも徐々に腐っていく自分の身体を見ながらの死など、まともな神経では到底耐えられない。だからここで俺が、魔王ネロドマイガにキルシマを生き返らせてくれと懇願するのは間違っている。


「き、キルシマ……を」


 俺の口をエンデミュートが塞ぐ。


「生前彼は潔く死にたいと云っていた。侍の美徳とはそうしたところにこそあるらしい。その死生観を尊重せず生き返らせることが、彼の為なのかどうか」


 違う。徹頭徹尾自分の為だ。


「キルシマに……俺は、キルシマに……」


 その時やっと実感した。俺はいまだにキルシマの死を受け入れられていなかった。感情の高ぶりは両目から涙となって迸り、舌の先は痺れ、膝が笑う。


「駄目だ、駄目だカザン!」


 エンデミュートの制止は続く。そうだ、無情で無慮。そんなことはわかってる。そんなものキルシマに限った話ではないだろう。ノトもベノンもバルクナハも。


「フィは」


 ジャゴの命を吸い取ろうとした賢者。エンデミュートが阻んだ。そんな人間とは二度と顔を合わせたくない。


「ベノン! ベノンを生き返らせてくれ!」


「カザン!」


 ネロドマイガは大きな目を左右に動かし、やがて海鳴りのように鼻を鳴らした。


「……無理だナ」


「なぜだ? 今更できないだなんて云わせない! ベノンを、いやノト……バルクナハ」


 俺の口をエンデミュートが塞いだ。


「フィだ。賢者を生き返らせるべきだ」


「だからフィは、ジャゴを襲ったんだろ!」


「だからだ。朽ちるまで使ってやろうじゃないか。能力は申し分ない」


 エンデミュートは温和そうに見えて存外乾いた感性の持ち主なのかもしれない。竜騎士は魔王の巨大な顔に向かって厳かに云う。


「賢者フィ・ポーハパードールを生き返らせろ」


 魔王ネロドマイガは愉快そうにぐつぐつと笑った。


「よかロウ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る