第56話

 寒村デレヘンクトを出てから三日、俺たちはゼメトの首都リーベンに至った。首都にはアネムカ王都のような城門はなく、俺たちはすんなりと当面の目的地に入ることができた。さすがに人も家も多い。ただ、喧噪というほどのことはなく、粛々と街は運行しているように俺には見えた。


 宿を決めるとキルシマやノトは早々に飲みに出かけ、フィは旅の垢を落としに向かった。エンデミュートは久しぶりに本を読みたいと街の本屋で革装の立派な本、そして赤葡萄酒を買い求め自室に籠った。


 ゼンガボルトが俺を見ている。


「な、なんだ?」


「この街には大層立派な教会が御座います。様子を見に向かっても構わないでしょうか」


「……も、もちろん」


 腰の低いゼンガボルトにいまだ慣れない。


 比較的感性や行動形態が似ていると俺が勝手に思っているバルクナハは、宿屋の主人に熱い茶をポットにいっぱい淹れてもらうと丁寧に礼を述べ、この宿に来る中途で購った林檎とともに自分に宛がわれた部屋に消えた。ベノンもすでに姿がない。


「ジャゴはどうする? そうだ、ここには造船の技術者はいないのか?」


「この街ではない、もっと東、海沿いまで行かなくてはならない」


「そうか。ジャゴももう休むか? それとも俺と一緒に街に出るか?」


「……いや、宿に留まろう。ゼメトがどういう国かいまいちわからないが、無用ないざこざを起こしても詮方ない」


「そうか残念だ」


 それから俺は魔王フロイの情報を得るため、街の中を駆けずり回った。


 石畳、石造りと鉄の街並み。アネムカに似ているようで違う。ゼメトは固く、そして湿っている。


 アネムカであれだけのことをしたフロイがすっかり鳴りを潜めている。それとも今はもう遠くに離れ、ゼメトまで話が届いてこないだけなのか。俺はもどかしさに頭がおかしくなりそうになりながらも根気強く陰気な街で情報収集を続けていると、接触してきた人物があった。


 どこかキルシマと雰囲気の似た細面の男だ。顔つきは若者のようだが、その声、その言葉はやけに老成した響きがある。


「魔王を探して其の方如何にせん」


「フロイを封じる、その協力を仰ぐ」


 ユーリップは知恵を借りると云っていた。具体的にどうするのか俺は知らなかったが、今は四の五の考えてはいられない。


「魔王フロイはアネムカにて既に封じられていると聞き及んでおる。たしか三百有余年前のこと」


 俺がその封印が解かれそうなんだと返すと、細面の男は思い詰めたような表情を見せた。


「アネムカ王都が破壊されたとの噂を耳にしたが」


「それは事実だ。俺はそのアネムカから来た」


 にやり。男は笑う。


「時に貴殿は魔王のことをどの程度知っておる?」


「え? ええと、そう、魔王はこの世に九人いて、フロイとかユー……いや、ドロ、ドロバ」


「ドロヴァデッドかな」


「そう、そのドロヴァデッドとか。魔王とは、魔物を凌駕する魔人を統べる存在……で、」


 それ以上魔王に関する知識は俺にない。ユーリップに就いてなら話せることはたくさんあるが、俺は矢張りユーリップを魔王のひとりであると何処かで認めたくなかった。


 細面の男は満足そうに細い目をさらに細くした。


「そうだ、魔王は九人いる。それぞれ司るものがあることをご存知か?」


 俺は首を振った。夕闇迫る街の辻である。人影はまばらだ。


「フロイは冥府、そして忘却を司る魔王。ドロヴァデッドが司るのは夜、そして執着」


 魔王ケナイフュシュケ。通称浮遊する悪夢。眠りを司る。


 魔王ゴシャ。食と狩猟を司る。


 魔王クネヒァイス。色欲。


 魔王ネロドマイガ。死。


 魔王メルフェイテナ。


 魔王ジールデール。渇望。


 魔王ギブンフプケ。


「ずらずらと列挙してもなんのことやらわからなかろうが、これが九人の魔王の名だ」


 俺は既に半分も憶えていない。


「それぞれどこにいるか、知っているなら教えてほしい」


「ひとつところに常駐しているわけではない。流行り病のごとく国や海すらもまたぐ魔王もいれば、地の底に潜るのを好む魔王もいる」


 俺は小さく右手を上げた。


「すごく基本的なことを訊く。魔王とはなんなのだろう? いや、人を超越した存在であるのはわかるんだけど」


「ふむ。魔王。あるいは破壊神、魔神と呼称されているものもある。秩序より混沌を好み、光よりは闇に馴染む。その程度ではないのか。力が超人的なのは神も同様であろう」


 恐怖の対象とばかりは云い切れないと、そういう意味だろうか。たしかにユーリップを知る俺としては、魔王という語感から齎されるおどろおどろしさと、よく知った彼女の存在に大きな齟齬を感じていた。


 知ったつもりなだけなのかもしれない。


 細面の男は柔和な顔つきのまま続けた。


「フロイは冥府の王。あの世を統べるものである。フロイは生きている人間に興味はない。それゆえに破壊行為に付随する人の死自体にも、彼は然程関心を持たない」


「フロイは九人の魔王の中で頭抜けた存在だと聞いた」


「頭抜けたとはどういう意味であろうかな。人間に対して些かの感情も持ち合わせていない故、たしかに人に於いてフロイは脅威であるかもしれぬが」


「アネムカの有様を、俺は目の当たりにした。あれは最早天災に近い」


「九人の魔王の力は拮抗しておるよ。先にも云ったが、それぞれ司っているものが違う。得手不得手は各々にある」


「フロイにも」


「あるだろうとも」


 ユーリップの苦手なものなら知っている。ユーリップは夜と昼とではまるで違う顔を持ち、その力も大きく変わる。たしかにユーリップは夜を司るにふさわしい。


 あたりはすっかり暗くなっていた。


「ずいぶん詳しい」


 細面の男は得意げにするわけでもなく、そうだろうと返した。口調や物腰が穏やかなことで俺もずいぶん油断しているが、そもそも目の前の男は何者なのか。魔王を探し求める俺をつかまえ、いったい何を目論んでいるのか。


 今更うすら寒いものを感じた。しかしここで逃げては、なかなか拾えない魔王フロイ到達の糸口がまた遠のくようにも思える。


 男は突然長話をしたことを詫びた。


「ああいや、たいへんためになりました」


「そうかね、それは良かった」


 やはり思い過ごしだと俺は反省する。ただの通りすがりの善意を疑っていては、散歩に出かけることすら怖ろしくなってしまうだろう。


「失礼ですが、お名前を教えていただいてもいいですか? ちなみに俺の名はカザン」


 男はやはり柔らかく相好を崩して自己紹介をした。


「私の名は、ゴシャ」

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