第57話
ゴシャ?
「それは、魔王の名前じゃ」
ゴシャは目を細めた。
「そう固くならないでほしい。人間を好む魔王、好まぬ魔王が存在することをまず貴殿は知るべきだ。仮に私が人間が嫌いならば、とうの昔にこの街ごと消し去っていよう。もっとも私は、なにかを一瞬で消滅させ得るような力を持ち合わせていないが」
魔王ゴシャ。司るのは食。
食べること。
これは運命の巡り合わせか。
「食を司るというのは、どういうことなんだ」
俺は思ったままを口にした。すでに酷く喉が渇き、指先は震えはやまず、心臓の鼓動は早まるばかりだ。
「興味あるかね」
ゴシャは嬉しそうに顔を輝かせた。
「俺は料理人です」
魔王ゴシャはどんなものでも食らってしまう。大地も海も、人も家も、鉄でも石でも。ただそれだけの存在だと本人は云うが、力は単純であるほど怖ろしいものだ。
「うまい、ですか?」
「んむ?」
「ああいや、石であるとかその。味は」
「……味か、そうか。不味いと思って食らったことはない。さりとて特段美味に感じたこともない。なぜ食らうのか。私がそういう存在であるからだ」
「焼きたてのパンに溶かしたチーズをかけたり、茹でた麺に辛肉味噌を和えたり、魚介をトマトと煮込んだり、そうしたものは食べない?」
「チーズ、肉、トマト、どれも美味そうだ。機会があれば食したいものだ」
俺にはとても鉄や石が美味だとは思えない。煮ても焼いても食えない、食おうとも思わない。
ゴシャはどこか嬉しそうに言葉を繋いだ。
「面白いもので、たとえば鉄を食すとしばらく身体が硬くなる。水ばかり飲んでいると形がなくなる。腹が減れば元の通り。しかし人間はつまらんな、鳥を食べても羽は生えん」
「魚を食べると鰓ができたり?」
まあそうだとゴシャは首のあたりを撫でた。取り入れたものの特徴を引き継ぐ力があるということか。
話が本当ならば、ゴシャは今空腹ということになる。
「ええとそれじゃあ、肉団子を食べたらどうなるの?」
「いろんな素材を合わせて作ったものでは、私の身体はなんの反応も示さん。おそらく複雑すぎるものはどうにもならないのだろうよ。なんだ貴殿、私を肉団子にしたいのか? よほどの変態かな」
俺は腹を括る。魔王ゴシャにフロイ封印の協力を仰ごう。
俺はゴシャにこの街に至ったいきさつを説明した。
「すると、ドロヴァデッドはフロイについたのか」
「違う。おそらく俺を助けるために、フロイとともに行ったんだと思う」
「貴殿を助けるため? ずいぶん自信があるようだが、ドロヴァデッドとなんぞあったのか? 同衾したか?」
一切なにもない。俺は思い知る。今のこの感情など、所詮勘違いを拗らせただけのものなのかもしれない。ユーリップ特有の距離感を、俺は履き違えただけなのかもしれない。
「しかしあの二人、昔からくっついたり離れたりしておる。三百年前のことだが。久方ぶりの邂逅ぞ、お互い思うところもあるのではないか?」
「ないっ。いや、ない、はず、だ」
「カザンはなにやらドロヴァデッドに特別な感情があるようだが、貴殿は人でドロヴァデッドは吸血鬼にして、魔王ぞ。所詮相いれぬ、懸想ならば早々に切り捨てよ、その方が貴殿のためでもある」
「お、俺はただ、仲間として彼女を」
歯切れの悪い返答をする俺の顔を、ゴシャは三白眼になって見つめる。
それからゴシャはしばし黙考していたが、やおら顔を上げた。
「私がここにいるのにはひとつ理由がある。この国の王が不老不死を望むあまり、ある魔王の復活を試みているのだ」
国を平らかに統べるべき王が、混沌を生む元凶であろう魔王復活を目論む。どの国も同じだ。もっともアネムカでは、そう目論んだのは国王ではなく神職者だったが。
「ネロドマイガ」
死を司る魔王。
「あなたはその復活を止めようとしているのですか。なぜ?」
「なぜ? カザンは自分の家に理由もなくまるで知らない他人が入ってきたらどうするだろう? 排除しないかね」
「それは排除します」
当然だ。自分の家という絶対的安心感のある大切な空間を、見ず知らずの人間に侵されてなるものか。
ゴシャは黒髪を掻き上げながら、まあそういうことだと云った。
「ここは、この国は、あなたの家のようなものだと」
「違う。国という単位など些末。カザン、魔王とはね、この世界のことごとくを自分のものだと認識している。フロイであろうと、ネロドマイガであろうと、入り込まれれば不快極まりない。大切な大切な自分の家に、一人たりとも要らぬ闖入者の参入など願い下げなのだ。この国の王の発願などに興味はない。私はね、ただひたすら、ネロドマイガを始末したいのだ」
「始末……」
ゴシャは頷いた。月明かりに輝く瞳に妖しい光が宿ったように、俺には見えた。
魔王ネロドマイガは、死神とも称されている。
「あなたに訊くのはおかしい気もするけど、魔王というのは討伐可能なんでしょうか」
「知らぬ。なぜなら過去滅せられた魔王がいないからだ」
明快な言葉に俺は首肯せざるを得ない。
「ともかく、本来的に魔王同士というのは仲がすこぶる悪い。フロイとドロヴァデッドは特別よ。ドロヴァデッドは元々ただの吸血鬼であるからな。それにフロイが力を授けた」
ただの吸血鬼というのも、言葉としてなかなか凄みがある。
ゼメトの王は国内各所から集めた生贄を注ぎ込み、ネロドマイガ復活を図っている。その生贄は女だとゴシャはは補足した。その説明で寒村で起こった出来事が繋がった。
俺は改めてゴシャを見る。到底悪食の大食漢には見えない。かけそば一杯で満腹になりそうな男だ。
「俺はフロイの手からユーリップを助けたい。だけどあなたは、魔王同士は相容れないと云う。手は組めない」
ユーリップ。ドロヴァデッドは夜、そして執着を司る魔王。俺のこの感情も、ユーリップの力に引きずられてのことなのかもしれない。ならば虚しいことなのかもしれない。ユーリップは、フロイと手を取り合い生きていくのかもしれない。
住む世界が違う。
生きている時間軸も違う。
人と違う。
「それが」
俺は静かに息を吸った。
「それがどうした」
ゴシャは額に指先を這わせしばらく考えていたが、まあ良いと呟いた。
「ドロヴァデッドには手を出さないでいてやろう。もっとも向こうから仕掛けてきた場合は、その限りではないが」
俺はうなずいた。
「おそらくこの先、フロイがドロヴァデッドの存在に引き摺られ封印が解けかかっているように、各所で眠っていた他の魔王たちも目覚めよう」
ゴシャは改めて俺の名を呼んだ。
「覚悟しろ」
「している」
「その数倍数十倍の覚悟だ」
ゴシャはすっかり夜の闇に覆われた空を見た。
「魔王戦争の開幕だ」
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