第48話
天を覆う黒い雲。
酷い臭いと熱。耳に届く軋みは、燃やされた魂のおめきか。
「なんて酷いことを……」
それも当然、事を仕出かしたのは魔王だ。魔の王だ。
リオーが俺の横を駆け抜けて行った。リオーは本当にまっすぐな男だと思う。そのまっすぐさが時には鋭利な刃物となる。
勇者は仲間を失い、背に魔法使いの剣を負って。
さらにいくつかの足音が響いて、見慣れた影が姿を現した。
「キルシマ! ジャゴ! よかった!」
ジャゴはともかく、キルシマは比較的元気そうに見える。本当によかったと俺はふたりの男と抱き合って喜んだ。そうしていると、他の生き残った冒険者たちもぞろぞろと顔を出す。
「カザン殿、戻ろう、アネムカに戻ろう」
珍しくキルシマが焦っている。無理もない、長年暮らしてきた国が黒煙に包まれている様を見て、平然としていられる方がどうかしている。俺はキルシマに頷いて見せた。俺も一刻も早くアネムカ王都に舞い戻りたい。安否を確認したい人がいっぱいいる。
「ジャゴ、歩けるか?」
ジャゴは少し苦しそうに頷いた。歩けないなら俺が背負うつもりだ。何度ジャゴに命を救われたろう。ジャゴが大変な時に手を貸さないでどうする。
黒々と燃え盛る炎。それはこの世の火ではない、冥府の王が放った地獄の業火だ。
「トガが……」
あの中にいるのか。フロイと同体であるなら、あの地獄を現出せしめたのはトガと云うことにもなる。止めなくてはならない、止めなくては。
ダンジョンから次々と出てきた冒険者たちは、外の有様を見て呆然とする。もはや殺し合いも糞もない。あの炎の下に家族や大事な人間がいる冒険者も多くいる。堪らず駆けだす冒険者の背を見ながら、俺はとにかく冷静でいなくてはと深い呼吸をくり返した。
「ユーリップ」
「あいあい」
「トガを助けたい。たとえあの怖ろしい魔王と一心同体なんだとしても、俺はトガを助ける。どうすればいい?」
「三百年前は腕の立つ司祭に封じられた。まあ騙し討ちに近いやり方ではあったが。とにかくフロイは面倒な奴じゃで一筋縄ではいかん」
「ユーリップの力でもか」
「わらわがもう一人、いや二人おればあるいはどうにかなるかもしれんがのう」
声が上がった。俺は声のあった方に目を向ける。
ゼ
「ンガボルトっ」
ぼろぼろの僧侶がその姿を現し、噴火した火口のようになっている町を見る冒険者たちを掻き分けていた。
「カザン!」
ゼンガボルトは俺を見ている。
もう逃げない。もう俺はいじめられっ子ではない。ただあの筋肉の化け物に正面切って挑んでも殴り殺されるだけだ。おそらくゼンガボルトは俺を殺しに来る。そうすることで少しでも憂さを晴らそうと目論んでいる。
俺は懐に手を入れ乾燥させた唐辛子を取り出した。唐辛子というのは乾燥させれば日持ちはするし、調味料としても使え、冬季に靴底に忍ばせれば防寒にも役立つ、いい奴だ。
噛み潰す。右手の中に出す。
「わらわなら指一本じゃぞ」
「だめだ」
「ダメダメばかりじゃな」
「俺と一緒にいるってことはそういうことだ」
「ほう。少し後悔じゃ」
「本当かい?」
ユーリップは鼻で笑った。
俺はゼンガボルトの顔目掛け唐辛子入りの拳を突き出した。ゼンガボルトはいともたやすく俺の拳を払った。一気に距離が縮まり、俺はゼンガボルトの大きな顔と自分の顔を突き合せた。
「よく立ち向かってきた」
生臭い息に、俺は冷ややかに笑った。
「なにがおかしい」
「立ち向かうもんか、俺は料理人だぞ」
左手のペティナイフを取り出した。
「何の真似だ、ああ? そんなちいせえナイフで俺をどうにかできると思ったか?」
思っていない。俺は料理人、戦闘のプロではない。俺はナイフの切っ先をゼンガボルトの右膝蓋骨の下に滑り込ませ、十字靭帯を切った。
「散々豚だの牛だの解体してきた、こういうのは得意なんだ」
「てめえ……!」
ゼンガボルトは俺の首根っこを掴んだ。痛みで少しは怯むかと思った俺が甘かった。俺はナイフを引き抜き、左足の靭帯も切った。もはや心は痛まない。ゼンガボルトを放っておくことは害悪でしかないからだ。
これで動けなくなったはずだが、ゼンガボルトは俺の首から手を離さない。共倒れになるつもりかこのまま俺を縊り殺すつもりか。頭に血がいかず、意識が朦朧としはじめた。力比べで勝てたことなど過去に一度もない。ましてや魔人と化したゼンガボルトが相手では。
しかしもし累々と培ってきたものが力だと云えるとすれば、俺には確かに魔人ゼンガボルトを凌駕する力が備わっている。
影が飛んだ。
影はゼンガボルトの顔面を掻き毟り、俺の首を掴んでいた腕に咬みついた。さしものゼンガボルトもそれには怯み、俺への戒めを緩める。俺はその隙を見逃さず魔人の領域から脱した。
「ギギ!」
影はギギだった。ネブラフィカが燃やしたと嘯いたギギはしっかり生きて今、俺に一宿一飯の恩を返して走り去っていく。あの時、俺の部屋にはたしかになにかが燃えた跡が残っていたが、そこには死体はなく、俺はギギに生きていてくれと願っていた。今はもう、ネブラフィカも、もとの使役者であったポーもいない。皮肉なものだ。
透かさずキルシマがゼンガボルトの腕を両方とも切り落とし、脚も太腿から落とす。俺は胴と首だけになった魔人に馬乗りになり、その腹に耳を当てた。
「キルシマ、刀を貸してくれ!」
「カザン殿に扱えるかな」
キルシマはなかば本気でそう云いながら、流星刀を投げて寄越した。
「首を落とすか心臓を一突きするか、それはカザン殿に任せよう」
腕も足も切られたゼンガボルトは俺に命乞いをした。
「やめてくれカザン! 改心する!」
「切ってもまた生えてくるじゃないか、なにをそんなに怖がる」
などと云いながら俺は空怖ろしくなる。圧倒的優位にある人間の、毒のように全身を巡る快楽。これに酔ってはいけない、これに酔えば瞬く間に人は堕す。
俺は刀を構えた。
「頼む! 俺とお前の仲じゃねえか!」
「本気で云ってるのかそれ。お前はずっと俺のものを奪ってきただろう? 腕は生えてきてたよな。今切られた両腕や両足も、放っておけばまた生えてくるんだろ? なあ、首はどうなんだ?」
「あン?」
「首を切り落としたら生えてくるのか?」
「……しらねえよ、い、いや、やめてくれ、頼む」
「そんな願いをどれだけ無下に扱ってきた? どれだけの思いを踏みにじってきたッ?」
このやり取りのうちにも切られた四肢の傷口は塞がっていく。恐るべき再生力。俺は刀を振り上げた。
ユーリップが見ている。
血飛沫が舞った。
俺はゼンガボルトの腹を掻っ捌いていた。俺のナイフではうまく切れないと思いキルシマに刀を借りた。たしかに長い刀身を振り回す技術は皆無だが、慎重に動かせば腹を切り裂くことぐらいはできる。それも深く抉るわけではない。
ゼンガボルトの絶叫は耳に入らない。俺は裂けた腹部に手を突っ込み、中からライホを引きずり出した。急いで心音を聞き、口に耳を当てた。
生きている。
万分の一の奇跡があればとの願いが通じた。俺は涙が出た。血みどろのライホを抱え、俺はキルシマ、ジャゴ、そしてユーリップに声を掛けた。
「町に戻る」
町からはもう爆音は轟いてこない。おそらくユーリップという引きがなくなった魔王フロイは今またトガの姿に戻っているはずだ。俺はライホをキルシマに預けジャゴに肩を貸す。
「歩けるか?」
「支えてもらえればどうにか。しかし俺ではなく、その助け出した娘を担げばいい。大切な子なのだろう?」
「ああ大切だとも。俺が最初に仲間を募った時に名乗り出てくれた人だ。だからキルシマに預けた」
「この娘血なまぐさくてかなわんぞカザン殿。あの糞僧侶の腹の中にいたのだろう? キモッチ悪い」
少し遅れてユーリップが続く。俺はジャゴの腋の下からユーリップの様子を見た。
「ユーリップ、もう少し早く歩け」
「疲れた」
「おう。みんな疲れてる」
町が見えてきた。生き残った人々が消火や怪我人の保護、瓦礫の撤去に東奔西走している。壊滅状態ではあったが全滅はしていない。それでもこれが、ただひとりの魔王が為した悪夢であることを考えれば震えは止まらなかった。もしフロイが完全に復活していたら。もしユーリップの誘引があと少し長かったら。
それでも多くの人が死んだことに変わりはない。
ただ、俺の願いはかなった。
「カザン、さん……」
「トリポカさん。遅くなりました、どうにかライホを連れ戻すことができました」
トリポカは煤だらけの顔でキルシマからライホを譲り受けた。首にかけていた襤褸布でとてもやさしく、とても丁寧にライホの顔についた血を拭う。拭いながらトリポカは何度もありがとうと繰り返した。
俺は意識のないライホを見つめる。呪いはどうなったのか。ゼンガボルトに飲み込まれ、身体に影響はないのか。
「申し訳ないカザンさん。僕はライホと一緒に自分の国に帰る。もうこの国はダメかもしれない」
俺もこの国から出ることは賛成だ。首都がこの状態では、ライホに満足な治療もできない。
「国王が死んだようだ」
「ラドラ王が?」
トリポカは頷いた。ライホを背負い、王城のほうを見る。
「カザンさん、ご達者で」
「必ず会いに行きます。トリポカさんにも、そしてライホにも」
トリポカは頭を下げ、そして立ち去っていった。
これからどうすべきか。冒険者ギルドのあった建物も燃え、俺の家もキルシマの家もなくなった。ジャゴの暮らしていた港そばの倉庫も天井も壁も穴だらけで使い物にならなくなっていた。家財もなにもかも失った。
「とにかく一度、王城に行ってみようと思う」
俺はそう云った。
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