第46話

「わらわが残る、カザンも行け」


「なに云ってるんだユーリップ! そんなことできるわけないだろう!」


「お願いじゃ、このままじゃとみんな死んでしまう」


 ユーリップは哀しそうな目で俺を見た。ユーリップならばあるいは、魔人と化したゼンガボルトにも太刀打ちできるのかもしれない。


 あっち行けとユーリップが俺を押す。


「どうしてだっ」


 俺はもう覚悟をしている。どんなことがあってもユーリップの傍にいると決めたのだ。吸血鬼である彼女が本意不本意関わらず罪を犯したなら、その罪をともに背負おうと誰にでもなく誓ったのだ。


「見られとうない、去ね」


「なにを見られたくない?」


「心配いらぬ、あの僧侶には遅れは取らんからあっち行ってくれ。力を出すと少し顔が怖くなるんじゃ」


 ユーリップは俯く。ダンジョンは薄暗くその表情はよくわかりはしなかったが、恥じらっているようにも見えた。


「はよう、あっち行け!」


 当然そんなやり取りなどお構いなしに、相当の圧をもってゼンガボルトが迫ってきた。ユーリップは俺を突き飛ばした。やむなく俺はトガを抱え、ゼンガボルトから離れた。


 ユーリップの月光のような蒼い銀髪が逆立っている。突如響きだした地鳴りのような音が、ユーリップの声帯から発せられていることに、俺はなかなか気づかない。倒せるのか、相手になるのか。脅威等級7。伝説に等しい魔物、それをいとも簡単にひねり潰してしまった魔人を相手にできるのか。


 ユーリップの背が膨らみ、ドレスの背を突き破って翼が飛び出した。鳥の翼とも、虫の羽とも違う、骨格に皮膜を張った独特の翼だった。


「ゆう……」


 いつも俺はユーリップに戸惑っている。


 ゼンガボルトはユーリップの変貌に喜色を見せた。


「おお、おお! いい化け物だ! できたら女のまんまで食らいたかったが、痺れるねえ!」


 涎を垂らしながら、ゼンガボルトは股間をさすった。


「食う前に一発やらせろ。そしたらカザンは見逃してやる」


 その言葉にユーリップは、酷く緩慢にこちらに振り返った。


 耳が大きく伸び先の尖っている。鼻は上を向き、双眸は瞳ばかりの真っ黒な目となっていた。牙が伸び爪も伸び、総身毛に覆われた、それは大きな蝙蝠だった。これがユーリップの本来の姿なのか。


「なぜ逃げなかった? なぜそこにおる……ッ?」


 俺は腹の底に力を込めた。


「ユーリップが倒れたら、いったい誰が君を助けるんだ」


「……なんじゃと?」


 爆発するようなゼンガボルトの破壊的な笑い声がダンジョンに響いた。笑われても構わない、馬鹿にされようと蔑まれようと、散々辛い思いをさせてきたユーリップの手を、俺は二度と離すつもりはない。


 ゼンガボルトの大きな手が、ユーリップの翼を掴んだ。そのまま力任せに引き千切るつもりだ。俺は二人の様子に心を奪われ、背後にいるトガに異常が現れていることには気づいていない。


 その小さな身体に魔王が眠っていることなど俺は知らない。その魔王がユーリップの存在に誘引され、覚醒しようとしていることなど。


「さすがに俺のナニも萎れちまったぞ、元に戻れよ吸血鬼。それともその豚みてえなツラがてめえの本性か? ……化け物め」


 ゼンガボルトはユーリップの大きな耳に囁いた。


 ユーリップは俺を見ている。その目線を辿り、ゼンガボルトは落雷のごとき声で吠えた。


「カザン! おめえは餓鬼ン頃から犬飼ったり百足食ったりよう」


 その犬はお前が殺した、百足はお前が食わせた。


「挙句の果てが蝙蝠か? 腐れ変態めが」


 ユーリップは獣の目で俺を見つめた。心なしかその目は潤んでいるようにも見えた。


「馬鹿野郎」


「あああ?」


 冒険の仲間に特別な感情を抱かないようにしてきた。仲間としての結束や、人としての情それ以上の感情だ。そんなもの抱くだけ邪魔になる、足枷になる。仲間の中で不協和音が鳴る。だから俺は、自分なりに一線引いて旅の仲間と今まで過ごしてきた。


 それが大人の対応だと思い込んでいた。


 俺は胸を張る。


「変態で結構!」


 ユーリップはゼンガボルトを殴り飛ばした。


 ゼンガボルトは顔面を陥没させて壁に食い込み、そのまま意識を失った。俺の杞憂などどこ吹く風、ユーリップは魔人ゼンガボルトをただの一撃で沈めてしまった。なんという強さだろうか。


「ユーリップ」


「見ないでくれ、こんな獣のような姿」


 俺は大蝙蝠の姿となったユーリップに駆け寄った。


 抱きしめる。


「無事でよかった」


 ユーリップは一筋涙を流し、その姿をもとの美しい吸血鬼に変えた。


 ゼンガボルトはぴくりとも動かない。ただ死んではいない、その大きな胸は微かに動いている。俺は泥のような安心をして、トガを探した。トガは少し離れた位置にぽつんと立っていた。


「トガ?」


 返答はない。様子がおかしい。


「トガっ」


 トガは俺を見る。いや、俺越しにユーリップを見ている。


「久しいな、ドロヴァデッド」


 それはトガの声ではなかった。声と云うよりは空間の振動に近い。俺の心臓が跳ねた。声を聞いただけでだ。俺はトガの顔を見た。顔こそトガだが目つきが違う。いつも自信がなさそうにしていた、あの気弱な少年魔法使いの目ではない。


 ユーリップは一瞬驚いたような顔を見せたが、暫時トガを見つめ、やおら相好を崩した。


「フロイか、そんなところにおったのか」


 トガはユーリップに笑い返す。


「三百年前、腕のいい神官に封じられた。急に周囲が騒がしくなってな、こうしてまた表に出られるようになった」


 トガは俺を指差した。


「おいお前、お前は殺さないでやる」


「トガ? なんて云ってる?」


 トガが口を開け何か言葉を発しているようにも見えたが、やはり俺に届くのは空気の震えばかりだ。


 ユーリップが答える。


「トガではない、そやつはフロイ」


 ユーリップが俺を守るように前に出た。トガから発せられる不穏な空気を、さすがの俺も感じ取っていた。


「フロイ?」


 ユーリップが云う。


「この少年の中に封じられた者の名前じゃ。わらわとは旧知の仲、とでも云おうか」


 トガはトガらしからぬ顔で笑った。


「旧知の仲とはずいぶん乾いた云い方だ」


 封じられた者とはなんなのか。


 俺はトガとはじめて会った時のことを思い出していた。あの時俺はリオーのパーティを追放され、自分のパーティを結成するため冒険者の酒場でいろいろな人間と話をしていた。俺はトガを見た時、その表面というよりは内面にただならぬものを感じ取った。具体的な説明はできない、直感としかいいようがない。以前の仲間だったポーなどには、お前は目がいいとよく云われたものだが、俺にはどうも他人の力を見抜く目があるようだ。


 ただトガの場合は才能の煌めきではなく、


「ユーリップ、フロイとは何者だ?」


「フロイは冥府を統べるもの。お前らの言葉で云う、魔王じゃ」


「魔王だって?」


 俺はトガの中に魔王を見ていたのか。愕然として言葉を失った。トガの中の魔王はトガの姿で高笑いをした。


「なぜ封印された我輩がまた戻って来られたのか。わかっているだろう、ドロヴァデッド。我輩は君の存在に引き摺られたようだ。普段は力を抑えているのか? 今もまた力を弱めつつあるな? それは良くない、封印が解けきっていないうちは強い力で引き摺ってもらわねば、また我輩はこの子供の奥底に沈んでしまう。この子供の抑止力は思いのほか強い!」


 ユーリップ。俺の知らない一面。


「しかしドロヴァデッド、なぜ貴様は人間なぞと行動をともにしている?」


 云いながらトガの中の魔王は、少し苦しそうに唸った。


「また戒めが強まった。ドロヴァデッド!」


 ユーリップは静かに、しかし大きく息を吸いそして吐き出す。


「わらわはドロヴァデッドではない」


「また戻ってくる。その時こそ、またともに……」


 トガは気を失いその場に頽れた。俺はトガを支えながら、横を向くユーリップを見た。


「ユーリップ……あの、ドロヴァデッドって?」


「わらわの本当の名前じゃ」


「本当の名前?」


「濁点ばかりで可愛ないからの、変えた」


「本当の名前」


 ユーリップは咳払いをした。


「わらわも魔王じゃ」

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