第39話
「デアデフイという」
ばさばさの蓬髪、ぼろぼろの衣服、首輪と鎖。昼間の猫のような目だけではない、少女の満身から尋常ではない雰囲気が溢れ出ていた。
パキスニは俺の頭から手を離した。随分麻痺が薄まったとはいえ、まだまともに立つことはできない俺は、また崩れるように突っ伏した。
冒険者ギルドの受付をしているトカゲ系亜人の女性と面差しが似ているように思う。それは矢張りその特異な目のせいではないのか。ならば目の前のデアデフイという名の少女もまたリザードマンなのか。鱗も尾もないリザードマンがいるのかどうか俺は知らない。
「デアデフイ、後始末をしろ」
少女は首を振る。パキスニは少し表情を硬くした。
「デアデフイ」
デアデフイは怯えた顔で首を振り、もういやだと呟いた。
「お前に選択権はない!」
パキスニの大声がダンジョンに響いた。力いっぱい鎖を引き、よろけた少女の横面を思い切り殴りつける。
「く、糞野郎……!」
パキスニは俺の顔を見た。
「おう。糞とは俺のことかな? こいつがどんな存在か知っていて俺を糞と罵るのか?」
甲高い声でそう云ってパキスニはデアデフイの腹を蹴り上げた。デアデフイが呻いて蹲るのを無理矢理また立たせ、先程の俺のように髪の毛を掴みその顔を俺に向けた。
「いいかな。こいつは化け物だ。そこいらに出没する三下の魔物など足元にも及ばないほどの存在だ。こいつに滅ぼされた村は数知れない。信じられないだろう? まあ、すぐにわかる」
パキスニは少女に耳打ちした。少女はいやいやをするように首を振った。俺はどうしても信じられない。目の前の少女が村を滅ぼしたなどと。
「もういやなの……」
「わがままを云うものではないよ、デアデフイ。ほら見てみなさい、忍者ベノンも盗賊キアッカももはや戦えない。君は俺に剣を持って戦えと云うのかな? ほら、本来の姿に戻るんだ」
「わ、私は人よ? もう人を殺したくないの!」
「殺したのは不可抗力。いいかデアデフイ、君の行為は迫害に対する抵抗でしかない。君は悪くない、ちっとも悪くない。悪いのは、君を嫌う村の連中であり、我々に敵意を抱いた愚かな奴らだ」
パキスニはデアデフイの泥だらけの額にキスをした。
「君の力はたしかに脅威だ。ただその脅威は、俺を守るためにある。そうだろう」
デアデフイは吐息を漏らす。
「さあ、力を解放するんだ。目の前の男は間違いなく敵。ベノンもキアッカも彼らにやられてしまった。さあ!」
デアデフイは俯いたまま前に出た。パキスニは鎖を手離し、音もなく後ろに下がった。
少女の目に不穏な光が宿った。
「あ、ああ……」
俺は言葉が出ない。
少女が身体が見る見る膨らんでいく。垢じみた皮膚は鱗に覆われ、ぼろきれが巻かれた尻からは太くて逞しい尾が生えた。音を立てて口吻が伸びる。肉食獣のような牙が瞬く間に生え揃う。いたいけな少女は小山のような巨躯となった。首輪が千切れ落ちる。
デアデフイは炎が燃え盛るような赤銅色のドラゴンにその身を変じた。
「ど、ドラゴニュート……か」
毒での麻痺はずいぶんその効力が薄くなってきたように思うが、目の前に立つドラゴンに圧倒されてしまい、俺はまた身動きができない。
こんな相手、誰がかなうという。
ただのドラゴンが相手であったとしても、人はなにもできずに蹂躙される。それがドラゴニュートだ。人が竜となる、竜人だ。ドラゴンの魔物としての脅威等級は8。最高位を10としての8だが、竜人は魔物ではない。魔物をも超越した存在、魔物を従える存在である、魔人だ。
魔人など、目にするだけで悪夢だ。
「さあデアデフイ、俺の為に皆殺せ」
赤いドラゴンは大きな声で吠えた。ダンジョンのすべてが震撼するような轟音に背骨がひび割れそうになる。気を抜けば泣いて失禁しそうなほど俺は慄いた。
ひとつひとつ階段を上るように戦う魔物の強さを上げていき、どうにか脅威等級6まで相手にできるようになった。
「すごいだろう、素晴らしいだろう。不思議ではないか、どうしてこの竜人は、たかが棺桶職人の俺の云うことを聞いていると思うかね?」
俺は必死に恐怖と戦っていた。頭が固まってなにも考えられずにいる。
パキスニは俺を見つめた。
「俺はね、約束したんだね」
「な、なにを……?」
「聞きたいかな?」
俺は頷いた。いったいこの、ダンジョンを埋め尽くしてしまうほどの巨大なる奇跡と如何なる約束を交わしたのか。
パキスニはどこか満足そうにうなずいた。
「その手をどんなことがあっても離さない!」
「どんなことが……」
それは覚悟、か。
俺もそうではなかったのか。
彼女の手が罪を犯したのなら、ともに償おう。そういう覚悟だったのではないのか?
それを、
「それを、」
竜となったデアデフイは狭いダンジョンで巨体を回し、凶暴な尾を振り回した。麻痺の呪縛からようやく解き放たれた俺は、どうにか立ち上がることができるようになった程度の俺には、その大木のような尾を躱す術はなかった。
ジャゴだった。
ジャゴが俺の身体を掻っ攫って走っている。
「ジャゴ!」
「しゃべるな舌を噛む」
「キル、キル、」
「運が良ければ助かる」
幸運だったのはここが狭いダンジョンであったこと。強烈なる赤いドラゴンは、足元を掠めて走る鼠のような存在を追えるほどの小回りは利かなかった。
「逃げろ逃げろ、どうせここからは出られはしない! また会いましょう!」
パキスニの高笑いが響き渡る。それはいつまでも俺の耳に残った。
俺を肩に担いだジャゴは肺が潰れるまで駆け続け、突然倒れるように止まった。ジャゴの肩から転げ落ちた俺は壁に背を打って天井を見上げた。
荷物はほとんどなくなった。火も熾せず食べるものもない。
ジャゴは横になっている。ここが安全かどうかなどわからないが、失った体力を回復させるにはもはや眠るしかない。俺は身に付けていた蒸留酒の瓶をジャゴに手渡す。乾燥させた豆と干し杏子。酒は魂を洗う。豆は噛み応えで脳を騙し、杏子の甘みが疲れを癒す。
「キルシマは生きている」
慰めのつもりだろうか。俺はジャゴから手渡された蒸留酒を喉に落とした。
武器を失い、食べるものも薬もない。
「カザン」
「うん……」
「生きて出よう」
ジャゴの言葉がとても空しく響いた。
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