第35話
「出てきなさい、ネズミども!」
フィの声が洞窟に響く。俺はジャゴに口を塞がれ、身動きを封じられた。涙目で訴える。
キルシマを、ユーリップを!
ジャゴは無言で首を振り、右に左に折れ曲がるダンジョンの物陰から様子を窺った。
「まだ見通しが効かない、二人とも姿は見えない」
キルシマとユーリップだけではない、相手側の三人の戦士もその姿は確認できなかった。キルシマらはともかく、戦士三人はフィよりは後ろにいたはずだ。
俺はジャゴの手を叩いた。もう感情的に騒いだりしないと目で合図する。ジャゴはゆっくりと俺の口から大きな手をどけた。
「取り乱して悪かった」
ジャゴはやはり無言で首を振った。
どうすべきか。
強烈無比なる魔法を持つ賢者が迫ってくる。
「まだお名前聞いてなかったわね」
足音が近づく。ジャゴは鉄槌を握り締めたまま息を整えている。
「……カザン、だ」
「まあ、あなたが。酔狂な料理人がいる、勇者リオーのパーティを追い出され、マギランプの末子をかどわかし、そして怖ろしい吸血鬼を仲間にした料理人! そうよ、吸血鬼よ。私ももっと早くに気づくべきだった。もっとも気づいたところで殺し合うことには変わりない」
フィはしゃべり続けて足音を消している。射程圏内まで近づきそして、またあの魔法を放つつもりなのか。
「出てきなさい、カザン。出てきて報いを受けなさい。もう慈悲はない。だって私の仲間を三人もなきものにしたでしょう?」
「死んではないだろう? あんたが治癒魔法をかけるか、今すぐここを出て適切な治療を受けさせればいい」
「武器を壊してしまったじゃない」
戦いに役立たないのだから最早死んだも同じと、やはりフィは歌うように云った。戦士の武器のひとつは俺が無効化した。斧も俺の盾に刺さったまま焦熱魔法で消え去ったようだ。
希少職に就くことができる人間と云うのは家柄や努力は当然必要だが、それ以上に素養、才能が重要だと俺は思う。料理人でも一流にまでは努力でなれるが、そこから壁を破り超一流になることができる人間は本当に一握りだ。同じように研鑽を繰り返し、同じように血の滲むような努力を重ねても、そこに到達できるものとできないものがいる。その差は何処にあるのか。
突き抜けられる人間と云うのは何処か少し、あるいは大きく凡人とはズレている。えてして天才と呼ばれる人種は、空気を読む能力が欠落していることが多い。それはあくまで俺の印象だ。俺の狭量な人生経験から導き出した偏った意見だ。
空気の色まで見え、手元の集中力を欠いてしまうほどまわりが見える俺は、生唾を飲み込んでフィの手元を注視した。
いくら賢者と云えど先程のレベルの魔法をそう連発できるとは思えない。しかし賢者フィは悠然とこちらに近づいてくる。
ジャゴがどうすると顔だけで伝えてきた。
「よし」
俺は賭けに出ることにした。ジャゴに耳打ちする。
「正気か?」
俺は頷いた。ジャゴはわかったと短く返し、背中の背負子から予備用にと持ち歩いている武器をいくつか見繕って俺に手渡す。
俺は声を張り上げた。
「武器を壊したことは謝ろう。今から、グレードは落ちるが代わりにの武器を渡す。それでどうにか手打ちにしてくれないか?」
ダンジョンで勝ち残るつもりならば、当然敵は俺たちだけではない。フィもこの先を考え、精神力や集中力、すなわち魔力は温存したいはずだ。
武器を渡して、戦士たちを回復するかどうかを見る。平凡な発想でいくならば、ひとまず戦士を回復させ、俺から手渡された武器を代替に持たせるだろう。今ここで全力を出し切ってしまえば、後は他の冒険者に蹂躙されるのみとなる。
回復すらしないのであれば、これはもう先程の上位魔法を唱える力も残っていないと判断していい。
賢者はなに思う。
ブラフで俺たちに降参を促すつもりか、隙を見て殺すつもりか。その判断を間違えば俺もジャゴも死ぬ。
厄介な硬直の術もまた、かけてこない。
「ジャゴ、俺を信用してるか?」
ジャゴは白い歯を見せた。屈託のない、彼の故郷の太陽のような笑顔に俺は勇気づけられる。
ちいさなナイフを握り俺は飛び出た。ジャゴも俺を追う。
「う!」
フィは手のひらの直上に青白い火球を浮かべていた。
「しょ、う熱魔法……!」
「あなたの考えなんてお見通し。私の魔力を計っていたのでしょう? だから私、貴方の裏を掻こうともう魔法が使えない振りをした。敢えてギリギリまで一切魔法を使わなかった。こんな呪文何回だって放てるの! わたし賢者だもの!」
ああ死ぬ。
そう思った刹那、半分身体が焼け爛れたユーリップがフィの首に咬みついていた。その目に知性はない。
「や、やめろ! やめるんだユーリップ!」
俺の声は届かない。ユーリップは賢者の首筋に牙を食いこませ、その血を吸った。最初は抵抗していたフィも、見る見る生気を失い、目に見えて痩せ細っていった。まるで老いていく様を一瞬に凝縮して見ているようだ。フィの若さを吸い取るように、ユーリップは身体の傷を回復させていく。
俺は腰を抜かした。ユーリップの怖ろしさを、その時はじめて身をもって知った気がした。
ユーリップは我にかえる。
口を血まみれにし、とても哀しそうに、
「カザン、わらわを嫌わないでくれ」
そう云った。
俺はユーリップに何も云えなかった。その足元の干からびた女ばかりを見ていた。
「嫌わないでくれ」
俺はどうにか立ち上がる。
「カザン……」
ユーリップの顔を見ることができない。
「キルシマは気を失ってるだけのようだ、よかった、よかった……」
やっとの思いでそれだけを云った。
「カザンっ」
どう言葉を返せばいいのかわからない。ユーリップは俺を助けてくれた。そんなことはわかっている。こうするしかなかったのだと、それも理解できる。わかるがしかし、目の前で人が死んで、俺はやはり平気でなどいられない。
俺の混乱をさらに混ぜ返すように、通路の突き当りを横切っていった影があった。
「……トガ?」
俺は卑怯だ。ユーリップと向き合おうともせず、気掛かりだった人間の影に囚われた。いや、囚われた振りをした。
「カザン!」
キルシマを放っておくつもりはなかったが、今トガを追わねば、この複雑なダンジョンではすぐに見失ってしまうだろう。
俺はジャゴを見た。
「ごめん……俺はトガを、以前にパーティメンバーだった魔法使いの少年を追う」
ジャゴは頷いて背負子の荷物を幾つか捨てた。
「すぐに追う。行け」
俺は走った。
黙々とキルシマを回収するジャゴの横で、ユーリップはひどく哀しそうな顔で、走り去る俺の背を見つめていた。
キルシマを背負子に乗せたジャゴが、ユーリップに言葉をかけた。
「行こう」
俺たちが去ったあと、身体中の血を吸いつくされ干からびきった賢者フィの胸元から、ひとつの玉が転がり落ちた。その玉は秘宝中の秘宝、この世に数個しか存在しないと云われている復活の玉だ。その所持者は難あって落命した場合でも、一度だけ玉の力を以って生き返ることができる。
床に転がった玉が鈍く輝いている。
フィの死体がかすかに動く。干からびた顔にわずかに生気が戻る。やがてひどく咳き込み、虚ろながら目を開けた。
戦士ウモンも意識を取り戻し、立ち上がった。
「フィ。俺も行く」
賢者フィもよろめきながら立ち上がる。ウモンは再度賢者の名を呼んだ。
「……私の役に立てるか?」
「当然だ、俺は戦士だ。武器もある。だから少しでいい、体力回復の呪文を」
そうかと云ってフィはウモンの額に手を当てた。ウモンは安堵の笑みを浮かべた。しかし。
「……なにを?」
ウモンの顔がひしゃげていく。フィの荒かった呼吸が次第に整っていく。干からびた肌に潤いが戻る。体力吸収の魔法だ。吸血鬼によって奪われた体力を仲間で補ったのだ。
そのための戦士だった。数ある職業の中で最高クラスの体力を誇る戦士を、こういう時のためパーティに入れていたのだ。
ウモンから吸えるだけ吸って楽に動けるようになったフィは、マンスズ、そしてネレイドにも同様の魔法を使い、自分の体力を万全のものとした。
「……カザン、そして吸血鬼、許すまじ」
賢者フィは燃え盛る炎のような足取りで歩き出した。
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