第7話 死闘再び(2)

 思ったとおりだ。


 ハルトの眼は場内の一角に魔女を捉えた。

 元々は豊洲市場の見学ツアー客用に用意された、1階の仲卸売場を眺望できる見学者デッキに陣取って睨みを効かせている。

 しかも、5人いる。

 他にもいるはずだが、一気に5人の魔女を駆逐する機会などそうそうあるものではない。

「これはラッキーと言わざるを得ないが、奴らに対して脆弱な武器や、これまでの戦闘で疲弊した残存兵士の数では心もとない。しかも、肝心の士気が上がらない。


 そこで、ハルトが一席ぶつ決心を固めた。

 本来ならトウジの役目だが、彼亡きあとはその意志を受け継いだハルトに託されたとの思いからは逃れられない。ハルトの中でもその思いは徐々に形を鮮明に、そして大きくしていく。


 レナの後押しもあり、ハルトは中央司令部よりの下達で臨時に沿海部担当の司令官代理の任を担うことになっている。


 一時的に築かれたバリケードが機能して、猛然と襲いかかる【Z】たちをどうにか食い止めていた。

「みんなー! 防御に当たる者たち以外、しばらく攻撃の手を休めて聞いてくれ!」

 ハルトは一度大きく深呼吸をすると、寄せ集めのレジスタンスというよりも、すでに凛然とした兵士の顔になった若者たちをぐるりと見回した。

 ハルトは可能な限り声を張り上げてアジる。


 兵士たちは、新司令官の第一声を聞き漏らすまいと、耳をそばだて固唾を呑んで見守っている。

「わざわざ拡声器を用意してくれたようだが……。どうやらその必要はないようだな」

 集まったレジスタンスたちに向かってハルトが訴えた。

「生声で十分届く範囲にしか人間はいないようだ。そのほか大半は、かつて人だった者共の成れの果てか……」

 戦闘で憔悴しきっているはずの兵士たちから、思わず失笑とも苦笑ともいえる笑い声がもれた。


「諸君らも十分承知しての通り、我が勢力はもう後がないのが現状だ。各地で後退し、勢力も急速に衰退している。言葉にするのも憚れる憎き【Z】軍団に、うとう最後の砦ともいえるこの地――当初は橋頭保としての役割を担うべくして設営されたこの旧豊洲市場跡に追い詰められて、いわば袋のネズミ状態なのは諸君らも重々承知のことと思う」


 兵士たちはシーンと静まり帰ったまま、新司令官の訓示待っている。

「ヤツらは瞬く間に全世界に勢力を拡大、その後は殖の一途をたどってきた。すでに極東……いや全世に残った抵抗部隊はほぼ奴らに殲滅されたか、あるいは自決に追いやられたと思われる。万感の念に堪えない……」

 ハルトは万感極まって声を詰まらせた。


「すでにこの旧豊洲市場跡も周りはほぼ奴らによって包囲されている状況だ。背後は海、その他三方は数えきれない数の【Z】の群れに占拠されている。走れば、ここから数分の所にあるコンテナ埠頭には司令部が手配した大型の外航船がすでに接岸している。そして、いつでも出港の準備ができているとも聞き及んでいる。希望者がいれば遠慮なく手を挙げて乗ってくれ。無理に我々と行動を共にする必要はない。怪我をしている者、12歳以下の子供、女性らは優先的に乗船しているが、まだ数人分の余裕がある。怖気づいて逃げるなんて思う者などはいない。君たちは人類の未来を背負って立つ希望の星なのだから」


 しかし、兵士の中からは誰ひとり手を上げる者は現れなかった。

 彼らの表情も一層険しく精悍さを増した様に見える。


「我らとて端から玉砕覚悟で【Z】共の中に突入しにいくわけではない。重戦車に竹やりや棍棒を持って戦いを挑もうとしているわけではないのだから」

 兵士らの間からわずかに笑い声がもれる。


「しかし、グァムの米軍基地がヤツらの手に落ちたという情報が真実なら、今後、武器弾薬等の補給はあてにできないと考えておいたほうがいいだろう。奴らが船で移動できるなどといった、当初想定していなかった事態も発生している。日に日に趨勢は混沌の度合いを増してきて、こうなると作戦を根本的に練り直さなければいけない状況だ。島嶼部だからと言って安寧としていた島々も、すでにその多くは奴らの急襲を受けて壊滅しているかもしれない。武器弾薬も底を尽きかけ、あまつさえ食料の備蓄も心もとない状況にある」


 ここで若干の間をとった後、ハルトがアジテーションを再開する。

「しかし諦める必要はまだない! 諦める理由もまたない! 未確認の情報だが、両極――北極と南極に逃げのびた勢力が彼の地で生き延び、来るべき日に備えて着々と態勢を整えているといった憶測も、信憑性を帯びてきている。かすかに届く交信から傍受できたデータの解析結果から窺い知ることができるそうだ」

 演説を聞く兵士たちの中に、レナの元気な姿を確認できるとハルトの声は晴れやかに、しかし凄みを増していく。


「一説にはゾンビは寒さに適応できないという説を唱える生物学者もいるらしい。楽観的過ぎるかもしれないが、我々は絶対に生き伸びてやる。オセアニアも現時点では決して約束された希望の地であるとは断言はできない。低緯度の極地に逃げて生き延びた同胞と連携して反抗の機会をうかがうこと、その一点にかすかな光明を見いだすよりほかにない! 組織立って統制の取れた抵抗は、もしかしたら今回が最後になるかもしれない。それだけは皆も覚悟はしておいてくれ!」


 ハルトの声は、切迫感を伝えるべく声を震わせながらも集まった兵士全員ににいきわたる様に、腹の底から思いっきり声を絞り出した。

「即席の沿海部司令官という重責を先代から受け継いだ身としては、慙愧の念に堪えないが、我々に残された唯一の手段……。仮に最後の戦闘になるとしても、決死の覚悟で臨んでもらいたい! 諸君の命はこの僕……俺に預けてもらう。志半ばで露と消え、散っていった先達たちの思いを無にすることはできない。次の世代にバトンを渡す役割こそが、ここに集まった残り僅かの者たちの責務であるのだから!」

 集団の中、端々から嗚咽が聞こえてくる。

「司令官としてこの俺が相応しいかどうかは、何度も自自問自答を繰り返したが、先代司令官の今わの際に言い残した言葉が自分のくだらない迷いを払しょくし、重責を引き受ける決心をさせでくれた。最後に、これは先代の沿海部司令官、トウジからの垂訓だと思い心して聞いてほしい。


 “人間としての尊厳を捨てるな!”

 “最後まで諦めるな!”

 “希望は我々の行く末に必ずある!”


 そして最後に俺から付け加えておく。


 “一度潰えた希望であっても、いつの日か巡り巡って新たな希望の芽は必ず息吹く!”

 “死を恐れることなかれ。されど、生きることを諦めるな! 再び冗談を言い合い、心から笑える世界を願って、生きてまた集おう彼の地で!“


以上だ。各自の健闘を祈る!」


 自然発生的に兵士たちの中から「うおおおおおー!!」という、地鳴りのような雄叫びが湧き上がった。


 すでに埠頭に接岸された外洋船には、女子供を中心とした、未来の希望を乗せ出発の準備は整っていた。

 しかし、未だ5人の『魔女』らは、ひとりも欠けることなく司令塔としての役目を果たしている。


 旧豊洲市場跡地で、【Z】と、その頭脳たる『魔女』たちとの最後の決戦に臨むレジスタンスの面々の士気は衰えることなく、押されながらも形勢はレジスタンス側に有利に運んでいった。

 その中には、ハルトとレナの姿があった。

 とは言え、市場内で足止めを食らっているハルトとレナは身動きが取れず、出航時間は徐々に迫っている。


「君は一刻も早く船に乗るんだ! 今ならまだ間に合う。俺を信用しろ、レナ! 君にはまだ生きてもらわなければならない!」


 そんな時だ。

「あれを使おう」

 ハルトは場内に放置されたままの遺物に目をつけた。

「あれって……?」

「ターレだ。小回りがきいて場内を自由に動き回ることができる荷役用の運搬車だよ」

 レナにとっては馴染のない運搬車だが、ハルトにとっては懐かしい乗り物といった印象が強い。

「ぱっと見、スピードは出そうに無いけど……。自動車より、バイクに近い乗り物なのかしら」

「そうだね。でも、防御と攻撃、両方に順応しているし、十分武器になり得る資質を備えているかもしれない」

追い詰められたハルトは『ターレ』を操作、運転しながら敵中突破を試みる賭けにでた。


「実は、僕のジイさんが豊洲で仲買の仕事に従事していた関係で、何度か豊洲市場には足を運ぶ機会があったんだ」

「それは心強いわ。で、運転できるのよね?」

「それが……」

「ええっ?! 出来ないの?」

「まだ子どもだったし。でも、多分できると思う」

「さっきの『心強い」は返してもらうわ』

「面目ない。でも、まずは動くか否かが問題だ。ホコリを被ってるところを見ると、長い事放置された状態だったみたいだ」

「ますます不安になってきたわ。走る【Z】より遅くて大丈夫かしら?」

 レナの不安は尤もだ。


「その分頑丈なところがターレの持ち味だ」

「スピードは?」

「えっと原付バイクよりは遅い……。多分時速二十キロメートルってとこじゃなおいかな」

「それで、奴らを追い払えるかしら?」

「それは、やってみないと分からない。でも、やるしか無いだろ!」

「動くかしら? 動力は?」

「たしか電気だったと思うけど……」

「心もとないわね」

「確か充電装置がここら辺に……」

 充電ステーションらしき場所はすでに破壊され。使い物にならにことは一目瞭然。

「まずいな。でも充電してる余裕など無いし、こうなったらあとは片端から動きそうなターレを見つけるよりなさそうだ」

 レナは呆れ顔で眉間にシワを寄せる。

 ハルトはそんなレナのふくれっ面を見返すこともなく、動きそうなターレを値踏みしながら一台一台性能を見定めていく。

「大丈夫なの? 出港の時間が迫ってるわよ」


 ようやくハルトは、かろうじてエンジンが掛かって稼働出来そうなターレを見つけた。嬉々として運転台に陣取ると、手を差し伸べてレナを呼び寄せる。

「ここにある中では一番年代物のようだが……頼むぞ、ジイさんターレ! 【Z】を蹴散らしてくれよー!」


「ところでハルト! あなたこれ操作できるんでしょうね? 運転の経験は無いって言ってたけど?」

「もう、ここまで来たら運を天に任せるよし仕方ないよ。手を合わせて神に……まだ神が存在している前提だけど……君も祈ってくれたら心強いよ、レナ!」

「それじゃあ、せいぜい神頼みに励むわ。それと、背後は私に任せてね。ハルトが運転に専念できるよう援護する。【Z】をこの特大卸包丁で切り刻んで、肉片の山を作ってやるんだから、見てらっしゃい!」

 レナは、刃渡りが優に1メートルを超える長尺の鮪包丁を肩に担いで、高揚する気持ちを抑えきれずにいる。

「おー、怖ぁ~! でも、頼りになる。さあ、エンジン全開といこうか!」

「ええ!」

「切って、切って、切りまくれ! 道半ばで散っていった仲間たちの分までぶった切ってやるんだー!」


 器用にターレのレバーを操作して、【Z】の隙をつきながらハルトは水を得た魚のようにスイスイと奴らの間隙を縫っていく。動きを先読みして巧みにターンと前進、後退を繰り返しながら、さらにはレナの援助も忘れてはいない。

 それに応えるように、レナも奮闘。

「やるわね、このターレ」

「ああ、思っていた以上に使える」

 意外と言っては失礼だが、【Z】撃退に持てる威力をいかんなく発揮するジイさんターレ。

 スピードは出ないが、小回りがきく分【Z】の攻撃に対しての速攻が面白いように効く。ハルトとレナを乗せたターレは快調に飛ばし、市場の出口はすぐそこまで迫っていた。


 前進だけでなく、バックもできる利点を活用して、背後から追いすがる【Z】を容赦なく踏み潰す。

「ホホーっ!」

 思わずハルトは、カタルシスに酔いしれたように声を振り立てた。

 ターレは狭い場内の障害物もスルリ、スルリとすり抜けて順調に目的地へ向かっていく。怖いものなど無いかのようにただ前へ、前へと猛進する。


 時には俊敏な動きをみせる【Z】に、ターレの荷台へ乗り込まれたりもしたが、急ブレーキと急旋回で事なきを得たふたりがほっと息をつく。

 2人の乗ったターレの後ろには【Z】 たちの屍――というのも変だが――山が築かれていく。

 バッタ、バッタと追いすがる【Z】を駆逐していくと、さすがに奴らの勢いにも陰りが見え始めた。

 途中、幾度もレナをかばいつつ、小回りの利く器用さを生かして【Z】の群れをくぐり抜ける。

 息のあった連携プレイもここに極まった感がある。


 どうにか場外への脱出することに成功したふたりだったが、まだ気を緩めることはできない。

 どうやら、ジイさんターレはその任を全うして、命が尽きたようにエンジンを停止させた。

「ご苦労さん」

「やるじゃない、おジイさん……いえ、おじさんに格上げしてあげる」

 ふたりにとっては一緒に戦ったものは人や機械にかかわらず皆同志であり戦友だ。 役目を全うしたジイさんターレに、労いの言葉を掛けて別れを告げることは至極当たり前のことに思えた。


 市場の外に出ても気は抜けない。

 場内ほどではないにしろ、走って目的地に向かうふたりを【Z】たちは安々と逃がしてくれない。

 雌伏していた一団が目的にまであと一歩のところまで到達していたふたりに襲いかかる。まるで、獲物が追い立てられ、あぶり出されてくるのを待っていたかのように。

「どうやら、まだ奴らの指揮系統は機能してるようだな、チッ!」

 ハルトは苦虫を噛み締めたような顔で舌打ちをした。

「ということは、『魔女』たちも健在で、下っ端【Z】のコントロールも失っていないということになるわね」

「そういうことだな」


 ハルトとレナは最後の力を振り絞って、全速力で走った。

 前から、横から、そして背後から迫りくる雑魚【Z】を、レナは長尺鮪卸包丁で、ハルトは散弾銃と短銃、さらにはレジスタンス養成所で取得した空手や護身術を駆使しつつ排除しながらの逃走劇だ。


「はあー、はあ……っ、はああ……!」

「ようやく船が見えてきたわ」

 残る体力を全て出しきった満足感は、彼らふたりには無い。

 有るのは、コンテナ埠頭まで、どうにかこうにかたどり着けたことで、命を賭して戦ってきた仲間たちへの責任を全うした気持ち、ただそれのみだった。


 岸壁には出港の準備を整えた大型船からは、同胞たちの叫ぶ声が聞こえる。

 レジスタンスの資材調達部署が用意したのは、遠洋航海に絶えられるのかは甚だ疑問のポンコツ大型外航船だった。

「クレーンが装備されてるところ見ると、木材輸送船だろうか」


 コンテナ埠頭に接岸された外洋船は汽笛を鳴らして、まだ岸壁で乗船を躊躇っている兵士らを促して乗船を誘導して彼らに人類の望みを託す。

 レナが先に乗船し、ハルトに手を差し出して乗船を促すが、なぜかハルトは外航船に乗り込むことを拒む。

 ハルトは【Z】に肩を噛まれ、感染した事実をレナ告げて船に乗ることを拒否する。

「そ……そんなことって??!!」

 泣き叫び、自分を呼ぶレナの声が遠のいていく。

「ウィルスが脳まで達し、発症するまでの僅かな間。少しでも人間としての尊厳を残しているうちに俺にはできることがまだある」

 ハルトは銃を【Z】に向かって撃ち続けるが、次第にその銃声も枯れ果て、あえなく【Z】らに囲まれてしまう。

 呆然とその様子を涙越に眺めながら、泣き崩れるレナ。

「そんなことって……」

 トウジに続いてハルトも失うことになったレナは絶望の淵に立たされ、それでも気丈にハルトの最期を見届けた。


 予定の時刻を大幅にオーバーして、おんぼろ木材運搬船は離岸した。

 船は徐々に東京湾を南に向かって航行していく。

 ところが、船の操舵室には本来この船をタスマニア島まで運行するために雇われた操舵手の姿はなく、舵を握る【Z】の姿が2体あった。

 操舵室の床には、雇われ操舵手らが血を流して倒れている。

 彼らもいずれ【Z】化する運命にあることは明白。


 さらに凶暴化し、変異したニュータイプ【Z】――【Z】=βは『魔女』からのコントロールなしに、単独で思考し最適解を導き出す能力を有している。

 悪魔を思わせるその禍々しいまでの容貌の【Z】=βが口を開くと歯には大量の血と肉片がこびり付いていた。


 まだまだ、【Z】との死闘は決しそうに無い。


 レナは、乗務引用に設けられた休憩室で身体を横たえると、すぐにまどろみ始めた。

 彼女はニュータイプの【Z】=βの存在など知る由もなく、また、自分が新しい命を宿したことも知らずに深い眠りについた。


                   〈了〉

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【Zi:】Z世代ニュータイプゾンビに対抗するは、極東レジスタンス最精鋭7人の戦士《さむらい》たち! ねぎま @komukomu39

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