第4話

 陽翔がメジャーデビューを果たしてから、数ヶ月が経った。


 彼のバンドは瞬く間に人気を博し、テレビや雑誌での露出が増え、ライブチケットは即完売するほどの人気となった。SNSにはファンの歓声が溢れ、業界内でも「新星」として大きく取り上げられていた。


 俺は変わらずバーで働き続けていた。夜になると、陽翔の歌が流れることもあった。俺の知らない場所で、知らない人たちが彼の音楽に夢中になっている。それを誇らしく思う反面、どこか遠くへ行ってしまったような気がして、胸が締めつけられた。


 俺たちはもう違う世界の住人なのかもしれない。


 それでも、俺は彼のことを忘れることができなかった。



 そんなある夜、バーの扉が静かに開いた。


 振り向くと、そこには見慣れた姿があった。


「……陽翔?」


 久しぶりに見る彼は、少しやつれたように見えた。忙しさのせいか、目の下にはうっすらとクマが浮かんでいる。それでも、その瞳はまっすぐ俺を見つめていた。


「久しぶり」


 静かにカウンターに座る陽翔。


「……お前、ここに来て大丈夫なのか?」


 俺は淡々と尋ねた。陽翔は小さく笑い、グラスの水を一口飲む。


「大丈夫じゃないかもしれない。でも、来たかった」


「……」


「ずっと言えなかったことがある」


 陽翔の声が少し震えていた。


 俺の心臓が大きく跳ねる。


「俺、お前が好きだ」


 その一言に、俺は息を呑んだ。


「お前にキスされたあの日、正直、何が起こったのか分からなかった。でも、あれからずっとお前のことが頭から離れなかった。ステージに立っても、音楽をやってても、お前の顔ばっかり浮かんでくるんだ」


「陽翔……」


「事務所のルールなんて関係ない。俺が俺らしくいられる場所は、お前のそばだ」


 陽翔はそっと俺の手を取り、指を絡める。


「だから……お前も、俺を好きでいてくれないか?」


 俺は何も言えなかった。


 けれど、胸の奥にあったものが、音を立てて崩れていくのを感じた。


 俺の目から、涙が零れる。


「バカ……俺はずっとお前が好きだったんだよ」


 陽翔の腕が俺の背中を引き寄せる。俺はもう抵抗することなく、彼の胸に顔を埋めた。


「これからはずっと一緒にいよう」


 静かなバーの中、俺たちはそっと唇を重ねた。


 それは、長い時間を経てようやく結ばれた二人だけの甘い夜だった。

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君に触れた夜 海野雫 @rosalvia

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