第3話

 陽翔の言葉を受け、俺はさらに深い葛藤に落ちた。


 それから数日、俺は仕事に没頭しながらも、心のどこかで陽翔のことを考え続けていた。あの夜の問いかけに、俺は何も答えられなかった。だが、それでも陽翔はもう一度俺の気持ちを聞こうとした。それだけで十分なはずなのに、俺の中には消せない不安があった。


 そんな中、陽翔のバンドがついにメジャーデビューのチャンスを掴んだ。ニュースサイトやSNSでも話題になり、彼らの名前が一気に広まる。陽翔は夢に向かって進んでいる。なのに、俺は……。


 数日後、陽翔から久しぶりにメッセージが届いた。


『話したいことがある。時間あるか?』


 俺は一瞬返信をためらったが、結局「店が終わった後なら」と返した。


 その夜、バーが閉まるころ、陽翔がやってきた。いつもの軽い雰囲気ではなく、どこか緊張した面持ちだった。


「駆、時間あるか?」


「ああ、ちょうど終わったところだ」


 陽翔は店の奥の席に座ると、グラスの水を一口飲んだ。そして、静かに言った。


「俺たち、メジャーデビューが決まったんだ」


「……おめでとう」


 本心だった。ずっと夢見ていた舞台に、陽翔が立とうとしている。だが、その一方で俺の胸は妙なざわつきを覚えていた。


「でもさ……事務所から、釘を刺されたんだ」


「釘?」


「今後、スキャンダルは絶対NG。恋愛も控えろってな」


 その言葉に、俺は思わず拳を握りしめた。


「それって……お前が夢を叶えるための条件ってことか?」


「そういうことだろうな」


 陽翔は苦笑いを浮かべたが、目は笑っていなかった。俺は無言のまま、カウンター越しにグラスを拭き続ける。


「だからさ……」


 陽翔は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。


「駆、お前のこと、どうしたらいいのか分からないんだ」


「……」


「俺の気持ちははっきりしてる。でも、俺がここでお前を選んだら、俺のバンドの未来が……」


「……お前の夢を壊したくない」


 俺は静かに呟いた。


「お前がずっと追いかけてきた夢だろ?それを……俺が邪魔するわけにはいかない」


「駆……」


「だから、俺のことは気にするな」


 言いながら、胸の奥が張り裂けそうだった。自分から突き放しているのに、心のどこかで期待していた。『そんなの関係ない』と、陽翔が言ってくれることを。


 しかし、陽翔は何も言わなかった。


 沈黙が、重くのしかかる。


 やがて、陽翔は立ち上がった。


「分かった……」


 絞り出すような声だった。


「でも、俺にとって、お前は大事な存在なんだ。」


 そう言って、陽翔は俺の肩を軽く叩くと、店を後にした。


 俺は、その背中を見送ることしかできなかった。



 翌日、ニュースサイトには陽翔のバンドのメジャーデビュー決定の報道が大々的に取り上げられていた。喜びの声がSNSに溢れる中、俺はただ、静かにバーの仕事を続けることしかできなかった。


 それからというもの、陽翔との連絡はほとんどなくなった。テレビやネットで彼の活躍を目にすることはあったが、直接話す機会はなかった。


 そして、彼のデビューの日が訪れた。


 ライブ会場の映像がニュースで流れ、陽翔の姿が映し出される。ステージの上で輝く彼を見て、俺は静かにグラスを磨き続けた。


 これでよかったんだ。


 そう自分に言い聞かせながら。

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