第3話(1)
チャイムが鳴るまで、俺は荷物の存在を忘れていた。
土曜日の朝、俺はかろうじて目覚めてはいたが、すっかり肌寒くなったためか、温かい布団から出られずにいた。目覚ましを止めたあともぬくぬくと布団の中でまどろんでいると、無遠慮なチャイムがもう一度鳴って、はっと目が覚めた。
土曜日の朝八時。
二週間前にもまったく同じように起こされたことを思い出す。
ぼんやりとした頭で、おそらくこれはあの見知らぬ女からの荷物であろうと思った。宅配業者は先日の連絡を忘れたのだろうか。だとすればとんだ怠慢だ。
俺は布団の中でごろりと寝返りを打ち、かといってすぐ眠れそうもなく、そのまま耳をすませた。
チャイムは結局三回鳴ったが、やがて静かになった。
静かになったことを確認してから、俺はやっとベッドからはい出した。コーヒーを淹れ、顔を洗い、歯を磨き、パンをトースターに入れる。
いつもとなんら変わらぬ朝のルーティーンをこなしたのち、どうしてだか分からないが、何の気もなしに玄関のドアを開けた。
鮮やかな青が目に入る。
……どういうことだ?
玄関の前に見覚えのある荷物が一つ置かれていた。以前見たものと同じ、いや、あれよりも一回り大きな箱が、目が痛くなるほど鮮やかな青の包装紙に包まれて、ぽつんとドアの前に置かれているではないか。
俺は無意識のうちに視線を階段の方へ投げた。
おそらく宅配業者はとっくに階段を下りただろう、今から追いかけたとしても意味はない。それから荷物へ視線を戻し、首をかしげる。
箱は一面真っ青だった。何かがおかしい。違和感が寝起きの頭をひとしきり駆け巡る。やがて一つの疑問が、頭の中の行き止まりに突き当たった。
なぜこの荷物には、宛名のシールがないんだ?
俺は裸足にサンダルをひっかけ、パジャマのまま廊下に出て、荷物のそばにしゃがみこんだ。箱を持ち上げ、底も確認してみたが、住所や差出人が書かれたシールはどこにもなかった。つまりこういうことか。誰かが荷物を抱えて、わざわざここまで届けにきたとでも?
そこまで考えて、まさか、と首を振る。
おそらくここへ配達する間に、シールが剥がれでもしたのだろう。
もし仮に差出人が同じ宅配業者を使っているのだとすれば、宅配業者の担当者も同じ人物に違いない。きっとこの包装紙や、過去二回届けた経験などから、荷物の届け先は俺であると判断し、やりとりが面倒になって置いていったのだろう。
ネット通販の需要で、宅配業者も忙しいと聞く。可能性はゼロではない。
コンクリートの通路の上を、干からびて茶色く変色した紅葉が、かさかさと音を立てながら走っていった。
季節はすっかり冬だ。
冬の朝にパジャマ姿で外に出るものではない。俺は荷物を掴み、家の中へと引きずりこんだ。
玄関で思案し、結局段ボールの蓋を開けることにする。確かめなくてはならない。この奇妙な荷物の中身を。
箱の中身は人間の脚だった。
もはや驚きはしなかったが、ぞくりと悪寒が背筋を走った。電気のついていない暗い玄関で見たその脚は色っぽく、艶めかしさすらあった。そう、その脚は若い女のものに違いなかった。筋肉よりも脂肪を感じる、柔らかそうなふくらはぎ。ほどよく肉付きのよい足は、もし本物であれば、誰もが釘付けになったであろう。
俺は静かに段ボールの蓋を閉じた。
そのまましばらく、闇の中でうずくまっていた。
俺は嫌々ながらも箱から脚を取り出した。持ち上げるといっそう、その脚が偽物であることが際立つ。人間の脚はこんなに軽くない。力の入っていない人間の脚は――俺はなぜか苛立ちを感じ、持ち上げた脚を壁に叩きつけた。その脚はいとも簡単に膝から折れた。折れ曲がった部分に触れると、中に針金らしき固い感触があるのがわかった。そのまま両手で力を入れてやる。脚はぐにゃりと一八〇度曲がる。
そら見ろ、やっぱりただの偽物じゃないか。
人間の脚がこんなに曲がるはずがない。
俺はガムテープを取り出し、五十センチほどになった脚をテープでぐるぐる巻きにした。きっちりと隠した後、半透明の白いゴミ袋に入れ、再びテープで巻いてやる。これでどこからどう見てもただのゴミにしか見えない。それを大きめの手提げかばんに突っこんで、出かけることにした。
車は持っていない。東京で暮らしていれば、車など必要なかった。俺は荷物を肩からぶら下げ、何食わぬ顔をして最寄りの駅へと向かった。しばらく電車に揺られたのち、適当な駅で降りた。改札を出て数分も経たずにコンビニを見つける。入り口に置かれたゴミ箱へさりげなく近づき、フタを持ち上げた。
ゴミは回収されたばかりなのか、ほとんど入っていなかった。それを確認してから、ガムテープと新聞紙で包まれた脚を、ゴミ箱の中につっこんだ。
その日は何となく家に帰りたくなくて、用事もないのに、一日中街をぶらぶらした。自分でも落ち着きがないことには気がついていた。
やがて日が沈み、空が紺色に変化した頃、地下鉄に揺られながら街を眺めるうちに、ひとつの考えが頭に浮かんだ。
――岬に連絡してみるか?
地下鉄の窓に
最初は腕で、お次は脚だ。お前のところにも届くのか。
真っ青な包装紙に包まれた、差出人の名前も聞いたことのない、奇妙な荷物が。
それを聞いてどうする。
奴の答えがYESであろうがNOであろうが、それで何かが決まるわけでもない。荷物は荷物だ。こうしてゴミ箱に捨ててしまえば、来週には焼却炉で燃やされ、真っ黒な灰になることだろう。
家の前には、当然のことながら何も置かれていなかった。もちろん不在票もない。ただ消えかけの電灯がちかちかと、無機質な鉄のドアを光らせているだけだった。
俺は先週のように、荷物のことを忘れようとした。だが、今までのようにすっかりと忘れることはできなかった。何をしていても、頭のどこかでは荷物のことを考えている。夜眠りに落ちる瞬間も、思い浮かんだのは、鮮やかな青だった。
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