第7話
「流石に騎士の装備のままでは不味かったか」
苦肉の策であり、着替える時間などないと思い、挑んだ作戦であった。確かに兵舎までは送り届けられ、兵士達にも窃盗犯を預けられたが、青のコートに準騎士の剣と短剣など、何事かと思われただろう。しかも、それを貴族や大家、領主たちの屋敷が広がる区画で行ってしまった。今の自分達の扱いは半端者のそれだが、騎士団の所属である事は間違いない。騎士が賞金首の捕まえ、兵舎に預けたなど。
「けれど、学院からの嘆願書でもありました。私達は学院の指令に従い、遺物を回収、その道中で賞金首を逮捕、移送、報奨金を手にした。何もおかしな点などありません」
執務机に付いているルゼリアは、口ではそう言いながらも、苦い顔をしている。
「——————兵舎の報奨金、学院からの成功報酬——————こんな額になるなんて」
積み重なった金貨銀貨に高額紙幣。ひとつの袋に、ひとつの大袋。小さい方は兵舎からの報奨金であり、それでもしばらくの生活には困らない高額。ブリギットの商会へと渡す月々の額を引いても、余り合う額だった。そして、もうひとつの大袋。
学院からの遺物の回収成功報酬は、破格も破格。兵舎の最も高額な賞金首の報奨金にも届く超高額報酬だった。全て取り出せば、執務机から溢れてしまう程の。
「馬どころか、土地すら買えてしまいます」
ルゼリアだって自分だって、それなりの家の出自ではあるが、それでもこれほどの額を目の当たりにするのは初めてだった。眩いばかりの金に銀。そして、最近行き渡り始めた紙幣が分厚く横たわっている。掴み取れば撲殺する可能な程。
「流石に、このまま屋敷に保管は出来ない。銀行家に頼ろう」
「ど、どう運べば………」
「銀行には現金輸送の馬車がある。学院も馬車で運んで来ただろう、呼び出しても問題ない筈だ。ブリギット、少しいいだろうか」
執務室の扉近くに佇んでいたブリギットに声を掛ける。
「使用人商会とも繋がりがある、信頼できる銀行家を見繕ってくれるか」
「かしこまりました。ただ今—————」
執務机へと歩み寄ったブリギットがルゼリアに対して、知っている銀行家の名を列挙していく。自分でも知る有名な銀行家から、商人の世界では信頼のおける銀行まで上げていき、王都を本拠地にして、すぐに足を運んでくれ、かなりの利子を弾んでくれる名を選ぶ。そして、ブリギットに連絡を取ってくれと命じて下がらせる。
「まさか、本当に今日中に運んで来てくれるなんて—————」
既に深夜。だが、師へと回収のむねを伝えるとすぐさま学院の馬車を使い現れ、唇を奪うと同時に遺物を持って去って行った。無論、成功報酬を置き去りにして。
「こ、こんな額………私達に扱えるでしょうか………」
「それでも領主や組織、それこそ銀行家にとっては生涯的な収入の数分の一程度。騎士を続け、この屋敷を維持し続けるのなら、いずれは底を尽きる額だ。ルゼリア、これを端金、あぶく銭と見る人間は少なくないんだ。落ち着いて、使い道を模索しよう」
そう言い聞かせ、ルゼリアの前髪を手で整える。白い前髪が乱れ、彼女らしくなかった。軽く触れた程度だが、その滑らかさには、更に手を伸びそうになる。
「はい………はい、その通りです。落ち着きましょう——————」
心を落ち着かせる為に胸に手を当て、目を閉じる。その数秒後。
「銀行家にこれを任せた後、馬を探しましょう」
「ああ、それがいい—————そろそろ来る筈だ」
明日か明後日かはわからないが、確実に到来する叙任式。そして、与えられる竜の武装。聖印の騎士の席への選別は、まだ行われないだろうが、それも遠からず。
そして————あの青年との顔見えも、必ず。
「——————怖い」
「ルゼリア卿」
「わかっています—————だけど、私は————」
怯え震えている。もう時間だとルゼリアの手を引き、執務室の鍵を閉めた後、主の寝室へと飛び込む。同時にルゼリアを抱きしめ、胸へと押し付ける。決壊寸前なのはのは間違いなかった。人に剣を向け、手を斬り飛ばして、頭に突き刺す。溢れ出る血にも怯えず、騎士としての使命を全うした。今日のルゼリアは完璧なる騎士だった。
「もういい………」
泣き出すルゼリアを支え、涙を胸に吸わせる。血を拭った手を使い、シャツに皺を作らせる。人を刺すのが怖い、人の血が怖い、人を殺すのが怖い。全て正しい。生きる事を優先するのなら、こんな目に合う場所から早々に立ち去るべきだ。けれど、彼女は騎士であると己を定め、騎士として己を律し、騎士であらねばと縛り付けている。
けれど、彼女はひどく脆かった。その剣技も騎士の使命も、彼女にとっては、自分を守る鎧。それも、重く苦しく、身動きが取れない、雁字搦めの鉄塊だった。
「私、人を斬り、手を斬って、頭に、頭に剣を………」
「怖かったか」
「ま、まだ、血が、血が、人の血が私に………」
血が怖い。それも人の血が怖い。騎士としてあるまじき恐怖だった。
「怖がっていい。泣いていい。それが正しい—————」
胸の中にいるルゼリアは、もはや言葉を発せられなかった。喉が麻痺し、声が掠れ、言葉を脳が造り出せない。溢れ出る涙もそのままに唾液も垂れ流して泣き続け—————ようやく声を上げる。
「—————ひとりは怖いです」
「俺もだ。ひとりは怖い」
傍らの机に備えられている薬をふたつ取り出し、自分とルゼリアに口移しで飲ませ————ルゼリアと共にベットへと落ち、お互いの身体で時を過ごす。白い肌は充血し、赤く腫れあがる。濡れそぼった口を貪り、掴み取った臀部を握りしめる。
快楽を受けるにはまだ早い、身体の準備が整っていないと胸を押し返されるが、構わずに慰撫する。忘れさせるしかない、慣れさせるしかない、溺れさせるしかない。
人間の快楽、子を作らない、獣では行えない高尚なる行いを、ただの肉欲を求める邪なる行いを続け、浸透させ、植え付ける。
細い腰に肉を叩きつけ、粘着の音を響かせ、お互いに絶頂を迎える。淫猥に股を開き切り、垂れ下がる粘液を受けながら、お互いに抱きしめ合い、声すら響かせる。
終われば次の体勢を、終われば背中を向けさせる。考えつく全てを終えた後—————繰り返し、終わり際に口で拭わせ、共に堕ちる。
たったこれだけで朝の寝室には酷い匂いが立ち込めていた。
「ブリギット、何か言うでしょうか………」
脱ぎ散らかしたコートを眺め、顔を赤く染めているルゼリアを再度胸に納める。
「ブリギットは使用人だ。主がどれだけ汚そうが、掃除をしてくれる」
「………全て知られるという事ですよね。こんなに濡らしてしまって………」
曇りなき純白のシーツに残る愛液の混ざり。
既に乾いているが、その黄色とも赤とも言えない、その色に触れながらルゼリアが再度苦し気な声を出す。昨夜、あれほど声と音を出していたのだ、勘の良い彼女であれば、真っ当な夜など過ごしていないと知り尽くしている事だろう。
既に空には日が昇り、夜を平らげていた。
「子が出来れば、嫌でも知られるさ」
「………私、騎士として母として、立派に努められるでしょうか………」
「俺達の子だ。立派に育ってくれる——————そろそろ起きよう」
床の衣服を掴み取って袖を通すも、裾をルゼリアが掴み取る。
「………もう少しだけ」
「約束を守ってくれ」
「でも………」
幼い子供のように、快楽の続きを求めてくる。その相反しながらも、舌に合った料理を求めるにも似た姿には、自分も肩を再度押し倒しそうになるが、どうにか抗う。
「ルゼリア卿、もう朝だ」
「けれど、まだ寝室です—————もう一度だけ、私を………」
潤んだ瞳に血の差した肌。未成熟ながらも実った谷間で腕を取られ、その熱さ、柔らかさに—————理性を失ってしまう。あれだけ律した手が勝手に伸び、ルゼリアの薄い肩を押し倒し、再度上を取ると—————到底、子供とも少女とも、似ても似つかない魔性の微笑みをされる。快楽を知ってしまった、淫らな女がそこにいた。
「さぁ、もう大丈夫です。今度はあなたを喜ばせてみせますから………」
三回しか夜を体験していない。数える程しか熱を与えていない筈なのに、そこにいるのは高等な頭脳を持つ生物しか楽しめない、子を為さない交尾の楽しみを知ってしまった妻だった。決して娼婦として仕事として快楽を与える側ではない。お互いに、作り上げた技術を使い、共に貪る事を楽しみにしている、愛する人がいる女性。
「ルゼリア、ダメだ………」
「あなたも騎士である筈です。淑女の、愛する女の求めに応じないのは、騎士ではありません—————さぁ、何をしますか、共に貪りますか、奪い合いですか、それとも敗北を楽しみますか——————私は、どちらでも構いません————」
この甘い吐息に脳が絆され、温かいと知っている口に入り込もうとした瞬間だった————舌と舌を合わせる直前に、扉が叩かれる。そう、もう朝だった。
「ルゼリア様。マイス様、お手紙が届いております」
ブリギットの凛とした、目の覚める声に頭が取り戻せた。
「ルゼリア、今晩を待ってくれ」
妻から起き上がり、差し込まれた手紙を求めてベットから離れる。その途中でズボンを拾い上げて、足を通しながら手紙に手を伸ばす。差出人は騎士団であり、騎士の封蝋が押されていた。やはり来たかと思い、ルゼリアへと振り返る。
「騎士団からの手紙だ」
いまだ恨めしそうに見つめてくるルゼリアに手紙を渡し、再度ベットに座る。
「………せめて口づけを」
「夜まで待ってくれ。それに、それをしたのなら最後まで続ける気だろう」
「………わかりました」
まだ服に袖は通さないが、受け取った手紙の封筒を破り、中を確認し始める。
「—————叙任式の日程を決める為、受け取り次第、速やかに登城されたし」
「ついにか」
短い文がしたためられた手紙を読み返すも、それ以上は読み取れなかった。
「………ついに騎士の称号が———————自分の隊を持てる」
「まだそれは早いが、それが出来る地位になった。嬉しいか」
「嬉しいです————いえ、光栄です」
ようやく夜の快楽が抜けて来たらしく、騎士としての雰囲気を纏い始めた。傍らのシャツを手に取り、身支度を始める。白い肌に朝日が差し込み、妖艶な空気ではなく、乙女が湖で身を清める清廉なる美を感じた。そして、最後に青のコートで自身を縛り付ける。
「準備が整ったのなら、速やかに向かいましょう」
白い髪を結び、琥珀色の眼を鋭く刻む。美しいと心底思った。騎士であるルゼリアは、何も知らない者が見れば、戦いの、そして勝利の女神にも映った筈だった。
そして、朝の時間をすぐさま終え、ブリギットに屋敷を任せ、馬はいまだなくとも登城の道に付く。いまだ早朝、いまだ人の影は少なく、兵士の巡回程度としか会わない。長い石造りの大橋を渡り、城門の前へと到達すると、話が通っていたらしく門番に傍らの小門を開かれる。そこを通り過ぎると、広い中庭で訓練を行っている準騎士達が揃っていた。城ではあるが、その直前の門であり砦には、多くの部屋が揃い、そこで日々の訓練や就寝をしている準騎士達の間を縫い、騎士の本拠として与えられている尖塔に足を向ける。
「見ろ————」
ルゼリアよりも年上、しかして準騎士という格下の男性が声を上げる。口々に数少ない準騎士達が口を揃えて何か言うが、我々にはあずかり知らぬ事だった。
尖塔の中。城の最高高度にも匹敵する塔の大広間にて、既に騎士団長が待ち構えていた。日に焼け、浅黒い肌を持つ騎士団長は分厚い剣を腰に佩き、その双眸を我々に向けて来る。前騎士団長から任命された、途方もない実力を持つその人が。
「ルゼリア卿、マイス卿——————」
と、毅然とした態度で出迎えてくれた。
「団長、準騎士ルゼリア、並びにマイス、共に参上いたしました」
「ご苦労である。話はわかるだろう、騎士の叙任式についてだ——————本来ならば、数年、いや、数か月は準騎士の地位に甘んじて貰う予定だったが、件の竜の首の話は既に騎士団全体、そして王家にも伝わっている。無論、聖印の騎士にも」
形式上の話をした後、それを翻す程の結果が事実としてあると口にした。
「遠征に向かわせた騎士も、恐らく今夜には任務を終え帰還する。竜の身体を星に返し、星殻へと変換させ、携えて戻る筈だ。早馬によれば、既に変換作業も完了したとの事——————ルゼリア卿、竜の首を断ち切ったのは貴殿であると言った。間違いないだろうか」
「はい、私が切断しました」
「——————ああ、承知した。ならば、星殻から作り出される竜の装身具—————『星の雫』を受け取る資格を有するのは貴殿だ。マイス卿ではない」
断言した団長が、自分に視線を向ける。だけど、自分は何も対応しなかった。星殻から作り出される装身具。武器になるか鎧になるか、或いは別の何かに成るかは計り知れないが、どうあれ自分には無用の長物である。自分には、惑星魔術がある。
「ならば、ルゼリア卿には意思の確認をしなければならない。そして、『星の雫』を有するに相応しい騎士の席に座るに足り得るかを。ルゼリア卿、着いて来られよ」
背を向けて、尖塔の頂上に通じる——————王家と騎士団の本拠、そして学院にのみ配備され、事実上選ばれた者しか使う事を許されない上下する部屋へ視線を向ける。自分も学院にいる間は少なからず使ったが、それでも余人が扱うにはまだ速い設備だった。
「彼は—————」
「マイス卿には、別に話がある。すぐに迎えが来るので、そこで待って欲しい」
「了解しました」
ルゼリア卿が騎士団長の背を負い、ふたりで部屋に入る。最後までルゼリアと目を合わせ続け、扉がしまるのを待つ。上へと向かう音を響かせたのを確認した後だった—————肩に手を置かれる。ルゼリアはわからなかったかもしれない。だけど。
「竜の身体。肉体は山ほどもあると聞き及んでいたが、首が荷馬車に載る程なのだ、そこまで巨大ではないと思っていた。だが、なおも強大な四肢だったぞ」
「—————いつ戻った」
振り返り、その青年と相対する。
「たった今、とは言うまい。お前ならば知っているだろう、既に転移と呼ぶに相応しい車両が完成している事を。まさか、試しに用意しろと言った次の瞬間には目の前に現れるとは、想像もしていなかった。俺が学院を去った後、あれほども物質転移、模倣魔術が進んでいるとは——————マイス。貴様はどう思う」
「イティルス————」
「まるで、俺が消えるのを待っていたようにも見えた。ああ、そんな筈がないな」
緑の眼を持つ端麗な容姿を、けれど、竜とも違う威圧感を持つ顔付きの青年だった。自分よりもひとつ上だが、その容姿には少年の幼さなど全くと見受けられない。だが、その若く美しい姿には大いなる指導者としての片鱗を感じさせる力があった。
「イティルス、竜の身体は星殻へと変換されたか」
「つまらぬ事を聞くな、ああ、既に学院へと送り届けた。その過程を見たかった訳でもないだろう」
強者の顔だった。自分の実力を知り尽くし、どう扱えば、敵をなぎ倒せるか、理解している。それはそのまま敵に成り得るに相応しい者をも知り尽くしていると同意義だった。先代騎士団長は、決して彼を要職に付けさせず、遠征や外征に使っていた。
けれど、その団長は既に帰らぬ人だった。
「あれほどの車両があるのなら、度々の遠出にも楽が出来ただろう—————どうした、昔のように話すがいいさ。俺とお前は、共にしのぎを削った仲であろう」
「ああ、そうだ。イティルス、車両はどこにある」
「案内しよう」
青のコートを悠然と翻し、背中を向けてお広間から去っていく。その背中を追い、今も準騎士達が鍛錬に明け暮れている筈の中庭へと足を伸ばす。だが、これも想像通りだった。準騎士達は、イティルス卿に胸に手を当て、姿を現すのを待っていた。
「何をした訳でもないというのに。隊を率いるというのも骨が折れる」
楽し気でありながらも、どこか呆れたように準騎士達に視線を送りながら門を目指す。自分も、イティルスの背から視線を外さないが、意識を今も青年に向けている準騎士達へと移した。そして砦であり門でもある出入口を通り抜け、そこに停まっている車両を眺める。全体で言えば馬車を改造したような見た目であった。だが、余計な装飾を取り外し、洗練性に特化した姿からは、無地な剣にも映って見えた。
「さぁ、乗れ」
先にと、手を向けたイティルスに従い、馬車の時と同じように扉の取っ手へと手を伸ばし、同じだろと引く。予想通りであり、開かれた車両の奥に進み、備わっている座席へと腰掛ける。身を屈めながら乗り込むイティルスを眺め、彼が座るのを待つ。
「なかなかの座り心地だ。だが、俺にはまだ小さい—————息が詰まる」
扉が閉じられると同時に、首元を緩め、学院の時のような雰囲気を醸し出した。
そして、馬もいない車両は一人でに動き出し、大橋を渡っていく。
「完全自律機能————長々と正式名称を言われたが、適当に流した」
「学院の生徒だっただろう。お前は変わらないか」
「当然だ。俺は俺の求める知識にのみしか興味がなかった。だが、種は撒いておくものだな。気に入った学閥に金を融資しておいたら、この結果だ。試作品とは言え、こうも易々と貸し出すとはな。いずれは空を駆ける機体も創造されるだろう—————竜の様にな」
窓際の肘掛けに頼りながら、拳を横顔に付けて笑んだ。
「イティルス。もし、ルゼリアが竜を討たなければ、お前が討伐していたのか」
「ああ、無論だ。はぁっ!あの準騎士がどれだけ力を持っていようが、お前がいなければ話にもならなかっただろう。ルゼリアが竜を?楽しませてくれる」
「—————どう討つ気だった」
「色々と策はあったが、全ては泡と消えた。全く、無駄な時間を掛けさせてくれた」
悪態を付きながらも、なおもイティルスは楽し気だった。彼が恐れられる理由に、冷酷無比な所業が上げられていた。自分の前でもそれをよくよく見せられたが、それでもなお彼は常に楽し気であったのは間違いない。無表情になる事などあるのか。
「マイス、お前はどう思った。あの準騎士が竜を討つと言った時」
「まぁ、世迷言をと思ったさ」
「同じではないか。俺も、あの葬列での宣言には笑わせて貰った」
前騎士団長の葬列。聖印の騎士達と王家、兵士長、並びに王都建設の礎となった家々や組織、遠方の要職が全て揃う中、彼女は宣言したそうだ。王都近辺には竜がいる—————白銀の翼と白銀の角を持つ竜が。そして、それを三日と経たずに首を持ち帰ろうと—————狂ったかと思った。それとも準騎士とは、こうもほら吹きでなければ騎士の称号を与えられないのかと、心底狼狽した。しかも、あの預言者を侍らせてと。
「だが、やり切った。あの準騎士には笑わせて貰った謝礼を払わなければな」
「謝罪、ではないのか」
「あの準騎士は自分で倒すと言ったのだ。お前も否定するだろうが、あの剣では不可能だ。鱗一枚、首の骨すら断ち切れまい。大方、月の光を纏わせてふたりで落としたのだろう。目に浮かぶようだ——————お前だけの腕でも出来ないだろうが」
あの場にいたかのような見識だった。本当に、遠見でもしていたのだろうか。
「イティルス、お前はどう思う。ルゼリアは聖印の騎士になれるだろうか」
「どうでもいい。ふ、お前の妻だったな。謝罪しよう—————ああ、成れるだろうさ」
「俺は、あの騎士団長しか聖印の騎士は知らない。聖印の騎士とは何なんだ」
「そうだな、ああ、聖印の騎士とは—————王のしんがりだ」
ただの事実だ、と言いたげだった。
「形式上は王の剣であり盾。この王国どころか大陸全土にも轟く勇猛果敢。そして、人間の限界を極めんとする殺戮者どもだ。王国と王の敵に成る侵略者を屠り、王国の秩序を乱す者を直々に始末出来る暗殺者。聖印の騎士?笑わせる。あのような者ども、既に騎士の誓いを何度破っているか。全ての騎士の憧れ、それは狂人であり、王が逃げ惑う時の最後の壁でありしんがり——————処刑人、とも呼べるな」
「処刑人——————」
「王国を捨て去っても王を名乗るなど滑稽だ。そのような最後を迎えるのなら、と考えている者すらいるだろう。だが、実状は結局は王のしんがりだ」
楽し気でありながらも、嘆いても見えた。
「お前も、それを目指しているのか」
「さてな。声が掛かれば、考えんでもないが。王の剣であるのならまだしも、盾など話にもならない。いや、王の、という言葉がつく時点で俺らしくないな—————どう思った?」
「………ああ、俺にも担えそうにない。王の為に命を捧げるのは、難しそうだ」
「ここには俺達しかいない。言ってしまえ、馬鹿馬鹿しいと。俺の知るお前は、そういう人間だ。妻が出来て丸くなった気か?お前の心は、どこまでも星の終わりを目指す探究者だ。聖者だ賢者になど成れるわけがない——————ましてや、騎士など夢のまた夢だ」
長らく同じ時間を過ごして来た関係ではあった。彼の事をよく知るように、彼も自分の事をよく知っていた。探究者、それは自分を語る上で、どうしても外せない名だった。星の学閥に所属し続け、遂には惑星魔術という、星の学閥最大の宿命にすら届いてしまった。それでもなお、自分の心は晴れなかった。まだ、足りないと。
「馬鹿馬鹿しいか、俺には分からないよ。どうして、ああも生まれた意味を他人に、それどころか称号になどに求めるのか。生まれだって、たまたま王国であっただけなのに—————騎士の話をされなければ、彼女はどうなっていたのだろうか」
「ようやくお前らしくなったな。俺も同感だ」
「お前は望んで準騎士に、騎士の位にまで叙されただろう」
「何に仕えるかは俺が決める。騎士の位は、騎士でなければ出来ぬ事があるからだ。魔獣狩りなど学者どころか学生の身分では望めない。まぁ、目当ての竜は奪われたが」
「—————魔獣—————あれを追いかけているのか。もう終わった事なのに」
「違いない。だが、今もアレが俺のまぶたに焼き付いている。忘れられないのだ」
いまだあの獣に魅せられているのなら、彼にはどれだけの葛藤があった事だろう。天才とも目され、命の学閥の筆頭を常にほしいままにしていた彼が、突然学院を去り、騎士になど甘んじているとは。あのまま居れば、学者どころか師と同じ立場にも成れただろうに。そうすれば、学院から王家に、そして騎士に指令を送れた筈だ。
「—————婚約をしたのだったな、祝福しよう」
「ああ、結果的にだが、屋敷に入る事になった。お前よりも先だ」
「勝ったつもりか?あの師はどうする気だ?お前以外に相手を出来る者などいないだろう」
「——————正直、言い難い」
「お前も騎士だ。妻以外の妾など、いくらでも作れるだろう」
まさか、気を遣われるとは思っていなかった。
「俺は、事実上ルゼリアの屋敷を間借りしているに過ぎないんだ」
「肩身が狭いな。俺には耐えきれぬ束縛だ。前々から言っていだろう、家に帰り、今までの生活を問い質されるなどあり得ないと。あの時の気概はどうした?」
「妻帯者に成ったんだ、生活だって変わる、変わるけど、師とは—————」
「全く。それほどまでに、あの師とは離れがたいか。大方、お前はあの師と間違って子を為すが早いと思っていた、婚約どころかすぐさま所帯を持つかと思っていた—————まさか、女騎士を選ぶとは。騎士を選ぶなど、危険な賭けに出たな、騎士の誓いはどうした?最初から破っているから、問題ないか?」
楽し気だ。心底楽し気だった。いまだ独身という身軽である彼は、女に現を抜かすガラではないが、その気になれば幾らでも相手を選べる。そして、気を持たせて捨て去る事だって出来る。彼ほどの男から求められれば、誰だって腰砕けになるだろう。
「————俺に夫や父など相応しくないだろうか」
「お前は探究者だ—————これ以上は言うまい。ああ、女騎士など俺は決して選ばない。そして学院の関係者など論外だ。どちらも狂った者しかいない」
「お前だって、何が起こるかわからないんじゃないか」
「俺が間違いなど起こすものか。余計な時間など使う訳もない———もしそうであったのなら、先駆者の助言を求めよう。生きていればの話だがな」
女騎士を妻と選び、師を恋人と選んでしまっている。師は知っているが、もしルゼリアに知られれば、何をされてしまうか。いずれ知られてしまうのは目に見えているが、それでも出来るだけ穏便に。そして、最悪の自体を考えて、冷静に行動を。
「顔が青いぞ。どうした?」
「………お前の屋敷は近くだったな。もし、何かあれば」
「お前も、数度俺に屋根を貸してくれたか。ならば、一度だけは受け入れよう」
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