第6話
あれほどの夜の作法を知ってるのだ、過去の経験など幾らでもしていると思っていたが、自分を迎え入れると同時に全て捨てていたのか。自分の始めてを師に捧げられた事は、とても喜ばしく快感ではあったが、面と向かって恋仲である師の過去の遍歴を口にされると、どうしても睨みつけてしまう。
「独占欲か?いいぞ、その顔。まるで昔に戻ったようじゃないか。私が他の学生や学者と話していると、無言で私のローブを掴んで来たお前が思い出させる。あの時も楽しかった、手を上下するだけで気絶してしまうお前は愛らしいくて」
「あんな手付きでは誰だって気絶してしまいます。師よ、質問があります—————今、俺はとある男性を追っています。裏街で闊歩していたそうですが、既に別の区画で使用人として働いていると」
「賞金稼ぎとは、思い切った手段に出たな。だが、良い目の付け所だ。それで?」
「その男は顔を自在に変えられ、美術品の知識を持つ技術者としても雇われていると」
「顔を————それは、なかなかに—————」
やはり、心当たりがあるらしく、膝上の師はこちらの肩に頭を乗せる。
「ああ、知っているよ。そして顔の変える方法も検討は付く」
「男性は、魔に連なる者なのでしょうか」
「いいや。私の聞き及んでいる所によると、魔に連なる力こそ知っていても、真に魔に連なる者ではない。半端に力を付けて、外の世界で荒稼ぎしていたが、それが勘付かれて逃げ回っていたとか。そうか、ほとぼりが冷めた思ったのか元雇い主の怒りが治まったのか。どちらにしても、非人間でも人間でもない半端者だ。お前の相手にはならないだろう」
膝から立ち上がった師は自身の執務机に向かい、椅子に腰掛ける。
「これを見たまえ」
差し出された紙を受け取ると、捜索の嘆願書だった。だが、人探しではない。
「遺物——————」
「ああ、盗まれた遺物の捜索願だ。実際の姿を見た試しはないが、記載の通り布状らしい。濃い紫で透けるような様子だとか。しばらく放置していたから忘れていた、だがその遺物があれば顔など幾らでも変えられる。だが、変装など異物の本来の使い方ではない——————複写だ。それも文字という平面ではない。立体的な構造物を真似出来る。美術品であれば、二つとない一品を二つも三つも作れる」
「——————どうやって、それほどの遺物を盗めるのですか」
「恐ろしかな。遺物の自体の力を使って盗み出したらしい。手引きする者もいたのかもしれないが、遺物の窃盗など前代未聞だよ。それを、私のような星の学閥にも嘆願するなんて。遺物を盗んでおいて、ほとぼりが冷めるなどあり得ない—————その嘆願書の通りだ。遺物を学院に戻せば、報奨金も貰える」
どうやら、どうあって、その男性を探さねばならないらしい。賞金首としても捜索願としても、捕まえれば想像を超えた額が貰える。しかも、学院の嘆願書など知っている者はまずはいない。そして、力を扱えるのなら、ただの賞金稼ぎでは手出しも出来ない。
「後は自力で解決するといい。私が出来る事はこの程度だ。金の工面は学者であれば、誰もが直面する壁だ。どう乗り越えるかは、己次第だ—————」
立ち上がった師が寝室に向かうので、自分も付いていく。そして背中を預ける師に従って背中のボタンを解いていき、すとん、とローブを落す。次いで下着も落としていき、ひとまずは師を後ろから抱きしめ続ける。充血していく局部を押し付け、快楽を得る。そのまま師をベットへと押し付け上を取る。今夜の時間を貪り始めた。
翌朝、屋敷へと戻るとブリギットが出迎えてくれ、部屋まで送ってくれる。勝手知ったる我が屋敷ではあるが、使用人から案内されると、身の引き締まる気もする。
「ルゼリアは?」
「執務室で業務を始めておられます。戻ったのなら顔を見せるようにと言付かっております。訪問のご予定もなく、私はルゼリア様の寝室の掃除を開始させて頂きます—————ひとつ、質問をしてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
「私はあくまでも屋敷の維持が役割です。訪問者へのご対応は私には出来かねます。求められればお応え致しますが、気分を害される可能性があります」
「————察しの通り、ブリギット以外を雇う財貨は今のところはない」
「差し出がましい事を。無礼をお許し下さい」
深く頭を下げ、引き下がっていく。
「ブリギット」
背中を見せて下がろうとする使用人に、声を掛ける。
「悪いが、度々俺は屋敷を夜に抜け出す事がある。ルゼリアには出来るだけ伝えるが、急な出掛けもあると思う。置手紙でも用意出来ずに行く事もある——————その時、俺がいなくなった事をルゼリアに、」
「出来かねます」
おもわず目を見開いてしまった。迫力とも言える力が、ブリギットの言葉にはあった。
「私は、あくまでも屋敷の維持が役割です。主人であり雇い主であるのはルゼリア様。そして、あなた様も私が仕えるべき旦那様です。しかし、お二人の心情への介入は、私には到底触れられないお二方の世界です。もし奥様であるルゼリア様の事を思っているのら最低でも置手紙、夜中でも寝室に向かい事の次第を伝えるべきか」
「ああ………だが、それが出来ない時も」
「ルゼリア様はとても強く、私のような一使用人にも朝の挨拶を自分からして下さる礼節を備えた、心優しき女騎士。英雄像そのものです。なれば、そんなルゼリア様に選ばれたあなた様も、ルゼリア様の愛に応えるべき。ひとり愛を抱え続けるのは、とても寂しくつらいのです——————申し訳ございません。ただの使用人の分際で」
歩み寄りながら続けた最後に深く頭を下げてくれる。使用人は使用するだけにあらず、雇い主をひとつもふたつも別の世界へと連れて行ってくれる。全くその通りだ。ブリギットの言葉には否定出来る箇所がひとつもなかった。気軽な学者気分など、そろそろ捨て去るべきだ。俺も、遠からず騎士の位が叙されるのだから。
「ブリギット。あなたの言う通りだ、俺にはルゼリアの愛を受け取る義務がある」
「私をルゼリア様に報告しますか」
「する気はない。そして、仮に伝えてもあなたの言葉を肯定するだろう。ルゼリア卿は騎士なのだ。使用人であり淑女であるあなたの言葉には耳を傾ける筈だ—————だが、どうしたって俺は夜でなければ出来ない事がある。必ず伝えるが、置手紙を手渡す仕事は任せたい。俺の愛が届かないのは、とてもつらい事だから」
「—————お任せ下さい。必ずやお届け致します」
笑顔こそ浮かべないが、決して視線を違えず目で約束してくれた。その後、部屋からブリギットが去るのを待ち、外套を脱ぎ、屋敷内ではあるが出来るだけ人の目を気にする軽装に身を包んで執務室まで向かう。部屋にはルゼリアが席に付き、ブリギットが佇んでいた。どうやら、ブリギットに使用人の世界について聞いているらしい。
「戻りましたね。収穫はありましたか」
頷き、師より渡されている嘆願書を差し出す。視線を文字に向け、その意味を理解すると、嘆願書を執務机の中へとしまう。ルゼリアも同じ気持ちだろう、決して件の男性を逃してはならない。そして、遺物を盗んだ賞金首は我々以外では捕まえられないと。
「まさか、遺物を窃盗しているとは。詳しくはなんと?」
「男は元は魔に連なる者を目指していたらしいが、遺物を盗んで逃亡。どこかの大家に雇われていたらしいが、雇い主の怒りを買って再度出奔。ほとぼりが冷めたと思って、使用人商会に所属する。後は知っての通り、美術品の知識を買われて使用人として雇われている。その遺物を使えば、顔を変えるどころか、二つとない品を複写できるらしい。文字でも絵でも立体物でも——————確か、元から美術品を扱う大家に雇われていたらしいな」
「—————扱う美術品を量産して、売り払っていたかもしれませんね」
同じ結論に至ったらしい。二つとない一品を量産し売り払う。そして、再度量産、複写して売り払う。遺物という学院でも特別な扱いを受けている形を持つ力そのものなのだ。きっと到底見分けられまい。それどころか魔に連なる力は、身近である筈の王都民ですら詳しくはわからない未知なる力。何でも騙されてしまう人間も。
「逃がせなくなりました—————ブリギット」
「私にはわかりません。申し訳ございません」
頑なだった。ルゼリアは、特段正誤に拘りを持つ方ではないが、時は待ってくれない。既に竜体を星殻を変えるべく、あの青年は数日も前に出立している。確実に、もう竜体の前にいる上、それどころか既に帰路に付いているかもしれない。
ただちに騎士の叙任式は執り行われないだろうが、それでももう時間がない。
「ブリギット」
「私には言えません」
「俺は君を失いたくない」
気を引かせられたらしく、顔を向けきた。
「このままでは君を商会に戻ってしまう。それはどうしても許せない」
「私はこの屋敷に来て、1日と経っていません」
「ああ、だが、1日と経っていないのに君はルゼリア卿の補佐をしてくれている。寝室の掃除すら既に終えたのだろう。なら、もう君のいない生活など俺達にはあり得ない」
ルゼリアも頷き、立ち上がる。
「私は聞きました。私達に仕える価値はあるかと、あなたは返してくれました。時間が許す限り、補助をすると、迷いを抱く事もないと。とても嬉しかったです。私が直接選んだ始めての使用人があなたで良かったと思っています」
ブリギットにしてみれば、所詮は多くある家々を渡り歩く自分にとって、ここは通過点でしかないと。いずれ、ここよりももっと割の良い、待遇の良い屋敷からの引き抜きがあるかもしれない。こんな屋敷こそ持っていても、準騎士と学者程度の主なんかよりも。
「俺にとっても同じだ。君をこのまま雇えるのなら、こんなにも屋敷を安心して預けられる事はない。俺達にとって君は特別だ。君にとっては渡り歩くうちのひとつかもしれない。だけど、俺達にとっては生涯の問題なんだ。ルゼリアと愛し合うには、君の力が必要だ—————」
先ほどの約束だった。ルゼリアからの愛を受け取る為には、自分ひとりでは逃してしまうかもしれない。そして、俺の愛もルゼリアには届かないかもしれない。
「頼む、一言でいい。俺達に機会をくれ。君の雇い主に足り得ると証明してみせる」
頭は下げない。彼女は使用人であり、俺達は館の夫婦主人だ。明確に、そこは区分しなければならない。ならば、何を差し出すか。やはり、それは財貨しかなかった。
「君を雇い続けてみせる。足りなければ個人的な賃金も考える、どうか————」
「使用人に譲歩などしてはなりません」
いっそ冷たく突き放された。
「使用人の知識はあっても、扱いを知らないのですね————命令して下さい」
元から凛とした佇まいである彼女が、更に背筋が高く伸びて見えた。
「このブリギットは、あなた方の使用人であり、この屋敷の維持を仰せつかっている身分。あなた方は財貨を払うと同時に、私に時間を支払っているのです。私に期待して貴重なかけがえのない時間を。そして、私も同様に時間を使って仕えている——————時間の使い方は使用人の使い方と同様です。何を期待して、何を求めているのですか?」
まだ一安心とはいかないのが、ブリギットから溢れる威圧感から察せられた。
「君の所属している商会には、多くの技能を持つ使用人がいる」
「その通りです」
「そして、たった数日前に美術品の知識を持った男が所属した筈だ。すぐさまその男は大家に召し抱えられた。直接的な雇用すら視野に入る程の技能の持ち主。ならば、君と同じ扱いを一時でもされた—————違うか?」
「—————あなた方が探している男性かどうかは私には分かりませんが、確かに同じテストと試験を突破し、同じ技能の欄に羅列された男性はいました」
「その男性は、今どこに?」
「個人的な理由である上、興味もなかったので聞いていません—————けれど、たったの数日で大家に召し抱えられる程の高い美術品の知識を、誰に知られる事もなく飼い殺す事はまず以ってないかと—————美術品は、ただ修繕し保管するだけでは価値はありません。若く腕のある画家に対して画商はどう近づくか。独占的な契約を迫り、生涯的な入金を保障するのです。なればこそ、やはり人の目に見せ、買い取る者を多く募らせねばなりません—————芸術品を美しく飾るも知識のひとつです」
そうだ。突飛に美術品の知識を求める者などそうはいない。そして、もし求めたのなら何か新しい事業で手が足りなくなったからだ。或いはいずれ欲しがる者を排除する為に、目立つ技術者を独占する必要もある。そして、ブリギットは答えも知らせてくれた。
「—————画廊ですか。しかも、数日で開催され、それなりに規模のある。ブリギット、どこか心当たりはありませんか」
「画廊をお探しなのですね。求められた私の技能に該当します——————そこは、」
まさか巡り巡って同じ場所に足を運ぶとは思わなかった。そこは王都の中心地であり、城からも程近い区画。黒い店先は数歩も歩けば覗ける近い距離。そこでは帽子を被り、光沢のある紳士服やドレスを着飾った爵位のある男女が渡り歩く別世界。
騎士にだって嗜みとして、絵画を飾る事もある。だが、ここはなおも違った。
ここは新進気鋭の芸術家という、いつどこで人気が巻き起こるかわからない、未来を予見できる見識を持った者しか歩めない、その道のプロフェッショナルしか値を付けられない。素人などいない、芸術を一個の箱ではなく、多くの世界に影響を与える事を熟知した者だけに開かれるギャラリー。嗜み程度では門前払いも良いところ。
「ブリギットのお陰だ。急な予約に対応してくれた」
蛇の道は蛇。画商や画廊を営んでいる美術品の大家への口利きを瞬時に終えてくれ、優先的な入場を叶えてくれた。持ちうる限りの高価な衣服に身を包むべきかと考えたが、騎士のコートであれば十分だと諭してもくれた。
「——————いますか?」
「いや、まだ見当たらない」
画廊を見渡しながらしばらく歩き回ったが、あの手配書の痩身の男は見当たらない。頬骨が浮き上がる程に痩せた男性であったが、あれは宝石店に入った時の姿。もしかしたら、真の姿は違うのかもしれない。遺物の力を使って性別すら変えているかもしれない。けれど、恐らくここにいる。空振りだったのなら、もう後がない。
「確か、紫の布だとか」
「ああ、被るように使うらしい—————」
客は関係ない。運営側にこそ注目すべきだった。この日の為に使用人を探して、美術品や絵画の展示に力を込めているのだ。己が成果を確認、何か間違いがないかの監視も行っている筈だ。そして——————ひとつの絵を眺めていると。
「こちらがお気に召しましたか?」
柔和な笑みを浮かべる男性—————あの頬骨が浮き出る痩身ではない中肉中背の男性が歩み寄って、声を掛けて来た。彼が追っている男性の可能性もあるのだから、無下には出来ない。しかも、買う気もないと知られれば退店させられる。
「ええ、とても美しい青ですね」
それは青い石を砕いて、水を含ませて描かれた絵。青いガラスの盃には、一体どれほどの理由が込められているのだろう。自分という、ただの学者であり騎士崩れでは、どうあっても測り切れない程の、大いなる理由がある筈だ。
けれど、それを知るのは自分ではない。それを受け取るのは自分ではない。
「少し、話す時間はありますか?」
「勿論です。さぁ、こちらに」
恭しく案内される先。画廊の奥底には、いくつかの扉が揃って待ち構え、ひとつを開け放たれる。口のようにも、舌にも見える、赤い絨毯が飾られた一室。小さいながらも談笑や交渉事には十分過ぎる必要最低限の設備が整った部屋に、ルゼリアを伴って入室する。差し出される豪奢な椅子に腰掛けると、テーブルを挟んで対岸に男性が腰掛ける。欲であろうと、朗らかな笑みを浮かべる男性は、楽し気に口を開く。
「あの絵に目を付けるとは、相当な鑑識眼をお持ちです。あの絵の作者は、まだ筆を取って間もないですが、確かな師範の元で研鑽を積んだ若者です。私共も、これはと見込んでここに飾らせて頂いた次第です。いかがでしょうか、前途有る若者に、投資や寄付をさせてやってはくれないでしょうか。そうすれば、必ずやあの絵は近い将来、そして遠い未来には計り知れない芸術的価値に跳ね上がるかと思います」
金を恵め、とは簡単には言わず将来の為の投資をして欲しいという事だろう。この画商か使用人かはわからないが、彼の言う通り、あの絵は将来的にまず高値が付くだろう。それも、手垢が付いていない時に目を付けていた、と知られれ、それを飾ってあると見られれば、一介の騎士としての嗜みは合格点以上だろう。
「はい、かなりの腕だと思われます。では」
ルゼリアが前のめりに切り出すと、男性は深く頷く。
「まずは、あの絵を描くに至った歴史をお聞きください——————」
講釈とも言える話が続き、立ち上がったり、手を広げたりと、青い盃のストーリーを開始する。これも、あの使用人商会の顔役と変わらない。けれど、人は物語に惹かれる。ルゼリアだって同じだ。高潔なる騎士の物語に憧れたからこそ、家の復興という悲願を騎士という宿命に求めたのだ。それも、もう叶いつつある。
「ああ、申し訳ございません。少し語り過ぎてしまいましたな」
布を取り出し、顔を拭うが、それは紫ではなかった。
「それでは、これから額面について詳しい者を呼びます。私は、他の方々にも対応をしなければなりません。ご安心を。呼び出す者も、芸術品の価値を知り尽くす者。きっと、良い関係を築けるかと思います、しばしお待ちを—————」
そう言って退室した男性を待ち、視線をルゼリアに向ける。
「来るでしょうか」
「高い確率で。だが、私兵も伴うだろう」
「ただの私兵になら力技だって可能です。問題ありません—————まだ、昼です」
それは、訪れる者が件の窃盗犯であり賞金首なら、まだ早い事を意味した。
「————だけど、今は夕焼け頃だ。深夜には終わる—————」
過ごす事、数分。そして、男性が去った扉から、別の男が現れる。痩身ではない、頬骨も浮き出ていない——————けれど、気付いた。常人の目付きではなかった。
似ている。あの裏街の住人達と。顔は笑みを張り付けているが、確かな怯えの色が混ざっている。あの店の酒を飲まなければ、マスターからの助言がなければ気付かなかった。しかして、今の自分達にならわかる——————見つけた。
「お初にお目に掛かります。この画廊の運営である家より派遣、販売を担当させて頂いております。どうぞ、お見知りおきを」
深々と頭を下げ、対岸の椅子に腰掛ける男性。その手にはひとつの鞄が下げられている。多くの数字にまつわる計算機。額面が記された書類。そして、契約書や証明書、鑑定書までが揃っているに違いない。それが正しいと言いたげに、目の前のテーブルに鞄を置く。遅れて入って来た、筋骨隆々の大男は一切笑わなかった。
「では、早速ですが、お客様のお求めの絵画は、青い盃、で間違いないでしょうか」
高い声だった。男性の上げる鼻声に頷き、続きをと求める。
「まだ始まって数刻と経っておりませんのに、その即断即決、かなりの地位かと存じます。失礼ながら爵位、あるは称号はございますでしょうか」
「騎士の位を叙されています」
「おお、やはり、その青のコートは騎士の。王国騎士団の方々とも数度ですが、取引させて貰っております。その中でも最速のお手前、感服致しております」
褒め言葉を続けながら、諸々の書類を取り出し、再度説明を続ける。そして、ひとしきりの書類の説明やサインの求め。払う額や画家の住居や師範の話が終わった時—————作戦に移行する。
「申し訳ない」
と、自分が口に出す。
「至極個人的な会話がしたい—————彼を退室出来ないだろうか」
視線で私兵を差すと、賞金首の男性は手を上げる。頷き返した私兵は退室し、部屋は我々と賞金首だけとなる。完全に整った、今において他にない—————。
「私的な会話、いえ、個人的な会話でしたね。一体、何を?」
まだ取り押さえられない。まだ、確証を得ていない。
「私達は騎士ではありますが、とある品を探しています」
「品を?もしや更にお求めの美術品が?」
「いえ、違います———————遺物です」
腰は上がらない。だが、一瞬だが肩が浮き上がるのが見えた。
「遺物、確か学院や王家でのみ保管されている魔術にまつわる品でしたな」
「それのひとつが盗み出され、学閥から嘆願書。そして学院がそれぞれの学閥へと捜索願を出しています。盗み出した者の生死は問わない、見つけ出したのなら報奨金を出すと——————そして、それが前日に騎士団にも届きました」
「それはそれは………」
目だ。目が揺れている。瞳が揺れ動き、まばたきを数度も繰り返す。
「それと私がどう関係が。私は美術品しか——————」
「—————何故、あなたなのですか。私は、あなたを指名してもいませんが」
いまだ立ち上がらない。けれど、顔が扉を求めて、横に動き始める。
「そ、それは、言葉の綾と申しますか。この話は私には及びもつかぬ事。先ほどの家の人間をお呼びしますので、どうぞお待ちを——————」
そう言って立ち上がろうとする男よりも先に立ち上がる。ルゼリアは扉の前に飛び出すと、自分は男の真横を取る。剣は抜けない、まだだ。まだ確認出来ていない事がある。
「遺物、持っているか」
「い、遺物など………」
「隠し持てる大きさだと聞いている。先ほど伝えた通り、生死を問わない。今差し出せば命までは取らない——————我々は騎士だ。ひと斬りの許可は自分で出せる」
走り出した。鞄が置いてある机を蹴り飛ばして、ルゼリアのいる扉へと疾走する。迫られたルゼリアは剣の柄に手を掛け、男を迎え撃つ。そして、想像通りに声を上げる。
「—————強盗だ!!こいつらを始末しろ!!」
外から扉を蹴り飛ばす音が聞こえるが、ルゼリアが背で防ぎ、私兵の侵入を防ぐ。
「お、お前らわかっているのか!?俺を雇っているのは、騎士団とも懇意にしている—————」
後ろから掴みかかり、床板に倒れ伏させる。騎士に与えられているのは剣だけではない。布を切り裂いた短剣も自分は備えていた。賞金首の首元に短剣の刃を備え、「止めろ」と命令するも、賞金首は最後まで抵抗する事を選んだ。
「早く入って来い!!こいつらは客じゃない!!」
いくらルゼリアが騎士とは言え、まだ十代の少女だった。大男との扉の押し合いは続かなかった。破られた扉に押し飛ばされながらも、前へと飛び出し剣の柄に手を。
入室して来た私兵の手にはハンマーがあり、本来ならば騎士の鎧ごと叩き砕く武装を振り上げる。けれど、その瞬間には既にルゼリアは剣を振り抜いた後だった——————手首から先が無くなった腕を振り下ろすも、ルゼリアは構わずに私兵の肩に剣を突き立て、そのまま横へと引き裂く。噴き出る血と共に倒れる私兵から振り返り、血に汚れた剣を賞金首の眼前へと向ける。終わりだ、人混みへと入られれば後がないと思い、ブリギットの勧めで小部屋へと通された後の捕縛劇を考えていた。
「騎士として貴様を捕まえる。我が名はルゼリア卿、騎士の誓いに従い、王都の秩序を乱す窃盗犯を、ここで裁く—————けれど、我々には貴様の首が必要だ。これより兵舎へと移送する。知っての通り、貴様の首さえあれば構わない—————」
ルゼリアの血の剣に慄いている隙に男のジャケットに手を入れ、遺物である紫の布を探す。けれど、ジャケットの内ポケットには見当たらない。
「どこだ」
「お、おれじゃない、もう、すてた—————」
「では、どこに?」
「知るか—————」
迷いはなかった。ルゼリアは切っ先を簡単に男の額に突き刺す。けれど、それは薄皮一枚だけ。しかして、頭蓋骨に剣の切っ先が擦れる形容し難い音が鳴り、途端に顔が白く青くなる。額より流れる血が目、口へと届き、ようやく我に返る。
「そ、その鞄だ!!」
「嘘ですね」
そのまま額を更に切り裂く。
「件の遺物は纏うように、被るように使うと伝わっています。ここで首を落しても構わらないのですよ」
「せ、背中だ!!背中に貼り付けてある!!」
言われた通りにジャケットの下であるシャツを掴み取り、中を検めると、確かにシャツの裏側に紫の布が貼り付けたあった。生暖かな遺物を掴み上げ、全てを引き出し、しばし見つめる。
「どうですか」
「………ああ、間違いない」
布には銀の縁取りがされており、薄く透けるようで、夜空にも見えた。そして—————学院の学者であるからわかる、鑑識眼とでも呼べる感覚でわかった。ただの布切れではない。試しに実際に被って見ると、ルゼリアが声を漏らす。
「間違いないですね」
その声に従って取り外すし、懐へとしまう。
「死にたくなければ大人しくしろ」
短剣はそのままに、後ろに手を掴み上げて無理やり立たせる。何事かと、ようやく先ほどの男が走り込んでくるが、抜き身の剣に流血の後、そして血に濡れたルゼリアの顔に恐れ、腰を抜かしてしまう。ここは王都、賞金首こそいるが、これほどの画廊を開催出来る程の大家には実際の流血など縁遠いものだろう。
「これより連行します。邪魔をしますか?」
「め、めっそうもない………」
四つん這いになりながら道を開けたのを確認した後、剣はそのままにルゼリアと男を掴み上げたまま退室。額から血を流したままの放心状態の男を画廊から連れ出し、画廊からも退室。そして、中央街の街中を、もう夜の始まりとは言え、多くの人々が闊歩する王都内を歩き、兵舎へと向かった。
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