第3話
「竜の装身具。確かに二つとない貴重な遺物となる、だけど俺には」
「惑星魔術がある。けれど、私も知っています。星殻は、貴重な触媒でもあると。竜の星殻。それもあれほどの竜体です。今後、どれだけの怪物がいたとしても二度と手に出来ない力そのものです。本当に、私の物にしても—————」
ベッドから起き上がり、跪くように手を取る。
「俺は君の言葉がなければ、あの身体を塵にしていたかもしれない。ただの一時の感情で二度と手に出来ない星殻を逃していたかもしれない。ルゼリア卿、あなたには資格がある。誰よりも早く竜の首に剣を突き立てたのは、あなただ」
手を取ったまま立ち上がり、顔を上へと向けさせる。
「それでもと思うのなら、あなたは騎士の名誉を忘れている。竜を倒し、首を持ち帰ったというのに、竜の武具など要らないとは言ってはいけない。君の言った通りだ、もはや自覚すべきだ。騎士団は君を竜退治の主役を置くに違いない。もう、そう出回っている筈だ。君には義務がある、竜から作り出された装身具に身を包み、聖印の騎士となる事」
「——————本当に、私は聖印の騎士に」
「噂に聞く程の山のような巨体ではなかった。だが、確かにあの竜に騎士が幾人も燃やされ帰らぬ人となった。仇を取ったのは君だ、葬列の最中、そう宣言し持ち帰ったのはルゼリア卿、あなただ。どうあってもこれは否定できない事実だ。君の言った通り、二度とない怪物があの竜だ。同じ武勲を取れる騎士は、ふたりとしていない」
ようやく、ようやく目に光が灯っていく。
「王と騎士団長でさえ手をこまねていた存在だ」
「私がどれだけ未熟で、傷付ける名さえ既になくとも私には席が与えられる。なら、座らねばならない—————ええ、そうです。聖印の騎士なのに貴重な装身具のひとつもないなんて、許されない。あなたは、どのような形になると思いますか?」
「王家と学院、騎士が決める以上、直接的な力を持つ武器が最も選ばれやすいだろうか。既存の武具から考えるに、やはり槍か剣。または馬の可能性もある」
「—————竜の剣。憧れてしまいます………」
彼女の中では剣であると決まったらしい。騎士である以上、鎧ごと叩き割るメイスやハンマーの可能性もあるが、それでは確かに名前負けしてしまう。竜の身体から作ったハンマーなど、どうにも格好が付かない。実用的ではあるかもしれないが。
「少しだけ考えをまとめたいので時間を、いえ、疲れているのでしたね」
「構わない。俺も少し話したいと思っていた—————ああ、長い話をしたい」
「ええ、構いません。私も、あなたとゆっくりと話したいと思っていました」
ベットから立ち上がって案内されたのは応接室。屋敷なのだから、このような部屋があってもおかしくなく迎え合わせてのソファーに座ると、師と同じように対面の座られる。琥珀色の瞳に見つめられ、何を求めているのかと目を合わせ続ける。
「やはり学者には見えません。学者とは、もっと—————」
「もっと?」
「—————口を挟む存在だと思っていました。まさか説得されるなんて」
「違いない。俺も、出会って数日の騎士と同じ屋敷で住むとは思わなかった」
「私は想像していました。必ず首を持ち帰る、さもないと死ぬと誓っていたので」
どうやら始まりから終わりまで、彼女は全て想像して決めて俺の元に足を運んだようだった。最初はあの胡散臭い預言者。次いで預言者とこの少女であったが。
「あの預言者とは、どう出会ったんだ」
「騎士団長が亡くなる直前でした。竜の話は既に出回っていましたが、まさか学者に力を求めるべき、とは言われるとは思わず。竜殺しに学者などと思っていたので無視したのですが。…………団長と聖印の騎士のひとりが亡くなり、竜を取るしか道がないと思った矢先に、また預言者が現れ、選択肢はない、そうだろう。と言ってあなたの元に案内されました。ここまでふたりとも強情とは、と嘆いていましたが、あれは?」
もし、ここまで預言者が見えていたのであれば、こうやって応接室で向き合う事まで知っていたのかもしれない。俺も城で竜の話が出回っているとは思ってもみなかった。正直半信半疑ではあったが、騎士が幾人も死に、死因が息吹であると判断した以上、王都のすぐ近くに竜が住処にしていると考えざるを得なかった。
「俺も、君を呼んでいる、城へと向かえ、と言われた。だけど何の話か分からなかったから無視していた結果、君が来た。そうか、君も俺の事を知らなかったのか」
「王はあの預言者が城を出入りしても構うなと下命を出していました。前騎士団長も、今の騎士団長もそれに従っていました。古くからの騎士達も皆。彼、いえ、彼女?ローブ越しで、仮面を付けていたので性別すら分かりませんが」
声から察するに恐らく彼女、だとは思うが、変声と服で誤魔化している、と言われればそんな気もする。もう城を出たんだ、探す必要もない。用があればあちらから出向くだろう。
「惑星魔術、それを聞いてどう思った?」
「突然ですね。驚きはしましたが、あまり信じていませんでした。あの剣の光、あれこそが惑星魔術そのものなのだろうと考えましたが、違ったのですね————本当に月から光が降り注ぐなんて。実際に見ましたが、にわかに信じ難いです」
「………言っておく、あれはそう簡単に使える力じゃない」
「あれほどの威力です。あの白銀の竜の鱗を貫通し、心臓まで穿つ一撃です。きっと何かを代償に払っているとは思いました—————一体、何を代価に?」
「………それはいずれ話す」
「わかりました—————話して貰えるように努力します」
不意打ちだった。笑顔を忘れた、心を置き去りにした騎士を目指した成れの果てだと、哀れみすら覚えていた少女からの、表裏のない笑みは流石に心に響いた。
「そうです、旗を」
急に立ち上がり、そう告げた。
「旗を一緒に掲げましょう」
屋敷において旗は所有権を現す証の筈だ。本来なら昨日からすべき慣例。
「でも、門の前には確かに旗が—————」
「門にはしました。けれど、玄関の大広間にはまだ掲げていません。あなたと一緒にと屋敷に入った時に決めていました。本当なら出迎えと当時したかったのに」
「………悪かった」
「いえ、何も知らせずさせる訳にはいきませんでした。さぁ、行きましょう」
そして一度玄関へと戻り、玄関前の広間で客人が最も見える、出迎える柱に旗を掲げる。灰色がメインに使われている彼女の生家の旗は、屋敷の白い外装にも内装にもよく映えている。満足気にそれを眺め、また不意に手を引かれる。
「見えますか。これが私の家の旗—————失われましたが、ようやくまた掲げる事が出来ました。私にはこれを掲げる義務がありました。そして、こうも早く果たせた。あなたのお陰です、あなたの惑星魔術があったから、剣に光を灯して、一緒に首を断ち切ってくれたから叶った、夢の終わりです」
「………いや、違う」
手を引き、振り向かせてもう片方の手も握りしめる。
「夢の終わりじゃない。これからは夢の続きだ。新しい夢を一緒に探しに行こう」
「………一緒に。本当に一緒に………」
「俺達は、偉業を成し遂げた。ひとりでは成し得なかった、ふたりでなら叶った竜狩りだ。夢にきっと終わりはないんだ。仮に終わりなら、これから続きが始まる」
家は消え、故郷は奪われた。取り戻す名はなく、廃れて忘れ去られるを待つのみ。そうポツリと呟いた彼女にとって家の再興こそが全てであったかもしれない。けれど、それはたったの3日で終えてしまった。ならば、これからの目的が必要だった。
「聖印の騎士に指名されるのなら今のままではきっと足りない」
「はい、きっと何もかもが足りません」
「なら、席に相応しい武功と実力を求めよう。時間が掛かる以上、俺達は、」
「ずっと一緒です。はい、聖印の騎士に相応しい力を付けるにはずっと一緒でなければなりません—————だから、」
まずは実力、或いは財貨。どちらにしても先立つものが必要だった。
「ああ、まずは金を用意しよう」
「お金………金ですか、白金ですか」
「どちらでもいいが、きっと今の相場なら金だろうか」
金鉱山など持っていないが、確かに金や白金の金塊を手元に置いていく必要がある。紙幣が底をついたとしても現物があるのなら、それを対価に高い買い物も可能だった。
「馬に使用人、装備に食料。色々と必要になる。まずは銀行に融資の————いや、その必要はない」
「必要が?」
まさか、こうも早く使う事になるとは思わなかったが、懐に入れていた白い紙を取り出し。作られたばかりの純白の羊皮紙を渡し、銀の文字を見せる。
「—————これは」
「学院への書状だ。何も書いてないから、何を書いても許される————今後の生活が保障されるまで財貨の融資を求められる。いや、それどころか生涯的な融資も求められる—————俺達が、どちらかが消えない限り、一生の間」
一度なら手を貸して貰える。ならば、生涯の融資を求めればいいという話だった。拒めば学院の名に傷が付く。それに学院には多くの魔術成果を王国に行きわたらせねばならない誓いがある。ならば、俺達ふたりの入金程度、楽な物だろう。
「本当に、本当に一生?」
「ああ、一生。一生一緒なら—————誓ってくれるか?」
握り続けている片手が震え始める。あまりの事の重大性に重荷に感じているのかもしれない。けれど騎士団だって俺達の双方に騎士の称号を。学院もそれに追認して惑星魔術を正式な魔術としての援用を許可した。ならば、俺達のどちらかが消えない限り、この銀の文字には従うだろう。
「………わ、わたしには、まだ………」
「俺は決めた。後戻りはできない—————責任を取らせて欲しい」
師からの言葉をここで果たせる機会でもある。共に竜を討伐した夜を越えたというのに、自分は何も彼女にしてあげられなかった。だから、これは責任の問題だった。
「共に夜を越えた。なら、俺は君に、ルゼリアに責任を取らないとならない」
「—————責任を………でも、私では」
「生涯で一度しかない初めての夜だった。なら、俺は君が真に騎士に成る前に責任を取らないといけないんだ————ルゼリアしかいない。あの夜は君しかいなかった」
握っている手の震えが、ようやく止まってくれる。
「………騎士の誓いをする前に、ですか………王の前で主君への忠誠を誓う前に、あなたに誓えと、そう言うのですか………」
「今しかないんだ。今しか————騎士になってしまえば、君はいつ倒れるかわからなくなる。俺も同じだ、いつ消えるかはわからなくなる。だから誓って欲しい。今ここで、生涯の誓いを。どちらかが倒れそうになったとしても支え合うと」
「——————知りませんでした。学者とは、こうも潔癖だったのですね。私と同じ酷い世間知らずです。たった数日夜を共にしただけで、こうも責任と言うなんて」
「………俺にとっては初めての夜だった。君も、そうだろう」
「—————違うと言ったら、どうしますか」
「そんな筈がない。あるのなら、君は、ここには———俺がいなければここには」
「————ええ、そうです。あなたがいなければ私はここにはいない—————誓いましょう」
両手を強く掴み返してくれた。そして、震えながらも微笑み返してくれる。
「主君には抗えません。必要とあらば、あなた以外を選ぶ時も来るかもしれない。けれど、既にあなたを選んでしまっている以上、私を差し出す事は難しいでしょう。それは騎士の誓いに相反します—————誓います。あなたと生涯を共にすると」
「………やっと言ってくれた」
「急かし過ぎです。急にこんな事を。けれど、無人の中で言うところは、あなたからも騎士の規範を感じました。そんなに私を求めてくれるなんて、私はあなたに何もしてあげられる事がないのに—————本当に私でいいのですか」
「君しかいない。何度でも言える、ルゼリア、あなたしか俺とは一緒にいられない」
「………何度聞いても困ってしまいます。何度聞いても、嬉しいです………」
そこで両手を離し、一歩下がっていく。
「あなたから誓いを口にしたのです。なら私は答える義務があります—————あなたを生涯の相手として決めましょう。どちらかが倒れた、いえ、倒れそうになっても支え合うと————だけど、ここではいけません」
急な断りの言葉に、声を発してしまう。
「どうして………」
「私にとっても、きっと生涯で一度しかない機会なのです。誰もいない場ではこれ以上は言葉には出来ません。私は王国の騎士となるのです。騎士となる私が、ふたりだけの口約束で全て決める訳にはいきません。どうか私に時間を下さい、必ずあなたの誓いを現実のものにしてみせます。それまで、これは預からせて貰います—————」
渡した羊皮紙を自身の懐に入れ、静かに目を閉じて胸に手を当て始める。
「—————ルゼリア、だけどそれがないと」
「何もせずに金銭を求めるなど、私の騎士道に反します。そして、考えがあります————ひとまず私に任せて下さい。大丈夫、決して倫理に反する事などしません。あなたとの今後を考えていくつか思案した事があります。だから、今夜を待って、」
突然だった。玄関の扉が叩かれる。
「————無視は出来ませんね。私が出ます」
背筋を立てたルゼリアが、僅かに声に敵意をこもらせて、否、殺意にも近い何かを感じさせながら口にし、訪問者を出迎える。開かれた扉の先、彼女の頭越しに立っていたのは見知らぬ男性。けれど、銀の鎧と青のコートから騎士団に所属している事がうかがえる。そして————ルゼリアが、何も言わずに固まってしまう。
「ルゼリア?」
「………ここは騎士の屋敷です。用件は—————」
「騎士の屋敷か。だが、まだ準騎士の筈だ」
数語の交わしで気付いた。この男性は敵だと。
「失礼————」
ルゼリアの前に割り込むように躍り出る。背の高い男性、しかし彼は騎士としての称号を未だ以っていないのがわかる。腰に佩く剣が、準騎士のそれだった。恐らくはまだ20に入ったばかりか、18程度。自分よりも少し年上にも見える顔付きだった。
「お前がルゼリアと共に竜を打ち倒したという学者か」
「—————ルゼリア卿が問い掛けた筈です。何用か?」
「竜の首、俺は見ていないが学院が本物だと見解を上げたそうだな。どう狩った」
「報告書の通りです。我らが力を合わせ、ルゼリア卿が竜の首に剣を突き立てて断ち切った」
「到底理解し難いな。あの白銀の竜は我らが先達者、騎士の模範であり騎士団の主力を幾人も焼き払い亡き者にした。しかし、お前たちはまだ真に竜の息吹だと鑑定が出る前に赴き、首を献上した。しかも騎士団長の葬列で宣言して、たったの3日でだ————」
言いたい事が解ってきた。その証に足り得る証明を見せろと言っている。
「竜の首は確かに運ばれ、学院にて解体、鑑定作業に入っている。そして首と口腔内、牙からも息吹の痕跡がある、確かな竜体だと第一報告書では書かれている筈だ。もし、我々が竜の首をあらかじめ用意出来た筈がない—————」
「だが、たったの3日で討伐し舞い戻るなどあり得ない話ではないか——————隠さぬ事だ。貴殿も、一時的にだが準騎士の名を与えられたと聞いている。騎士団を謀り、裁かれれば大罪となる」
「だが、実際に首はある。仮にあらかじめ用意出来て、誰が放置出来る」
「—————息吹の真似事。学院では竜の息吹の研究もされているらしいな」
そう来るだろうとは察していた。確かに、学院では竜の派閥。その強大な生命力と息吹を研究、実証する一派は存在する。確かに竜の息吹にも等しい制圧力のある高純度の神秘の放射は存在する。だが、あれを騎士に向けるなどあり得ない。
「ただ見聞きしただけの知識をひけらかすのはやめた方がいい」
「………何?」
「あれは学院の竜の学閥。それも権威と呼ばれる偉人達が揃い、ようやく叶う模倣魔術。星の神秘の最高峰だ。言わせて貰う、幾ら騎士達とは言え、人間でしかない存在に向けるにはあまりにも高等過ぎる————ただ燃やすだけなら別の方法が」
襟を持ち上げられ、屋敷の中まで追い込まれそうになる—————だが、自分にもプライドがあった。騎士団の所属として身体を鍛え上げている彼に肉弾戦など敵う筈もないが、開かれた扉の両方のノブを掴み取り、屋敷内へは踏み込ませないと抗う。
「貴様、俺の前で騎士を侮辱する気か。たかが学院の学者上がりが」
「だが、俺にも近々騎士の位が叙される。ただの学者上がりに越えられるのは目に見えている—————口の利き方に気を付ける事だ。騎士団の世界は狭い」
更に逆上していくのが持ち上げられる襟で分かる。いまだ拳を振り上げないのが不思議だったが、仮にもここは騎士の屋敷。そこで暴力騒ぎなど起こせば、囚われ裁かれるのは彼自身だ。
「聞いておく。これは騎士団からの命令か、それともお前個人か」
「答える義務はない」
「騎士団からの命令なら、公務として屋敷に押し入っている事になる—————竜狩りを為した騎士を害する為に準騎士を暗殺者として遣わせたと命令書が形に残り、王に遠からず伝わる。お前個人なら疑いがある騎士に捜査の名目で屋敷まで侵入し、人の目が届かない所で暗殺を企てたと伝わる。そして————失敗し首が供えられる」
遅ければ剣の切っ先が脇腹を貫通し、串刺しにしていた。直前で手を離し下がった事で、ルゼリア卿の剣が届かず宙を刺す。けれど、それで十分だった。
「名乗りもせずに剣を抜くか!!」
「名乗りもせずに騎士団所属の屋敷に侵入。どちらも重いだろうが、どちらに正義がある。ルゼリア卿は共にある騎士を守る為、あえなく剣を抜いた。ならば騎士道に反するのはどちらか——————これ以上の狼藉は止めるべきだ。血が流れれば外部監査の騎士より問い質される。虚偽を付けば、ことさら貴殿の騎士道は穢れる」
腰の剣に手が伸びるも、ただ柄を撫でるだけに留まる。
「————疑いを持っているのは私ひとりではない。あの方の出陣式に参加した者さえ、疑惑の目を持っている。竜体が星殻に変えられ、王都に持ち運ばれる時間はない—————星殻がもし無ければ、竜の首は偽物であり、学院が王を騙した事を意味する。例え持ち帰られたとしても、装身具に相応しい力の持ち主でなければルゼリアには与えられない——————選ばれるべきは、あの方だ」
マントを翻し、ようやく立ち去っていく。
切っ先の震えを見て、自分も扉を閉めながら剣を握りしめる手に手を重ねる。
「………すまない。剣を抜かせた。騎士の誓いに反する事をさせた—————同胞に剣を向けるなんて」
「いえ、裏切りや過剰な残虐性が見せた騎士がいるのなら、騎士自身の手で諌められるのが決まりです。これは、決して誓いに反する行いではありません………」
剣を納める事さえ数度も出来ず、震え続けている。門に固く鍵をかえ、ルゼリアの剣に手を貸して鞘に納めさせる。いまだ震えが収まらない少女を許可も取らずに抱きしめる。固く震える身体から両手が伸び、背中へと伸ばされる。
「—————人に剣を向けるのが怖いか」
「………おかしいですね。竜の首には、簡単に刺せたのに」
「おかしくなんてない。人を殺すのはとても怖い事だ。まずは休もう。部屋を教えてくれ」
「………ごめんなさい。まだこのまま………」
長く、長くそうしていた。人を殺す為に剣を突き出した。その行いを後悔しながらも役割だと自分を殺して。騎士である以上、人を殺す機会など幾らでもある。それどこか彼女は既にそれを為した筈だった。師範を殺したと直接、彼女の口から聞いた。
「私は、騎士にならなければならないのです。そう、誓った………」
「それでいい。それを失ってはいけないんだ。だけど、騎士にだって休息が必要だ」
「………部屋、案内します」
抱き合いを解き、手を握りしめながら屋敷内を歩く。彼女の部屋は屋敷の主の部屋。二階の最奥であり暖炉も絨毯も掲げてある広々とした部屋だった。そして巨大なベッドへと座り込んだ彼女と、なおも手を繋ぎ続け心臓から伝わる脈を教える。
「………屋敷の主なのに、食事も用意出来ていません」
「食事なら後でいい。主なら食事の用意をしろと命令をすべきだ。待っていてくれ、何か————」
「ここにいて下さい。あなたは私の片割れです………」
「ああ、そうだ。片割れだ」
彼女と共にベッドに座り、いつの間にか抱き合って倒れていた。どちらかが眠りに落ちたから支えたのか、ふたりとも同じ瞬間に倒れたのか分からない。けれど、これで良かった。これこそが自分達が求めた誓い。支え合い、お互いを思いながら倒れる。
「ルゼリア、起きているか」
「………はい」
「ルゼリア卿、あなたはこれから騎士になる。騎士ならば弱みなど見せてはならない。登城をしたのなら常に騎士の品位を保ってくれ」
「………理解、しています………」
「屋敷でもそうだ。使用人や客人を招いたのなら品格を保たなければならない————だけど、この部屋では別だ。幾らでも弱音を吐いて良い。幾らでも泣いていい。どれほどの眠りに付こうと誰も詰る者はいない—————相手が必要なら俺を呼んでくれ。一晩なら付き合わせて貰う、だけど朝を迎えたなら騎士になって貰う」
彼女にとって騎士とは自分の究極の幻想であり鎧なのだろう。夢の始まりであり夢の極点でもある。けれど、彼女にはそれは荷が重すぎる。あまりにも恐ろしくも重い鎧だった。一歩も踏み出せない、けれど引きずってでも動かねば、造り出してでも笑みを浮かべねばならない夢を纏ってしまっている。真の彼女は、腕に収まる小さな肩。
「とてもつらいですね………」
「ああ、きっととても苦しくて狂ってしまう—————気付いたか」
「ええ、やっと気付きました。騎士とは、こうまで怖いのですね………耐えきれるでしょうか。騎士として最後まで、最期の瞬間まで誇っていられるでしょうか………」
「わからない。人が死ぬ瞬間は、生物が死ぬ瞬間はきっと痛々しくて醜いものなんだ。壮絶な死も名誉の死も、全ては人が名付けた結果でしかない————過去の物語なんだ。ルゼリア、約束してくれ。騎士としての死を迎えたのなら、それ以降は騎士の道は選ぶな、無様でも生き抜く事を誓ってくれ—————俺には君が必要だ」
「騎士として死んだのなら、そこにいるのはもはや私ではありません………」
「それでも終わりはまだ来ない。騎士としての死を迎えようと、君の夢が終わりを告げようと、夜明けは何度でも巡る。次の夢を夢見て、夜を迎えよう。俺がいる—————一緒に夢を見ると誓った。探しに行くと誓い合った。夢は何度だって見ていいんだ————」
ずっと掴まれていた所為で服に皺が付いてしまう。胸の中で泣き始めたルゼリアの涙でシミになるかもしれない。だけど、ここでなら何をしても構わない。この寝室、屋敷の主にのみ許された部屋、このベッドでなら少女に戻って構わない。
昼も夜も騎士になり続けるのは、今のルゼリア卿では、いや、ルゼリアでは出来ない。いずれ夢の終わりを迎えてしまうのは予想される。それも彼女が最も無様で醜く死する瞬間。そして騎士として死に絶え、それでも生き長らえてしまう結末も。
「もし、もし騎士として死んだら、私はどこに行けば………」
「どこだっていい。名前も顔も変えて学院に鞍替えしても、いや、王都から離れても構わない。一緒だと誓った。君の求めるままに、君が泣き止める場所なら、どこまでも連れ添おう。そこで新しい夢を見よう。何度だって夜を迎えていいんだ」
「………酷い人ですね。夜が待ち遠しくなってしまいます—————ひとつ、私からも約束を—————もし私が真に死する時が来ても、私の事を忘れないで下さい—————約束してくれますか」
「ああ、約束しよう。忘れる事なんてない。ルゼリア、君が俺を忘れたとしても、俺は君を忘れない。どれだけ夜を越えても夜明けを迎えても、君だけは忘れない」
ようやく泣き止んだルゼリアが顔を上げる。琥珀色の瞳に白の髪。この色だけは決して忘れない。泣き止んだルゼリアの、この笑顔だけは忘れる事は絶対にない。
「………証を、証明して下さい」
「わかった—————」
師とは違う肌の色。青い血管さえ見える透けるような白い肌。なだらかな腰から下にかけての曲線。けれど、まだ成熟し切っていない身体付きは、触れれば砕けてしまいそうな危うさを持っている。だけど、ルゼリアはここにいる。確かに誓い合った彼女はここにいる。細い腰を引き寄せ、膨れた胸に触れられる感覚、初めて見る男性器の感触も、全てが未体験である彼女にとって夢の中での出来事であった筈だ。
だけど、彼女はいずれ気付く。これは夢であって夢ではない。夜にしか感じられない快感で溺れてしまえば、彼女の言う通り夜が待ち遠しくなってしまう。しかして約束に従い、昼は騎士としての鎧を纏う彼女は決して寝室以外ではこの顔を見せない。
もし昼でもこの顔を見せるのであれば、それはもはや騎士ではない。騎士として死んだ、新たな夢を見ている彼女なのだろう。だから、纏い続けられるように夜の彼女を貪り、夜明けには消し去る必要があった。そして、長い夜を終えた————。
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