第2話
「どうか確認して下さい——————これが竜の首—————」
完全に開かれる布。自分達ふたりで仕留め、切り落とし、運んだ竜の首。挑むはおろか視線すら向けられない形を持つ恐怖そのもの。白銀の鱗と角を持つその首は、今も瑞々しく眠りに付いているようだった。外部監査である老齢の騎士は、静かに目を閉じ、団長も胸に手を当て、高貴なる人も両手を握りしめ黙祷を捧げる。
「私が求めるものはひとつ。聖印の騎士としての席—————空席のひとつを、私に預け渡して貰います。騎士団長、願わくば王に掛け合い下さい。私を、この騎士たるルゼリアを聖印の騎士にすべきと、お伝えください——————」
王都で安眠に甘んじている王都民にとって、密かに竜の首は持ち運ばれたなど到底看過出来る筈もない。しかも、それを誰の許しもなく、葬列の世迷言と流した口約束に従ったなど、許される筈もない。けれど、我々はそれを成し遂げてしまった。
王都から1日と半という間近に住み着いた竜—————白銀の竜は、誰に知られる事もなく仕留められ、その本来の脅威を周知される事もなく終わってしまった。
既に老齢に達していたとは言え、騎士団長と、常に共にあった古強者たる聖印の騎士のふたりが時を同じくして倒れ、騎士団の内部分裂すら視野に入った時、報告された—————王都襲来の恐れがあった竜。竜狩り、殺しなど誰も経験した事のない、かつてない脅威に晒されている瞬間の出来事だった。
王が知らぬ筈もなく、騎士団にとっても周知の事実だった。だが、知ったとしても誰が出来る筈もない偉業を、首という動かぬ事実として持参してしまった。
「—————作り物ではない。息吹の跡もある、確かな竜体だ」
首の検分として、学院の竜研究の第一人者、そして多くの派閥の学者が訪れ、そう印を押した。一日程度では読み切れない報告文と、あの青年からの通達によって首のない竜の身体を発見、数日も経っていないと念押ししてある、確かな報告。
「認めよう。確かに、君達—————貴殿方は竜を討伐し、首を持ち帰った」
既に学院へと持ち運ばれた竜の頭は城にはなく、自分達ふたりも騎士団の本拠である、城の尖塔にて伝えられた。軽装などではなく、銀の鎧と青のコート。腰に佩いた剣も真新しい自分に、指名されたばかりの騎士団長は、深く目を閉じる。
「これは決まり事だ。竜との戦闘—————否、どちらが仕留めた」
「彼です—————彼の惑星魔術の一射によって仕留められました」
「では、続けて聞こう。どちらが首を落した」
「彼女です——————」
「………ならば、ルゼリア————ルゼリア卿にこそ栄誉は相応しい。相違ないな」
自分が否定する訳がない。目を閉じ、一歩下がる。
「わかった。ルゼリア卿、貴殿には、近々叙任式が執り行われる。準騎士である貴殿には、まずは騎士としての称号が与えられる。そして—————もはや、暗黙の了解だ。そう遠からず聖印の騎士の席が預けられる。王から直々に指名されるだろう」
我々しかいない、騎士団長にのみ使用を許可された執務室の中だけに響く声で、そう告げた団長は席から立ち上がり、窓を眺める。話は終わりだ、追って伝えるから下がれと、語外に物語っている。けれど、我々は聞かなければならない事がある。
「前騎士団長。あの方は、どうやって」
「答えが必要だろうか。私から聞いた答えなど、どれほどの価値もあるまい」
それ以上は論じるに与えしない。今は、下がるべきだと判断し、引き下がる事にする。板張りの床であろうと、高級な黒い床板、漆が掛けられ磨かれた床を踏み付け、扉の音さえ煩わしいと静かに、しかして確実に足音を立てて辞する。外には警護である同じく白銀の鎧と青のコートを纏った騎士がふたり待ち構えていた。
「ルゼリア卿、あなたには王都内に土地が付与、そして屋敷が与えられる。もはや貴殿の地位は確固たるものとなった。宿舎での寝起きなど、我らが騎士団の名折れである—————確認次第、ただちに足を運び、自ら旗を掲げて頂きたい」
「まだ叙任式も」
「何卒ご理解頂ければ幸い。我らは、貴殿を同じ準騎士達と画一的に扱えないのです」
騎士達に渡されたのは屋敷の権利書、並びに与えられるに相応しい理由がしたためられた証書であった。断る事は出来ない。もし断れば騎士としての名を返上した事を意味する。それは、騎士団の誇りを無下にする行いだった。
「—————謹んでお受けいたします。速やかに旗を掲げる許可を頂きます」
受け取った紙束と、共に与えられた革の封筒へと納め、騎士の横を通り過ぎる。本来準騎士たる彼女であれば、騎士の称号が与えられた彼ら眼前を通るなどあり得ない行動であった筈だ。けれど、彼女はもはや一介の準騎士どころか、真なる騎士ですら踏み込めない席に片手を預けたに相応しい。儀礼を受けるのは彼女自身だった。
「貴殿、あなたにも渡さねばならないものがある」
「——————学院から、でしょうか」
「ご確認されたし。しかし、開けるのはご自分ひとりでと仰せつかっております」
騎士、王家、兵士、そしてもうひとつの派閥が学院であった。その学院の長の封蝋が施された封筒を、このような誰が見ているとも知れぬ場所で開けるなど、到底許されざる事だった。受け取った封筒を片手で胸の前に置き、自分も真横を通る。
長い廊下を通り、階段を下り、開けた場所に出る。
騎士も事実上の一大派閥と数えられているが、数は決して多くない。しかも、真に騎士の叙任が成された騎士など更に少ない。王より承った称号であり、確実な実績として武功を上げた者にしか与えられない称号の保持者、それ以下の準騎士すら少ない。広間へと足を踏み入れた自分達を迎えるのは、恐らく遣わされた馬車の運転手。
紳士服に身を包んだその人は、知らぬ筈の顔を確認した時、静かに歩み寄って来る。
「騎士団より下命を受けました。既に馬車は用意させております」
「騎士に馬車など、」
「承知しております。馬車と共に、馬の一頭も」
一安心と言いたげに息を吐く少女は、その紳士服の男性に頷くと、
「————あなたは馬車で」
「………ああ、理解した。だけど、俺は一度学院に戻る」
想定通りの言葉であったらしく、自分にも一度頷く。そして騎士の本拠である城の詰め所より出た自分達の前には、あの名馬と数頭の馬、並びに馬車が用意されていた。誰に言われるまでもなく名馬に跨ると付き添いである数頭の馬に跨る警護の準騎士がルゼリアを囲う。それを確認した後、自分も馬車へと足を踏み入れると—————これも想像通りの顔だった。我が師であり—————初めての女性。
「見ない内に野性的になったな。やはり、お前は学者として学院で書物に埋もれさせるには役不足だ。まぁ、御せない訳でもないのだが。どうだった、竜狩りは?」
「—————あれほど命だとしても途絶える瞬間とは、ああも………」
「ああ、わかるよ。言いたくない気持ちもわかる」
ルゼリア達が発進したらしく、馬車もゆっくりと動き出す。
「しかし、あの預言者の言葉に従って準騎士の娘と共に竜に挑むとは。いつからそんな師匠泣かせに、不良になったのだ。いくらお前でも竜殺しなど楽ではなかっただろう—————私の跡を継げるのはお前程度なのだ。死なれては困る」
「星の一射を使ったのです。一個の生命に向けるには十分過ぎる力かと」
「そうではないよ。いくつ捧げた?」
「………」
答えたくないと俯くと、頬に冷たい手が伸びる。
「言った筈だ。使うのなら糧を用意すべきだと。あの薬では呼びかけ続ける力にはなっても、声を上げる力には成れない。始まりの力には、どうしたって変えられない」
「—————必要を感じれば、糧を用意します」
「それまでは己が宇宙と海を捧げ続ける気か?師匠として、それは許せない—————次、使うのなら私にも考えがある。忘れない事だ。しばらくは模倣魔術でしのぐと約束して欲しい。さぁ、己が師との盟約を思い出してくれ」
師として仰ぐ時の盟約だった。跡を継ぐから自分の魔術の完成に手を貸して欲しい。自分の魔術とはどこへ向けるべきなのか、その道標となって貰いたい。星を掴むには、あの輝く月を自分の物にするには、どうすべきなのかの手段を教えて貰った。
「………あなたの跡を継ぐのは自分だ。ならば、廃人になる事も死ぬ事も許されない」
「ああ、そして私も跡を継がせたからといって早々に消える事もしない。少なくともお前が惑星魔術を完成させるまでは自分の役割を放棄もしない。あの学院は、私にとっても捨てがたい居場所であり城だからな。盟約に従い、月の探究を共にしよう」
手に従って顔を上げると、口づけを授けられる。
「で、どうだった?」
「竜殺しなら、」
「お前以外の者からの報告書など読む気に成れない。あれは、結局は寝物語でしかない。実際にその場にいた訳でもない人間の手記の印刷など、私達にはただの文字の集まりだ。目の前に竜狩りの張本人がいるのだ、直接聞くしかあるまい—————まぁ、それは夜に聞くとして、私以外の女の感触はどうだったと聞いたのだ」
「——————は?」
「は、とは不躾だ。お前も学者である以上、己が探究心や知的興奮は抑えられないだろう。私も昔は苦労したさ。であるならば、あの準騎士と共に数日も過ごしたのだ、竜に挑む直前に快楽のひとつでも、人肌のひとつでも求められただろう?」
竜狩りには成功したが、あの準騎士の少女は狂気にも匹敵する程に、竜の首を求めていた。到底そんな空気など一切感じなかった。自分も、竜の鱗にもし通じなかったらと内心恐れも頂いていたのだ。生死定まらない前夜など、生きた心地もしない。
「………お前、もう少し世界を見渡してはどうだ。それともあれか?貞操を捧げた以上、一生その相手としか寝所を共にしない気か?悪い訳ではないが、お前と私は祝言を上げる事を必須とは思わないだろう。ただ唯一の愛を授けられるのは悪くはないが、その歳から一心に求め続けるのは、いささか老け込み過ぎではないか?」
「師よ、あなたは違うのですか?」
「そうではない。死地を共にするのだ、責任のひとつでも取ったのかと聞いたのだ」
そう言われると、確かに責任のひとつ、でも取るべきだったのでは思ってしまう。あの薬だって、本来は己が師としか預け合わない秘中秘に近い。帰って来て、信用出来るようになったから渡した、では、それ以前はどうだったのだ、という話だ。
「————いえ、何も」
「意気地なしが」
少しだけ、ほんの少しだけ傷付く。
「お前への評価を改めねばならない。惑星魔術、大いに結構。だが、心の御するのも我ら魔に連なる者の使命であり宿命でもある。己が心を支配するのだ、共にした女の心も測れないようでは、お前にはまた一から仕込まねばならない。夜伽の準備を済ませて、私の部屋に来ることだ。楽に朝が迎えられるとは思わないように」
不機嫌になってしまわれた師は、冷たい目で自分を眺め続けた。
そして、しばしの沈黙の後、馬車が停止した後に扉が叩かれる。何も言わずに扉を開け、降りていくとそこは預けられた屋敷の目の前だった。いつの間にか到着してしまっていた。名馬から降りていた少女に目を向けると、歩み寄ってくる。
「ここが私の屋敷となるそうです。学院での報告が終わり次第、ここに戻って下さい」
「ここは君の屋敷であり邸宅だ。俺のような学者を子飼いにしていると知れたら」
「前にも言いました。自覚して下さい、あなたはどうあっても騎士としての————私と共に竜を打ち滅ぼした武勲を上げた力の保持者と見れます。学院での扱いはどうなるかは、私には知れませんが、眠る場所は選んで下さい。決して、あの本棚のベットになど揺られないように。私の名誉に傷が付きます。いいですね」
屋敷の主としての自覚が付いたのか、決して退かない確固たる意志を感じた。
「………覚えておこう。だが、俺にも都合がある。今日一日、明日までは学院で過ごす事になる。そして、度々学院の学者としての立場も使う。これは譲れない」
「覚えておきましょう。けれど、決して騎士としての名を忘れないように」
最後に睨みを利かせたルゼリア卿は泰然とした態度で屋敷の門を潜って行った。ここの元の持ち主には悪いが、もはやここはルゼリア卿の邸宅となった。取り返すのは至難の業であり。それはそのまま騎士団に牙を向ける事を意味するだろう。
「ここに住むのか………」
白い外壁はいかにも強固で、正式の騎士どころか大商人や高い爵位を持つ貴族でさえ、なかなか手の伸びない容貌を呈している。一国一城、とも言える建物であるが、自分は決してその主にはなれない。彼女こそが竜の首に剣を突き立てた聖印の騎士だからだ。
軽く屋敷を見渡した後、馬車に戻ると再度発進する。
「かなりの屋敷じゃないか。騎士の身分でこれは、あの少女には荷が重かろう」
「—————今はまだ」
「意外だ。お前からそんな言葉が出るなんて。ならば、どうにか口説き落とす事だ。学院でどれだけ名を上げようが、このような屋敷は与えられない。精々が豪奢な椅子程度だ。家に帰る選択肢もあるだろうが、お前に与えられるものなどもうないだろう」
何もなくなった時、土地に帰って大人しく余生を過ごす選択肢もないにはないが、その場合死ぬまで肩身が狭い思いをしてしまう。正直、そんな最後は御免だ。死ぬのなら——————死ぬのならば—————。
「この師だって、お前の面倒を最後まで見れるとは限らない。種は撒いておくべきだ。もし、あの屋敷の主と懇意になったのなら私も安心してお前との証を残せる————忘れていないだろうな。学者であり魔に連なる者となった意味を」
「………ええ、忘れていません。どうあっても我らは非人間族だ。騎士団であれ、王家であれ、求められたのなら相応の答えを用意しなければならない—————星の神秘を使っている以上、星の発展に命を使わねばならない。この王国でならなおさら」
大人しく窓から外を見ていると、大橋を通り抜けると風景がガラリと変わる。石造りの街から急に翠の結晶が姿を見せる。それもひとつふたつではない。大きくも小さくも、街全体を覆い尽くすように翠の結晶が地面から生え上がっている。それを明かりにし、暗い筈の裏道も明るく照らし出され、行き交う人々の、深いローブの底の顔も浮き上がらせている。この王都が王都足り得る理由のひとつがこれであった。
「数少ない神秘の源泉。数え切れないレイラインの発生地点——————」
大陸の地脈と似て非なる脈。目に見える神秘の始まりである、多くの人々が求めて止まず、誰も己が物に出来なかった、人々から見れば、いわゆる神聖なる土地をそのまま囲うように作り出された区画。誰が名付けた訳でもなく、いつからかそう呼ばれ始めた存在—————レイライン。そして、この王都は、このレイラインの源泉を独占する為に建造されたと言われている。きっと世迷言ではない、正しい結果。
「これほどまでの力の源泉を無尽蔵に使えるなんて。我々は恵まれいる。この王都どころか王国から離れてしまえば、ここまで力の供給など望めない。何度見ても美しい—————神秘の発生源なんて、到底人では御せないのに、使えてしまえている」
窓際に肘をついて眺めている師の横顔を見ながら、自分も頷く。
そして、しばらくの結晶まみれの街を通った後、ひと際巨大、先ほどの屋敷どころか城の尖塔にも匹敵する翠の結晶を囲うように作り出された学院へと乗り込む。馬が驚かないのも既にこれを常識として認識しているからだった。木造と石造りの学院の馬車止めに入り、合図を待って師と共に馬車から降りる。
深いローブ越しに我々を見つめる学院の生徒や学者達の間を通り、我らの星の学閥が根城にしている区画へと入る。そこには見知った顔も多く、微かに視線を向けられる。その最奥へと足を運び、師の個人部屋であり自分達の住処へと足を踏み入れる。
結晶まみれなのは、この部屋も変わらない。足元の転がった高純度の結晶を踏み越えて、向い合せのソファーへと腰掛ける。そして、早速学院長から送られ封筒を手に取る。
「ひとりでと言付かった筈じゃないのか?」
「俺への言葉という事は、師への言葉でもある」
簡単な問に答えながら封蝋を切って開けると、数枚の紙が収められている。ひとまず摘み取って取り出すと、表紙である紙に学院の印が押されている事を確認する。少なくとも偽っている様子もない。正式な辞令だと判断し、表紙を後ろへと移す。
「——————騎士の位が授与される。また天体における惑星の使用・仮想・模倣・創造を用いての魔術、仮称惑星魔術を正式な魔術として援用する事を認める————」
それは自分の、今の形に作り上げた惑星魔術を学院が真に価値あると認める事を意味した。つまりは、求められれば公的な組織への助言や援助もせよ、という意味だった。騎士も王や団から指名されれば王国中のどこかへと駆り出され討伐もする上、学者として助力や検分も求められる。都合の良い話だ。お前が殺した相手をお前が調べろ、と言っている。学者が同伴する遠征も確かにあるが、前衛で魔術を使用せよとは。
「騎士団から騎士の叙任の話はされていたのだろう。一足先に耳に届けておきたかった。しかし、それをするには騎士団と学院との関係上難しい。結果、お前の所属している学院から通すべきと判断、と言った所か。もてはやされているじゃないか」
「—————師はどう思いますか」
「どうでもいい、とは言えない空気だな。学院としてはお前を騎士団への密偵にしたいのではないか。或いは学院の価値を知らしめる。正式な魔術と取りそろえられた惑星魔術を使用し、竜を仕留めたと国中に知らせが走れば、学院の名に拍が付く。結果、王家への口利きもやり易くなる。まぁ、騎士団にとっても同じ事が言えるが」
「騎士として竜を仕留め、首を持ち帰った。しかも学院の学者と準騎士が共にを知られれば、まるで騎士団が選出したようにも見える。—————竜殺しは、こうも大罪だったのですね」
「それについては嫌でも感じる事になる。さぁ、次の紙へと移ろう」
急かされた自分も、次の用紙へと手を動かす。
「—————騎士団への籍を残したままでの出向を推奨する。命令ではないのは、自分から選べと言いたいのですね」
そう言いながら紙を渡すと、どこからかパイプを取り出して煙を立たせながら受け取られる。軽くひと口とひと煙吸った後、パイプを渡されるので自分も濡れたパイプに口を付ける。甘い香りのする煙をしばし吸い、師と同じ息を吐く。
「命令では後から何かあった時、指摘されてしまうから。お前の言う通り、自ら選ばせたい、と言った所か。推奨であるのなら拒否して、この部屋に閉じ籠って私と淫靡な日々を続けられる。何かあっても、私と君の血筋なら邪険にはされないだろう」
「この学院の部屋を使う以上、少しは自分の価値を見せつけねばなりませんね。しばらくはあの屋敷を拠点にしますので、俺に飽きて他人を連れ込まないように」
「ふふ、約束しよう。では、私をひとりしない為に通う事を忘れずに。自分で自分を慰めていると、どうしても人肌寂しくなる。真夜中でもひとりでするぐらいなら私の元を訪れるようにしたまえ。どうあって私達は、私達しかいないのだから」
パイプを返しながら紙を受け取り、無言で最後まで読み続けるが、特段興味をそそられる内容はもうなかった。パイプを渡せ、と手を伸ばすと。
「パイプだけではつまらないだろう。そろそろ私を諌めてくれないか?3日もひとりでは寂しくて仕方なかったのだよ。それこそ誰かを連れ込みたい程に—————学院長への顔見せは必要ない、違うかな?」
視線の先、背後のふたりの寝室を差す師に従って立ち上がる。師も楽し気に跳ねるように立ち上がり、早々と扉の前へと移動する。
「俺も————しばらく留守にするとは残しましたが、3日も師の肌もパイプも感じられない事が、こんなにつらいとは思いませんでした—————」
ソファーを越え、師の腰を引き寄せて肩を抱かせる。
「こんなにも腕が逞しくなったのだな」
「毎晩言ってますね。ヒアン」
「日々、お前—————マイスの腕に抱かれているのだ、私にとっては楽しみのひとつだよ。前は私に抱かれて背だって負けていたのに。いつの間に、抱き上げられる程になったのだ。パイプも嗜んでしまって————だが、今日は私の好きにさえて貰おう」
抱き上げようと軽く屈んだが、許さないと両足を広げて仁王立ちをされる。
「伝えた通りだ。今日はお前に女の扱いを教え込んでやろう、夜伽準備は既に済んでいるな、ならば行こう。どうあっても、この滾り、発散させて貰うからな」
手を握られ、ふたりの寝室に連れ込まれる。水薬やパイプの葉薬、多くの書物やふたりで築き上げた刻印に囲まれたベッドへと連れ込まれる。師の言う通り、どうあっても滾りを発散させたかった、そして責任のひとつも取れずに終えてしまった竜討伐の戒めに、昼と夜、夜明けを窓から確認する。下半身のぬめりや唇の潤いを無視し、ようやく落ち着いた師を抱きしめて仮眠を取る——————だが、それも一瞬の事だった。
「そろそろ起きないか?それとも夜まで、また続けるか?」
「約束通り、あの屋敷に向かいます。師はどうされますか?」
「弟子の魔術を正式な棚に納められたのだ、私もしばらく忙しくなる。それまではしばし離れ離れさ。今夜は流石に私も相手を出来るかわからない。まぁ、しばらくはあの娘に手を貸す事だ。ほら、これを—————」
何もまとわずに机へと歩き出し、ガサゴソと拾い上げて手渡されたのは白紙の紙。
だが、上には銀の文字が彫られている。
「一度きりしか使えないが、それがあればどのような願いであっても学院はお前に手を貸さなければならない。前々から密かに求めていたが、これを機会に施されるとは—————使いどころは見極めろ、さもないと私が—————」
うるさいと、師を抱き寄せて逆転、覆いかぶさって唇を奪う。
「せっかくの睦言なのです、そんな紙の説明など要らない—————もうしばらく」
「仕方ない。ああ、それでいい。私も、もうしばらくこうしていたい」
結局、朝どころか昼になってしまい疲労困憊。師は艶やかになって別れ、学院を後にした。
「ど、どうしました。それほどまでに疲れているなんて————」
騎士の館が点在する区画の屋敷へと戻り、戻り次第自分の部屋はどこかと聞いてベットに倒れ込むと、ルゼリアが心底心配そうに肩を揺らしてくる。学院へと足を運んで師の部屋で昼まで睦ごとをしていたから疲れた、などとは口が裂けても言えない。
「知りませんでした………竜狩りに、それほど疲れを————いえ、学院への報告にそれほど体力を使うなんて————」
「これは、ああ、そうだ。少し疲れた。騎士団からは何か?」
ベットに倒れたままで聞いてみると、少しだけに苦い顔をされる。
「追って伝えるから待機を命ずる。いつもの警邏も巡回も必要ないと」
「それらは全て兵士か準騎士の仕事だった筈だ。正式な騎士でこそないが、君はいずれ騎士という部隊を預かる地位に成る。隊長自ら城壁の不備の確認なんかしないだろう」
「………それは、そうなのですが」
普段の仕事が取り上げられ不安なのだろう。学者である自分にとって、呼び出される事もない待機など願ったりの時間であるのに。どうにも彼女は何かしていなければ、と考える強迫観念に近い思考を持っているようだ。これからは、それを手放させねばならない。
「騎士、つまりは部隊長になるなら、この時間は自分の鍛錬にも知識を増やす事に使える。その選択権が与えられる意味にも通じる。それに3日程度だが、俺達は竜狩りを成功させた。しばらく休暇を取ってもおかしくない、そう思わないか?」
「—————夢ではないのですね。私達は、確かに首を————」
「持ち帰った。今頃首は学院の大広間で解体されている。遠からず竜の身体も届く—————身体から星殻が造り出され、それを元にルゼリア卿には武具が作られる。竜を素体にした—————あの息吹にも匹敵する力を持つ装身具を。どんな形であれそれは君を聖印の騎士としての役目に足り得る硬度を誇る装備になる」
「………竜の武器」
「亜種でもトカゲでもない。真に竜の身体を使う、あの命を別の物に作り替える————与えられても使い手が力量不足など許されない。そう思わないか?」
少しだけの挑発だが、ようやく笑みを浮かべてくれる。
「ええ、そうですね————だけど、本当に私だけでいいのですか」
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