惑星魔術

一沢

第1話

 自分は夜空に憧れた。暗い冷たい世界の中でも、燦然と輝く星々に心を奪われた。

「その光を番えよ—————」

 この言葉に従って、ひとつの巨大な惑星が輝く。第三の月、ウェルクシア。

 三つの月のひとつに数えられ、遠く離れたこの星から見れば最も小さく儚い青い光の根源。それが、ひときわ輝き眼前の両翼を砕く。光の奔流に飲み込まれた首長は、悲鳴ひとつ上げずに命の終焉を告げる。たった、これだけだ。あれだけ、皆々が血と肉と財貨を捧げて、首を欲しもなお届かなかった、究極の幻想が倒れ伏す。何が起きたかなど知らない筈だ。

 少なくとも、星との交信など馬鹿げていると鼻で笑った人間には、理解し難い光景であった筈だ。だが、今、確かに月から放たれた一条の光が竜の鱗と血肉を貫通し、その息の根を止めた。まぁ、妥当な光景だ。だって、結局は、あれもひとつの命。

「月という一つの惑星からの滅びの余波には届くまい——————」

 蒼と白のローブが身体にへばりつく。心底邪魔だが、これもある種の公務だ。楽だからと言って、身軽な軽装では様にならない。誠に遺憾ながら、これも、騎士の務めでもあった。美しい銀の肩、胸当てに腰に佩いた鋭いレイピア。使い方など、ろくに知らない剣など、ただただ邪魔だった。だが、恐ろしくも私は騎士のひとりだった。

「竜狩りなど、人の身では罪深い事だ。呪いのひとつでも掛かるだろうか」

 水紋を残し、今も呼吸ひとつしないで倒れている白銀の竜に近づき、眼球に視線を向ける。あれだけ輝いていた光はとうに失われ、ただただ空虚に宙を見ている。

「言葉が通じるのなら、謝りたい。お前は、ただ生きたかっただけなのに」

 鋭い鱗の顔に手をかざし、静かに目をつぶる。これほどの命を奪った後だというのに、自分に捧げられるのは沈黙のみだった。彼にどれだけの罪がある。ただ、生きて、飛びたかっただけなのに。それを、彼らよりも後に生まれた生命体でしかない我々の都合で刈り取られ、屍を解体されるなど、許される筈がない。

「これも、太古からの循環だろうか。なら、お前もこうして何かを滅ぼして来たのか」

 美しい白銀の翼膜は切り裂かれ、心臓を貫通した結果、鱗も焼け焦げている。竜の終わりなど、見る事はそうないが、どれだけの生命であろうと死に際は酷く醜いのだった。あれほどまで、人を恐怖に陥れた白銀の竜は、最後の最後まで誇り高く在ろうとしたのに、私は、最後の機会をこんな形で奪ってしまった。

「—————せめて、身体だけは」

「許されると思っているのですか」

 月の一射で完全に塵にしようかと、考えた時だった。

「我々の任務は、その竜の首を持ち帰り、身体を星殻に作り替えること」

「—————討伐の途中で、止む終えず、全て塵にした」

「許されません。少なくとも、それをするのなら私があなたの行動を報告する事になる。首を晒されるのが、あなたになる。それは我々にとっても許し難い蛮行です」

 後ろから歩み寄ってくる声の高い少女。未だ、成年すら迎えられていない筈の、後継に選ばれてしまった、次期聖印の騎士は、今も倒れ伏している竜に、更に歩み寄る。

「この竜は、既に我らが騎士達を幾人も葬り去った、焼き殺した悪竜。慈悲など、不要でしょう」

「先に、この身体と首欲しさに襲い掛かったのは、騎士の誉れという奴か」

「それでもなお、あのまま放置は出来ませんでした。傷つけられた騎士の名は、決して軽くありません。それに、そう遠からず我々の本隊に牙を剥くのは目に見えていました。なおのこと、一番槍を求めるのは不思議ではありません」

 手にした剣—————自分の月の光を宿した剣を抜き、竜の首へと突き立てる。本来なら、刺さる事すら望めない刃は、確かに肉を裂き、血を流させながら骨にまで達する。だが、やはり限界でもあった。人間ひとりが腰に佩く程度の刃で、首を落すなど無理だった。それも、人の生など、とっくに越している竜の首など尚更。

「手を貸して下さい。出来るだけ早い段階で切り落とさねば」

「………わかった」

 自分は腰の剣など抜かなかった。やはり、使い方などわからない上、下手に振り回せば自分の手を切ってしまう。だから、少女の手に手を重ね、月光の力を加え続け、刀身を一瞬でひと一人分にまで拡大させる。光の刀身によって切り裂かれた肉から迸る血が、自分達の鎧やローブを朱に染めていく。ふたりで確かな手ごたえを感じながら骨を断ち、完全に首を両断する。水紋に鮮血が広がり、自分達自身が血を流しているようにも見えた。生暖かく、終わりがない流血の果て、少女は肩で息をしていた。

「—————これが、竜の討伐」

「先代から続く、殺し合いの続きだ。理解しているか、今、お前は竜殺しの証を得た——————誰も、お前を見くびらない。誰も、お前を半人前だとは嘆かない——————真なる聖印の騎士の席を与えられるに足る、資格を得た」

「—————あなたは、欲しくないのですか?」

 琥珀色に輝く瞳に問い掛けられる。血に濡れたまぶたなど気にも留めず、血に汚れた髪など露ともせず、ただいいのか、と問い掛けてくる。今更な質問だった。

「少なくとも竜殺しなど、今まで学院に籠っていた俺では信じられな、」

「そんな筈がありません。模倣すら届かない惑星魔術の使い手であるあなたを侮る人間など、もういない。あなたこそ自覚して下さい。もはや、あなたも表舞台に立つしかなくなったのだと。私だけでなく、あなたの手もあったから叶った偉業だと、皆が察する———————私自身も、あなたがいなければ、聖印の騎士の席になど座れない」

 これは、ひとつの境目だった。惑星魔術などという世迷言の使い手に、師範を殺した罪深き準騎士の少女など。誰もが忌み嫌う我々は、騎士団創設から一度しか叶わなかった竜殺しに成功してしまった。それも、誰に知られる事もなく、たったの一夜で。

「これを運びます。荷馬車をここに」

「いいのか。荷馬車に乗って、運ぶなんて」

「この首を馬ひとつで運んで旗印にしろと?現実的ではありませんね」

 自身の品位よりも、得た首を選ぶとは、ついぞこの少女は騎士から離れてしまったようだ。大人しく、言われた通りに廃屋となった教会の袂へと足を運び、荷馬車を求めた。




 我らの凱旋は小さなものだった。石畳を荷馬車で踏み越え、石造りの家々の前を通り過ぎる。少女が急かすもだから、結局一昼夜で廃墟から王都まで駆けてしまった。馬の体力も限界に近く、目に見えて速度が落ちている。

「別の馬を用意しよう」

「いえ、このまま進みます」

「馬を殺す気か」

「この馬は騎士団長から賜った名馬。この馬でなければ、城の門は開かれない」

「——————わかった。だが、まず休ませよう。このままだと城に着いたと同時に倒れる。名馬をたった3日で食い潰したのかと、席が与えられても陰口を叩かれる」

「それでも、私は——————」

「君の名には既に傷が付いている。これ以上の悪名は轟かせない方がいい」

 そう言って、自分は縄から馬に命令を下し、近くの馬宿に向かわせる。何も言わない少女は気を悪くしたかもしれないが、実際馬も自分も、少女自身も限界だった。

 竜を追い詰め、数刻と戦闘をし、終ぞ命を絶って首を断った。それも、少女が城で宣言し通りの3日後に。本来なら、このような昼ではなく夜中でも問題なかった。

「それに、俺も昼は苦手だ。夜まで待つべきだ」

「………首が腐ります」

「竜の細胞の生命力を舐めない方がいい。完全に息の根を止めなければ、両断されても再生するレベルだと伝えた筈だ。時間は無いかもしれない、だけど焦るべきでもない——————俺に、こんな役割をさせるのか」

 既に鎧は脱ぎ去り、軽装を纏っている自分達ふたりでは、そもそも城の門で止められていただろう。夜まで待ち、最悪の事態に備えて万全の状態で、あの城に向かうべきだった。

「預言者が言っていました。首を持ち去られるから速やかに運ぶべきだと」

「あの預言者は、既に城を去った。それに、竜の首とは言わなかった筈だ」

 正直、あの預言者は苦手だった。急に自分の研究室に現れ、散々部屋を荒らした挙句、君を呼んでいる、城へと向かえ、と告げて消えた。しばらく無視していると、またも現れ、遂にはこの少女準騎士を連れてくる始末。しかも、既に消えている。

「馬宿には金は騎士団に請求しろ、と言えばいい。夜まで二人で見張ればそれでいい」

「………わかりました」

 ようやく納得してくれたようだ。マントを被った少女は軽く荷馬車を眺め、確かに布で包まれた巨大な首を確認する。馬も緊張感が薄れたのを悟ったらしく、更に歩くスピードを緩め、馬宿の隣へと止まった。

 同時に泊まるのを確認した宿の娘がこちらに迫ってくるので、「夜まで休む。代金は騎士団に」と告げると、満面の笑みで宿へと戻って行く。また宿の使いである男性が馬に水や牧草を与え、馬の世話を始めた。

 決めた通りに、ふたりで荷馬車へと移り、首が奪われないように、或いは暴れ出さないように見張り続け、夜を待つ。未だ昼が続く中、水だけを口にして過ごす時間は、研究室ではよくある光景だった。家からの仕送りがある自分達、学院の生徒は自分の研究室として、部屋を買い取り、好きに使い潰すのが常識であった。

 そして、終ぞ、研究が完成したあかつきには、部屋を引き払い、家に帰るか、新たな新天地を求めるのも常識だった。だが、まさか騎士団になど所属するとは思わなかった。それも、剣などろくに握った事もない、この自分が—————。

「どうして、剣を握らないのですか」

「苦手だからだ。習った試しもない」

「あなたの家は大家です。礼式として、儀礼剣の扱い程度、習わされる筈では」

「どうだろうか。俺には、そういうのを求められなかった。それだけだ————それに、必要ないだろう。結局、魔に連なる者には己が魔術がある。剣を握るぐらいなら剣に代わる魔術を作り出せばいい。更に言えば、剣を握るなど俺達の仕事ではない」

 確かに、蛮族や魔物狩り、侵略の迎撃に繰り出される事、指名される事もあるが、我々にとってそれは片手間のひとつに過ぎない。真に求められるのは、己が魔術を極め、その派閥の一角に成る事。きわめては、魔に連なる者の義務を果たす事。

「——————私達には剣でしか、己が力を知らしめる方法がありません」

「俺達も同じだ。どれだけ微弱な光しか灯せなくても、それを求めるしかない————自分の内を探すか、外で武功を求めるしかない。そうは変わらない」

「………知りませんでした。意外と話せるのですね。常に不機嫌そうでしたが」

「そのまま返そう。騎士は、もっと雄弁に語るかと思ったが、常に首を求めているとは思わなかった。——————不機嫌だったのは、お互い様だったか」

 僅かに、ほんの僅かに少女が微笑む。

「空腹ですが、城に帰った時動けなくては話になりません。今日一日は食事を抜きにしましょう」

「違いない。だが、何も食べないで動けないのも問題だ。これを—————」

 本来ならまず見せない我らが真髄を与える。

「————これは」

 竜殺しをふたりで成した以上、もはや隠し通すのも無理だ。自分が月の光を求め、光の一射を為す時に必要な『力』の補給物資、緊急時にのみ口にする、ある粉末の固形物を手渡す。見た目は白く、味は甘い、しかして急速に『力』を補填させる薬。

「………おいしい」

 甘味など、騎士の身ならば珍しくもないだろうが、ここまで味にこだわった薬などそうはあるまい。なぜなら、最初は到底口に出来たものじゃなかったからだ。緊急時に味の好みなど言っていられないが、緊急時にあまりの不味さに吐き出してはならない—————よって、惑星魔術と並列して作り出した、甘い薬が、これだった。

「魔に連なる者は、料理も出来るのですね」

「道楽、暇つぶしだと思わないでくれ。それは、自分にとっては死活問題にも通じる永遠の命題だ。最悪、それしかない状態で第三の月に呼びかけ続けなければならない瞬間もある。力の枯渇で死ぬのは御免被りたい。最後まで俺達は生きなければならない」

「最後は壮絶な死、名誉の死は、嫌ですか?」

「俺には出来ない相談だ。俺は、まだ修めなければならない世界がある」

「欲深いですね。騎士と同じです」

 その口で、与えた薬を食すのだから、この少女もかなりのつわものだった。あと数本もない薬を自分も食しながら荷馬車から空を見上げる。ようやく夜の帳が落ち始め、王都もにわかに活気付き始める。常に学院にいた訳ではないが、夜更けまで出歩いていた経験は少なく、僅かに好奇心がくすぐられるが、それは今ではなかった。

「騎士の位を叙されたら、王都に一件分の土地が与えられるそうです。そして、跡が途絶えない限り、常に住む権利を保持できると。そして、名を上げ続ければ、辺境の土地を分譲、王国の城壁となって侵略者を抑える役目も与えられると—————」

 辺境と聞けば、楽に悠々自適に生活できると思う人間もいるかもしれないが、辺境という事は国境近く、あるいは海辺に面した土地である事を意味する。侵略される時、もっとも手短でもっとも楽に攻められる意味の事なので、なかなかに気の進まない展望だった。だが、当の少女は、そんな世界を夢見ているのだろう。

「割に合わない、そう思いましたね。けれど、これこそ私達騎士の位を目指す者にとて、最大の栄誉。勇敢に敵をなぎ倒し、強固に民を守り、理知に土地を栄える。あなたのように学者を増やし、次なる学問への発展をする為でもあります」

「そう言われると弱いか。ああ、それがいい。俺達のような、ひとつの事しか出来ない非人間には、君のような為政者や騎士が必要だ————騎士は、一代までの位だったのに、様変わりした。正式に騎士に選ばれると、そこまで与えられるのか」

「一代限りと言いつつ、騎士の位を叙されるのは、やはり領主、大家であり貴族ですからね。高価な装備に馬を維持出来る高い爵位に騎士の位が与えられる。元からある土地の繁栄と共に、防衛の大義名分得られる感覚に近いかと。それと、もはや騎士は一代限りではありません。跡が続き、騎士としての名に反しない行為をしなければ、剥奪されず世襲をされます」

「—————知らなかった」

「学者なのに、世間知らずですね」

 いつ制度が変わったのか。王都に来てからしばらく経つが、そんな制度変更があったなんて知らなかった。だが、これには想像できる点もあった。恐らく—————。

「戦力の確保。或いは、騎士の身分なのに国を守らない汚名を行き渡らせる為か」

「—————私にはわかりかねます。けれど、騎士であるならば王と民を守るのが使命です。何も与えられず、生まれた意味すら分からない人生など、私には耐えらません——————私はこの首を使って、聖印の騎士に。真なる騎士の位に着いてみせます」

 荷台を二分するように横たわる首を睨みつけ、未だ準騎士の身分である少女は決意を口にする。自分には分からなかった。—————なぜ、生まれた意味を求めるのか。

「そろそろか………」

 空を見上げると、太陽は地平線の彼方に沈み、後数分もせずに夜の黒が中天を捉える事が予想される。視線だけで、そこに居ろ、と伝え、自分は御者席へと座り、馬の手綱を引く。軽い嘶きをさせた後、世話役の男性がもろもろの後始末をした後、自分に出発の合図を送ってくる。言われるままに従い、再度石畳を蹴り飛ばし、荷馬車を操る。力強い馬の膂力によって荷馬車は確実に動き出し、スピードもみるみるうちに上がっていく。走らせる必要はないが、街中で遅すぎる訳にもいかなかった。

「このまま城に向かう。準備はいいか」

「ええ、向かって下さい」

 その言葉を信じ、荷馬車を城が待つ中央街へと進め続ける。誰が見物するまでもない、王都はこの口に中枢であり、第二の経済圏でもある。第一は波止場町に奪われてこそいるが、なおもここはあらゆる大家や商人、行政機関の終着点。荷馬車など常に行き交う上、兵士も青と白のコートを着て、止める事なく街の風景として確認している。特段珍しい光景の筈がなかった—————なのに、この荷馬車の前を取られる。

「中を検めさせろ————」

「急いでる」

「従わない気か?」

 完全に行く手を塞がれ、背後すら取られる。ここはまだ中央街までは距離はあるが、紛れもない城下町。石畳で舗装された、現世界最高峰の秩序を持つ王都。その王都の警戒を取り仕切る兵士が、中を見せろ、と言うのだ。断れる筈がない。

「これを見ろ—————」

 正直見せたくなかったが、一時的にだが叙された騎士としての位の証たる儀礼剣を見せる。騎士の位など、もはや珍しくもないであろうが、それでもない一介の兵士がだからなんだ、とまかり通れる壁でもない。自分達とは所属は違うが、無視できる関係でもない。騎士は城への警備と共に、必要があれば討伐の指名もされる存在。

 王都の警備のみを役割としている彼らとは、歴然とした壁がある筈だった。

「——————偽物ではないだろうな」

 恐らくは、長らく兵士を務めてきたであろう成人の男性の眼が剣に向けられる。

「偽物を語れるほど、騎士は低い身分ではない筈だ。あなた達に何を求めるつもりもない。このまま通して貰えれば、それで構わない」

「どこへ向かう気だ」

「知れた事を。王城だ—————退け」

 兵士がいても構わないと馬の手綱を握ると、やはり騎士の名を無視は出来ないようで、大人しく道を渡してくれる。自分もそれ以上は何も言わずに歩かせ、ある程度の速さまで上げる。追いかけてくる素振りも見せない事から、後ろへと声を掛ける。

「気付かれたか」

「いいえ、流石に首が乗っているとは思わないでしょう」

 首を常に監視している少女は、こちらに近づかずに荷台の中から声を返した。

「検問の様子もありません。本当に偶然だったのかもしれませんね」

「——————そうか」

「意外と心配性ですね」

「後ろのそれを今更掲げるのは、現実的じゃない。少し飛ばそう」

 手綱からこちらの意思を与え、馬の速度を上げる。中央街へと続く石造りの巨大な橋を通り過ぎ、城の門が間近に見えて来た頃、またも止まる機会に出くわす。それも、道を譲らざるを得ない程の状況だった。それは、この首さえなければ、聖印の騎士と選ばれたであろう蒼と純白のコートを銀の鎧で覆った青年。鋭い眼光と美しき容貌を携えた事実上の第一候補その人。だが、最後まで先代団長が決して指名しなかった男性だった。周りの人間や兵士、騎士さえその事を疑問に思って仕方なかったであろうが—————我々は知っていた。あの男を聖印の騎士にしてはならないと————。

「道を開けろッ!!」

 言われるまでもなく荷馬車を道の端に寄せ、出来る限り目を合わせないようにする。多くの準騎士や従者を揃えた列が道を占領し、ゆっくりとたった今走った石造りの橋へと向かっていく。決して従者達を前に置かず、自分こそが主だと宣言するように悠然と足音を立てていく。たったそれだけで空気が張り詰めていくのがわかる。前だけを見ていく姿に、片目だけで見送る。だが、その青年はこちらの顔に気付くと、周りの目など気にせずに、止める声など聞こえないと歩み寄ってくる。決して笑う事などせずに——————。

「その様子では——————どうやら叶ったのか。一足出遅れたな」

 そして、笑みを浮かべる。

「首は後ろか。あの準騎士もか——————出てこいとは言わない。今はまだな」

 楽し気に後ろの従者であり準騎士に視線を向けると、その準騎士がひとり、もと来た道を戻っていく。彼だって、決して小間使いにされる程の立場の筈がないのに。

「ひとつ問いたい。お前は、そちらに着くのか」

「——————そちらの元には行かない」

「答えになっていないが、まぁいい。おおよその想像通りだ。お前が求められた以上、俺の障害になるのはお前程度のものだ。その首を持って聖印の騎士を名乗るがいい。俺は、騎士のひとりとして竜の身体を回収し、星殻に変えるとする——————まさか、たったひとりで、いや、ふたりであの竜を討伐するとは」

 言い直したとしても、酷く心を傷つけられたであろう。だが、否定する事は許されない。ここで私が否定すれば、二重に哀れみを与えてしまう。それは、彼女にとって何よりの屈辱であろう。例え、首を持ち帰り、真に誉れ高い騎士だと謳われても。

「お前も早々に学院の学者という立場を捨て、騎士を名乗るがいい。既に必要のない名ばかりの位であろう。我々は、どうしたって一ヶ所に留まれないのだから」

「————自分はまだ修め足りない」

「それもすぐ眼前にある筈だ。惑星魔術を極めるどころか扱える者など、この世界を見渡してもお前しかいない。その威力でしか力を計れない愚か者には、お前の光は眩しかろう。その真髄、星の———————いや、言うまい。邪魔をしたな—————勝利の凱旋だ、道を開けろ」

 そう告げると配下の騎士や従者達は道を開け、荷馬車から門への凱旋を仕立ててくいく。聖印の騎士でこそないが、その実績と影響力により多くの従者、それも高い爵位を持つ長子の準騎士達を従えている。例え侯爵の息子と言えど、あり得ない光景だった。上にいる筈の公爵を既に抜き去り、何もせずともこの王都の長の地位すら視野に入る程の。

「戻り次第顔を見せて貰おう。それまでに覚悟を済ませておくことだ」

 一歩下がり、道を預け渡されたのを確認—————格下だと告げる行動に従い、荷馬車を操り城壁の門にまで到達する。白い鎧と青いコートの従者達の道を通り、彼女の言う通り、騎士団長より預かった名馬であると目視した門兵は大門を開けて、引き下がっていく。門が開かれた事により吹きわたる風に晒された馬が軽く嘶き、凱旋の終わりを宣言する。既に叙任式など済ませている青年を送る出陣式、健闘を祈る式の終わりを迎えたらしく、それぞれは今まさに解散を宣告しようとしている瞬間だった。

「——————竜の首をここに運んだッ!!各々の方、確認されたし!!繰り返す———」

 何を言っている、あり得る筈がない、遂に頭が狂ったのか。騎士団に所属こそするも騎士として隊を束ねる資格を有しない準騎士達が、こちらを異常者として認識していくのを肌で感じる。当然だった。先代騎士団長の葬列の中、ただの準騎士である少女、叙任式さえ受けていない、誰に知られている筈もない、ただの少女が高らかに宣言したのだ——————あの白銀の竜の首を持ち帰る—————と。竜の首を持ち帰る程の偉業を成し遂げれば、確かにただの騎士としてなら拍が付く。しかも—————聖印の騎士たる団長と共にあった古強者たる騎士が息絶え、二席空いた以上、竜の討伐は何よりの後押しになる。次の団長が決まっている今、この機会を逃せば、いつ聖印の騎士の席が与えられるかわからない。それこそ、席に付いている騎士達を殺しでもしない限り、彼女にその席が与えられる事はない。

「今ここにあるッ!!確認されよ———————」

 荷馬車へと登り、先ほどの一連から何も言えない準騎士の少女の肩に手を置く。

「これ以上長引かせられない。今しかない——————」

「——————わかりました」

 運び入れるだけでも全体力を使い切った竜の首—————外気に触れない為の布を巻かれた肉塊を下ろし、広い城の前庭まで引きずる。未だ多くの騎士団員——————聖印の騎士たる団長も揃う中、ようやくその中のひとりである騎士の武勲や正義を計る外部監査のひとりが問い掛けて来る。

「竜の首を持ち帰ったと発した。それは誠に真実か」

 笑いも嘲りもしない。その老齢の騎士のひとりの眼は、決して揺るがなかった。きっと過去に有ったのだろう。過去にも竜の首を持ち帰ったと言われる偉業を成し遂げた騎士がいると聞かされていた。その時に立ち会ったかどうかは、どうでもいい。

 目の前にある布に巻かれた何か———————それを竜の首かどうかわかれば。

「あなたが、」

「君がすべきだ。俺は、一時的に叙されているに過ぎない」

「—————そうです」

 布を解くべく、腰の長剣とは違う短剣を取り出し、静かに切り裂いていく。その面持ちは嘘やハッタリの類でも、道化のそれでもないとここ事に至ってようやく察したらしく、背中を向けて去ろうとしていた団員。また、王家の血筋たる高貴な人も足を止めた。衣擦れと切り裂くが響く中、固く縛っておいた布の一枚がめくれる。

「—————目だ」

 こぶし大では届かない。閉じられたまぶたが外気に触れる。それに反応したのかどうかは定かではない。だが、まぶたが開かれた時、悲鳴にも似た怯えの声がそこかしこから上がる。もしや、竜の存在自体初めて見た団員でもいるのだろうか。


 

 

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