3 運命の日



 外見は恐ろしく美形だけれど、感情の欠如した人形のような不気味さのある男が接触してきたのは、元彼・太一と別れたその日だった。


「やっと別れてくれたね」


 自宅近くで待ち伏せされていたことに驚き、つづけて「別れて嬉しいよ」と告げられときは、困惑の極みだった。


 大学内において西湖始の狂人ぶりは有名で、それこそ略奪マリンちゃんに匹敵する噂や逸話に溢れている。


 なかでも『西湖サイコパス』の異名を得るきっかけとなった話は、たまたまその場面に出くわした親友のたちばな詩織しおりから、少なくとも三回は聞かされている。


 それは大学二年の夏。


 三年になってから所属するゼミナールを決めるため、犯罪者の思考分析が専門の教授のゼミを見学しにいった詩織は、そこで二年生にもかかわらず、すでにゼミ生として所属している西湖を見つけた。


 その日は「ちょっとつくってみたんだ」と教授が、学術論文をベースに過去数百年分の犯罪者の思考パターンと犯罪記録を元に算出される【潜在的・犯罪者診断】を披露していた。


 パソコンの画面上で、選択式の13問に答えるだけというお手軽なもので「まあ、お遊びだから」と教授をはじめ、ゼミ生が次々と診断してみた。


 潜在的犯罪者指数がパーセンテージで算出され、多くのゼミ生が15~30パーセントの範囲で推移するなか。西湖始の診断結果は驚異の84パーセント。80パーセント以上であれば表示されるという【犯罪者分類】が、ディスプレイ上に赤字で点滅していた。


【潜在的サイコパス】


 その結果を受けて西湖は、診断プログラムの問題点を教授に指摘し、修正されたプログラムにて再診断した結果、犯罪者指数91パーセントをたたき出した。


 ディスプレイには赤字で【サイコパス】と表示された。


 この話を聞いてから、わたしのなかで西湖始は『近づかない方がいい人リスト』の上位にランキングされていて、学部もちがうことから接触することはまずなかった。


 それなのに、恋人と別れた直後に待ち伏せされる理由が、ひとつも思いつかない。しかも別れたことを喜ばれるという不可解さ。


 このとき、全身黒づくめな死神コーデの西湖は、困惑するわたしを無表情に見つめて言った。


「あの日は運命だった。滝川真歩さん、愛しています。僕をキミの恋人にして欲しい」


 死の宣告かと思った。


 太一と別れてから一時間も経っていないのに、どうして別れたことを知っているのか。そんなのはどうでも良かった。


「無理、付き合えない」


 死神からの告白を断ることが何より先決だった。


 しかし、犯罪者指数91パーセントをたたき出した狂人ともなれば、眉ひとつ動かさない。逆に、こちらの恐怖を煽り立てるような真顔で言った。


「滝川さんは断れないよ。あの日、僕とキミは運命の出会いをしたのに、キミという人は倉本なんていうつまらない男と付き合って、二年も僕を待たせていたんだから」


 いま思えば、このときから西湖始のペースにのみ込まれていた。


「9時25分——これの意味するところが、滝川さんにわかるかな」


 挑戦的な目をした西湖の安い挑発にのってしまったことを、いまでも後悔している。ただあのときは、法曹界を志すならば、危険人物からもたらされる恐怖に抗うべきだと思ってしまった。


「20××年4月9日、午前9時25分、大学正門前、重要参考人・西湖 始。いっておくけどこの日は、運命でもなんでもない。入学式の翌々日というだけよ」


「最高だね。覚えていてくれて嬉しい。でもあれは、職務質問された時点で、被疑者扱いだったけどね」


 ひとりは運命でもなんでもないといい、もうひとりは運命の出会いだという——


 20××年4月9日。


 二年前。


 朝のお天気情報で、菜の花とソメイヨシノの美しい映像が流れたこの日は、K大の入学式の翌々日だった。


 午前10時からの新入生向け学部別オリエンテーションに参加するため、正門前の横断歩道で信号待ちをしていたのは、少し早めの午前9時25分のこと。


 新入生が集まりはじめる少し前の時間帯。おなじく信号待ちをしているひとりの男子学生を、3人のスーツが囲む光景は、大いに目立っていた。


「……生年月日は? 一昨日の午前中だけど、9時半ごろ、どこで、何をして……」


 スーツが問いかける内容にピンッときた。入学早々、大学の前で職質されるって何者——と、職務質問を受ける学生の顔を横目でちらりとして、すぐにわかった。


 この青白い顔した美形には見覚えがある。刑事に職質をされてもまったく動揺をみせていない、というよりも終始無表情な雰囲気は、先日と変わらない。


 質問に応える様子もなく、「……ひとまず署へ」と連行されそうになっている男を見て、たまらず声をかけた。


「お仕事中にすみませんが、そのひとは違いますよ」


 脈絡もなく話しに割り込んできた女子学生に、迷惑そうな顔した捜査員たちだったが、とりあえずという感じで関係性について言及してきた。


「彼の友人かな?」


「ちがいます。でも、彼を署まで同行させる理由が、一昨日の朝に発生したS駅付近の強盗致傷事件であるならば、彼は関与していませんよ」


 捜査員たちの目つきが、あきらかに変わった。


 今日のお天気映像が流れる前。情報番組では、二日前に発生した強盗致傷事件についての詳細が報じられた。


 事件の発生は、4月7日、午前9時30分。


 現場は隣町にある質屋で、開店準備中の店主が何者かに襲われ金品が強奪された。犯人は現在も逃走中。





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