最終楽章 フィナーレによろしく
朝、目が覚めた。薄い光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を静かに照らしている。俺はベッドに横たわったまま、昨日のことを思い返していた。心に引っかかっているのは、催馬楽の言葉だった。
「音楽は、まだ終わってないよ。か……」
あの瞬間、俺の胸の中にずっと閉じ込めていた何かが少しずつ溶けていくのを感じた。失望と自己嫌悪、音楽に対する諦め。それらがすべて催馬楽の言葉に揺さぶられ、そして新たな決意が生まれた。俺は再び、音楽と向き合う覚悟を固めていた。
「よし……」
小さく呟きながらベッドを降り、棚に置いたトランペットケースを手に取る。
久しぶりに感じるこの重みが、妙に心地よく感じた。今日からまた、音楽を始めるんだ。俺はその決心を胸に、学校へ向かった。
教室に入ると、日常の風景が広がっていた。クラスメイトたちが笑い声を交わし、授業の準備をしている。俺もその中に自然と溶け込み、自分の席に座った。しかし、頭の中はもう音楽室のことでいっぱいだった。
昼休みになり、俺はすぐに催馬楽と竜ケ崎の二人の元へ向かった。
「催馬楽、龍蛙、音楽室に行かないか?」俺は彼らにそう声をかけた。
二人とも驚いたように俺を見つめるが、すぐに催馬楽が笑顔で頷いた。
「礼! ついにトランペットをやる気になったのか!」
「まぁな、でも、まだ完全に戻れるかはわからない。でも、やってみたいんだ」
俺は素直な気持ちを言葉にしていた。音楽から逃げ出した俺が、再びその世界に足を踏み入れるのは、怖くないと言えば嘘になる。けれど、催馬楽や龍蛙と一緒なら、きっと何かが変わる気がしていた。
音楽室に足を踏み入れた瞬間、懐かしい香りがふっと鼻をくすぐった。
前にもこの音楽室には来たはずなのに、なぜだろう——。
そう考えたとき、ふと中学時代の記憶が浮かび上がる。この空間に漂う古びた楽譜や楽器の香り、練習に夢中だった日々。いつも音楽と共にあった、あの頃の空気を思い出させる。
「まだ……俺の中に、残ってたのか」
静かに胸が疼くのを感じながら、封じ込めてきた思いが少しずつ蘇るのを、噛み締めていた。
俺はトランペットケースをゆっくりと開け、中から楽器を取り出す。
「本当に吹けるかどうかはわからないけど……」
俺は不安そうに呟きながら、トランペットを構えた。指先が冷たく震えているのを感じる。けれど、少しずつ息を吹き込み、唇を震わせると、かすかな音が鳴り響いた。まだぎこちない音だったが、あの時の音があった。
「……動く、指が少しだけ動き出してる」
自分でも信じられないほど、手が自然とトランペットに馴染んでいく感覚があった。まるで長い間忘れていた感覚が、少しずつ戻ってくるかのように。俺は吹き続けた。音が不完全でも、そこには確かに音楽が生まれていた。
音楽室に響いた音は、まだ不安定で、決して美しいものではなかった。けれど、それでも確かに俺の息が楽器を通じて音を生み出していた。
指が少しずつ動き出す感覚は、まるで長い間眠っていたものがゆっくりと目覚め始めたかのようだった。
「おいおい、すごいじゃん、礼!」龍蛙が驚いたように声をあげた。
俺は息を吐き出し、楽器を下ろした。まだ、まともに演奏できるとは言えない。音は短く途切れ、ぎこちなかったが、それでも――確かに、指が動いたのだ。
「ありがとう、催馬楽、龍蛙。二人がいなかったら、俺はきっとこうしてもう一度楽器を手に取ることはなかったと思う」
そう言うと、催馬楽は微笑んで俺に向き直った。
「礼くん、これから一緒にやっていこうよ。まだ完全に戻らなくても、少しずつでもいい。大事なのは、その気持ちなんだから」
龍蛙も力強く頷いた。
「そうだ。お前は一人じゃない。俺や催馬楽がいる。俺達なら絶対に前に進めるぜ!」
俺は再びトランペットを手に取り、深呼吸した。
もう才能を言い訳に逃げるつもりはない。
この場所で、俺はもう一度音楽と向き合うことを決めたんだ。完全に吹けるようになるには、まだ時間がかかるだろう。でも、それでも――
「これからも、よろしく」
セドナクレッシェンド ししゃも @135Ky
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