6 誕生会へ

 誕生会の当日。

 午後三時には家の前に見るからに高級そうな馬車が迎えに来た。

 夏至祭のとき、アバクスまでイーヴォに乗せてもらったような荷物を運搬する用途の幌馬車ではない。貴族が社交界へ行くときに乗るような、黒塗りに金色の装飾が施された馬車だ。御者ですらシルクハットを被ってめかしている。

 ラング家の大叔母様の誕生会はここから馬車で片道三時間程度のところにある、彼女の別荘で行われるらしい。

 また尻の痛みと戦う過酷な馬車の旅をジンは想像したが、現実は全然違った。

 幌馬車の荷台と違い馬車の揺れはかなり軽減されていた。何より一番の違いは席で、座面が適度に沈み込み尻が全く痛まない。まあ木板と比べるのはお門違いだが。これならば何時間でも乗っていられそうだった。

 身支度を整えてジンたちは馬車に乗り込んだ。

 ジンとシュテフィ、そしてアンネが。


「わぁああああ~! すてきー!」


 家の前に馬車が着いたときからアンネは興奮しきりだった。今もジンの隣で赤いビロードの座面から身を乗り出し、小さな窓に額をくっつけて大騒ぎしている。

 ちなみに今夜のアンネの姿は完全な人間だった。ジンが同伴していても自然に見えるよう、年齢も子供ではなくシュテフィと同じくらいの二十歳前後の容姿に化けてもらっている。

 たっぷりのフリルがあしらわれ、スカート部分がふわりと膨らんだパステルイエローの膝丈のドレスは、可憐なモッコウバラを思わせる。癖のある金髪は子供の姿のときよりも長く、シュテフィによってドレスと同じ色の大きなリボンで後頭部の高い位置にまとめられていた。

 イーヴォに頼んで中古の黒い燕尾服を用意してもらい、自力でなんとかそれっぽく髪をセットしたジンと違って、賢者狐ヴァイザーフックスのアンネは具体的なイメージさえあれば衣装まで含めて化けることができる。まったく魔法とはつくづく便利で羨ましい能力だ。


「アンネ。お前、あっち着いたらもう少し静かにしてろよ」

「なによ、ふん! そっちこそちゃんとあたしをレディとしてあつかって? ジンがにんげんの女の子一人さそえないかいしょうなしだから、とくべつにいっしょにきてあげてるのよ」

「なぁ、本気で傷つくダメージ叩きこむの禁止にしない……?」

「まあ、少しはしゃぐくらいまったく問題ないよ。どのみちギーナおばさまの誕生会は盛大だ。人が集まりすぎるから、少々騒いでも特定の個人が目立つこともない」


 そういうシュテフィは焦げ茶色の髪をアップスタイルでまとめ、肩と背中のざっくり空いた純白のタイトなロングドレスをまとっている。

 数日前にウィルがわざわざ家に送ってきたものだった。サイズのぴったり合う靴と、十メートル先からでも輝きが分かるアクセサリーと、いかにも高級そうなパーティーバッグと一揃いにして。

 しゃんと背筋を伸ばして座席に座っているシュテフィは真っ白なスイセンを思わせた。

 ちょっとウェディングドレスみたいだ。


「それにしても馬車の移動とは面倒だね。同じお金をかけるならグロース一機飛ばしてくれれば十数分で着くというのに」

「そのドレスでドラッヘの背には乗せられないだろ」


 道ですれ違えば誰もが振り返るような美貌とオーラを放ちながら、言うことはいつものシュテフィと同じなので思わず苦笑してしまう。

 それにしても改めていろいろな意味でウィルとの力量の差を見せつけられている。

 一流の馬車に衣装を用意する財力。堂々と意中の女性を誘う胆力。

 そのどれもジンが持ち合わせていないものだ。

 馬車が別荘の門の前に停まったとき、辺りはまだ明るかった。夏の昼は長い。

 扉を開けてくれる御者に礼を言い、ジンたちが馬車を降りた瞬間、屋敷の方向から石畳を小走りでやって来る人影があった。


「ファニ。時間通り着いたみたいだな」

「ヘルミ」


 表れたウィルは白い礼服に身を包んでいた。肩章や、胸元に勲章が付いているところを見るに軍の正装なのだろう。先日は無造作だった赤髪を今夜はきっちりとオールバックに固めている。

 今夜のウィルからは先日のような敵意は感じなかった。まあ招待されている立場なので当たり前と言えば当たり前だが。道中を労い、アンネにも笑いかけ、ジンにすらようこそと言った。

 同じ男のジンから見ても正直スマートで格好良かった。ていうか軍の礼服とかもはやチートだろ。

 挨拶もそこそこにウィルは言う。


「ちょうどよかった。今そこにギーナおばさまを引き留めてるんだ。今のうちに挨拶を済ませておいた方がいい」


 シュテフィが驚いたように目を丸くする。


「本当かい? よく捕まえられたね。おばさまは忙しい方だから、今を逃すと今夜はもう出会えないかもしれない」

「そんなに?」


 ジンは驚愕した。まるで幻の生物のような言い草だ。誕生会なのに主役に会えないなんてことがあるのか。

 実に自然な流れでウィルがシュテフィに左手を差し出した。


「ファニ」

「うん」


 シュテフィがその手をとり、


「ジン、行こう」

「お、俺も?」

「当たり前だろう。贈り物は君の発案だ。君が行かなくてどうする」


 すでに雰囲気に圧倒されて逃げ腰のジンの腕を掴み、半ば引きずるような形で屋敷の方へと歩いていく。

 馬車を降りてからというもの物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回し、ついにどこかへ走っていこうとしたアンネの手をジンは掴む。


「アンネ! 頼むから一緒に来てくれよ! ずっと俺の側から離れないでくれ!」

「もうっ! しょうがないわねー」


 ウィル、シュテフィ、ジン、アンネの順で一直線に連なり珍妙な一行となって屋敷の前の階段を上った。

 白い石造りの屋敷は、ジンにはまるで博物館か美術館のように見えた。それほどに大きく外観には凝った意匠が施されている。バルヒェット邸よりは小さいが遜色ない豪華さだ。

 開け放たれている扉を潜り抜けると、さらに驚愕した。

 宮殿か? ここは。

 広々とした明るい大広間で大勢の人々が歓談していた。

広間の中央には歩くのを躊躇してしまうような真紅の布張りの大階段があり、天井からは巨大なシャンデリアが吊り下がっている。

 目に映るもの全てが煌びやかで完全にジンのキャパシティを超えている。


「おばさま」


 階段の脇で談笑している一行にウィルが声をかけると、背が高く恰幅の良い婦人が振り返った。

 紹介されなくても一瞬で分かった。

 間違いなく彼女がギーナおばさまだ。

 ギーナはド派手なマゼンタのドレスに身を包んでいた。極彩色の花飾りがこれでもかというほどに乗った同じ色の帽子を被っている。およそ着けられる身体の部位全てにアクセサリーを着けている。ふくよかな体形のおかげもあるのだろうか、肌にツヤがあり信じられないほど若く見えた。

 ギーナは持っていたグラスの中身がこぼれることすら厭わず、嬌声を上げてシュテフィに抱き着いた。


「シュテフィィィ! よく来てくれたわねェ! ずっと貴女に会いたかったのよォォ!」

「ご無沙汰しております、ギーナおばさま。八十歳のお誕生日おめでとうございます」


 ギーナの腕の中で抱き締められるままにシュテフィが微笑む。背中側からさりげなく使用人がグラスを回収している。


「貴女ったら、知らない間に軍を辞めちゃうし! 心配してたのよ。ウィルから聞いたのだけれど、今は森で魔法薬の調合師をしてるんですって? え? ちゃんと食べてるの?」

「ええ。それでおばさま、本日は贈り物を持って来たんです」


 シュテフィはバッグからリボンのかけられた薄い箱を取り出した。ぱっとギーナの顔が輝く。


「喜んでいただけるといいのですが」

「ウフフ、アタシ贈り物って大好きなの。この歳になってもね。いくつ貰ってもいいわ」


 上機嫌で鼻歌を歌いながらギーナがリボンを解く。その目がぱちりと見開かれた。

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