7 小さなレディ
「あらァ、これはお花を模したネックレスかしら。可愛いわねェ」
ギーナへの贈り物は、
「おばさま、そちらは私が魔法で結晶化した本物の花です。全て生花なんですよ」
「まァ! それは珍しいわね」
「こちらを製作したうちの庭師を紹介します。彼の方から詳しい説明を」
シュテフィに小さく手招きされ、緊張を押し殺してジンは進み出る。
その場にいる全員の視線が集中し、口の中が渇いた。
「あ……紹介に預かりました、ジン・スミタニといいます。シュテ、彼女の元で庭師として働いています」
「あら、貴方が作ってくださったのねェ。異国のご出身かしら?」
「はい。極東の名もない島国の出身です。私の国には特有の文化がありまして。花に、固有のイメージの言葉をつけるんです」
「すると、この花にも?」
「はい。僭越ながら私が相応しい花言葉を考えさせていただきました」
ジンはギーナが手にしているネックレスに視線を落とした。
「この花、
「まさにギーナおばさまにぴったりの花ですね」
「あらッ、まァァ! 本っっ当に素敵ねェ!」
ギーナは感嘆の声を上げた。早速お付きの使用人を呼び寄せネックレスを付け替えさせる。
彼女は全ての指に大ぶりの宝石が光る手でシュテフィの両手を包み込んだ。
「ねェ、シュテフィ? それでいつになったらウィルのところにお嫁に来てくれるの?」
「おばさま。お戯れはその辺で」
ウィルにやんわりとたしなめられ、ジンたちに名残惜しそうに手を振りながらギーナは歩き去っていった。かと思うと、数歩進んだ先で彼女を探していた別の招待客に捕まり再び話に花を咲かせている。
なんともパワフルな人だ。
隣に立っていたシュテフィがちょんと肘でジンの脇腹をつついた。
「大成功だったね」
「ああ」
ジンは素直に頷いた。自然と口元が緩んでいく。
ウィルに誕生会に誘われたときからほんのついさっきまで、本当に自分がこの場にいていいのか、ずっと場違い感に苛まれていた。でも今は心から来てよかったと思えた。
ギーナが多くの人々に慕われる理由が分かる。感情を素直に表現することはときに周囲の人間の心すら動かす。
自分もあの十分の一でもそうなれたら。
ふとシュテフィを見ると、彼女は何かに取り憑かれたように広間の一点を見つめていた。
一体何を見ているのだろう。
視線の先をたどると、広間の一角に軍の礼服に身を包んだ男が立っていた。
年齢は四十代くらいだろうか。周囲を男の部下と思しき、やはり軍服の男たちが取り囲んでいる。焦げ茶色の髪をウィルと同じようにオールバックに固めているが、胸元の勲章はウィルよりもずっと多い。かなり階級が高そうだ。パーティー会場だというのに厳しい顔つきで忙しなく部下と会話している。おそらく仕事の話を。鋭い青色の双眸が一瞬こちらを見たような気がした。
直感的に分かった。
あれはシュテフィの父親だ。
リュッゲベルク家の名を一身に背負い、今もなお軍に身を投じているハルトの弟。
ふらりとシュテフィの足が吸い寄せられるようにそちらへ歩いていく。
思わずジンは後を追いかけようとした。
ふいに横から肩の辺りを押さえられ、無言の制止を受ける。
ウィルだった。
「お父様」
「シュテファニ」
声をかけられた男は、何か考え込むように眉間に置いていた指の陰から彼女を見た。彼の部下が気を利かせたようにさっとその場を離れる。
その一瞬、男たちがシュテフィに畏怖のこもった視線を向けるのをジンは見た。
「軍に戻ったのか」
男の問いにシュテフィが俯く。しかし、すぐに顔を上げた。
「――いえ。お父様、私」
「娘は軍人だ。お前は誰だ」
瞬間、シュテフィの表情が凍りついた。
部下の一人が素早く男の元に走り寄る。
「中佐。差し出がましいようですが、お時間が」
「ああ行こう」
呆然と立ち尽くす娘には目もくれず、男がその脇を素通りする。
たまらずジンはシュテフィの元に駆け寄ろうとした。
その身体を今度は強い力で制される。
「俺が行く」
ウィルは釘を刺すようにジンの目を見据えた。
彼は雑踏を割って歩いていき、立ち尽くしているシュテフィの肩に両手をかけると、彼女を促してどこかへ消えた。
後にはジンだけが残された。
自分には何も言う権利はない。
彼にはその権利がある。
「ふーん……なんとなくだけど、あんたたちのことわかったわ」
いつの間にかアンネがジンの後ろに立っていた。
どこから持ってきたのか、たっぷりのクリームと大粒のチェリーが乗った真っ黒なカップケーキを手にしている。手づかみで思い切り頬張っているので、手も顔もべたべただ。大人に化けても中身は子狐のままらしい。
「へぇ、そりゃどうも。って、お前それどっからとってきたんだよ。チョコレート入ってるだろ? イヌ科はチョコ食ったらダメだぞ」
「あたしは
アンネが吠える。絶妙に話が嚙み合わない。
と、アンネはカップケーキの残りを口に放り込むと、べたべたの手にかまわずにジンの手をとった。
「ほら。しょんぼりしてないで、いくわよ」
「行くってどこに」
「たべほうだいのテーブルにきまってるでしょ! あたしがいままでみたこともないようなおいしいもの、たくさんたべさせてくれるって約束したの、わすれちゃったの?」
ぷくりと林檎のような頬を膨らませる。
そういえば、そんな釣り文句でアンネを誘って一緒に来てもらったのだった。
ジンは大いに反省した。つくづく自分の不甲斐なさが身に染みる。
シュテフィとウィルのことばかり気になって、すっかりアンネの相手を疎かにしてしまっていた。
ジンの今夜のパートナーはアンネだ。
目の前の少女一人笑顔にできない男に一体何ができるというのだろう。
クリームのついた唇を少し尖らせてアンネは言う。
「レディはシュテフィだけじゃないのよ」
「そうだよな……本当に悪かったよ。ごめんな」
指でアンネの口元を拭い手を握りなおすと、彼女は嬉しそうに顔に寄せて頬ずりした。いつもの癖で喉元を撫でてやると気持ちよさそうにしているが、狐体ならばともかく人間体にこれをやるのはリスキーだった。周囲の視線が痛い。
「さ、行くか!」
「そう、そのいきよ! たべればげんきがでる」
ひょっとして気を遣われているのは自分の方ではないかとジンは思う。
「汚名返上の機会を与えていただき感謝いたします。エスコートしますよ、お姫様」
「だんだんわかってきたじゃない。それでいいのよ」
夜は次第に更けていく。
絢爛豪華なシャンデリアはその煌めきを控えめにし、真昼のように明るかった大広間は古い写真のように四隅に暗がりが出来ていた。始まったときとは違い、ムーディーな雰囲気だ。
シュテフィは特定の個人が目立つようなことはないと言っていたが、それは例えるなら台風の目にいる人間の意見なのだとジンは気がついた。
大広間の中心で踊る数多のカップルたちのうち、ウィルとシュテフィは一際人目を引いた。二人分の白い衣装は暖色の明かりに照らされて、ウィルのリードでシュテフィが回るたび乳白色の残像となって二人の輪郭をぼやけさせる。
幸いにも酒は無限にウェイターが運んできた。ここぞとばかりにジンは飲みまくった。
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