クルーエルの過去

 ──お前が殺したのか?


「──っ、」


 深夜。

 クルーエルは、寄宿舎のベッドから飛び起きた。


「はっ、は……う……」

 

 背中が汗で濡れている。

 もう幾度となく見た夢だけど、いまだに慣れない。


「…………最悪……」


 寮の部屋が個室でよかったとつくづく思う。

 シーツを握って、クルーエルは折り曲げた膝に顔を埋めた。


 †


 クルーエルが初めて魔法を行使したのは、四歳の誕生日だ。

 誰に教わったわけでもない。

 屋敷で飼っていた犬が病気で死んだ翌日、クルーエルは、氷でできた犬を作り出して遊んでいた。

 父は王国人には珍しく、魔法に価値を見出さない人だった。

 けれどその分、母が喜んでくれた。

 天賦の才だ。いずれは白や真紅に至る、偉大な魔法使いに育つかもしれない、と。

 ただ、それは最初の一年くらいで。

 クルーエルが三つ目の属性に目覚めた頃には、母の目はどこか狂気を帯びていた。


「クルーエル。あなたは特別な子よ。あなたなら、あまねく魔法使いたちの頂点──七賢人にさえ、手が届くかもしれない」


 クルーエルの日常は、「魔法」の二文字に埋め尽くされていった。

 寸暇を惜しむように、知識と技術を詰め込む日々。

 少しでも手を抜こうものなら、竹の鞭で腕を打たれた。

 それでも、耐えることはできた。

 母の期待を裏切りたくない。その一心で、クルーエルは修練の日々に耐え続けた。

 大人たちは皆、クルーエルを天才だ神童だと褒め称えた。

 長い袖に隠れた傷跡も知らずに。

 でも、そんな日々は長く続かなかった。


 九歳のときだ。

 ハイドラン領の短い夏のある日、クルーエルは酷い高熱に冒された。

 原因は不明。

 未知の奇病と診断され、ただ苦しみに耐えるだけの時間が幾日も過ぎて──

 ようやく回復したときには、クルーエルの身体からオドが消えていた。

 魔法使いの命そのものである、オドが。

 母はクルーエルに、あらゆる治療法を試した。伯爵家の名前と金に物を言わせて、大魔女や名医を幾人も連れてきた。

 それでも、クルーエルから失われたオドは回復しなかった。

 魔法を使うたび、まるで魂の器がひび割れてしまったかのように、すぐに底をついてしまう。

 それだけではなかった。

 飢えた器は、別の魂を求め始めたのだ。

 触れた人間から無差別にオドを奪い取る、悪魔のような体質。

 それまでクルーエルを天才だ神童だと崇めていた大人たちは、手のひらを返したように遠ざかっていた。

 父も、やがては母でさえ、クルーエルをいないものとして扱うようになった。

 そして。

 母が病で亡くなった日、父はクルーエルに尋ねた。


「お前が殺したのか?」


 そのときの父の目は、今も網膜に焼き付いている。

 猜疑と恐怖に満ちた、化け物を見る目。

 そんなわけがないのに。

 もうずっと、母には指一本触れさせてもらえていなかったのに。

  

 ある日、唐突に父から「王都で魔法を披露してこい」と命じられた。

 父の一存により、すでにクルーエルは使用人一家の養子ということになっていた。

 若獅子戦への参加資格はない。

 父がそれを知っていたかはわからない。ただ、クルーエル自身は知らなかった。

 クルーエルはメイドと護衛を一人ずつ伴い、王都へ向かった。

 あの日、夜中に中庭へ抜け出したのは、実のところ逃げ出すためだった。

 あの小屋に閉じ込められて一生を終えるなら、ここで逃げてやろうと思った。

 なのに。


『そこまで言うなら、勝負しなさいよ』


 そんな挑発に乗ってしまったのは、どうしてだろう。

 ふわふわの赤い髪をした、北国を照らす夏の太陽みたいな女の子。

 フランドール・ミステリア・レインフォレスト。

 ちっちゃいくせに背筋がピンと伸びていて、言葉のひとつひとつが堂々としていて、夜なのに輝いてみえた。

 それで、つい応じてしまった。売り言葉に買い言葉で。

 おかげで、逃げられなくなった。

 どうせ逃げても、野垂れ死ぬだけだっただろうけど。

 舞台に立ったときは、半ば自棄になっていた。

 どうせなら、思い切り全力でやってやる。

 それで、死んでやる。

 オドは生命力の源だ。枯渇したままでは、人は生きられない。

 空っぽになるまで魔法を使って、後は人目につかない場所で蹲っていればいい。

 それで、このくだらない人生もお終いだ。


 ──そのはず、だったのに。


『クルーエル?』


 どうしてか、またあの女が私を見つけた。

 挙句勝手に触れてきて、結果として、クルーエルは死に損ねてしまった。

 それだけじゃない。

 勝手に強引に一方的に、約束まで結ばされてしまった。

 未来のことなんて、考えたこともなかったのに。

 あいつのせいだ。

 あいつのせいで今、クルーエルは生きている。

 父と交渉し、二度とハイドラインの館に立ち入らないことを対価に、ルクレツィアに入学している。

 まともに魔法も使えないのに。

 約束は果たせないのに。

 ここにいる意味なんてないのに。

 病を得てから、クルーエルに向けられる視線は二種類しかなった。

 恐怖か、侮蔑かだ。

 でも、フランドールだけは違っていたから。

 勝手に結ばれた約束でも、反故にはできなかった。


「……でも、さすがにこれで終わりかな……」


 今日でいい加減、見放されただろう。

 自らの唇に触れる。

 あんな真似、するつもりはなかった。

 オドの大量吸収は命に関わる。

 どういうわけか、フランドールは平気な顔をしていたけれど。

 以前、誤って触れてしまった館の使用人たちは、みな逃げるようにクルーエルの前から姿を消した。

 命を吸われる恐怖に耐えかねたのだろう。

 それが当たり前だと思う。

 まだ子供だった五年前と今は違う。きちんとリスクを考えられる年だ。

 だから、因縁はこれでお終い。

 遠からず自分は退学になって、残りの生涯をあの森の奥の小屋で終えるのだろう。

 ひとりぼっちで。

 それでもよかった。

 出来損ないの末路には、それくらいが相応しい。

 そう思っていた。


 なのに。

 翌朝、教室に入ったクルーエルの元に、またしてもフランドールが現れた。


「ごきげんよう、クルーエル」


「………………。なんのつもり」


「ご、き、げ、ん、よ、う。挨拶には挨拶を返しなさいよ」


 いつものように憎まれ口を叩いて、隣の席に腰を下ろす。

 意味がわからない。

 あんなことがあったのに、どうして平然と近づいてくるのか。危機感がないのか。優等生のくせに馬鹿なのか。


「なんで……」


「は? 挨拶は社会のマナーでしょうが」


「そうじゃない。どうしてまだ、私に関わろうとするの。あなた、やっぱり馬鹿なの?」


「なに、朝から喧嘩売ってんの?」


「言ったでしょう。私は触れた相手のオドを吸う体質なの。触られただけで死ぬかもしれないのよ。怖くないの?」


「怖い?」


 せせら笑うように、机の下で手を握られた。

 フランドールが囁く。


「馬鹿みたい。あんたを怖いと思ったことなんて、人生で一度もないわよ」


「っ、な」


 絡んだ指先から熱が伝わる。体温の高い手だった。

 意味がわからない。

 父も母も、使用人たちも、みなクルーエルが近づくことさえ嫌がったのに。

 人並み外れた魔力も、触れるだけで命を奪いかねない体質も、恐怖の対象でしかなかったのに。

 なのにどうして、この子だけは、怯えずに触れてくるのだ。

 五年前も。今だって。

 その挙げ句に──


「辞めさせないから」


「え?」


「学院も、決闘の約束も。勝手に辞めるなんて、許さないから」


「だから、私は」


「わたしがオドをあげればいいでしょ」


 時間が止まった気がした。


「……え」


「昨日の夜、魔法医学の先生に見てもらったんだけどね。わたし、並の魔法使いの三倍くらいオドがあるみたいなの。回復力も並外れてるって」


「何を言って……」


「だから。オドならわたしが分けてあげるから、好きに魔法使いなさいよ。そうすれば退学にもならないし、昇段試験も受けられるでしょ。で、わたしと決闘しなさい」


 ぎゅ、と誰にも見えない場所で握られた手に力がこもる。


「勝ち逃げなんて許さないから。それまでは絶対、離してあげない」


「………………本気で言ってるの……?」


「わたしはいつでも本気よ。あ、でも……」


 かあっと、フランドールの頬が赤く染まった。


「こ、この前みたいなのは駄目なんだからね。手とかからにしてよ」


「ばか」


「あ?」


「あなた、なんなの。本当に、なんなのよ……」


 フランドールがぎょっとした。慌てて周囲をちらちら見ている。

 声を潜めて言う。

 

「ちょっと、なんで泣くのよ。やめてよ、わたしが泣かせたみたいじゃない」


「実際、そのとおりよ」


「なんでよ。言っとくけど、これは取引だからね。オドをあげる分、ちゃんとわたしの言うこと聞きなさいよ。勝負するんだからね」


「……わかった」


 濡れた目元を指先で拭って、クルーエルは言う。


「それでいい。それがいいわ、フランドール」









※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

【謝辞】

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

頂いた星やブクマ、ハートに応援コメント等、どれも励みになっています。


ようやくスタート地点、みたいな。






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