オーブンの香り、誘い

 メランコリックなテリンドルを授かった。

 寝ぼけた気分と八年間の記憶を生贄にして。


 憂鬱さは深度計を狂わすサイケデリックな甲殻類で、

 その幼体は彼の秘密を深く気に入って規制する。

 そしてこのタブーがテリンドルを十年間成長させた。


 彼が記憶を沈めた代償に八歳の兄は十八歳の兄となる。

 彼は昇る太陽の碇として深海へと眠気を投げ捨てる。

 その習慣が百薬の長を心酔させ登校を気楽にさせる。

 無実の羽ばたきが朝に聞こえ、笑い声を飲み込む。


 十年の間、この家族はエンドレスの幸福を飲み干した。

 パパは水族館の管理者、ママはスーパーマーケットのスタッフだ。


 酒気を帯びた玄関は甘い香りに移り、彼らは夕方には家に帰ってくる。

 テリンドルの夢はパパと同じ学者を目指すことだ。

 だがテリンドルにも苦悩はある。

 それは変な夢を、器官なき頭が


「テリンドル。傍にいて」


 と呟く、夢をみる。

 それは彼自身さえ明言できない記憶の濁流で、

 時にその景色は笑いもする。


 ある日、テリンドルが家に帰ると、

 ママはキッチンで夕食の準備をしていた。


「愛しいテリンドルよ。

 オープンのスイッチを回してくれない?

 手が離せないの」


 陽気なテリンドルは応える。

「もちろん。美味しそうなパイだ」


 確かだ。

 窯にはベリーを呑んだパイがある。

 けれども、それは規制されたバルーンマンだ。

 テリンドルは笑ったが、そのヒステリックの始末は、

 氷結した深海のリアリズムに贈られた。


 十六回目の誰が為のバースデーに、

 ヒステリックな零度の先に、

 テリンドルの笑いは浸水し続けた。

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飴弾を撃ち尽くした夜、海の音だけが残った深海物語 聖心さくら @5503

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