3. 小石の魔法(2)
「私ね、いいこと思いついたの!」
ルナンへの帰り道、腕を組みながらルナはレオナードに言った。大分日が落ちてきていて、足元に注意しないと転びそうな暗さだった。石畳が伸びている。しかし、少し土が被っていて見えずらく、つまずきやすそうだった。
「いいことって?」
「ふふふふふ、、、。」
「え?何、怖い。」
突然笑い出したルナに、レオナードは身震いする。なんだか、ちょっと嫌な感じがする。ニパがレオナードに無茶ぶりをするときみたいな、そんな顔だった。
「レオナードさんはなんか子供みたいでしょ?」
突然悪口を言われるレオナード。
「子供…。子供のルナに言われたくないなぁ。」
「だからね、」
レオナードの動揺を完璧に無視するルナ。スルースキルが高すぎる。
「私が『幸せ』を見つける方法を教えてあげるね!」
「え。」
「そうしたら、レオナードさんは笑ってくれるかなって。」
「…。」
ルナはそう言うと、レオナードの何歩か先に進んだ。足が止まる。少女は振り向いて言った。
「明日も会おうよ!」
「…うん。別にいいよ。」
ルナの表情は明るくなる。
「絶対、絶対だよ!」
「勿論。僕は約束破らないよ。」
レオナードはそう返した。ルナは走り出した。向かう先には大きな教会がある。
「ねえ、レオナードさん!私、ここの子だから!明日迎えに来てね!絶対だからね!約束だよ!」
ルナはそう言い残すと、振り向かずに走ってそのまま教会の大きな扉を、その小さな扉で開けた。するりと扉の隙間に体を潜らせると、そのままガチャリと閉めた。閉まる直前の扉からは、小さな手が「またね」と語っていた。
(嵐みたいだった。)
レオナードは暫くそこで動けずにいた。少女とともにいた余韻が残る。しかし、すっかりあたりは暗くなってしまっていて、彼は宿に行かねばならないことを思い出した。レオナードは自分の泊まる宿へと足を運び始めた。やっぱり足元には気を付けないと転びそうで、ゆっくりとゆっくりと歩いた。何かにせかされることなく、ゆっくりと。
〇
ルナンのはずれ。第一地区の一角にその宿は構えていた。草木が生え、ツタが柱を伝いに壁全体へと広がっている。木でできているせいだろうか、傷んだ箇所が目立っていた。扉の建付けも悪く、キィと高く嫌な音を立てて開く。宿の名前は「黒猫の足先」。由来はルナンが丸くなった猫の形に似た街だからだろうか。第一地区は、ちょうどその猫のつま先に値する。
レオナードは宿の呼び鈴を鳴らした。
「はいはい~。すみませんねぇ、ちょっとばたついてしまっていて、お席で待っていてくださいますかねぇ。」
年のいった女性の声が、奥から聞こえてきた。レオナードは指示に従って、ロビーのソファに腰を下ろした。
—―少しして。
人の気配を感じて、レオナードは瞑っていた瞼を上げた。少し重かった。顔を上げると、白髪が目立つ高齢の女性が立っていた。
「先ほどはすみませんねぇ。ちょっとお食事の準備で忙しかったのよ。」
女性は申し訳なさそうに眉を下げる。皺が深く刻まれた目じりが、すっと細められていた。
「いえ、お構いなく。随分と遅くに来たのは僕ですから。」
レオナードは当たりざわりなく返した。
「それでも、お客様をお待たせしてしまいましたから。」
「いいんですよ。」
あまりに申し訳なさそうな顔をするので、レオナードもこれ以上は何も言わなかった。
「あの、一名様ですかね?」
女性はそうレオナードに聞いた。
「はい。…あっ、そうだ。これ使えますかね。」
収納魔法で異空間から「ファラール帝国魔法協会会員証」を出した。首から掛けられるようになっている、ドッグタグのような形状であった。レオナードは、女性が見やすいように手のひらにそれを乗せ、彼女の目前に差し出した。
「それは魔法協会の…。あらま、すみませんねぇ。魔法使い様だと知らずにこんな無礼を…。すぐご案内させていただきますね。」
女性はそう言い、パタパタとカウンターに急ぎ足で向かうと小さな鍵を一つとってきた。銀色の鍵だった。
「これがお部屋の鍵です。二階への階段を上った先にある廊下のつきあたりです。お食事はお食べになられます?」
「うん。いただきます。」
「はい、わかりました。他に何かお聞きになりたいことなどはございますかねぇ。」
「いや、特にないですね。」
レオナードはそう返した。そして女性に会釈をすると、部屋へと向かった。階段は幅が狭く、一人通るのでやっとだ。木製できれいな木目だが、すこし薄汚れていて、段を上がるとギシッと音を立てた。
部屋の扉の前に立つ。手渡された鍵を鍵穴に差し込んだ。くるりとまわす。かちゃりと存外軽い音で外された錠。部屋の扉も玄関と同じく、高い鳴き声を上げて開いた。
(簡素な部屋だ。でも落ち着きそうだ。)
レオナードが初めに抱いた感想はこれだった。部屋には木製の机といすが一つずつ。ベッドも木製で、緑のチェックの掛布団が彩りを与えていた。卓上には元々は大きかったのであろう蠟燭が、半分以上溶けて残されていた。
レオナードはローブを脱ぐと椅子に掛けた。それからベッドに仰向けで倒れこむ。
(なんだか疲れた。)
久しぶりに人と会話をしたからだろうか、今までにない疲労がレオナードを襲っていた。手をかざしてみる。それから、その腕で両目ともを覆い隠した。
(ここが一泊いくらか聞き忘れたけど、まあいいか。多分、魔法協会会員で安くなっているだろうし。それに、お金はあるから。)
レオナードが泊まる「黒猫の足先」は、ファラール帝国魔法協会の支援を受けている宿である。なんとも便利なことに、魔法協会の会員であることを証明すれば宿泊代金を割り引いて貰えるのだ。ここファラール帝国にはそんな支援施設がいくつも存在している。魔法の発展を目的とするため、研究費が多くかかる魔法使いの少しでも支援になればとのことだった。これにより、無名な魔法使いの革新的な魔法が多く生まれた。その中には、魔法界史を揺るがすものさえも生まれている。
外から動物の鳴き声がする。
レオナードは目を瞑り、そのまま少しの間意識を落とした。
〇
軽いノック音が扉を揺らした。レオナードは体を起こす。どれほど寝ていたのだろうか。もう一度戸が叩かれる。レオナードは気だるげな体を動かして、その扉を開けた。白髪の交じる髪の毛。宿の主である女性が、そこで料理を持っていた。
「どうも、こんばんは。お夕飯をお持ちしたんですよ。」
温かい湯気が立つシチューに、レオナードの喉がごくりとなった。
「ありがとうございます。」
先ほどまで寝ていたせいで、レオナードの声は少しかすれている。
「いえいえ。食べ終わったらお皿はドアの前にでも出しておいてくださいね。それでは失礼致します。」
女性はそう言うと、去って行ってしまった。
レオナードは受け取った料理を、机に置いて椅子に座った。椅子を引いたときに、足と床がこすれて嫌な音がする。シチューを一口食べた。
(美味しいな。)
手が止まらなくなる。パンをちぎって食べて、シチューを一気に喉に流し込む。野菜をかみしめて、柔らかな触感を楽しんだ。一瞬の時だった。気が付けば腹は満ち、目の前のお皿は空になっていた。レオナードは少し残念に思いながらも、食器をドアの前に出しておく。それからベッドに横になる。
(ねえ、ニパ様。僕は今日、面白い女の子に会いました。ルナっていうんです。教会の子で、それで、僕に『幸せ』を見つける方法を教えてくれるみたいです。もしそれで『幸せ』を早く見つけられるようになれば、ニパ様に『幸せ』を捧げるのもきっとすぐです。)
今日あった出来事を、レオナードは思い出していた。
(ねえ、ニパ様。今日もお返事を下さらないんですか?)
ニパはもうずっとレオナードのもとへ来てくれていない。50年以上経っている。レオナードは少しずつ分かっていた。でも、諦めきれずにいる。楽しかった日々を忘れることなどできない。ニパとの日々を超える日は無い。虚しさと寂しさだけが、レオナードの心を満たしていた。
(——…ねえ、ニパ様。)
レオナードは孤独の中で静かに意識が落ちてくるのを感じた。真っ暗な部屋の中だった。空には星が瞬いていて、熱風がほのかに流れていた。そんな夏の夜だった。
〇
翌朝、レオナードは小鳥の鳴き声で目覚めた。開けた窓から差し込む光が眩しい。
「おはよう、ニパ様。」
返事のかえってこない挨拶をする。そうしなければ、彼はニパという自分だけの神様を忘れてしまいそうで怖かったのだ。ここ50年以上の習慣だった。
髪を結ぶ。ローブを着る。さすればいつものレオナードの出来上がりだ。窓の外へ視線を向かわせると、小さく農作業をする人々の姿が見える。
(働き者だなぁ。この街の人は。)
彼は窓から離れ、部屋の扉を開けた。
階段を降りると、宿の主の女性が床を箒で掃いていた。シャッっといい音がする。女性は階段前で立ち止まっていたレオナードに気が付くと、手を止めてにっこりと笑った。
「いくらですか。」
レオナードはそう女性に聞いた。
「銅貨3枚よ。」
宿屋の代金にしては安い金額だった。これが割引の力か、なんて感嘆してしまった。
レオナードは財布から同額を取り出すと、女性に手渡す。それから、鍵をポケットから取り出して渡した。
「はい、ちゃんと受け取りましたよ。ありがとうございました。」
女性はそう言い頭を下げる。レオナードは宿から立ち去ろうとして、少し考えた後立ち止まった。女性が不思議そうな顔でレオナードを見ている。
「そよ風注ぐ・精霊の通り道」
——初級魔法【ブリーズ・ウィグ】
小さな風が巻き起こり、宿の床を巡っていく。小さな風が埃や砂を巻き上げて運ぶ。そして、一か所に集められた。それすらも巻き上げ、風はゴミ箱へと運んだ。最後には塵一つ落ちていない床の出来上がりだ。女性は驚愕した表情でレオナードを見ていた。それから、慌てるように彼に寄った。
「あ、ありがとうございます。」
深く下げられる頭。手を取られて、握られている。
「いえ、安く泊めてもらったのでお礼を。」
「本当にありがとうございます。…、お嫌でなければお聞きしたいのですけど。」
女性が少し申し訳なさそうにしながら、レオナードに問うた。
「魔法協会での階級はいかほどなんですか?私、生きてる中であれほど繊細な魔法を見たこと無いんです。」
「僕の階級ですか。」
「はい。」
レオナードは少し考えてから、笑って言った。
「ファラール帝国魔法協会特異点です。」
ぽかんとする女性。
「聞き覚えのない階級ですよね。」
「え、ええ。初めて聞いたわ。」
「では、僕はそろそろ。」
レオナードはそう言い扉を開ける。相も変わらず、扉は鳴き声を上げた。外の熱風が頬をなぜる。
「ありがとうございました。良ければ、またのご利用をお待ちしております。」
女性の声が、レオナードの耳に残ったのだった。
〇
(凄い人だったわ。)
私は先ほど出て言った魔法使いのことを思い出していた。彼のおかげで、私の午前の仕事はうんと楽になった。ありがたいものだ。階段が軋む音がして、私は別の客をカウンターで迎えた。降りてきた客は、常連の魔法使いであった。
(彼なら知っているかしら。)
耳にしたこともない、先ほどの階級。私は気になっていて仕方がなかった。
「バロンさん。」
「はいはい、なんです?」
お会計をしようと財布から銅貨を出していた常連の魔法使い—バロンに、私は声をかけた。
「先ほど退出されたお客様がいらしたんだけどね、魔法を使って掃除をしてくださったのよ。」
「ほお。それはよかったじゃないですか。私にもやって欲しいのですか?」
バロンは私をそうやって茶化した。彼はすぐそうやって茶化す。長い付き合いの人だから、私は彼にいろんなことを話してきた。
「さすがにそんなことは頼みはしないわよ。」
私がそう返せば、バロンは笑いながら「そうですよねぇ。」と言った。
「じゃあ、何か他のことで?」
「ええ、さっきのお客様が言ってらした階級がわからないのよ。聞いたことがなくて。」
「まあ、魔法協会の階級は複雑ですからね。どの階級です?」
「えっと、確か『ファラール帝国魔法協会特異点』とか…。」
私がそういうと、バロンの顔が驚きに染まる。
「え!?特異点ですか!?それってすごく有名な方ですよ!!」
彼は興奮気味で語る。カウンターに乗り上げんばかりの勢いだった。
「協会の中で一番強いとされている魔法使いで、肩書は確か…『変わり者の天才魔法使い』です。」
「そんなにすごい方だったのね!それにしても随分とお若くて…。」
私はもう一度、先ほどのお客さんを思い出す。
「おかみさん、魔法使いの外見に騙されちゃいけませんよ。前にも言ったでしょ、魔力が体を巡るせいで年を取りずらいって。」
「ええ、そうね。じゃあ、あの方も…。」
「そうです。特異点はとんでもなく年のいっている方ですよ。なにせ、協会設立時のメンバー表に載っているレベルなんですから。」
「あらまあ、そんなすごい方がここに泊まったのね。」
私はなんだか感動してきてしまった。ただ嬉しいのだ。お手伝いをしてくださった方が、まさかの有名なお方で。心の優しい方なのだと思った。
バロンはお金を出して払った。
「それじゃ、おかみさん。、また今度。」
そう言い残し、彼は去っていった。果たして彼が来る頃に、私は生きているのだろうか。バロンも魔法使いである。魔力にあふれたその体は、一般人とは時の流れが少し違う。私が若いころからきていたくせに、私の方が先に老いてしまっている。彼も少しずつ年を取って、おじさんというのにふさわしい風体にはなっている。でも、わたしなんかおばあさんだ。
(魔法使いって、なんて孤独なんでしょう。)
私はそう思いながらも、二人のお客様のお部屋を掃除するために二階へと向かったのだった。
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