きさらぎ駅で降りなかった
ああ。そういうことか、なんて笑ってしまった。
◇
時は過去へと戻る。
深夜。雪が降る中。僕は電車に乗っていた。
車中で眠ってしまった。そののち夢の中でこう言われた。
これから、あなたに試練を与えましょう。現実を、日常を、普通を、恐れていた、あなたにはぴったりの試練です。普通を恐れていたのでしょう? その普通の大切さに気づいてもらいたい。なぜ、そんな事をするのか、そんな無意味な問いには答えません。
では、始めるとしましょうか。
目が覚める。おぼつかない思考を必死でまとめて定まらない視界で辺りを探る。
僕が乗る電車は、とても不思議で、ある種の恐怖を感じさせる。無論、それは僕の主観であり、今の僕を他人が傍から眺めていたならば、まあ、別に普通じゃね? なんて言われてしまうかもしれない。いや、それどころか自身の魂が体から抜け出して漂うタバコの煙のように空から僕を見つめたとしても、まあ、別に普通じゃね? という感想しか持てない。それだけ普通なのだ。今の状況は。だからこそ逆に怖い。その、ありえないほどの普通さが、かえって恐怖を助長している。例えるならば、何者かによって完璧に整えられた大衆が、一糸乱れず、統率が取れたように、ごくありふれた普通な日常生活を送っているかのようにも見える様なのだ。加えて、いつまでも次の駅に着かず、電車は走り続けているからこそが相まって落ち着きをなくして焦ってしまう。
思い出す。
都市伝説で、きさらぎ駅という話があったと。
まあ、その手の話は詳しくないから、詳細は省く。けども、そのありえないほどの普通さが存在する状況に加速された恐怖が、そんな、与太話を思い出させる。無論、考えすぎなのかもしれない。むしろ誇大妄想とも言えるものだろう。それでも落ち着きをなくしてしまっていた僕は、深夜という状況、電車に乗っているという現況、いつまでたっても次の駅に着かないという不可思議さに、あの、きさらぎ駅の話が、どうしても、頭の中に、ちらつき、浮かび、消えなかった。
さて、あなたは、どんな答えを導き出すのでしょうか。
などという言葉が微かにだが、脳内に忍び込んできた。が、そんな微かな違和感など気にしていられない状況だった。
電車の中に放送が鳴り響く、次の停車駅は〜、と。
きさらぎか、と考えてしまう。
しかし、その実、違っていた。では、都市伝説にのっとって、きさらぎ駅の前の駅である、やみ駅、であったのかと問われれば、それも違うと答えよう。
むつき駅とアナウンスされたのだ。
やみ駅でなかったことはよかったが、どちらにしろ僕が降りるべき駅ではない。むしろ、その、むつき、とやらな駅名に覚えなどない。だとするならば、これは、ともすれば僕は異界に迷い込んでしまったのではなかろうかと、また恐怖感が増す。きさらぎ駅の話が頭の中で消えなかったが為。
次の駅で降りるべきではない。
そんな切羽詰まった思いが脳内を侵食する。焦りが募る。心臓が跳ねる。外で降る雪が白く甘い狂気のようにも感じる。次の駅で降りるべきではない。ならば、どこで降りればいい? いや、違う。どうすればいい? 今、僕がするべき事は? そんな答えのない問いかけが延々と繰り返される。電車を降りては、まずい。降りなくても、まずい。ゴールのない迷路でゴールを求めてさまよい続けているようにさえ感じる。冷や汗が額に浮かんでにじむ。握った手の中には生まれる不快感。もう二度と、ここから日常に戻れないのでは、という思いが駆け巡る。
電車は、むつき駅に滑り込み、その後、発車する。
どうする。どうする。どうすればいい?
などと自分の中でも答えのない問いかけを繰り返す。もし仮にだ。僕が、異界に迷い込んだとして、その異界が僕にとって都合のいい世界であったとしよう。それでも今までの日常に戻りたいと思うのが人間だろう。やはり残してきた自分にとっての大切な人もいるし、残してきた思い出深いものもあるからだ。無論、今までの日常でやりたかった事もたくさん残っているからこそ。言ってしまえば異世界転生ものでチートをもらって別世界で生き返ったとしても通常の感覚で言えば今までの世界に戻りたいと願ってしまうようなものだ。まあ、これは僕だけの感覚なのかもしれないけれども。
とにかく、むつきの駅を出た電車は走り続ける。
長い時間、車内で揺られる。それが、また、ごく普通な電車内でのありふれた時間であったからこそ焦りが募り、恐怖感に苛まれる。同乗者はどうなのかと確認してみるが、誰もいない。僕だけだ。揺れる、つり革が無情にも時が流れているのだと教えてくれる。誰かと会話をしたいとも思うが、誰もいないので、それも叶わない。外で雪は降り続ける。暖房の効いた車中だから寒さは感じないが、心の中は寒くて寒くてしょうがない。その寒さが体を震えさす。電車の揺れに合わせて。ともすれば、自分は、すでに死んでしまっていて、などとすら錯覚する。本当に僕は生きているのだろうか。そんな意味のない問いかけを自分にする。無意味。無駄。そののち広がる無言。無味無臭な空間に在る今の状況を咀嚼できない無知な自分を呪う。そんな中、次の停車駅は、きさらぎ駅、と信じられないアナウンスが飛び込んでくる。やはり、あの都市伝説は……、本当だったのだと。そう思うと胸が苦しくなる。降りてはいけないと。そこで降りてはいけないと。降りるなと。
結論から先に言ってしまえば、僕は、きさらぎ駅で降りなかった。また電車は駅に飛び込んで何事もなかったかのよう次の駅へと向かう。再び、電車に揺られる時間が再開されたのだ。無論、あの不穏すぎる普通な空気感は何も変わらない。だが、少しだけ安心したのは、きさらぎ駅は、もう過ぎたという事。だったら、このまま日常に戻れるかもしれないという甘い期待も浮かぶ。このまま電車に乗り続けていれば僕の知っている駅に着き、そして日常に戻れるのだと。無論、それは幻想。幼子が一人で留守番をしている家のチャイムがなり、親が帰ってきたと嬉しくなって何も確認せずに扉を開けてしまうようなものだ。そのチャイムを鳴らしたのが危険を潜ませた不審者なのかもしれないのに……。
そして電車は次の駅へと着く。
次の停車駅は、かたす、かたす駅です。
とはならなかった。無論、かたす駅とは、都市伝説で言う、きさらぎ駅の次の駅だ。言うまでもないが、かたす、ではないという事実が、僕の心をいくらか安心させた。加えて、きさらぎ駅も過ぎたからこその喉元過ぎれば熱さを忘れるだ。だからこそ冷静に落ち着き考える事ができた。そして思うのだ。これは単なるジョークだったんだと。何者かは知らないが、僕に普通の大切さを教えようと試練を与えた、その存在からのジョーク。それが答え。試練の。
そうだ。
次に電車が停車する駅の名は、やよい、だったのだ。
前の駅が、むつき、その次の駅が、きさらぎ、そして、とどめが、やよい、なのだ。つまり旧暦での、一月、二月、三月がソレなわけだ。むつき、きさらぎ、やよい、の正体は。それこそ素直にも普通に考えれば解ける謎だった。
そう気づいた時、普通に笑ってしまった。ただ普通に。
驚き、とまどい焦ってしまった自分が恥ずかしくなり。
そうやって謎が解けた時、頭の中に声が響く。
あの僕を試したのであろう謎の声が。
お見事です。
もし、この謎かけが解けなかった場合を想像するのはやめておきましょう。なぜならば、あなたは、無事に、この謎を解いたのだから。余計な負担を強いることはしたくはありませんので。それよりも十二分に感じたはずです。普通という言葉が持つ意味を。では、お元気で……。
そんな言葉が終わると電車は次の駅に着いた。
そこは僕の知る駅だった。普通の日常に戻ってきたのだ。
お終い。
儚き仮面で綴る果てなき譜面 星埜銀杏 @iyo_hoshino
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