白黒縞のゴール

 僕の兄は僕が赤ん坊の頃に死んだと親に聞いた。

 そんな兄とも見紛うような、いや、それどころかドッペルゲンガーとしか思えない男が僕での人生での良きライバルだった。一応だが、ドッペルゲンガーとは、自分と、そっくりな姿をした分身にも思える存在だ。無論、僕自身、オカルトは半信半疑だから、そのドッペルゲンガーに見える男も億分の一な確率で成立した単なる赤の他人だとは思う。それでも、これだけ似ているとドッペルゲンガーとしか表現出来ないわけだ。少なくとも語彙が多くない僕は、そう表現してしまっているわけなのだが。

 とにかく、いちいち他者と区別するのが面倒くさいので、この男の愛称をドッペルとして話を進めるが、このドッペルは、事ある毎に僕に突っかかってきた。そうだな。ドッペルが僕の目の前に現われたのは小学生の頃だ。しかも同じクラスという巡り合わせ。加えて、このドッペルゲンガー野郎は、不思議な事に、いや、ともすれば単なる赤の他人と考えれば当然なのか、直ぐに消えず、それどころか、僕の人生をストーキングし続けた。そこに存在し続け。その意味では本来のドッペルゲンガーが持つ意味合いとは大きくかけ離れるのかもしれない。加えて、ドッペルゲンガーに会ったものは近日中に死ぬというルールからもかけ離れていた。その要因となる因子がなんだったのかは分からないが、とにかく僕は死ななかった。そのあとも人生はずっと続いていった。普通に平凡に順調に。

 とにかく、そんなドッペルが隣にいる生活で僕とドッペルの名字は違ったので赤の他人だという事は周知されていった。そして、いつもいつも勉強やスポーツにおいての成績に対してドッペルが絡んできた。やれ、俺〔ドッペル〕は漢字のテストで100点をとったぞ、お前は98点だったろう、お前の負けだ、などといった感じでだ。無論、僕とそっくりで声色まで似ていたからこそ、こいつにだけは負けたくないと思った。そこに同族嫌悪的なものがあった事は否めない。

 そんな僕とドッペルは、小中高と同じ学校に通い、時に同じクラスになってライバルとして競い合った。同じ女の子を好きになった時は焦った。ドッペルだけには負けたくないと必死になって、その女子にアピールした。元々、引っ込み思案で、事、恋愛においては奥手すぎる僕自身が奮起して一気に成長した瞬間だった。もちろん、今は家庭を持って子供もいる僕が、当時を振り返ると、あの時、奮起して殻を破ったからこそ今の妻を得て子供を得たのだとさえ考えてしまう。その意味でドッペルの存在は僕にとって必要不可欠な要素だったのだとも言えるだろう。

 そうして大学は別々になった。そこで思ったのだ。ドッペルが赤の他人だとするならば彼にも生活があるのではないかと。無論、大学生になるまで気づかなかったのは今更とも言えるが、正直、気づいてはいたのだ。気づいてはいたのだが、ドッペルの生活を暴くという事は、ドッペルが単なる赤の他人だという事が証明されるという事。あるいはドッペルが本物の〔オカルト的な〕ドッペルゲンガーだという事が明らかになるという事なのだ。その事実を知るという事に、いくらかの怖さというか、不安のようなものを感じてしまっていた。なぜならドッペルが本物のドッペルゲンガーだと知ってしまえば近日中に死んでしまうかもと思い込んだからだ。今まではドッペルの存在が曖昧模糊だったからこそ死ななかっただけで、と、そう考えたわけだ。そこに不安と入り混じる恐怖があるのは当然なのではなかろうか。

 だがしかし、大学生になり、8割方の大人になった僕は好奇心が最高潮に達していた。だからこそドッペルの正体を暴こうと動いた。たとえ、その先が死だとしても。しかしながら、その決意とは裏腹にドッペルのあとをつけてみても、あるいは、ドッペルのプライベートな時間帯に彼を探してみても、なぜか彼を見失ってしまうを繰り返した。どうしても、どう頑張ってみても正体を暴く事が出来なかった。そして、それを繰り返す内に、まあ、ドッペルはドッペルだ、それ以上でも、それ以下でもない、と自分の中でも意味が繋がらない結論に達して納得してしまった。

 そうして、就職する時、またドッペルが僕の目の前に現われた。しかも、彼は、こう言った。俺の方が偏差値の高い大学を卒業したんだ、これからは、お前をアゴでこき使ってやるよ、と。ドッペルの言う事は事実だった。だからこそなのだろうか、ドッペルと同じ企業に就職した僕は負けたくないと仕事を頑張った。絶対にドッペルより上に行くと奮起したわけだ。その甲斐あってなのか、僕は取締役にまで昇進した。無論、ドッペルも取締役となった。つまり出世レースの勝敗は五分だった。いや、まだ代表取締役の座があるとも思ったが、その切磋琢磨の最中、ドッペルは、少しだけ寂しそうな顔をして、僕に、こう言ったのだ。哀しくも微笑み。

「どうやら俺の出番はココまでだ。あとは自分の力だけで頑張れ。応援してるぞ」

 言うまでもないが、突然、殊勝になったドッペルの態度に僕は不安な気持ちに支配された。今まで僕のライバルとしてのドッペルでしかなかったから、応援しているぞ、などと言われてしまうと心の居心地が悪かったのだ。いや、どちらにしろ僕の気持ちなどお構いなしでドッペルは取締役を辞任して会社を退社する。そうして僕の前から消えていった。僕の心の中には大きな穴が開き、その穴の中を寒々とした風が吹き抜け続けた。ドッペルという大きな存在をなくして。隣にいて、僕のライバルとして存在し続けたドッペルを失ってしまって。それでも時間は刻々と進んでゆく。ドッペルがいようといまいと時は刻み続けるのだ。そして今に至る。



 小鳥がさえずる。三月終わり。温かな、ある日。

 妻にも先立たれて愛娘も結婚して家を出た。今、年老いて老い先が短い僕が住む家には僕しかいない。それを寂しいと思った事はないけれども、それでも誰かと話したいと願う事はある。まあ、その中の一人に人生の良きライバルであったドッペルがいるのだが、あれからドッペルは音信不通で、その行方さえ知らずだ。

 目を閉じる。微笑む。

 温かい陽光が頬を撫でる。ぴゅう、と可愛らしい音を立てて春一番が僕がいる部屋に吹き込む。一枚の緑色に染まった葉が一回転をしながら僕が横になるベッドへと辿り着く。葉を手に取り見つめる。また瞳を閉じて考える。会いたいな。ドッペルに。と。

 体が弱って立ち上がる事さえままならない今になっても愛娘ではなくドッペルに会いたいと願った僕。それだけ僕とってドッペルは良いライバルだったのだろう。そう思う。目を開けて青い空を見つめる。そこに流れる真っ白な雲。ふふふ。

 ドッペル、一体、今、どこで何をしているんだ。

「お迎えにきたぞ。これが最後の仕事だ。俺のな」

 そんな言葉が耳に届く。言葉が投げかけられた方へと視線を動かす。僕は驚く。

「ドッペル。ドッペルなのか。ようやく会えたッ」

 喜ぶ僕を見てドッペルはバツが悪そうに続ける。

「そうだな。お前は、お前の人生に満足したか?」

 僕は笑む。ドッペル、お前がいたからこそ僕は人生を満足に生きられたのだと。

「満足か。……ようやく、お前に会えて満足だよ。もう思い残す事もなにもない」

「そうか」

 また野鳥が微笑んでいる。温かな日差し、いくらか冷たい風が手を取って踊る。

 僕は死ぬのだな。今、ここでだ。ソレもありか。

 静かに目を閉じる。なんだか眠い。いつまでも寝ていられるような気さえする。

「うん。最後に俺の正体を教えてやるよ。お前に」

 正体ッ?

「お前がドッペルと呼んでいた俺は、お前の双子の兄だよ。お前が生まれた時に死んだ兄〔片割れ〕。双子だったから信じられないほどまでに似ていたんだよ」

 双子の兄だって。ドッペルが。そうか。だからドッペルゲンガーのように……。

「アレだ。兄としては、お前が心配でな。お前を成長させる為、お前の前に現われたってわけだ。まあ、とりあえず、俺はお前の良いライバルになれただろ?」

 そうか。ドッペルはドッペルゲンガーというよりは幽霊だったのか。いや、実体が在って僕と普通に生活を共にしたからこそ逆に言えばドッペルゲンガーなのかもしれない。周りもドッペルが居ると周知していたからこそ。ただ、ここまできても幽霊なのかドッペルゲンガーなのかのどちらなのかは僕自身にもハッキリとは分からない。ただ、その実、僕にとって、そのどちらでもいい。なぜならば僕にとってドッペルはドッペルでしかないのだから。それ以上でも、それ以下でもない。

「俺らは二人で一人。お前は本当に良く頑張った」

 とドッペルが微笑んでくれた気がした。温かく。

 そうして僕の意識は途切れた。まるで世界の明かりを消すよう静かに厳かにも。

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