花弁の味

 僕の彼女は花びらを食べる。他人の思い出を知る為。

 ……味というものは決してウソをつけないからこそ。



 人の思い出は、いつも興味深い味がする。

 時には苦く、また時には甘い、いや、それどころか、どうにも形容しがたいクセがあるものもあるの。どれ一つとして同じ味はないのよ。だからこそ興味深いの。

 もちろん僕には他人の思い出の味など分からない。分からないから彼女が言う他人の思い出が醸し出す味の興味深さを知る事は出来ない。無論、彼女が、それを嬉々として語る時、適当に相づちを打つしかない。でも、そうすると頬を膨らまして不満そうな顔をする彼女。それをなだめるのが僕。という構図が出来上がる。それが僕らの日常なんだ。そして今日も彼女は花びらを食む。思い出を味わう為。



 月明かりだけで青くも浮かび上がる仄暗い部屋。その青い月光が霞のよう辺り一面に充満している。その幻想的な部屋で横になっている男。僕らは、そこに顕われる。気配を消し、まるで、そこにいないかのように。彼女が男の胸の上に、そっと静かに右手のひらを置く。男は身動き一つしない。ぽうっ、と彼女の手のひらが温かい光に包まれる。ふふふ、と彼女は置いた手を自分の左胸へと移す。そうして祈る。さあ、出てきて、私に、その花を魅せてちょうだい、と。

 これは彼女との何気ない会話で聞いた事なのだが、思い出は、その時、その瞬間という種が巻かれて時間という恵みの雨を受ける事で思い出という花となって咲くという。そして、花は、普段、心の中で咲き揺れて表には出てこないのだそうだ。だから、こうやって忍び込み、花を表に出すという作業をせねばならないのだ。僕らは。

 とにかく。男の胸の上で花が咲く。

 真っ赤な花びらを五つ持った名も知れぬ花。

 彼女は微笑む。

「この花は千年に一度しか咲かない珍しい花よ。この人の思い出は、とても貴重」

 名まで明かさなかったが、どうやらレアなケースらしい。もう待ちきれないといった表情で彼女は、咲いた赤い花の花びらを一枚だけ、むしり取る。そうして、また祈る。ありがとう、もう良いわ。戻りなさい、と音にはならない不思議な声で。

 全てが終わったと微笑んで僕を見つめる彼女。青くも静かな空間で一枚の花びらを持つ彼女、その可憐さ、その儚さ、その現実離れした美しさから、さながら水中花とも見紛う。僕は彼女の吸い込まれるような艶やかさに、いくから気持ちがうわずってしまう。しかしながら気持ちを抑えつけて役割をまっとうする。そう。この部屋から彼女が執務を執り行う執務室へと僕らを転送するのだ。無論、ここに顕現する刻も僕の力を使ったのだ。今度は在るべき場所へと還るというわけだ。そうして瞳を閉じて心を落ち着け、彼女と僕を、そこへと還していった。



 彼女は一枚の花びらを皿の上に置く。

 無論、思い出自体の味を壊さないよう調味料などの添加物は一切加えていない。赤い花びらを器用にナイフとフォークを駆使して可憐な口へと運ぶ。右手をくちびるに添えて静かに咀嚼する彼女。思い出を味わうというものが、どんなものなのか、やはり分からない。加えて千年に一度咲く花が持つ思い出の正体も分からない。それらは分からないけれども千年に一度咲く花なのだ。美味しくないわけがない。

 僕は花の貴重さを思って緊張のあまりゴクリと不躾な音を立て、つばをのんだ。

 対して、もくもくもく。と可愛らしい音を立て彼女が思い出を味わう。すると。

「……苦い。苦いわ。それも半端な苦さじゃない。コホッ。飲み物をちょうだい」

 彼女は、途轍もない苦さに口中が侵略され尽くして降伏の白旗の意味を持つ咳をする。慌ててコップに汲んだ水を彼女へと手渡す僕。いまだ口腔内で踊り狂う花びらを抑え込むよう受け取った水で舌の荒滝行を行う。青い瞳を閉じる彼女。

「そうね。悲しかったね。苦しかったね。寂しかったね。でも、もう大丈夫だよ」

 大丈夫。大丈夫。

 と子供をあやすかのよう花びらと会話する彼女。

 荒滝行でも流しきれなかった花びらは、まだ彼女の中に在るようだ。彼女は、いまだ、もくもくもく、と口を動かし続けているのだから。苦いのだろう、眉間にしわが寄り、右口角が歪む。左眉尻も下がる。また水がいるかもしれないと僕はコップに水を注ぎ待機する。彼女は咀嚼し続ける。静かに。厳かに。ゆっくりと。

「ふふふ」

 と、唐突、彼女の頬が緩む。表情も和らぐ。まるで宝物を見つけたよう。

「そう。そうなの。貴方は貴方が助けた人に泣いてもらえたの。若い頃に助けた人に泣いてもらえたんだね。貴方が死んだ時。この世から離れる時に……」

 彼女は至福を得て青い瞳を閉じた。

 緩やかに。微笑み。

「苦しい人生を必死で生きて生き抜き、その果てで最高の幸福を得たのね。よく分かった。ふふふ。この花びらの味が全てを語ってくれた。ありがとう」

 どうやら苦みの後、口の中に拡がる、とんでもないほどの甘みのようなものを感じたようだ。ずっと長い間、続いた苦みを越えて花びらを咀嚼し終わる、その一瞬だけ。ほんの刹那の刻だけ。彼女の独白を聞く限りでは。そうだね。彼の思い出は独白が出てしまうほどに興味深い味だったのだろう。そうは思うのだが、やはり、僕如きでは思い出の味には想像が追いつかない。いや、このまま知らない方が良いのだろうか。それが分かるのが彼女だけだからこそ彼女は職務をまっとうできるのだから。そして、僕らも特別な力を持つ彼女が下した判断を信じる事が出来るのだから。

 花びらの形を為した思い出を味わえる彼女の決定を。



 僕は獄卒に告げる。

「閻魔大王様からの下知を伝える。先ほど死んで魂となり、いまだ体内に勾留されてる男の判決だ。彼を天国に送致する事。以上。滞りなく遂行するように」

 獄卒は敬礼してから、ここを離れていった。

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