未来の自分

「未来なんて知っても良い事ないよ」

 そう言い張る未来人。

 未来人は女性なのだが美人で可愛いからこそ始末が悪い。ほわほわした柔らかいマシュマロのような雰囲気を纏いながらも語気を強めて威圧してくる。上から見下ろして。冬の、のんきな昼下がりの公園というシチュエーションが余計にアンバランスに思える。鳴きながら飛び去った冬の野鳥に恨み言でも言いたくなる僕。せっかく未来人と出会えたのに、その未来人が、なんで、こんなにもシニカルなヤツなんだと。いや、それ以上に、なんの為に彼女は、ここに、いや、僕の前に現われたのか、それすらも分からなくて。まあ、意味なんてないのかもしれないが。

 とにかく詳しくは省くが、彼女からタイムマシンだと紹介されたもので彼女が10分後に行った。目の前で彼女が消えて10分後に突然現われた。いや、顕われた。だから本物だと納得した。そうだ。本物の未来人だからこそ、僕は彼女が語る未来に興味がある。

 にも関わらず、なかば呆れ気味に言う。彼女は。

 未来なんて知っても良い事ないよ。と。

 だったら、何で、ここに現われたんだ、なにしに来たんだ、と問い返したい。

 彼女は、何故、未来を知る事を良しとしないのか。

 凡庸な僕には、どれだけ考えても分からない。例えばだ。世紀の天才と称されるプロ棋士が46手詰めの詰め将棋を解けるにも関わらずに中学2年生の数学で習う連立方程式が解けないよう、僕とて、僕の専攻分野だったら、なんて言い訳なんかすると悲しくなるから止めておこう。まあ、すでに、ちょっと涙目だが。

 とにかくだ。たとえ良い事がないにしても、未来を知っておく事はプラスになれどマイナスにはならないはず。なんて考えていると未来人は笑う。そして言う。

「未来の機械で思考を読んでみたけども、そうじゃないの。未来を知る事はプラスにもマイナスにもならないんだよ。むしろ気分的にはマイナスになるのよ」

 いや、ちょっと待て。未来を知るという行為は、事前に地図を準備して、その国の事を知り、旅をする海外旅行のようなものではないだろうか。もしくはナビを装備した車でのドライブ。それらがあれば道に迷う事もなく、どこかに寄りたいと考えても迷う必要もない。そんなものではないだろうか。繰り返しにはなるが、未来を知るという事はだ。それをマイナスにしかならないとは、どんな了見だ。

「だったら一つだけ未来を教えてあげるよ。それを聞いてから判断してみて」

 なんて言い出した。

 とはいえ未来を知れるのだ。僕は、どんな未来を知れるのかと動悸が速くなる。

「今から五分後に雨が降ってくるわ」

「雨だって? それって本当? この天気で?」

 なんて間髪入れず言葉を被せる。何故ならば今の空は雲一つない晴れ渡った空なのだから、もし、これで雨が降ってきたら、それこそ未来予知以外の何ものでもないだろう。加えて、この空模様で雨を予想したわけだ。当たるならばプラスにはなれどマイナスにはならないだろう。違うのか。僕は考え違いをしているのか。

 そして五分後。

 空は相変わらず晴れ渡っており雨など降ってきそうにもない。

 未来人の未来予知は外れたのか。なんて考えた瞬間、鼻頭に雨粒があたる。冬の空気に冷やされたソレは氷とも感じるほどに冷たいものだった。慌てて空を見上げる。ゾッとするほどの蒼い空。なめていた。自然を。雨なんて本当かよ、と。暗転など、とんでもないとばかりの雲という異物など一つもない蒼空なんだ。今の空は。いやいや、蒼いからこそ、混じりっけがないからこそ、逆に気持ちを急き立てる。あり得ないと。何故、雨粒が鼻頭に、と疑問に思った次の刻。

 歌川広重が描いた夕立の浮世絵のよう、ザァザァとファンキーな音を立てて一気に雨が降ってきた。ヤバいと思ったが時すでに遅し。僕は頭から雨を全身に受け、ずぶ濡れになった。いまだに空は青く雲一つない。でも土砂降りの雨。自然の不思議さに、僕自身、マジか、なんて大きなため息をついた。

 いやいや、というか油断をしてしまっていた。僕は未来人から未来予知で事前に雨が降る事を知っていたのだ。この通り雨をな。なのに、雲一つない空模様であったからこそ、雨などあり得ないと結論づけてしまい、遂にはずぶ濡れになる始末。知っていたにも関わらず、この結果に大きな後悔と自分の馬鹿さ加減を憂いた。未来人の言う事だから信じるべきだったと。本当に僕は馬鹿だと落胆した。無論、件の未来人の彼女も、どこかで、ずぶ濡れになっているかと見渡せば……。

 どこかに掻き消えていた。

 いや、今は、そんな事はどうでもいい。そんな事よりも、このイレギュラー過ぎるファッキンを避けねば。僕の脳が怒りで裂けキレてしまう。とか、どうでもいい事を考えながら甘い考えで受けてしまった雨〔しうち〕を東屋でリセットしようとする。急いで雨からの待避とばかり駆けた。……で、脳が裂けた。そこで。

「だから言ったでしょ。未来を知っても良い事なんてないのよ」

 着いた東屋に、ちゃっかりといる未来人。しかも濡れていない。一切。どうやら自分だけ、さっさと避難していたようだ。いやいや、君は未来を知ったからこそ、いち早く東屋に避難したんだろう。だったら未来を知る事に意味はある。僕は信じなかったらから雨に濡れただけの話で。君は未来を知ってたから……。

 なんて思ったら、僕のくちびるの前で彼女の右人差し指が立つ。そっと。

「まあ、私の話なんて、どうでもいいのよ。ただ、これだけはね。雨に濡れない事が良い事ってわけじゃないの。むしろ濡れた方が良い場合もあるのよ」

 はあ?

 意味が分からん。雨に濡れた方が良い場合があるだと。そんなわけあるか。

 雨になど濡れない方が良いに決まってる。

 なんて、まくし立てようとすると、また彼女の人差し指がくちびる前で立つ。

 そっと。

「そだね」

 なんて言って静かに目を閉じる。一旦、間を置き大きく息を吐き出す。

「……だったら明日の中山競馬場第三レースで、この番号を買ってみて。馬単の3-5。3が1着で5が2着よ。大穴だから間違いなく君は凄い事になるわよ」

 まあ、でも未来を知っても良い事なんて、なにもないけど。

 とは続けなかったが、そういった意味を含んだ苦笑いをしつつ僕を見つめる。

 マジか。マジでか。僕は競馬などやった事がないけど当たれば賭けた金額が膨らむ事は知っている。鼻の穴が膨らむ。スクラムを組み。ウホホ、と厭らしい笑い声さえも漏らす。今度は失敗しないぞ、第三レースの3-5だな。なんて笑んでいた自分を殴ってやりたい、今し方、第三レースが終わって、うな垂れる僕は。

「クソが。あり得ん。マジでか」

 当たった。間違いなく当たった。馬単で3-5。払い戻しの倍率は10万倍。つまり100円分買ったら1000万円になる計算だ。無論、僕は1万円分買っていたから、……いや、計算するのはよそう。悲しくなるから。寂しくなるから。

 僕は、今、とぼとぼと例の公園へと歩いている。その足取りは重い。

 何があったのか。いや、何もなかったと信じたい。1万円をドブに捨てただけの話だと思いたい。また気持ちが重くなって大きなため息を吐く。そうなのだ。間違いなく当たった。あの万馬券は。そしてウキウキな気分で、この配当金は、銀行振り込みにでもなるのか、あるいは、などと考えて換金窓口に急いだ。足取りはおぼつかず千鳥足と表現してしまっても良かった。だって、そうだろう。今、手の中には10億円があるんだぞ。ふわふわと軽い音をさせ空を飛んだって不思議じゃない。まあ、そこまでは夢心地だったわけだ。

 それが暗転。地獄。極楽。楽々なアンラック。

 あまりにも現実感の無い気持ちで歩いていたからこそなのだろうか、いや、それとも、それも決まっていた事なのか、馬券を持つ手の力が抜けてしまった。一生の不覚。当然とばかりに、ふわりと柔軟剤で柔らかくなったタオルよろしく手の中から万馬券がフライングソーサーとなり舞った。まさに、ちょっと待った、未確認飛行物体だ。そして競馬場の外へと飛んで行く。待って。待ってよ。プリーズ。プリーズッ! なんて叫びながら尻からプスプスと阿片ガスが漏れてしまった事は国家機密だぞ。

 でだ。どこまで飛んでいったんだろうね。いや、あるいは、それこそ未来に消し飛んでしまったのか、どこを探しても万馬券は見つからなかったわけだよ。もはや死にさらせだ。そうだ。死にたかったよ。普通に。むしろ馬券が当たらなかった方が良かったとさえ思った。だって、そうだろう。めちゃくちゃ嬉しくて、それから一気に落とされたのだから……。地獄に。持ち上げて堕とすみたいな?

 そして悲しみを背負った僕は未来人がいるであろう公園へと着く。もはや未来を知りたいなどという気持ちはなかった。ただ一点を除き。それよりも一言だけ恨み言というか、見当違いな文句を言ってやろうと考えていた。

 しかし彼女は一枚上手だった。

「でしょ。未来を知っても良い事なんてないでしょ?」

 僕が彼女の目の前に着いた途端、いきなり言葉を浴びせられた。

 いやいや、僕が注意散漫にならずに……、いや、止めておこう。虚しい。

 それよりも分かった事がある。やはり彼女は未来人で全てを見通している。だからこそ彼女の言う、未来なんて知っても良い事がない、は真理なんだろう。だったら、やっぱり彼女から未来を聞いても仕方がない、そう結論づけた。それすらも見通していたのか、フッと口元を緩め、ようやく、と呟き、彼女は微笑んだ。

 だがしかし。僕の中では一つだけ確認したい事があった。

 それは僕の寿命。

 もちろん、明日、死ぬ、なんて言われたら絶望するしかないだろう。それでも絶望と同時に、明日ならば、やり残した事はないか、と気持ちを切り替えられる。そういった意味で寿命を知る事ならばマイナスと同時にプラスがあれどマイナスだけという事はないはずだ。雨や馬券のように。昨日、考えたんだ。馬券を失った悲しみに暮れる中、そうだ、これだったら、と気づいたんだ。だから僕は意を決する。たとえ、明日、死ぬ、と断言されても気持ちをしっかりともてと。

「最後に一つだけ知りたい未来があるんだ」

「寿命でしょ?」

 まあ、そうだわな。未来人には全てがお見通しなのだから何も言わずとも。

「良いわよ。より正確に。より詳しく。君の寿命が尽きる時間を教えてあげる」

 より正確に。より詳しく。を敢えて言う意味が分からないが、それでも、出来るだけ詳しく寿命が尽きる瞬間を知れるのはありがたい。やはり、これだけはマイナスはあれどプラスもある未来予知だ。僕は静かに目を細めて蒼空を見上げた。

 そこには、一つの風花が風に翻弄され、ふわりと舞い、一回転していた。

「君が死ぬのは82歳になってから5ヶ月と3日後の午前9時22分15秒よ」

 うおっ。そんなに正確に。

 ……というか、僕は、今、23歳。という事は、その時間に死ぬのならば長生きな部類に入る。これはマイナスさえないプラスだけの未来予知ではないのか。何故ならば人間は、いつかは絶対に死ぬのだと考えれば、人以上であろう長生きが出来る未来が待っていると知れたわけだ。だったら、やはりマイナスなどない。断言できる。

 と、僕は瞳を閉じて静かに佇み、ある意味で幸せを噛みしめた。



 82歳になり5ヶ月が過ぎた。

 3日も過ぎて時間は午前9時21分3秒。あと1分と12秒後に僕は死ぬ。いやいや、待て待て。この時間まで平穏無事で凄く幸せに生きてきて思うのだ。まだ生きていたいと。いやだ。時間が過ぎるのがイヤすぎる。1秒、1秒と秒を刻む時計の秒針を恨みがましく見つめる。死にたくない。死にたくないよ。止めて。時間よ、止まって。僕の心臓よ、肺よ、脳よ、止まるな。生きろ。生きたい。僕よ。生きろ。僕よ。

 クソう。他人より長生き出来る未来を知れただとか、それまでに、色々、やり残した事がないかと気持ちを切り替えて、しっかり生きる、なんて屁理屈でしかない。人間は感情で生きてるんだ。その感情が叫ぶ。死にたくないと。生きろ。生きたいと。それにな。今となっては、その屁理屈の全部が過去なんだよ。思い出でしかないんだよ。それよりも、もっと生きていたい。死にたくない。死ぬ時間なんて知るべきじゃなかった。知ってしまったから、死ぬ時間を知っているからこそ時間が過ぎるが恐くて震えが止まらなくて。いやだ。ある日、フッと気づいたら死んでた方が……。その方がよっぽど楽だった。

 ピーと無情なる音が心電図から響く。享年82歳。午前9時22分15秒。

「ねぇ。やっぱり未来を知っても良い事なんてなかったでしょ」

 と未来人である彼女が笑った。静かに。深く。暗く。

「生まれ変わったら、……いや、知らない方がいいか。未来なんて。フフフ」

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