永遠の今

 僕の人生は負け組街道一直線だった。

 駅前のベンチで冷えたペットボトルのお茶を喉に流し込む。

 渇いた喉が潤う。潤うが虚ろになる。

 もう疲れた。死にたい。誰か僕を殺してくれ。

 今日、朝、無断欠勤をした。会社とは逆方向に向かう電車に飛び乗り、何度も適当に乗り換え、県を二つ三つとまたいで知らない駅で降りた。如月という名の駅。

 本当に、このまま眠るように死ねたら、どれだけ幸せか。

 負け組一直線な人生を終わらせる事が出来たら、どれほど嬉しい事か。

 そんな事を考えて冬の晴れた空を見上げた。

 こんにちは。

 目の前に可愛らしい女の子が立っている。不思議なオーラを纏った子。誰だかは分からなかった。けども落ち込んだ気持ちを少しでも上向きに出来たらと女の子に微笑み返した。彼女も、また笑んでくれた。だからだろうか。いや、誰かと話したいと思ったからなんだろうか。自分でも分からなかったが、聞いてなくても良いとばかりに、僕は、何故、ここに居るのかを語りたくなった。まあ、単に悔しくて哀しい気持ちを吐き出したかっただけなのかもだが。

 フフフ。

 と彼女は微笑んだ。



 君くらいの世代なら親ガチャなんて言葉を使うんだろう。

 親ガチャってのは親は選べないという意味だと捉えている。僕は親ガチャに失敗した人間。いや、別に虐待されていたとかではない。親たちはやる気がない人で、とにかく子供の頃は貧乏だった。他の子達と比べて恥ずかしい思いばかりした。着る服は、母親が、どこからもらってきた知らないの子のお下がり。おやつなんてもってのほかで夕食ですら食べられない日もあった。住んでいる家もボロボロだったから友達を家に呼ぶ事さえもしなかった。子供の頃は、いつもいつも陰鬱な気分で過ごした。何故、貧乏だったのか、それは繰り返しにはなる。親たちがやる気がない人で、そのくせギャンブルにハマっていたから。いわゆる毒親だったんだ。ハハハ。

 そんな負け組な幼少期を送ったわけだ。僕は。

 だからこそ中学を卒業すると働きに出た。夢など追う事もせず、単純に給料が良い仕事を選んだ。それは肉体労働だった。まあ、体力にだけは自信があったから、そつなく仕事をこなした。いくらかは楽しいとも思った。けど、滑落事故を起こしてしまう。全治一年という信じられないほどの負傷をした。お前の怠慢だと言われ、労災など使えずに治療費だけで今まで貯めてきた貯金を使い果たした。加えて仕事をクビになり、その後の補償もなし。訴えようとも思ったが、裁判費用を払う事も出来ず、勝ったところで得るものはないですよ、と無料で相談した弁護士に言われてしまった。泣き寝入り。そんなものが本当に在るんだと知った出来事だった。

 そして、もう肉体労働などしたくないと、色々、方々、探し回った。そののち工場での流れ作業の仕事を得た。だが、あの僕を苦しめた親の片方、父親が病気になり、仕事を辞めてしまった。となると貧乏だった実家は余計に苦しくなった。懐が火の車になって、その上、病気で、お金が必要になるにも関わらず、父親も母親もギャンブルを止められなかった。そんな事をしているものだから僕の稼いだカネに目をつけるのは必然だった。それから両親は揃って一週間の内、四日はカネの無心に来た。始めの内は仕方が無いとばかりにお金を貸した。けど、そのカネを返してくれるわけもなく。どんどんと貸したカネの額は膨らんでいってた。だから僕は貸さなくなった。両親に、お前には良心がないのか、と罵られもした。それでも貸さなかった。すると両親は消費者金融から借金をするようになった。もちろん僕を連帯保証人にして。どうやって僕を連帯保証人に仕立て上げたのかは分からない。分からないが、事実、僕は父親が借りた消費者金融からの借金の連帯保証人になっていた。その後は? って。まあ、ご想像通りだよ。

 ご想像通りの負け組一直線な人生の確変に突入したわけだ。

 あ、確変なんて言ってしまったけど僕はギャンブルは嫌いだ。両親がギャンブル好きだったから、その影響かもね。とにかく、そうして大きな借金が出来た。

 それでも頑張った。工場での仕事を必死で頑張って地位も得た。借金も少しずつだったけど分割で返してきた。もちろん僕が肩代わりした借金の事など忘れて、いや、知らないフリをして、また新たなところから借金をし始めた両親とは縁を切った。親との縁を切る為の法律はない。けど、そんなものは知らない。もう二度と僕の前に顔を出すなと啖呵を切ってやった。元々、気が小さい両親だったから僕が本気で怒ったから恐くなったみたいで、それから顔を見せないようになったよ。

 その頃は、少しだけ生活が楽しかった。責任がある仕事も任せてもらえたし、それを上手くこなした時、特別な報酬をもらったりしてね。ただ、そうこうしている内に28歳になっていた。僕も、そろそろ結婚を考える歳だ。そんな中、仕事先で知り合った女性と付き合い始めた。僕は奥手だったから、実は、これが初めての女性とのお付き合いだった。無論、その子との結婚も考えた。彼女も僕との結婚を考えてくれていたようで、僕らの関係は順風満帆に思えた。思えたんだ。ハハハ。

 そうだね。うん。その頃の僕は笑顔が絶えなかったような気もする。

 だけども、やっぱり僕は負け組一直線な人生から逃れられないんだろう。ようやく幸せが掴めると思った矢先さ。僕の彼女の浮気が発覚したんだ。そうだね。彼女は上司と不倫をしていたんだ。その事を、僕は、まったく知らなくて。社内旅行で彼女と上司の二人が抜け出していくの見つけてしまって。後をつけて。彼女と上司が一つの布団の中で抱き合っていたんだ。幸せそうに。そして聞いてしまった。

 彼氏の事はどうするんだ?

 ああ、あんなの単なる風よけよ。あなたと付き合ってるのを隠す為の。

 もう笑うしかないだろう。せっかく、ようやく僕にも、なんて思ったのに。どうにも僕は負け組一直線な人生から逃げられないんだと悟った。しかもだよ。泣き面に蜂。また知らない内に僕を連帯保証人に仕立て上げ、両親が借金をしていた事が発覚した。しかも僕にも返せないほどの金額を……。力尽きた瞬間だった。

 ふう。ハハハ。何かもが嫌になった。もうどうにでもなれ。誰でも良いから僕を殺してくれ。自殺なんて恐くて出来ないから、僕を殺して欲しい。なんだったらカネを払っても良い。まあ、今、僕が持っているのは500円だけだけども……。

 そう。大変だったね。

 そう女の子が言った。



 女? ああ、そんなものはランチと一緒さ。

 その日の気分次第だ。それがモデルであろうと女優だろうと誰であろうと好きに選んだら良い。女が欲しくなったら街にでも出ればいい。そういった店は、どこにでもあるからな。店に行かなくてもカネに糸目さえつけなければよりどりみどりだよ。愛人という形で囲ってみても面白い。あいつらはカネに寄ってくる生き物だからカネさえあればな。

 結婚? ハァ……。結婚なんてクソみたいな契約に縛られる気はないよ。

 だって、そうだろう。カネはある。自由もある。だったら自分から望んで縛られるなんて阿呆のやる事だ。女が欲しければカネを使えばいいんだからな。

 そうだな。

 ある朝、オーロラが見たいと思った。すぐに自家用ジェットの発進準備を整えさせ、アラスカへと飛んだ。朝食はジェット機の中で摂った。まあ、何を食べたのかなんて聞くだけ虚しいぞ。専属シェフが作った朝食としての機能を備えたフルコースとだけ言っておこうか。それと朝だからロマネコンティを敢えて薄くしたものを飲んだ。まあ、僕ほどの通になればコンティもヤクルトと言えるものだからな。

 そうだな。親を忘れてはならないな。

 僕を苦しめた親もだ。

 親には豪邸を与え、親専用のカジノを作ってやった。食べるものも、毎日三食、豪勢なものを食べさせた。無論、カロリーが高く病気を発症しやすいものをだ。動く事を極力制限するよう、お手伝いを付けてやり、専属の運転手を雇った。ここまでやれば、案の定、親は、ぶくぶくと太り、その果て……、死んだ。

 ざまあみろだ。毒親が。

 ようやく僕にも来たんだ。勝ち組人生が。勝ち組の人生が。

 ただ、いつも、思う。

 何だか疲れているような気がするって、いや、気のせいだ。

 うんッ。



 突然、豹変しすぎだって?

 本当に負け組一直線な人生を送っていた、あの僕と同一人物なのかって?

 何があったのか、だって?

 如月駅で不思議な女の子と出会ったあと。彼女に僕の生い立ち、負け組一直線な人生を語った。女の子は静かに話を聞いてくれ、時には頷いてくれ、そして、そののち僕は不覚にも泣いてしまった。大の大人の僕がだ。女の子は、うな垂れた僕の頭を抱えて、大丈夫だよ、君は大丈夫だよ、と言ってくれて。

 余計に泣きたくなってしまい涙が止まらなくなった。

 だからなのか、微笑み、彼女は続けた。

 あたしには何も出来ないけど君の人生は君次第でどうにでもなるものよ。

 それを、この先で知る君は大丈夫。大丈夫よ。……安心して。

 そう言って、また笑んでくれたんだ。

 その時、思い知った。気づいたんだ。大事な事に。

 そうか。そうだ。今までは負け組一直線な人生だったかもしれない。けど、この先も、そうであり続けるなんて事はないのかもしれない。いや、むしろ今まで負け組一直線な人生だったからこそ、それを逆転させて勝ち組になる人生が在るのかもしれない。この先に待っているのかもしれない。どちらにしろ今はどん底に居るんだから、あとは上がるしかない。登るしかない。そうするもそうしないも、結局は、僕次第。どうにもならない、なんてイヤにもなって死にたくもなったけども。まだイケるかもしれない。僕次第なんだから。生きている限りは。次の瞬間、死なない限りは……。

 そう思ったら、まだ頑張れる、なんて思っちゃったんだ。

 いや、そう思わされたのかもしれない。あの女の子にね。

 その後は語るまでもない。

 僕は頑張った。僕次第なんだからと。それだけの事だよ。

 そしたら不思議と運が巡って。いや、今まで貧乏くじばかり引いてきたからこその辻褄合わせな幸運が転がり込んだんだろうか。何もかもが上手くいってカネも女も気分次第な人生となった。毒親との縁も本当の意味で断ち切れた。で、勝ち組人生とは、かくありきなんて宣言できるような生活を手に入れたってわけさ。

 ハハハ。



 ……僕は死ぬんだろう。もう少ししたら。

 負け組一直線な人生から大逆転して勝ち組人生を経験して。まるでジェットコースターのようなアップダウンの激しい生き方だった。結婚なんてクソみたいな契約なんて調子に乗っていたから子供はいない。いや、それどころか妻もいない。結婚してないんだからね。当然さ。愛人は複数いたけどカネが無くなって落ちぶれたら、どこかにいってしまったよ。掻き消えるよう。ふふふ。そうして、ただ一人、僕以外、誰もいないボロボロの小さな借家の、この寂しい部屋で僕の命は潰える。いくらか哀しいけど、これも僕の人生だ。良い人生だったと思う。少なくとも面白い人生だった。

 ようやく気づいた? 分かったの? フフフ。

 どこからだろう。

 あの不思議なオーラを纏った女の子の声が聞こえたような気がする。

 いや、単に死に際しての幻聴の類いだろう。けども、あの女の子が言いたい事は分かる。分かるんだ。負け組や勝ち組なんてものは幻想に過ぎないと分かったんだ。人生が良いものか悪いものかなんて、人生が終わる、今、……まさに死に間際にならないと分からないものなんだって。僕の人生は前半が負け組。後半が勝ち組だった。けども前半だとか後半だとか、そんなものは今から見ればどちらも過去なんだ。過去の出来事なんて良いも悪いも、そのどちらも思い出でしかない。単なる思い出。

 それよりも今の方が重要なんだ。今がどうかでしかない。

 だったら前半の負け組な過去が今だった時、それは負け組な人生なんじゃないのかと言われそうだ。けども違う。もちろん、前半の負け組な人生が今だった時、その時、その瞬間は、負け組な人生だった事に間違いはない。けども、今は、すぐに過去になる。次の瞬間、今は過去になり、未来が今になる。その繰り返し。だったら、今が過去になった瞬間、負け組な人生は思い出になる。そして、時が経ち、勝ち組な人生を手に入れれば、その時は勝ち組になる。けども、それも、すぐに過去になって。思い出になって。全ての今は過去になる。ただ一点を除き。

 そうだ。

 僕にとって、今、死に際して死ぬ間際の今。その今こそが。

 人生という物語にピリオドを打つ最後の最後の瞬間、それが人生にとっての永遠の今なんだ。それ以上の未来はないからこそ、その今は永遠になる。だったら、そこで、良い人生だったのか、それとも悪い人生だったのか、を判断するしかないじゃないか。その今だけが思い出にはならない今なんだから。その瞬間に良い人生だったと思えたら勝ち組なんだ。その逆は負け組なんだろう。多分ね。

 でも、それすらも僕次第なのかもね。

 その時、僕がどう思うかなんだろう。

 自分が生きた人生の中で、なにが起こったのだとしても、逆になにも起こらなかったのだとしても人生の最後で良い悪いを決めるのは自分自身。良い人生だと懐かしむのも自分だし、悪い人生だったと後悔するのも自分でしかないのだから。

 ふふふ。だからいったでしょ。君は大丈夫だって。

 君は知る事が出来たんだから。大事な事を。人生を精一杯に生きて。

 僕は幻な声に応える。

 そうだね。ただ一つの心残りと言えば、あの親の事だよ。彼らの自業自得とはいえ、酷い事をしてしまったなってさ。まあ、それも僕の人生か。

 そうだね。次があるならば……、いや、止めておこう。

 本当に面白い人生だった。少なくとねも。フフフ……。

 そう考えた次の瞬間、僕の意識は途絶えた。

 ゆっくり、お休みなさい。

 最後に、そういった透き渡る音が僕に届いた気がした。

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