第11話 追跡者⑪

 迷宮から一人で戻ったことに、マスターは何というだろうか。依頼はどうなったのか、アルヴィスとキリはどうなったのか、言及されることは想像に難くない。

 ただでさえ、まともな娯楽もない場所だ。事件でもなんでも、根掘り葉掘り聞かれることだろう。

 広間を出て最初の曲がり角を曲がろうとしたところで、まだ迷宮内部に居るというのに一瞬でも安穏とした思考を巡らせてしまった自分を恥じる。

「ああああぁぁぁ!」

 背後から届いた悲鳴に、リードは素早く身を翻した。

 広間の入り口に戻り、その光景に思わず怯む。

 キリの作り出した炎の壁は勢いが衰え、足元で燻る程度となっていた。その向こうに、屍人と化したアローの他、十数体の屍人が群れを成していた。

 その内の一体の屍人がキリの腕を掴み、食欲の命じるまま大きく口を開いていた。

 駆け寄りながら、リードは外套の下の棍を手に取る。屍人の群れは近づいてくるリードの姿には気にも留めず、目の前の食料へ夢中になっていた。

「頭を下げろ!」

 リードの叫びに、キリは咄嗟に従う。

 大きく踏み込んだリードは取り出した棍で屍人の側頭部を一閃する。振り抜くと同時に空いた左手でキリの服を掴み、屍人と距離を取る。

「無事か?!」

「なん……で、戻ってきたんですか……」

 引きはがしてそのまましりもちをついたキリの身体には、無数の噛み傷があった。肩から腕にかけて流血している。

 リードの知る限り屍人に毒はない。ただし、腐肉でも構わず口にする屍人の歯が不衛生であることは間違いない。

「うるせぇな。たった半日とは言え、一緒に迷宮に潜った人間を見殺しにすれば寝覚めが悪いだろうが」

 減らず口が叩ける間は、命の心配はいらないだろう。足元のキリから視線を切って、リードは正面に目を向けた。

 一呼吸して、リードは冷静に努めて対峙する相手再確認する。

 屍人が十三体。食おうとしていた食料を奪われ、皆気が立っているように見える。冒険者として幾度も迷宮を探索してきたリードだが、これほどの数を一人で相手にした経験はなかった。

 棍を持つ手に、力が入る。

 屍人自体は、強力な魔物というわけではない。こちらを一撃で屠る膂力もなければ、攻撃が通らないような分厚い外皮も持たない。鈍器で頭を叩き潰すなり、刃物で首を落とせばそれで終わる。

「食欲のままに動くって言われてるくせに……多対一を弁えてるじゃないか」

 一か所に群れていた屍人たちは、緩慢な動きでありながら徐々に左右へ広がっていく。強力な魔物でないにしても、取り囲まれ、腕か足を掴まれでもすれば、そのまま貪り食われることだろう。

 じりじりと悪化していく戦況を理解しつつも、リードは動くことができなかった。迂闊に飛び込めば、自ら包囲されに行くようなものだ。

「キリ、動けるか? 動けるなら通路まで走れ。敵が正面だけなら、この数でも相手にできないこともない」

 もちろん、通路に逃げたとしても背後から別の魔物が襲い掛かってくる可能性は否定できない。

 それでも、このままでは取り囲まれて敗北するのは必至である。

「……あなたの考えは分かりました。通路まで退きましょう」

 キリが立ち上がるのを確認して、リードとキリは広間の入り口まで走る。

 そして──、

「何を──!」

 入り口で立ち止まると、キリはリードの背を押した。

 予期せぬ衝撃に、リードは通路へと転がる。

「私にも、プライドがあります。大口を叩いて帰らせた相手に救われるなど、自分で自分が許せません」

 リードが立ち上がるよりも早く、キリは腰に下げた瓶を足元に投げつけ、魔令術を行使する。

「燃えろ」

 通路の入り口に炎の壁が生まれ、リードの伸ばした手を阻む。

「おい、ふざけるな! これを消せ!」

 リードの叫びは通路に虚しく木霊する。炎の向こうで、いくつもの影が揺れる。だが、戦況が芳しくないことは容易に理解できた。

「キリ! おい!」

 叫び声が他の魔物を呼び寄せる危険性をも捨て、リードは声を上げ続けた。

「……燃えろ!」

 キリの力強い声が聞こえた後に、炎の壁が一層強く燃え盛る。その炎に飲まれそうになって、リードは思わず後ろに下がった。

 その炎の勢いに向こう側の影すらも見えなくなり、リードは苛立ちを処理し切れないまま、通路の壁を棍で思い切り叩いた。

 舌打ちを零して、リードはその場に腰を下ろす。


 しばらくして、通路を塞ぐ炎が静かにその勢いを弱めていった。

 この程度ならば、とリードは地面を蹴り、炎の壁めがけて飛び込んだ。広間に着地した瞬間、肉を焦がした不快な匂いが鼻を突く。

「これは……」

 思わず鼻を押さえ、リードは周囲を見回した。広範囲にわたって地面と壁を焦がした炎の跡。地面に横たわるいくつもの焼死体は酷く炭化して、人であったかどうかを判別することも難しい。

 そんな塊が、合わせて十四。

 棍の先でつつくと、ぼろぼろと炭が崩れていく。

 どれが屍人で、どれがキリであるかの判断もつかない。入り口から離れた場所で倒れていたアルヴィスの身体すら焦げており、いったいどれほどの火力がこの広間に生まれたのか、リードは想像もつかなかった。

「──ッ」

 口から吐き出されそうになった言葉を全て飲み込み、リードは独り立ち尽くした。

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