第10話 追跡者⑩
外套の内から素早く取り出した棍で、リードはアローの伸ばした手を払う。
棍で払われた手に痛みを感じる素振りも見せず、緩慢な動きでアローは立ち上がる。その様子と表情を見て、リードは確信する。
虚ろで焦点の合わない双眸。開かれたまま、端から唾液を垂れ流している口。冒険者たちが屍人(グール)と呼ぶ魔物に間違いない。
死体に魔素が悪影響を及ぼし、食欲にのみ身を任せて徘徊する。
相対するのは一度や二度ではない。過去の経験を掘り起こし、リードは棍を握る手に一層の力を込める。
冷静に対処すれば難敵ではない。人らしい意思が失われているために攻撃は直線的で単調。
殴る、噛みつく、飛びつく、次の行動はこのどれかに絞っても良い。
「こいつを殺すぞ! いいな、アルヴィス?!」
視線は目の前の魔物から離すことなく、リードは声を上げる。
我が国に不利益になるようなら斬ることも辞さない、とアルヴィスは言っていた。と同時に、同じ釜の飯を食った仲間をできれば斬りたくはない、とも。だが、この言葉はあくまでもアローが人間であった場合の話でしかない。
問答無用で殴り掛かることはせず、アルヴィスに確認を取ったのはリードなりの気遣いだった。
「……?」
だが、返答は無かった。
代わりに、金属が地面を叩く音が響く。
しまった。そう感じて、リードは奥歯を噛む。広い部屋ということで油断してしまっていた。他にも魔物が居たのか。
そう思って振り返り──、
「は?」
リードは困惑した。
腰から抜いた直剣を取りこぼすアルヴィスの喉に、深々と短刀が突き刺さっている。鮮血が溢れ、純白の鎧を穢していく。
アルヴィスの命が絶たれたことを確信したのだろう。キリは短刀を引き抜くと、勢いよくそれを振り下ろして刃に付着した血を払う。
「何を──」
状況に対する疑問を投げかけるリードの言葉は、力なく崩れ落ちた鎧が地面を削る音にかき消された。
駆け寄って確認するまでもない。足元まで流れ出た鮮血を見て、リードはアルヴィスの遺体から視線を切る。この出血量で生きていられる人間などいない。
「燃え上がれ!」
キリは手に持った布を投げると同時に命令する。リードの横をすり抜けて地面に落ちた布が激しく燃え上がり、屍人との間に炎の壁を作り上げる。
状況が読めぬまま、リードは棍を手に構えなおす。
「はい、これ」
アルヴィスの遺体から布袋を取り上げたキリが、それをリードに投げ渡す。咄嗟に受け取ると同時に、硬貨の重みを感じ取る。
「……何のつもりだ」
「依頼の報酬です。貴方は依頼通り、私たちを彼の元まで導いてくれた」
「そんなことを聞いているんじゃない。なぜアルヴィスを殺した」
淡々と答えるキリに、リードは苛立ち交じりに声を荒げた。
「だって、彼が魔物と化しているのですから。アルヴィスなら、間違いなく剣を振り下ろしていたことでしょう。そんなこと、させるわけにはいかなかった」
「説明になっていない。アローが魔物となっているのなら、国の情報を持っていたとしてもそれを喋ることはないだろう」
リードの言葉に、キリはわざとらしい溜息をこぼした。
「……アルヴィスの言った通り、私は魔令術の研究組織の人間。ただ、我々はノルライナに全面的に協力しているわけではありません。私の任務は、騎士団の人間をそそのかし、機密情報を得ることにあった。魔物となっているのなら、それはそれで好都合。魔物から情報を抜き取る魔令術くらい修めていますので」
「なるほどな。それで? 俺も殺すのか?」
「出来ればそうしたかったですが、こうも警戒されていては叶わないでしょう。貴方はこの迷宮に執着しているようですから、正直に事実を話して、帰ってもらう方が正解だと思いました」
「俺がアルヴィスの敵討ちをする、とは考えないのか?」
「たった半日、一緒に居ただけの依頼主の敵討ち? そんな簡単に情に流されて、冒険者なんて務まるのですか?」
口の端を歪めて笑うキリに、リードは何も答えなかった。口では敵討ちなどと漏らしたものの、リードにそんな気は全くもって無かった。
キリの言う通り、半日一緒過ごしただけの男の死に熱くなれるほど、自分が情熱的な人間ではないと理解している。それを見透かしているように語るキリの口振りに思うところはあるが。
「ノルライナに告げ口をしない、と約束してくれるのなら、私から危害を加えるつもりはありません」
「言わない、という言葉だけで信用できるのか?」
「きっと、貴方は言わないと思います。そんな時間があるのなら、一歩でも奥へ迷宮探索に向かうでしょう」
それも、キリの言う通りだった。このまま地上に上がっても、自分は何事もなかったように眠り、次の日また迷宮に向かうだろう。その自信がある。
「……分かった。この金はありがたくいただいて、俺は地上に戻る」
「感謝します」
構えていた棍を下ろし、リードは広間の入り口へ向かって歩き出す。
「ああ、そうだ。これも、依頼の報酬と思ってください」
その言葉に振り返ると、キリは剣を鞘にしまってリードに押し付けた。アルヴィスが腰に下げていた剣である。
受け取ると、キリは頷いて踵を返した。作り出した炎の壁を消して、魔物と化したアローから、どうにかして情報を抜き取るのだろう。だが、そんなことはもうリードには関係のないことだった。
このまま迷宮に埋もれていくくらいなら、ありがたく使わせてもらう。受け取った剣を腰のベルトに引っかけて、リードは今度こそ広間を去る。
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