第5話

 日が沈んで、夜が更けて、夜明けを迎えても、私はまだ描いていた。ただただ、集中していた。一気に描き上げるけど、これが私の幻想なんだって理解してしまうと、なんだか笑えてきて。

 ああ、そうか。こんなに、単純なことだった。私は描けるんだ。写実画じゃなくったっていい。描けるだけでいい。西川、今分かった。アンタが、ただ、描ければいいって言った理由が。

 そして、描き上がったのは、私の見ている絵画教室の風景。私の隣には誰もいない。そうだ。あの日から、これはありえないんだって、どうして気づかなかったんだろう。

 そして、私はどろのように眠っていた。

 気が付けば日曜日の昼になっていて、私は絵画教室の戸を叩いた。ゆっくりと戸を開く。既に人が集まっている。珍しく、西川もその場にいた。私は遅れてきたことを先生に謝ってから、絵を見せる。

「遥ちゃんが、これを書いたの……?」

 ざわ、と周囲が混乱するのも無理はない。だってそれは、幻想画とは言い難いものだったから。ただの、絵画教室の日常にも見て取れるだろう。でも、これは幻想画なのだ。だって、この絵の中には西川がいない。

「……これは」

 皆は首を傾げていたけれど、西川には理解できたようだ。これが、私の世界よ。

「ああ、そうか。そうなんだね」

 西川が、私の方に顔を向ける。

「これが、君にとってありえないこと、なんだね」

 そう言って笑う西川は、なんだか嬉しそうで。それをちょっとだけ、なじってやりたいと思った。

「西川」

 周りがまだ騒がしい中、私はただ、西川にだけ声を向ける。

「アンタが嫌いよ、私の前を進んでる、アンタが大嫌い」

 これは宣戦布告だ。追いついてやる。私はアンタ以上に認められる画家になって、今度こそ。

「抜いてやるから。いつか、いつかはアンタが後悔するのよ。私と会ったことを」

「……うん」

「それで、それでっ……」

 気がついたら、泣いていた。周りがギョッとする中、西川だけが、真っ直ぐに私を見てくれていた。だから私は涙を拭う。

「アンタも、目指すのよ! 私と同じ道を! 絵描きとして、生きていくんだから!」

 その言葉を待っていたと言わんばかりに、西川は笑い出して、私に手を伸ばす。

「今更、父がどうだとか、言い訳にはしない。君に負けたくないから、そうするよ」

 そう言って笑う西川は吹っ切れたように、頷いた。私も、伸ばされた手をしっかり掴む。これは、始まりであり、誓いだ。

 私達は、少し遠回りしたけれど、少しだけお互いを認め合えて。絵で繋がっているこの関係を、しっかりと確かめ合えた。

 描くものは、違っても。例え、どんなに対照的でも。私達は、これから先もずっと、描き続けるライバル同士だ。

 

 数年後、ある画廊がろうに絵が運び込まれていた。

 写実画の天才と呼ばれた一人の男が描いた、自分の運命を未来づけた日を描いた絵。一人の少女が、目に涙を浮かべながら切実に訴えかけてくる様子を描いたもの。

 それは、彼にとってのリアルだった。

「あの時君がいなければ、僕は描くことを辞めていた」

 解説文の最後に書かれた言葉が、この天才を生み出した少女がいたことをよりリアルに感じさせる。

 対して、運び込まれたもう一つの絵。

 不思議な世界だった。ごちゃごちゃとした人の雑踏の中心で、見向きもされずに踊る一人の中性的な人物。すらりとした足はぼやけ、天に伸ばす手は霞んでいる。まるでかたどれない人の姿は、少しだけ人らしさを欠いていた。作者に関しては、詳しく知られていない。この世界を、変な先入観で見られたくないからと、作者に関しては伏せているのだ。

 そして、この作品にも、解説文があった。

「私達はまだ、届いていない」

 この絵を見た人は言うだろう。過去を描いた天才と、未来を描く幻想画家のことを「まるで対照的だね」と。だけど、本当は違うのだ。

 同じ悩みを抱えて、同じ道を選んで、二人は今、ようやく、同じ場所に立っている。あの日目指した道を、二人は違えることなく歩んできた。

 その末に、生まれた作品が写実画であろうが幻想画であろうが、たとえ他の人物にどれだけ対照的だと言われようが。

 そこには、二人の絵が並んでいる。


(END)

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君を描く 芹沢紅葉 @_k_serizawa_

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