第3話

 部活への勧誘を、西川は断り続けた。私はその勧誘に関しては知らん顔をし続けていたけれど、帰り道に西川を見かけてつい言ってしまった。

「なんのつもり」

 私の言葉に振り返る西川は、いつもの澄ました顔で聞き返してくる。

「なにが?」

「絵画教室にもこないで、何してたの」

「絵を描いてた」

 え、と思わず声が出た。描くことを辞めたわけじゃないのは薄々察していたが、意外な答えだった。だって、それなら絵画教室にくらいくればいいのに。そんな私の気持ちを察したのか、西川は少し呆れたように言った。

「僕はちやほやされたいわけじゃないんだ、ただ描きたい。それだけなんだよ」

「じゃあ、なんで作品を出したの」

「僕の実力がどこにあるのか、知るには必要だと思ったから」

 ああ、コイツは。コイツは、きっと天才なんだ。そう思った。思ってしまった。

 初夏の暑い日差しのせいで出る汗とは別に、嫌な汗が背を伝っていくのを感じた。日が雲によって遮られ、陰っていくのにも関わらず、気持ち悪さが拭えない。

 なんだか、悔しい。けれどそれ以上に、格の差を見せつけられた気がしてただ茫然ぼうぜんとしていた。

 あれだけの画力があって、周りにも認められて。西川の目指す先は、どこにあるの。それが、私の目指しているものの前に初めて壁が現れた瞬間だった。

 次の日、部活動でも、絵画教室でも。紙に向かう私は手を止めていた。こんなこと、一度もなかったのに。描けない。思いつかない。幻想が、霧散していく。

 パレットの上の絵の具を混ぜて、混ぜて、よどんでいく。汚い色に変わっていくのを見て、なんだか無性にイライラした。

 そうだ、現実には勝てやしない。分かってる、分かってた。でも。私はありえもしないものが描きたかった。人を惹きつけるものが描きたくて、いずれはその道で食べていきたかった。でも、人はやっぱりリアルを求めるのだ。

 べしゃり、と音を立てて混ぜた絵の具がキャンバスを塗りつぶした。ぐちゃぐちゃだ、絵も、私の心も。

 気が付けば、泣いていた。静かに涙が頬を伝っていた。声も出さずに泣き続ける私に最初に気が付いたのは池内さんだった。

「どうしたの、遥ちゃん」

「池内、さん」

 ごちゃごちゃになっていく思考から抜け出せない。

「私、分かんない。分かんないよ……!」

 何を描くのが正しいのか、なんて答えのないことを聞いている自覚はある。だけど、今はそう聞くしかなかった。リアルが正しい? 幻想なんて価値がない? 私はそう言ったことを池内さんに打ち明けた。すると池内さんは困ったように問いかけてくる。

「お、落ち着いて。ええっと、西川君となにかあった?」

 ぐっと、息が詰まるような感覚。今はその名前を聞きたくなかった。だけど、私の打ち明けた胸の内から何かがあったことは見抜いたのだろう。池内さんは「あー……」と煮え切らないような声を出して、眉を寄せた。

 まさか、そのタイミングで、だ。西川が久しぶりに絵画教室にやってきた。手には、絵画コンクールで受賞した額に飾られた作品を持って。

 そして、私のぐちゃぐちゃになったキャンバスを見て、西川は目を丸くした。

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