第7話 秘境へ通じる道
柳辻は不思議な地区だ。
朝は幻想的な霧が立ち込め、夜は生物が死に絶えたかのように静まり返る。祭りの日には狐や鬼の面を被ってうろつく影が見え、まるで妖怪の住処のようだった。
知らない人は因習に出くわしたように慄くが、現地の人々にとっては当たり前の日常。誰も疑問を抱かない風だった。
外部の人間は好き勝手に噂をばらまく。
異界に繋がる社・地図に載らない空白の領域・ある路地の商店には不思議な力を蓄えた菓子がある、だとか。
夏の終わり際。
残暑は厳しく、秋が迫る気配はない。特に昼間は灼熱の日差しが照りつける。
白いシャツやブラウスを着て登校する学生をすれ違う形で、天羽幹久はリュックを背負い、大きな通りを歩いていた。ギザギザとした短髪に、少年のような光を宿した、丸い目。筋骨隆々の引き締まった肉体をシンプルな半袖と、ジーンズが包み込む。
バイクを持ち込み門をくぐったのはいいものの、いたって普通の街だ。都会過ぎず、田舎過ぎず。西側の開けた地は遊園地となっていて、カラフルな建物がポップな印象を受ける。ほかには美術館、博物館も揃い、娯楽は充実していた。目立つ位置にはデパートも見え、土産物を含めて、欲しいものはなんでも揃う雰囲気がする。
しかしながら彼は観光をしにきたわけではない。どちらかというと冒険もしくは度胸試しだ。
奇妙な話題を聞く柳辻街。自分も彼らの言う神秘体験とやらをしてみたく、はるばる刺激を求めにきた。いままで廃墟や事故物件などを巡ってきた身。心霊現象に遭ったことは一度もない。つまり、失敗したことがないのだ。ゆえに怖いものなし。
敵が鬼やスズメバチであろうと、撃ち落とす構え。闘志を宿した目は爛々と輝き、日に焼けた肌も相まって、頼もしい。
まずは人気のない場所を目指す。怪しいものは日の当たる道ではなく、もっと薄暗いところに忍び寄るもの。境目あたりに行けばさすがになにかと出逢えるだろう。意気揚々と郊外へ身を滑らす。原っぱから伸びた小道を通り、森の入口までやってきた。
バイクを乗り捨て、奥へと進む。深遠たる領域、涼しく湿った空気を縫っていけば、水気のあるフィールドにたどり着いた。さらさらと小川が流れ、せせらぎの音を耳がかすめる。艷やか葉に隠れるように泉が湧き出て、底から透明な光が照らす水は、未知の世界へ繋がっていそうなほど神秘的だった。
ひんやりとした空気に包まれ、神経が研ぎ澄まされる。体を固くしたとき、急にあたりに薄暗さが降りた。
立ちすくむ男の視界に淡い光がチラつく。魔法のステッキを降ったように白銀の細かな粒子が、降り注いだ。張り詰めた顔で見てみれば、苔に覆われた岩で奇妙な生物が飛び跳ねる。カエル、ではない。青白い灯火が舞い、花の形をした生物が顔もなく踊る。二股の猫がのんきにあくびをかまし、白い狐が流し目を送る。赤い瞳がこちらを向いたと気付いた瞬間、冷たい感覚が背を這い、ブルっと震えた。
まずい。
体が石のようにガチガチになったところを、強引に動かした。ギュッと拳を握り、肘を引く。勇気を出して体をひねり。百メートル走の選手のように無駄にいいフォームで、一目散に逃げ出した。
着た道を引き返すと急に明るい場所に出る。あまりの緊張と恐怖で呼吸すら忘れていた。慌てて口を大きく開き、ぜーはーと息をする。
なんとか気を落ち着かせ、改めて振り向いた。
きょとんと瞬く。こんもりと茂った森の入口は閉ざされ、豊かな緑が広がるだけだ。傍らに置いたバイクには蔓が伸び、もう何年も忘れ去られていたかのよう。不確かな感覚が足元に這い上がり、そわそわ。
夢を見ていたのだろうかと首をひねりながら、草を払う。バイクにまたがると、エンジンがかかった。
真実は分からない。ただ、まぶたの裏に焼き付いた泉の美しさ。宝石のように透き通った水面に、神秘的な輝き。どうか森の奥で見た景色だけは本当であってほしい。すがるように願いながらも、彼は一度も振り返れなかった。
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