第4話 不幸にしたくない

 秋が近づき、夏休みが終わりかけ、名残惜しい気持ちが湧き上がる。

 しっとりとした時間帯、澄み切った漆黒の空にはかすかに銀のきらめき。その周りは提灯による暖色の明かりで彩られていた。

 商店街を抜けた先にある、刻守ときもり地区。白鷺山の麓の森。普段は影が薄い神社が、八月二四日の夜にだけ存在理由を取り戻す。テントを貼った屋台が軒を連ね、香ばしい匂いが充満。人通りが多くにぎやかな活気で満ちる中、浴衣姿の少女は一人、浮かない表情でうつむく。

「どうしたんだ、月乃?」

「誠……」

 谷本誠。面長の顔にオーバル型のメガネ。やや切れ長の目付きでありながら表情は柔らかく、親しみやすい印象を受ける。

 少女――樒月乃は複雑な心境を表に出しながらもコクンとうなずいた。

「せっかくの祭りだ。楽しまなきゃ損だろ。ほら、なんでも買ってやるからさ」

 ウキウキと声を弾ませながら、彼女の手を引っ張る。つられて歩き出しながらも、やはり彼女の表情は曇っていた。

 ひらひらとした裾から小さな手が伸び、華奢な体を覆った涼やかな布が儚げな雰囲気を加速させる。華やかな花飾りだけがなんらかの魔力がかかったように、輝いていた。

 二人は開けた場所で足を止める。太鼓や笛を吹くための台座の前だ。奥には神輿も見える。周りにはたこ焼きやクレープ屋が見え、すぐそばをかき氷を片手に若い男女が通り抜けていった。

「おっ、見ろよ!」

 誠が飛び跳ねそうな勢いで、天を指す。まっすぐな指の先に花火が上がった。きらびやかな色が散らばり、散っていく。儚くも鮮やかな景色をじっと見つめながら、月乃は眉を寄せた。

 いよいよ頃合いだろう。いつまでも甘えてばかりではいられない。一度下を向いてから深く息を吸い込む。顔を上げ、意を決して声をかけた。

「あの」

 か細い声を拾って、少年が無垢な顔を向ける。

 少女はアーモンドアイをキリリとつり上げ、真剣な顔で彼を見た。

「もうそばにはいられない。別れましょう」

 静かに切り出す。

 誠はあっけに取られたように固まった。

 一瞬ショックを受けたように沈んだ表情になるも、彼はすぐに表情を和らげる。

「そっか。俺の勘違いか。てっきり脈ありだと思ってたんだが」

「違うの。全部、私のせい」

 言葉を遮るように勢いよく声を発する。

 誠はピクリと眉を動かしまじまじと彼女を見た。

「私は疫病神。いままでもたくさんの人を不幸にしてきたわ」

 眉間を曇らし、口を曲げる。

 瞳はさらに昏く陰った。

「中学のいじめっ子はあるとき転んで、顔に怪我をした。いたぶろうと迫ってきた男子は、別の場所で刀傷沙汰を起こして警察行き。上から目線でガミガミ怒ってきた先生はある晩から悪夢にうなされて、退職したわ」

 とうとうと少女は身の回りで起きた出来事を語る。

「全部、私が招いた厄災。負の感情が伝わった結果なの。いつの間にかラインを越えて私、怖くて怖くてたまらないの。このままじゃ、みんな危険な目に遭わせてしまう……!」

 唇が青ざめ、声がか細く震える。

 いつしか月乃を皆が避けるようになった。あの子には関わるなと誰かが言い、噂が噂を招く。ときにはちょっかいを出してくる輩もいたけれど、例外なく災いという名の反撃に遭った。

 唯一、そばにいてくれたのが誠。彼はおそれもせず、ただの人間として接してくれる。一人取り残された少女にとっての心の支えだ。決して喪いたくない相手。だからこそ、彼にだけは傷ついてほしくなかった。

「お願い。私を忘れて」

 なんて、心の底では未練がある癖に。今だってきれいな浴衣を着込み、花飾りでおめかしした。せめて彼の記憶に残るように、覚えていてくれるようにと、気合を入れて。

 それでも祈るように少年を見上げると、彼は表情をゆるめ、安心させるように言葉にした。

「大丈夫。これ以上、君の心を傷つけさせはしないよ」

「え……」

 思わぬ返答にぽかんとする。

「君に危害を加えようとした人たちがカウンターを食らったのは当然のこと。自業自得だからね。周りが勝手にやられたんだ。悪いのはあいつらだよ」

 少女を包み込むように、言って聞かせる。

「確かに君には特別な力がある。浮世離れしていて、神秘的で。だからこそ、僕は惹かれた。でも、それだけじゃない」

 ハッキリと、想いの結晶を形にするように、言葉をつむぐ。

「君の本心はずっとそうだ。誰も不幸であってほしくない。たとえ敵でも嫌な目に遭うことは我慢ならない。いろんな人たちが災いを食らう度に心を痛めていたんだろ?」

 少女の沈痛な表情がシャボン玉のように浮かんでは、消える。彼女の繊細な心を察し、誠は明るく笑いかけた。

「僕は決して、君を泣かせない」

 彼女の美しさを彼は知っている。

「でも、私は自分を、信じられない」

「だったら幸福を祈ってくれ」

 優しく呼びかける。

「もしもその力が本物なら、きっと願いは叶うだろう」

 確信を得た口調で断言する。

 ゆるりと張り詰めていたものが溶ける気配がした。

 迷いの霧が晴れ、目の前がかすかに白むような感覚。

「君がそんな感情を抱かなくてもいいように、守るよ」

 少女の小さな体を抱き寄せた。

 互いに見つめ合う目と目。

 丸い虹彩に映った少年は頼もしい顔をしていた。

 ああ――熱を持った感情に胸が痺れる。

 気持ちが荒ぶり、震えた。

 彼を信じたい。彼がそばにいるのなら自分はきっと、大丈夫。

 また、花火が上がる。暖かな空気を押し上げ、華やかに。その鮮やかな色をまだ少しだけ、二人で見つめたいと思った。

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