第12話

冬の朝は、無駄に澄んでいる。

吐いた息は白くて、思ったことまで空気に溶けていきそうだ。


昇降口で靴を履き替えていると、後ろから肩を叩かれた。


「よぉ、黒巻。最近、屋上に通ってるって噂だけど?」


振り返ると、クラスの谷口がニヤついて立っていた。


「……誰が言ってんの、それ」


「いやー、隣のクラスの女子が見てたらしいよ。屋上で誰かと並んでるって」


「誰とも並んでねぇし。ぼーっとしてるだけだよ」


「ふーん。でもさ、なんか最近、お前雰囲気変わったよな。

前よりちゃんと“今”にいる感じっていうか」


「……余計なお世話」


「あっはは、そりゃそうか」


谷口は軽く肩をすくめて、先に昇降口を抜けていった。


“ちゃんと今にいる”──か。

自分でも、ちょっと思う。あの頃の俺より、今の自分が少しだけましだって。


 


 


階段を上がっていくと、昇降口に小崎が立っていた。


「おはよ、黒巻くん。早いじゃん、どうしたの?」


「そっちこそ珍しいな」


「今日はあかりと一緒に来たの。ふふん、ちゃんと起きたのだ」


すぐあとに、あかりが少し眠そうな目で現れる。


「……おはよう、黒巻くん」


「おはよう、あかり」


俺が名前を呼ぶと、あかりの目がふわっと和らぐ。

その変化が、なんでもない朝をちょっとだけ特別にしてくれる。


 


 


昼休み。階段の踊り場、俺たちのいつもの場所。


「はい、黒巻くん。チョコクリームメロンパン、あかりの推し」


「またそれかよ。糖分の暴力って言ったのに」


「でも午後の授業、眠くならないよ?あかり方式」


俺が渋い顔をしていると、あかりが自分のパンをちぎって、俺に差し出した。


「……試してみて。思ったより美味しいよ」


細い指先がほんの一瞬、俺の手に触れる。

それだけで、心拍がちょっと跳ねる。


「ありがと」


自然を装ったつもりだけど、声がわずかに上ずっていた。


あかりが笑った気がして、そっちを見れなかった。


 


 


放課後。小さな文房具屋でペンを選ぶ3人。


「この色、あかりに似合う」


「どこが?」


「ちょっと淡くて、でも芯があるとこ」


自分でも言ってて照れるような台詞だったけど、

あかりはうれしそうに俯いて、口元をおさえてた。


俺はその横顔を見ながら、

ああ、やっぱり、好きだなってまた思った。


 


 


駅前の通りに出ると、小崎がスマホを見て急に顔を上げた。


「あーっ! 今日塾の模試だった! ヤバ!」


「今から間に合う?」


「ギリ! 走るしかないやつ!」


「じゃあ、また明日な」


「うん、バイバイ〜!」


小崎は手を振って、角を曲がって走っていった。


 


──残ったのは、俺とあかり。


並んで歩きながら、沈黙がしばらく続いた。

でも、気まずくはない。むしろ、心地いい。


 


「今日は、楽しかったね」


「うん。俺も」


交差点の手前で、あかりが少しだけ立ち止まった。

そして、勇気を溜めるように、息を吸い込んだ。


「……ありがとう、柊」


その瞬間、心がピクリと跳ねる。


あかりが、俺の名前を呼んだ。


俺の“名前”を。


 


顔を向けると、彼女は頬を赤くして、目を逸らしていた。

普段冷静なあかりが、今だけ少し照れている。


その仕草が、いつもより少しだけ近くに感じられて。


俺も、自然と口が動いた。


「……あかり」


彼女は顔を戻し、目が合って──

ほんの一瞬、はにかんだ。


その笑顔は、きっと誰にも見せてないやつだと思う。


胸の奥が、ふっと温かくなる。


 


たった一日。

だけど、されど一日。


何気ない一瞬が、確かに二人の距離を縮めていた。

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