春のサボタージュ

 桜が腹立たしいほどに満開だ。校門の横に立てられた「入学式」の看板の前では多くの親が、自分の子供の晴れ姿を記憶媒体に残そうとやっきになっている。子供たちはよく分からずに、カメラの前でピースサインを出していた。親と子の温度差に月波は気持ち悪ささえ感じた。

 月波平、夢幻株式会社営業二年目。「ツキ・ナミヘイ」ではない、「ツキナミ・タイラ」。事務の女性陣から、こっそり「なみへい」と呼ばれて馬鹿にされているのも知っている。入社二目だが、新人の頃は下積み時代とはいえひどかった。周りが、ではない。自分が、だ。電話に出るのに躊躇する。朝は先輩より遅い出社。教わったことをメモしても、いざ実践になると、書いた部分がどこかわからない。そのくせ、返事だけはよくできると先輩に褒められた。無論、嫌味だ。

 近くの大型書店に届け物をしたあと、休む場所を探してここまで来た。この辺は公園も、喫茶店もない。そこで目をつけたのが小学校だ。入学式なら都合がいい。部外者だが、普段より警備は手薄になるだろう。校門を抜けると、さっさと校庭に向った。

 サッカー少年たちが、校庭でゲームをしていた。子供は嫌いだが、動きは滑稽だ。それを眺めるだけでも、暇つぶしになる。

 ゴールの裏に近いベンチへ足を向けると、すでに先客がいた。小柄で黒髪の少年が、ベンチの上で寝そべっている。

 ――俺がサボる場所、取るんじゃねぇよ。

 自分が部外者であることを棚に上げ、心の中で文句を言ったとき、少年のつぶやきが聞こえた。

「友達百人なんて、できっこないんだ」

 月波は、その言葉に苦笑した。なんだ、このガキは。今からそんなにひねくれてたら、ろくな大人にならないぜ。

 少年の頭の横に腰掛け、月波は言った。

「できなくてもいいじゃん」

 少年はその声に、ぱっと身を起こした。月波の顔をまじまじと見ると、そのまま逃げようとする。当然の行動だ。最近の小学生は怪しい人とは関わらないように、親や教師から言われているのだから。

 それでもお構い無しに、月波は続けた。

「百人の薄いつながりの友達より、本当に好きな人間を大事にしたほうがいいんじゃねぇの? そういう人間が百人いるなら話は別だけどよ」

「おっさん、ずいぶん冷たいな」

 少年は驚いた表情を浮かべ、目の前のサラリーマンを見た。

「そこが長所で、短所だ」

 にやりと笑うと、月波はカバンからキーホルダーを出した。シルバーでできた、三日月型。結構重いが、品はいい。月波のお気に入りのものだった。ついていた鍵を全て取ると「手ぇ出せよ」と少年に命令した。

 少年は少しためらったあと、おずおずと右手を差し出した。若干逃げ腰なのが気に食わないが、いかんせん自分は部外者。仕方ない。そのままキーホルダーを少年のてのひらにのせた。

「やるよ、それ。別に下心なんてないから、安心しろ」

「え、でも……」

 少年は困った顔をした。無理もない。突然、知らない人間が自分にものをくれるなんて、どう考えても怪しい。しかし、ものは悪くない。月波は、キーホルダーを彼に渡したまま、その場を去ることにした。そろそろ戻らないと、先輩に何を言われるか。

「受け取っとけよ。いい友達ができる、お守りみてぇなもんだ。素直に行動できんのは、今のうちだけだからさ」


 月波がベンチを立つと、風が吹いた。桜のはなびらが舞い散り、校門までの長いじゅうたんを作る。

 少年は、変なサラリーマンのうしろ姿を見送ることしかできなかった。


 会社に戻る途中、自分の不気味な行動を自ら嘲った。あの少年のつぶやきに、同情でもしたのだろうか。

 まあ、いい。キーホルダーなんか、捨ててもらって構わない。

 

 月波は、春の頭痛がしそうなほどのいい天気にふらつきながら、駅に向うバスへと乗りこんだ。      

                               【了】

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マネードリーム 浅野エミイ @e31_asano

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