交錯する人生
俺は何の変哲もない会社員だ。毎日、同じ時間に起き、満員電車に揺られ、適当に仕事をこなし、家に帰ってビールを飲みながらスマホを眺める。そんな繰り返しの人生。特に不満があるわけではないが、刺激もない。
だが、その退屈な日常は、ある朝、目を覚ました瞬間に崩れ去った。
見知らぬ天井。少し埃っぽい空気。木製の本棚にはびっしりと英語の本が並んでいる。違和感を覚えて飛び起きると、鏡に映った自分が、自分ではなかった。
見慣れたはずの顔は、どこか鋭く洗練されている。髪は短く整えられ、普段は絶対に着ない白シャツにベストを合わせた姿だった。いや、それよりも、ここはどこだ?
「……なんだ、これ?」
混乱しながらスマホを探す。手にした端末は見慣れた機種だが、中の情報が違う。電話帳の名前、アプリの配置、メールの履歴……どれも俺の記憶とは違っていた。試しに自分の名前を調べると「工藤尚哉」は、職業:大学教授だと書かれていた。
「教授? 俺が?」
冗談じゃない。俺は事務職で、研究なんてしたこともない。それに、この部屋の雰囲気からして、どうやら俺は外国にいるらしい。窓の外を見ると、見慣れた日本の景色はなく、石畳の広場が広がっていた。
俺は夢を見ているのか、それとも——。
とにかく、この世界の俺について情報を集めないと。スマホのメッセージを漁ると、どうやら今日は大学で講義があるらしい。時計を見ると、あと一時間で始まる。逃げるわけにもいかず、俺は仕方なくスーツを羽織り、大学へ向かった。
教室には学生が大勢集まっていた。俺は内心震えながらも、彼らの前に立つ。
「ええと……今日は、どこから話せばいいかな」
教科書を開きながら、なんとか誤魔化す。学生たちは真剣に耳を傾けてくれているが、俺の中身は完全に素人だ。だが、不思議と講義はそれなりに形になっていた。話しているうちに、俺はこの世界の「工藤尚哉」がどんな人物だったのか、少しずつ分かってきた。
彼は天才肌の研究者でありながら、どこか掴みどころのない性格をしているらしい。学生からも尊敬されているが、プライベートはあまり知られていない。そんな彼の人生を、俺は二日間だけ生きることになったのだ。
その日から、俺はこの世界の「俺」として過ごした。研究室では助手や学生たちに囲まれ、俺の知識が足りない部分は「最近ちょっと体調を崩していて」と言い訳しながら、なんとかごまかした。
しかし、不思議だったのは、俺が話す言葉がこの世界の知識と自然に合致していることだった。まるで、この世界の「工藤尚哉」の記憶が、少しずつ馴染んでいくような感覚があった。
二日目の夜、俺は自分の部屋で考え込んでいた。
もし、この世界にずっといられたら? 俺は教授としての人生を歩み、刺激的な研究に没頭できるかもしれない。しかし、元の世界には俺の生活がある。あの退屈な日常にも、確かに俺の人生が刻まれていた。
眠る前にふと、スマホの写真フォルダを開いた。そこには、この世界の「俺」が学生たちと笑顔で写っている写真があった。彼らの表情を見ていると、俺はこの世界の「工藤尚哉」が大切にされていたことを実感する。
——俺がいなくなったら、彼らはどう思うだろう?
考えながら目を閉じた。
次に目を開けたとき、俺は見慣れた天井の下にいた。
日本の、自分の部屋。
スマホを手に取り、メッセージを確認する。仕事の通知、どうでもいいニュース……全てがいつも通りだった。
俺はベッドから起き上がり、窓を開けた。冷たい風が頬を撫でる。
「ああ……帰ってきたんだな」
胸の奥に、少しの寂しさが残る。
だが、その寂しさと同時に、俺の中には確かな変化があった。今までただ退屈だと思っていた日常が、少しだけ違って見えた。
俺は、これからの人生をどう生きるべきか。
きっと答えはすぐには出ない。それでも——俺は新たな気持ちで自分の人生を歩み始めた。
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