予見できる未来

 気が付いた時には、世界が変わっていた。

 昨日までとは違う。誰もが口をそろえて「行動の結果が分かる」と言い出した。たとえば、食堂のレジに並べば「この列を選べばスムーズに進む」と確信し、ボールを投げれば「この角度なら相手に届く」と分かる。


 そんな状況が、世界全体を包み込んでいた。


 俺、瀬川拓海は、大学二年生。特に目立たない、ごく普通の男だ。

 この現象に気付いたのは、朝、目覚まし時計を止める直前のことだった。枕元でアラームが鳴る。止めようと手を伸ばした瞬間、「このまま動けばアラームはすぐに止まる」と理解した。予測ではない。確信だった。

 最初は気のせいかと思ったが、次の瞬間、部屋のドアを開けるときも「こう動けばスムーズに廊下へ出られる」と分かった。そこからはもう止まらない。


 階段を降りるとき、「こう踏み出せば転ばずに降りられる」

 トーストをかじれば、「こう食べれば綺麗に食べ終えられる」


 すべてが分かる。何をどうすれば、どんな結果になるのか。

 それは俺だけじゃなかった。


「やばいよな、これ」


 大学の友人である山田が、目を丸くして言った。


「俺、昼飯にカレーを選んだんだけど、食べたら胃もたれするって確信してた。でも食っちまった……結果、見事に胃もたれした」


「分かってても選んだのかよ」


「分かってても、カレーは美味そうだったんだよ!」


 そう言って苦しそうに胃を押さえる山田。

 講義中、教授も淡々とした口調で言った。


「これから板書することが試験に出ると、私は確信している」


 当然、全員が必死にノートを取る。カンニングペーパーなど不要だ。試験の日に自分がどんな点数を取るのかすら分かるのだから。


 だが、これが本当に良いことなのか——そんな疑問が胸をよぎる。


 そんな中、俺が気になったのは、一人の女性だった。

 藤崎楓。同じ大学の同級生で、文学部に所属している。俺と同じ講義を受けることが多いが、普段は特に話したことはなかった。

 しかし、その日は違った。


「どうして……?」


 彼女がぽつりと呟いたのが聞こえた。

 ノートを取る手が止まり、顔が青ざめている。


「どうした?」


「……私、分かっちゃったの」


 震える声。


「このまま家に帰ったら、事故に遭うって……」


 俺は息を呑んだ。


「避けられないのか?」


「どんな道を選んでも、どの時間に帰っても、結果は変わらないって……確信してるの」


 藤崎は泣きそうな顔で俺を見た。

 行動の結果が分かるということは、それが変えられない可能性を示唆している。


「絶対に防げない?」


「分からない……でも、怖い……」


 彼女の震える手を見て、俺は決意した。


「じゃあ、俺が付き合う。どこまでも一緒にいる」


「え……?」


「俺が隣にいたら、何か変わるかもしれないだろ?」


 自分の行動の結果は分かっても、そこに他人が干渉することで何かを変えられるのではと思ったのだ。それからの数時間、俺は藤崎と行動を共にした。予定通り家に帰るのをやめ、公園で時間を潰し、ファミレスで食事をし、電車を何本も見送った。


 そして——


 夜の八時。


「……あれ?」


 藤崎が呆然と呟いた。


「事故に遭うはずの時間、過ぎた……?」


「どうやらな」


 俺はほっと息をついた。

 決まった未来を変えられる。確定したはずの未来でも、誰かが干渉することで違う結果になりうる。


 その夜、世界は再び元に戻った。


 翌朝、目を覚ました俺は、昨日までの確信がすべて消えていることに気付いた。


「おはよう!」


 大学に向かう途中、藤崎が満面の笑みで手を振った。


「あの時、瀬川君が一緒にいてくれたから、未来が変わったんだと思う。本当にありがとう!」


「……そうか。良かったな」


 彼女の笑顔を見て、俺はふと思った。

 未来が分からないからこそ、人生には意味があるのかもしれない。

 そう思いながら、俺は昨日と変わらぬ街を歩き始めた——。


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