小人の世界
仕事を終えて帰宅し、ソファに腰掛けた瞬間だった。
体が、沈むような感覚に襲われた。
眩暈かと思い、額に手を当てる。しかし、違和感の正体はすぐに分かった。
目の前にあったテレビのリモコンが、まるで巨大な建造物のようにそびえ立っている。ソファの繊維が毛布のように見える。何より、部屋が異様に広くなっていた。
「え……?」
慌てて立ち上がろうとするが、足元がふらつき、バランスを崩して転んだ。
目の前には、巨大なスマートフォン。さっきまで自分が持っていたはずのものだ。
それでようやく理解する。
――自分が、小さくなっている。
恐怖が全身を駆け巡る。何が起きたのか分からない。だが、時間が経つにつれ、それは自分だけの異常ではないことが判明した。
電話の向こうの同僚も、ニュースのアナウンサーも、そして外を走り回る人々も、すべてが等しく小人になっていた。
身長、およそ十五センチ。
世界は一変していた。
まず、日常のあらゆるものが脅威になった。台所に行こうと椅子をよじ登り、机へ移ろうとするだけで命がけだ。水道の蛇口は巨大な塔のようで、とてもひねることはできない。
仕方なく外へ出てみようとしたが、今度は玄関のドアノブが遥か頭上にあった。近くにあった雑誌を重ね、踏み台にしてようやく扉を押し開ける。
外の光景は、まさに悪夢だった。
猫が悠々と歩く中、ネズミほどのサイズになった人々が逃げ惑っている。カラスが空を舞い、小さくなった人間を獲物と勘違いしているのか、狙いを定めている。公園の遊具は巨大な要塞のようにそびえ、道端の草はジャングルのように生い茂っていた。
それでも、人々は逞しく生きようとした。自衛隊や警察は、ドローンを活用して人々の安全を守ろうと奔走している。
しかし、一番の問題は――食料だった。
「これ、どうするよ」
親友の圭太と共にスーパーに向かったが、商品棚は遥か頭上にそびえていた。
「こうなったら、協力して取るしかないな」
周りにも、食料を求める小さくなった人々が集まっていた。皆で知恵を出し合い、小さなものはリュックの紐を結び合わせたロープで引きずり下ろし、大きなペットボトルや缶詰は、崩れないようにゆっくり倒して手に入れた。
そんな中、年配の女性が呟く。
「こうやって助け合うなんて、昔を思い出すわね」
「昔?」
「ああ、戦後の配給のときもね、こんな風に皆で分け合ってたのよ」
その言葉に、圭太がぽつりと漏らした。
「でも、今の方が楽しそうに見えるな」
確かに、みんな不安を抱えながらも、どこか前向きだった。
異変は、三日目の朝に終わりを迎えた。
目覚めると、体が元の大きさに戻っていた。
周囲を見渡すと、圭太も同様だったらしい。
「戻った、のか……?」
呟きながら、慎重に立ち上がる。
机の上に残った、リュックの紐を結んだロープ。
台所に置かれた、必死の思いで取り出した缶詰。
すべてが証明していた。あの三日間の出来事は、夢ではなかった。
街へ出ると、戻ったばかりの人々があちこちで歓声を上げ、抱き合っていた。スーパーの店員は「やっと普通に営業できる」と笑い、子供たちは「もう一回小さくなりたかった!」とはしゃいでいた。
「なあ、圭太」
「ん?」
「俺たち、あんなに小さくなったのに、あんまり悲観してなかったよな」
「ああ……むしろ、楽しかったかもしれない」
振り返れば、そこには助け合い、共に生き抜いた日々があった。
世界は元通りになった。
だが、そこで得たものは、消えないままだった。
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