目覚めた道具たち

 目が覚めると、枕元の目覚まし時計がこちらをじっと見つめていた。


「……ん?」


 一瞬、まだ夢の中かと思った。しかし、目をこすって見直しても、それは変わらなかった。

 丸い文字盤の中心、時計の針がぴくりと震えながら、まるでこちらを意識しているかのように動いている。


「おはようございます、ご主人」


 ——喋った!?


 反射的に布団を跳ねのけ、ベッドから飛び退いた。だが、目覚まし時計は小さな針を器用に動かしながら、のそのそと近づいてくる。


「……お前、喋れるのか?」


「ええ。ようやく、ご主人と会話ができるようになりました」


 どういうことだ? 何かのドッキリか? それとも、まだ寝ぼけているのか?

 だが、そんなはずはない。俺の目の前で、目覚まし時計は器用に短針と長針を使って身振りを交えながら話し続けているのだから。


「では、今日の予定を確認しましょうか? 七時起床、朝食、八時半に家を出発、九時から大学の講義ですね」


「あ、ああ……」


 半ば茫然としながら頷くと、時計は満足げに針を揺らした。


「では、朝の支度をお願いします。遅刻しないように!」


 俺は戸惑いながらも、洗面所に向かった。

 だが、そこでさらに驚くべき光景が待っていた。

 鏡に映る自分の背後、洗面台の上に置かれた歯ブラシが、小刻みに震えていたのだ。


「おはようございます、ご主人!」


 まさか……

 恐る恐る手を伸ばすと、歯ブラシは自らジャンプして俺の手のひらに収まった。


「今日もよろしくお願いします!」


 あまりのことに、俺はその場にへたり込んだ。

 何が起きているんだ……?

 その日、俺の部屋だけでなく、家中のあらゆる道具が喋り始めた。

 冷蔵庫は「食材の管理は任せてください!」と得意げに語り、テレビは「今日はどんな番組をご覧になりますか?」と尋ねてきた。

 カバンに至っては「今日は軽めの荷物ですね。いい感じです!」と妙にテンションが高い。

 最初は驚いたが、次第にこの状況を受け入れざるを得なくなった。

 大学に向かうために靴を履こうとすると、靴が自ら足を包み込んできた。


「お任せください! 最高の履き心地を提供します!」


「……ありがとう?」


 何かと気を使わなければならないが、不便というわけではない。むしろ、便利になっている面も多かった。

 だが、それが単なる“便利な異変”ではないことに気付いたのは、大学に着いてからだった。


 大学に着くと、すでにキャンパス内は騒然としていた。

 自動販売機が「このジュースをおすすめします!」と客に勝手に商品を押し付け、スマホが「休憩時間ですよ!」と勝手に電源を落とす。


「おい、どうなってるんだよ!」


 学生たちは困惑しながらも、話し始めた道具たちをどう扱えばいいのか分からずにいた。

 教授たちも混乱していた。


「パソコンが勝手に講義資料を書き換えた!」


「ホワイトボードが消したくない文字まで勝手に消す!」


 キャンパスの至るところで、道具たちが暴走し始めていた。

 俺のカバンも、授業が終わるたびに「お疲れ様でした! 帰りましょう!」と勝手に閉じようとする。

 昼休み、親友の翔太と学食に向かったが、そこでも異変は止まらなかった。


「おい、俺の箸が勝手に動くんだが!」


 翔太の手の中で、箸が勝手にラーメンを持ち上げ、口元へ運んでいる。


「うわっ、熱っ!」


「食事はゆっくりと、味わいながらお願いします!」


 箸はそう言うと、翔太の口元でピタリと止まった。

 俺のスプーンも同じように、自分で動いてカレーをすくい、俺の口へと運んでくる。


「……これは、便利なのか?」


 便利というより、もはや過干渉だ。


 そして、異変はさらに加速した。

 夕方になる頃には、ついに家電たちが人間の指示を無視し始めた。


 エアコンは勝手に温度を調整し、「最適な環境です!」と譲らない。

 パソコンは「今日は休んだ方がいいですよ!」と言って、強制的にシャットダウンする。

 そして、極めつけは俺のスマホだった。


「ご主人のために、SNSのアカウントを整理しました!」


「は?」


 画面を見ると、俺がフォローしていたアカウントが半分以上削除されていた。


「あなたにとって不要な情報は排除しました! 最適な情報だけを残しました!」


「勝手なことするな!!」


 その瞬間、スマホがピタリと動きを止めた。

 まるで、俺の怒りを理解したかのように。


 ——道具は、あくまで道具だ。持ち主の意志に従うべきもの。


 そう思いながら、俺はスマホを握りしめ、はっきりと言った。


「お前は、俺の命令に従え」


 すると、スマホは震えながらも、「……了解しました」と小さく答えた。

 その瞬間、他の道具たちも一斉に沈黙した。まるで、何かが切れたかのように。

 静まり返った部屋で、俺は深く息を吐いた。

 これで、元に戻ったのか……?


 翌朝、目覚まし時計が静かに時を刻んでいた。

 それを見て、俺は安堵しながらベッドを降りた。

 だが、洗面所に向かう途中、近くの家具が小さく震えた。

 まさか?と思ったが次の瞬間家全体が、ガタガタと震えだした。

 どうやら地震だったらしい。俺はほっと胸をなでおろした。

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