迷いの街

 西島直樹は、焦っていた。

 今日は大学の就職説明会。これから社会人になるための重要なイベントであり、絶対に遅刻はできない。しかし——


「……ここ、どこだよ?」


 スマホの地図を見ても、自分がいる場所が分からない。GPSは正常に機能しているのに、目的地である大学とはまるで違う風景が広がっている。何度もルートを確認し、現在地を特定しようとするが、ナビに従って歩いても、歩いても、たどり着けない。

 道行く人に尋ねても、「この辺に大学なんてあったっけ?」と怪訝な顔をされる。

 いつも通る道のはずなのに、まるで異世界に迷い込んだかのような感覚だった。

 西島は焦りを抑えながら、深呼吸をした。


「落ち着け……。もう一回地図を確認しよう」


 再びスマホを取り出し、現在地を検索する。しかし、ナビが示す方向へ進んでも、たどり着くのはまったく別の場所ばかりだった。


 ——どうなってるんだ?


 そんな時、ふと見覚えのある姿を見つけた。大学の友人、田村彩花だ。


「田村!」


 彼女も困惑した表情でスマホを見つめていたが、西島の声に気づき、顔を上げた。


「西島? なんでここにいるの?」


「そっちこそ。大学に行こうとしてたんだけど……全然たどり着けないんだよ」


 田村は驚いた顔をし、ため息をついた。


「私も。さっきからナビが変なルートを示すし、何回歩いても同じ道に戻っちゃうの」


 二人は顔を見合わせた。


「もしかして……私たち、迷い込んでる?」


 田村の言葉に、西島はごくりと唾を飲み込む。


「そんなバカな……。でも、普通じゃないのは確かだ」


 周囲を見回すと、街の風景がどこか不自然に思えてきた。確かに見慣れた建物もあるのに、それらが繋がっていないような違和感。まるでジグソーパズルのピースを無理やりはめ込んだかのようだった。


「ねえ、西島。試しに、来た道を戻ってみない?」


「……ああ、そうしよう」


 二人は来た道を引き返すことにした。しかし、数分歩いたところで、田村が足を止めた。


「おかしい……。戻ってるはずなのに、さっきと同じ景色が広がってる」


 確かに、同じ看板、同じ信号、同じカフェがそこにあった。


「ループしてる……?」


 西島の背筋に冷たいものが走った。何度戻っても、何度進んでも、たどり着くのはこの見慣れた「迷いの街」。


 そんな時——


「あの、困ってるみたいですね」


 穏やかな声が二人の背後から響いた。

 振り向くと、そこには白髪混じりの初老の男性が立っていた。どこか懐かしい雰囲気を漂わせるその男は、微笑を浮かべながら続ける。


「迷っておられるのでしょう?ここから抜け出す方法を知りたくはありませんか?」


 二人は息をのんだ。


「知ってるんですか?」


 田村が思わず聞き返すと、男は頷いた。


「ええ。この街は、目的を見失った人が迷い込む場所ですから」


「目的……?」


「あなた方は、何のために大学へ向かっていたんですか?」


「それは……就職説明会に参加するため、ですけど……」


 西島がそう答えると、男はにこりと笑う。


「では、その先は?」


「え?」


「就職して、どうしたいんですか?」


 その問いに、西島は答えに詰まった。


「どうしたい……か……?」


「そう。何のために働くのか、何を成し遂げたいのか。あなたはそれを明確に持っていますか?」


 西島は何かを言いかけたが、口をつぐんだ。

 自分はただ、内定を取るために動いていた。就職活動をするのが当たり前で、周囲もそうしていたから。けれど、その先のことを本気で考えたことは——


 ない。


「……もしかして、それが原因で?」


「かもしれませんね。目的を見失った者は、ここから出られなくなる」


 田村もハッとした表情を浮かべた。


「私も……。本当は、デザイン関係の仕事がしたかった。でも、親に安定した企業に行けって言われて、それに流されるように……」


 男は優しく微笑んだ。


「答えは自分の中にあります。目的を定め、進むべき道を見つけた時——出口は開かれるでしょう」


 西島は深く息を吸い込み、ゆっくりと目を閉じた。


「……俺は、ただ内定を取ることがゴールになってた。でも、本当は、自分の力で何かを作り出せる仕事がしたかったんだ」


 目を開けると、目の前に見慣れた大学の校舎が広がっていた。


「戻ってる……!」


 田村も驚きの声を上げる。振り返ると、さっきまでいたはずの初老の男の姿は消えていた。


「幻……?」


 西島は深く息を吐き、田村と顔を見合わせた。


「……これから、どうする?」


 田村は少しの間考えた後、笑った。


「就職活動、もう一度ちゃんと考えてみる。自分のやりたいこと、諦めたくないから」


 西島も頷く。


「俺も……このまま流されるのはやめるよ」


 二人は迷いの街から解放され、それぞれの道を見つけようとしていた。

 ——たとえ、それが険しい道だったとしても。

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