第6話 異変
軍事総官たるもの、いつ如何なる時も模範たれ───理想論でいえば当然なのだろうが、当代のグアジェド・バーリュクスはそうは思っていないらしい。地位故に軍の誰よりも上質な上衣と、自身の多大な功績故に隙間無く縫い付けられた
そろそろ衣替えの時期。帝立央魔院の制服と時期を合わせて変更の指示を出すのも軍事総官の膨大な庶務の一つではあるのだが、向こうの返事がやや遅かったこともあって移行期間が明後日からとなっている。キドロアの兄であるイヴァンが総務管理長を引き継いだばかりで、多忙を極めていたのが原因だ。移行期間直前のこの時期こそ、冬用の軍服を最も
そんなグアジェドでも自ずから、足先から
「軍事総官がお通りだ。開けろ」
三人いる門兵の長が
サンティレアのど真ん中。ヘイグターレでもっとも高く、現存するなかで最も古い建造物、シュトラメルグ城。歴代の国王が住まい続ける、神聖で威厳に満ちた優美な建造物だ。活気のある庶民の居住区よりはもちろん、重要施設が立ち並ぶメイガー外壁の内部よりも更に
「さすが、早いな」
グアジェドが本殿の門前に到着したときには既にもう一人が端正に仕立てられた
「ジェドこそ。私は他に用件がなかったから先に来ていただけだよ」
昼下がりの、最も気温が高くなる時間帯。テレンツィオは汗一つかかずに扉の前で待っていた。同い年だというのにすっかり色の抜け落ちた白髪は綺麗に固められ、本人が知ってか知らずか漆黒の燕尾服と見事な相対を成している。
「今日のご用件は何なんだろうね。タバロ院長も呼ばれての緊急会合は久しぶりだからな……」
見た目とは裏腹に柔らかい口調と声色でテレンツィオは
「お待たせいたしました。お通りください」
衛兵が城の入り口を開ける。木目調の模様が加工された扉は魔法駆動式のためか、その見た目と大きさに反してほぼ無音で開く。二人は目配せし合って、城内に入る。
「……いつになってもこの独特のキラキラ感、慣れねえなあ」
不変の静寂と非日常からくる緊張感を紛らわそうと、悪態のようにグアジェドは呟いた。やや長めの廊下を渡ると、五階分ほどはあろうか、高くまで吹き抜けた大広間に巨大なシャンデリアが空中に浮かんでいる。石英と石灰石がふんだんに使われ、白を基調しつつも、柱などは強化魔法のせいか漆黒を帯びている。無彩色の対比が緊張感を
「何度も見た光景だが、まあここだけ見ると城というよりは宮殿だな」
グアジェドとテレンツィオは尚も軽く言葉を交わし、規則的な乾いた靴音を響かせながら階段を上る。会合のある2階の聖堂へと向かう。ちょうど食堂の真上に聖堂がある形だ。深紅の
「お待ちしておりました。国王陛下がお待ちです」
聖堂の前にも守衛が二人立っており、グアジェドとテレンツィオの姿を認めるなり、扉に手を掛けすんなりと開け、招き入れるように少し身を屈める。グアジェドとテレンツィオはお互いに一つ息を吐き、口を真一文字に結び踏み入った。この先にヘイグターレの象徴、国王陛下がいるのだ。2人の体が完全に聖堂に入りきったところで奥から声がした。
「……急に呼び出してすまないな、軍事総官、究魔院院長」
刷り加工とあらゆる有色加工、高く伸びたステンドグラス。長机には椅子が間隔良く並び、魔法によって永久的に燃焼を続ける
「陛下、またそのお姿でおられるのですか」
「またとは何じゃまたとは。中身は変わらぬとはいえ、しわくちゃのジジイと座談会をするよりも、お主らの姪っ子と同じほどの
「我々は特になにも求めておりませんし娘も姪もおりませんが……」
グアジェドの嘆息に
「いえ、支障はありませんが……それで?ご用件というのは」
これ以上突っ込むと
「まあ待て待て、まだ央魔院院長が来ておらんではないか。しっかり椅子も用意しておるのだから座って気長に待つといい。急な召集とはいえ紅茶の一杯ぐらいは供するよう使用人には伝えてある。それにしてもお主ら、若き
いくら若いと言っても幼子は保護欲しか湧かない―――そんな言葉を飲み込んだ二人をよそに国王は不満げだ。国王は
「う~~~ん最高!今日のもメルシーフェリスじゃな?」
使用人がさすが国王様、御名答でございますと称え、頭を下げるのを見て更にご満悦の国王。国内最大手の紅茶ブランドは国王のお墨付きで、絶大な信頼を得ている。グアジェドとテレンツィオも
「……私一人遅れて申し訳ありません。他部署から連絡待ちだった仕事がようやく動き出したもので対応に追われてしまいました」
「気にするなタバロ。指定した時間には優に間に合っておる。こやつら二人が早すぎるだけなのじゃ」
被っていた大きな帽子を取り、一人の老人が
「これはこれは陛下。今日も
「さすがタバロ、心得ておるのう。子供は国の宝、可愛いは正義じゃ。ほれ、二人も見習わんか」
ぷんすかしている国王を、グアジェドとテレンツィオはあえて紅茶を時間をかけて飲みながら無視を決め込んだ。タバロは幼女化した国王の扱い方を分かっているので、
「ふん、お主ら若造にもこういう心情になる時がいつか来る。ではでは
国王は
「今回諸君らを呼び立てた理由は二つ。一つ目はディアゲラ・フィスドナークを含めた魔法士失踪事件についてだ。この件は担当の者から直接連絡を貰った軍事総官からご説明いただこうか」
承知しましたと言いつつグアジェドは立ち上がる。その動作を読んでいたかのように使用人が二人現れる。長机に4人のそれぞれの前にメトラーナとリトマンティルに寄って縮尺されたアプロニア大陸の地図を拡げる。グアジェドは魔法を使いながら4人分の地図に同時に、分かりやすいよう印をつけながら説明していく。
「昨日のことではありますが、メトラーナ軍から我が軍へ、派遣した調査部隊がディアゲラ・フィスドナーク軍将が失踪したと思われる区域、ウィップオーツ山脈南部から帰還したとの連絡が届きました。幸い彼らに怪我人は無かったようですが、フィスドナーク軍将の姿はやはり確認されませんでした。しかし収穫がいくつかあったようでして」
ほう、続けよとの国王の声に頷き、グアジェドは続ける。
「一つは軍将と行動を共にしていた、チャギーラ・バンデミスト大尉以下第一部隊12名の証言に共通していた"周囲の動植物が青黒く変色していた"という点です。これについては魔動射影機によって記録が残されており、その写真も後日我が軍に届くよう手配済みであります。その他、原因不明の息苦しさや奇形化した樹木の目撃等、証言の一致も多く見られました」
テレンツィオとタバロはなるほど、と言わんばかりに大きく溜め息をつく。それをグアジェドは流し見て、尚も続けた。
「そして最大の収穫といえるのは―――その変色した区域の中心部にいくつかの人体の一部が散乱していたことです」
グアジェドの話を黙して聞いていた3人の目が細くなる。
「間違いなく人間、魔法士と
何者か、それも相当な実力者で且つ反逆心に満ち溢れた者がウィップオーツ山脈で魔法士に危害を加えていることは間違いなさそうだ。テレンツィオは本人の癖である顎を擦る仕草をしつつ天井の一点を仰ぎ、タバロは尚も訝しげな視線を地図に落としたままだ。国王は早くも紅茶の二杯目に手をつけている。三者三様の態度で考える素振りをしている。
「魔物の仕業という可能性は低いか……魔法士複数人を相手取る魔物など聞いたことがないですが」
テレンツィオが口を挟んだ。ヘイグターレでも近年数が増えている魔物の目撃情報。それらのほとんどは動植物が魔力によって変化したものだとされている。とはいえヘイグターレで魔物の襲撃による人命の被害など聞いたことがない。それは一般的な国家魔法士であれば対処出来るほど手こずる敵ではないからだ。他国においてもそれは同じで、魔物は他の生物よりも攻撃性が高く、魔物化していない状態と比べると運動能力は上がっているものの、魔法士が発見の通報を受けて急行し、駆けつけてからでも十分対応できる程度の脅威でしかない。ではなぜ───いやだからこそ。大した脅威ではないからこそ彼らは悩むのだ。ディアゲラが敵の姿をそのままに残してしまったことを。行方をくらませてしまったことを。ディアゲラほど実力者であれば熊が魔物化しようとも手こずるはずもない、何ならその時連れていた部下に任せても問題なく対処できるはずなのだ。
「……これ以上は推論になってしまうので、現段階での協議は以上にしたいと思います。この件については引き続き詳しく調査する必要があります。明日の14時頃、パシカーラとの合同演習から第三部隊が帰還致します。ギュロンらにも事情を説明したのち、疲労回復を待って、数日内に我が軍も派遣させる予定です」
うむ、了解した。ご苦労だった、との国王の合図と共にグアジェドは椅子に腰を下ろした。早くも二杯目を飲み終えた国王が再び会話の主導権を握る。
「では二つ目の議題。この情報も軍事総官には聞き及んでおることと思うが、かなり新しい情報が飛び込んできた。エクスリア外壁東部の壁門、エクスリア第18森林公園付近で正体不明の少年が通行したとのことだ。その少年なんだが、グラモニッドの者と思われる衣服を着用していたらしい」
それを聞いていた全員の顔が凍りついた。この情報については国王以外誰も知らなかったからだ。
「何ですと……?門兵協会の本部からそのような報告はありませんでしたが」
ヘイグターレには門兵、衛兵のみで構成された"門兵協会"というものが存在する。大きく見れば軍事総官であるグアジェドの
「我が国の通行許可証を持っていたから通門を許可したらしい。その兵士は報告の
ヘイグターレにおいて、大抵の魔法士は
「この少年がもし本当にグラモニッドの人間なのであれば大きな脅威となる可能性がある。どうにかして足取りだけでも掴みたい。サンティレアにいる全魔法士に警戒体勢と捜索協力を取り付けたいところ───」
国王が言葉を
「何だ……!?」
隣の給仕室から壁越しに使用人の声が聞こえる。この期に及んで有事か。ディアゲラのことまで含めれば十二分にあり得る話───最悪の事態がグアジェドの頭をよぎる。
「グアジェド!……全く、あやつはこうと決めたら頑として突き通すからな」
国王の嘆息すら聞こえないほどの速さ。他の二人も声を発する暇もなかった。グアジェドの
「……して国王陛下。私めの予想もグアジェドのものと相違ないと考えます。恐らくはあの炎。かの青年、キドロア・セルエイクのものと思われますが」
「じゃろうな。わしは直に見たことはないが、噂には聞き及んでおるぞ。グアジェドが有無を言わさず急行したことが何よりの証拠じゃろうて」
「……お言葉ですが。セルエイク、と言うことはかの先───」
「テレンツィオ」
国王は独り言のように言の葉を浮かべる。それでいてテレンツィオの
「人の目は何故前向きについていると思う?」
尚も
「……前へ前へ進むため、と何処かの書物で見かけたことがあります」
「確かにそうかも知れん、いやそれが正しいのであろうな……。でもそれは結果論に過ぎないと思うのじゃ」
「……はぁ」
「人の目が前についておるのは……過ちに
過ちとは書いて字の如く過ぎしもの。人が生きるは
「……人の進歩には過ちが必ずつきまとう。肝要なのは全く同じ過ちを繰り返さないこと」
「変わる美学と変わらない美学。双方を重んじてこそ価値のある進歩を遂げる───そうだな?現ヘイグターレ帝国国王、マーロスティ・ワズプリュード・ヘルナテュリオスよ」
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