第5話 新たなる手
目立つ行動をとれば生き永らえるのは難しくなる。それはどうも野生動物に限ったことではないらしい。人間も大志を掲げて世の為人の為、と
───しかし自分はどうしても違う。世界を変えたいわけでも、周囲の人間を動かしたいわけでも、目立ちたいわけでもない。ただ生きているだけなのに絶えず横槍が飛んでくる。それも一人二人の暴徒等ではない。数えきれぬほどの悪意達だ。必死に走っても、魔法で薙ぎ払おうとも、湯水のように無制限に湧いてくる。やがて疲れ果て、足も
「───またか」
何度同じ夢を見ただろう。昔どこかで聞いた、自分が咥えていることも忘れ水面に映った肉を求める愚かな犬の童話のように、自分一人で解決し得ないものをいつまでも追い求めるあの夢だ。目を覚ましがてら嫌な気分も払いたい心持ちから頭を左右に振りつつ、一つ伸びをする。いつの間にか眠りこけて居たようだ。
「あいつ……またいなくなってやがる」
周囲を見回してみたが、連れ立ってきたもう一人が見当たらない。良く言えば自由奔放、悪く言えば傍若無人。自分の好き嫌いが全ての判断基準。赤子並みに世話がやけるだけでなく、
「何もかもが悪目立ちするんだから考えろって……言っても無駄だからこういう状況なんだよな」
彼は考えることをやめて、連れを探すことにした。互いに魔法士であることに加えて、連れ立って行動している以上、目的も同じだ。行き先は
■■■■■
狂気。いや狂喜か。"それ"の嬉々とした表情はあまりにもこの状況に似合わない。色が抜け落ちたのか、そもそもの色なのか分からないほどの銀髪が淡く光る。右は深紅、左は薄青という
「ははは、探したよ。───キドロア・セルエイク」
ロアは理解が追い付かずしばし目を見開いて硬直した。理解したときには
「おおっと、言いたいことは分かるよ。何故名前を知ってるかでしょ?でもその前に───」
話し方もどことなくあどけない少年だが、彼の放つ異質なオーラは明らかにそこら辺の一般魔法士を遥かに
「名も名乗らずに他者に危害を加えるのは感心しないな───何が狙いだ。返答次第では俺は即座に貴様を殺す覚悟が出来ているが」
ロアの憤怒に満ちた眼差しに、少年は更に目を細めた後に絶えず浮かべていた笑みをしまい、ロアよろしく掌に魔法陣を浮かべる仕草をする。
「遊んでよ。最近はどうも手応えのある相手がいなくて退屈してたんだ。でも君の名前と評判を聞いたときからワクワクが止まらなくて。これが世間で言う恋ってやつなのかな?」
ロアとサルカーノは彼のあまりにも飛躍、破綻した論理に何を言ってるのかさっぱり分からなかったが、少年がロアと魔法の手合わせをしたがっていることはなんとなく察した。すると、少年の顔を長いことじっと見ていたサルカーノが突然声をあげる。
「あ!思い出した!どこかでみたことあると思ったら───」
少年はその声に、ロアに向けていた視線をサルカーノに一瞬移すと、妙案を
「ああ、君は。あの時の。まさかこんなに早く再開するとは思わなかったよ。───でも、出来ればこの形では会わない方が良かったかもね」
少年の聞き捨てならない言葉にロアの視線もすぐさまサルカーノに向けられる。お前、まさか知り合いか?と言わんばかりに。その視線に気づいたサルカーノは慌てて弁明し強く首を横に振る。
「ち、違う!知り合いなんかじゃない!ここにくるまでに一度街で話しかけられたんだ、キドロア・セルエイクを知らないかって───」
「そうだね。でも君と話してる最中に偶然見付けてしまったんだよ。あの時は夢中だったから見落としていたけど、君にも魔法士のオーラがあるね。そしてキドロア・セルエイク。君のオーラは途徹もなく強くて、濃い。君の位置を特定するのは容易だったよ。でもなんだかたくさん人が集まってるのが分かってね。相手をしてくれるのは君一人で良いからどうしたものか困っていたら、丁度君が一人になるのを感じたんだ。それに
その口ぶりからするに、どうやら少年は魔法士や魔法士に準ずる魔法を使える者の存在やその魔法適正の高さを視覚的に捉えられる"異能"を持っているらしい。ロアも感じ取ることの出来る魔法士の気配とは違い、明確にどこにいるのか、どのくらいの適正の高さかというのが色で分かると言うのだ。それ故にロアの居場所と適正の高さが手に取るように分かり、追いかけてきたのだと。しかしこれでは理屈が分かっただけで理由が分からない。一番の疑問が解決していないのだ。
「何の目的で俺に勝負を挑むような真似をしてるんだ?」
依然として声を尖らせ警戒を緩めないロアを微塵も
「なぜ?強そうなやつと闘うのに理由がいるの?」
「俺はお前を知らないし、お前と闘うことに利点がない。何より俺は今別の用事をいくつも抱えてる。貴様の余計で危険な魔法のせいで傷者も出たところだしな」
「そうなんだ。でもそんなこと僕も知らない。そんなやつほっといてさあ、相手してよ。退屈なんだよね」
ロアの怒りが頂点に達しそうになる。ここまでトンデモ理論で人を振り回しておいて、危害まで加えておいて知らないだと?……が、ここで感情に身を
「……サルカーノ。ミリーナを抱えて出来る限り離れててくれ。」
「え?あ、え?ど、どういう───」
「良いから早く行け。死にたくなければな」
ロアの語気と鬼気迫る表情に
「ふふふ……。自分から一人になってくれるんだね」
「……お前のいう関係ない奴らを巻き込むわけにはいかないからな」
少年の
「じゃあ、───やっちゃおうか」
そう少年が告げたときには既にロアの首元を魔法がすり抜けていた。明らかに、そして正確に放たれたのは再び
「ほぉん……
自然の雷と同等の強い電撃をリング状にした強力かつ危険な魔法。手裏剣のように投げつけたり、今回のロア同様に一地点に叩きつけ展開するのが主だ。風属性魔法を最も得意とするロアのそれは魔法陣が並外れて
「
少年の瞳孔は大きく開かれ、口は尚も狂楽に歪む。火属性の普遍的な初級魔法、
「なるほどぉ。逃げ道を塞げば当たるだろって?まあ、避けるばかりじゃ面白くないよね」
少年はロアの狙いを見透かすかのように、依然として笑みを浮かべたままだ。そして全く避ける素振りを見せずに、
「はいよ、っと」
魔法の軌道を"歪めて"みせた。
少年から笑みが消えた。どうやらようやくやる気になったらしい。
「え?まさかこれで終わりじゃないよね?……続けないならまたこっちからいくよ」
防戦から一転、やや高い位置から再び少年の魔法が飛ぶ。ロアは回避体勢を取ろうとするが、今回は違う。少年が撃ちだした魔法は先ほどとは違い、広範囲に漆黒の幕のようなものが展開され、ロアを包み込むように構えられていた。まるで
「……!」
ロアは攻撃範囲の広さから、移動魔法での回避が間に合わないと読むと、攻撃用の風属性魔法をその幕に撃ち込み、文字通り風穴を開け打ち消す作戦に出た。後ろに大きく体を傾けながらも魔法を射出する。圧縮され
「おおっと!今度は
後ろに大きく傾いたのは空気を前に送り出したことで、背後の気圧が一時的に急激に下がったからである。大気圧に引きずり込まれるような形で後のめりになるロアだが、そのままの勢いで後ろに左手を
「
ロアの期待とは裏腹に少年の目はごまかせなかったようだ。事実、上級魔法と下級魔法という差がある。土属性と水属性を比較的苦手とするロア―――それでも一般的な魔法士に比べると抜きんでて適正は高いのだが―――しかし少年はまた別の理由でロアの適性を見抜いているのだった。
「もしかして僕の言葉に踊らされた?多彩な属性を使い分けて惑わそうとしたのかな?……ハハハ!残念だったね!俺にはわかるんだよ!魔力の流れが!魔素が引き寄せられるその行き先が!そしてどの属性の魔素が強く引き寄せられるのかもね!早く見せてくれよ!小手先のごまかしに頼らないお前の真の実力ってやつをよぉ!」
ついに少年の口調も変わった。ロアとしては当然実力を計り知れない相手なので探り探り戦っている部分がある。手の内を全て明かすことはないよう立ち回っている。少年としてはそれが全力ではないと分かっている。図りかねたゆえの手抜きに映っている。それがあまりにもどかしく、許しがたい。少年の顔はそう語っている。
「まだまだ隠し持ってんだろ!?物足りねえなあ!?お前が行かねえってんならこっちから本気出してやるよ!!」
もはや少年とは会話も成立しないように感じられた。少年は両手を前に突き出し、今までとは比べ物にならないぐらい巨大かつ複雑な魔法陣を作り始めた。少年の
「ほらほらどうすんだ!?今度は避けられるとは思えねえがなあ!?」
ついにその術式から魔法が放たれた。数えきれないほどの黒い、人のものと思しき魔の手と、それらと同等に黒い竜頭のような悪意。身の毛も|弥立(よだ)つほどの邪念。常人なら見ただけで気を失ってしまうほどのおぞましく、深く、強い強い邪悪なオーラを
「いくら豪風踏だろうが、いくら君が風属性が得意だろうが、この魔法からは逃れられないよ。だってこれは″影"だから。影とは光のそばにできるもの。光あってこそ生まれるもの。常に表裏一体、行動を共にするもの。つまり……その速度も光に並ぶんだよ?」
少年はロアの戦慄した表情を見たからか、無知ゆえに無駄な回避行動をとろうとするロアを見たからか、元の口調に戻っていた。光があるからこそ影がある。否、影が在るところに光が差してくる。影とはいつもそこに居て、気づいたときには傍に、いつも隣に出来るものなのだ。刹那、時機を得て|豪風踏(ゼル・アヴェル)は発動。僅かながら移動はできたものの、魔法陣を展開し終えた時には既に影の手がロアの左足を|掠(かす)め、邪念の竜頭は右腕を少し|抉(えぐ)っていた。
「ぐっ……!!」
言葉にならない激痛がロアを襲う。黒の連撃は容赦なくロアの身体を殴りつけ、ロアを魔法もろとも粉砕した。肉も、精神も削り取り、打ち付ける。四肢に留まらず腹部や肩にも攻撃は絶えず命中している。痛みと多量の流血で意識を保つことも難しい。逃げることも防御魔法の展開もままならずロアは弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。その後も倒れこんだロアに少年の連撃は止まることなくロアに襲い掛かり続ける。
「……ん?やりすぎたかな」
何秒経ったか分からないまま、影がロアを覆いつくしていた時、少年はふと魔法をやめた。全力を出し、|止(とど)めを刺した―――そう思ったからだ。それまでのロアの連撃をはるかに
「ほう……これを喰らっても立ち上がるなんて……お前が初めてだぜ」
少年の不快感は再び荒げられた口調が物語っていた。ロアは禁止魔法をもろに受けても立っていたのだ。少年からは表情が確認できないほど深く
「なるほど……そのマフラーか?」
たとえ夏になろうとも、何年経とうとも絶対に手放さなかったマフラー。この初夏の真昼だというのに巻き付けたままだった
「なにか特殊な魔法が施されているのか……?でも物が所有者の意志とは別にひとりでに動く魔法なんて聞いたことがないな……いや、何なんだあれは?」
少年が一人思索にふけっていると、ロアはゆっくりと比較的傷の浅い左手を真横に突き出した。未だ尚ロアは魔法を展開するつもりでいるのだった。俯いたまま、噛み締めるように言葉を紡ぐ。これだけの傷を負いながらもロアの声は至って
「よくも……」
「ん?」
「よくも……師匠のマフラーに傷をつけてくれたな……許さん……絶対に……それに、お前の実力を少々見くびっていたようだ…………どこの、誰だか知らんが……貴様だけは、俺の全身全霊を持って
少年の眉間に
「これを使うのは人生で二度目だがな……失敗なんてしないから安心しろ。規模も威力も桁違いだからよく見ておけ……最後まで見届けられるかは保証しないが」
息の激しく混ざる、それでいて重く低く芯のある声。ロアのただならぬ雰囲気は少年の動きを止めるには十分過ぎた。左手に先ほどの少年の魔法陣よりも更に大きな魔法陣が描かれる―――今までに使われたどの魔法よりも大きく、精密で、それでいて今までにない特徴を兼ね備えた魔法陣が。
「魔法陣の……上に魔法陣だと……!?」
一般的に、というよりほぼすべての魔法は一つの魔法に対し一つの陣が展開される。しかし今、ロアが展開している魔法陣は"三段構成"になっている。一番下の巨大な魔法陣の上に、更に二つの魔法陣が同時に、それでいて独立した別の魔法陣が形成されていく。少年はこれから起こるであろう未来の予測も出来ず、見たことのない魔法に対しただ
やがて一段目の魔法陣が突如、
「……今更だ」
少年の心の
「……
ロアがその魔法───火属性の最上位である"禁止魔法"の名を読み上げると同時に三段目の魔法陣が激しく光り、初擊が放たれる。…が少年がその初擊を初擊と認識するにはあまりにも一瞬で、あまりにも広大だった。
「……!?」
少年が気づいたときには全身が巨大な火球の中にあった。熱い。痛い。苦しい。頭頂部から足先に至るまで全てが焼け落ちる感覚がする。残酷なまでの絶叫が二人のいる河原、ギャップすらも越え、ウレバの森全体に響き渡る。意識が、本能が、生命が。存在の危機を強く強く訴える。そんな少年の
「これが火属性唯一の……三段術式魔法、最後の一撃だ」
口を開くと同時に最後の、三段目の一番大きな魔法陣が作動する。最早少年にこの言葉が届いているか、理解できているかはどうでも良い。死にゆくであろう、否。死なせるつもりで技を浴びせた者にせめても告げてやろうと、無意識に発していた。火球と天高く伸びる火柱に炙られ、焼かれ続けた少年を取り巻く火球ごと真正面から火を帯びた
「なんだなんだ!?この爆音は───何なんだあの火柱は!?」
ゴール地点でもある特設会場のテントで悠々と構えていたガオニとその横で静かに書物に目を通していたヴェジルにもそれに漏れず。オーブを見つけた者同士の衝突が起こることは織り込み済み―――むしろそれも狙いの一つだが、これほどまでの大規模な魔法、重い音は仮試験に限らず彼らの生涯に於いても前例がない。ロアを眼前にして取り乱すことの無かったヴェジルですらも書物から目を離し、遥か遠くで
「……中尉。ここは私が。他の生徒をこれ以上混乱させるわけにはいきませんが、その為にもどちらかがここを守らねばなりません。となれば多くの者を統率できる中尉が残るべきです」
ヴェジルはガオニの反論を封じるために一気に言い切り、その言葉を紡ぎつつ
「……有無を言わさないのは相変わらずだな、ヴェジル。こちらは任されよう」
最近覚えたばかりの通信魔法でここぞとばかりにガオニが連絡してくる。その返答を聞くことが無駄だからこうして飛び出してきたと言うのに。その上これが相互送信式ではなく単方向送信式だから向こうが要件を言い終えるまで切れることがないのがまた腹立たしい。だからそう言ってるじゃないの、と食い気味に一人ごちて、意識を目の前の異常事態へ専念する。
何が起きているか詳しくは分からないが、生徒同士の衝突程度で済む事態でないことだと本能が理解し、
「まさか……いやまさかね」
■■■■■
何分。何時間。どれだけの時間が経っただろうか。己の精神力、生命力、怒りの原動力。続く限り魔法を放ち続けた。
「……は」
───どういうことだ。
「────はははははははははははははは!!!!!!!!」
認めたくない。あってはならない。理解できない。違う。脳が理解を拒絶している。本当にどういうことか、少年の体が倒れ込んだままバリバリと
「……いやあ、初撃を食らったときはどうしたものかと思ったけどね。実に痛い。実に強い。……だからこそ実に面白い。これだよ、これ。こうでなくっちゃなぁ……!」
中から出てきた少年も決して無傷ではなかった。顔には火傷を負い、衣服もだいぶ煤けている。左腕は特に損傷が激しく
「
痛いとは言いつつも焼け焦げた左腕や顔を痛がる素振りも見せず、
"死ぬ。"
だが、今のロアには最早、逃げる気力どころか指一本を動かすことさえ難しい。少年は突如笑うのを止め、思い出したように喋り始める。
「飛びきりの苦痛を、生の実感を与えてくれた君に一つ、教えて差し上げよう。第一、僕としてのお礼が君にとって嬉しいものとは限らないようだけどね。初撃こそもろに受けてしまったが、でもその程度で僕が死んでしまったら楽しめないだろう?そこで展開していたのがあの脱皮のような魔法さ。その名も
そう言いつつ少年は比較的傷の浅い右腕で魔法陣をゆっくりと描き始めた。
「惜しかったね。後少しで仕留め損ねた。倒し損ねてしまった。でもそれは君のせいじゃない。相手が僕だったからだ。ごめんね。これだけの力を持ちながら、これだけの魔法を知っていながらここでお別れなんてね」
ロアにはもはや恐怖などなかった。いや、感じていなかったわけではないのだろう。ただそれすらも消し去るほどの圧倒的な力の差を見せつけられてしまったからだ。死にたくないと思うことさえ
「最高に楽しかったよ。……さようなら、キドロア・セルエイク」
少年の顔に僅かながら悲哀が浮かぶ。こんな優しい表情も出来たのか。そしてそんな顔に見届けられながら俺は死んでしまうのか。こんなところで。まど何も果たせていないというのに。情けない。しかし己の無力を嘆くしかない。―――ロアがそう考えるのと、少年の右腕をがっしりと掴む別の人間の手が見えたのは同時だった。一瞬浮かんだ悲哀の表情は立ち消え、今度は少年の顔が戦慄に染まる。ゆっくりと振り返った少年の目線の先、背後には薄手の深緑のローブに身を包んだ男が立っていた。背はロアとほぼ同じ程度か。ローブよりも濃い、黒緑とも呼ぶべき髪と群青の瞳。痩せ気味に見えるが、少年を掴むその腕は筋骨隆々で、所々に傷が見える。グアジェド程の太さではないが歴戦の証だとすぐに見てとれた。
「……え?」
「寝ていた俺も悪いけどさ、まさかこんなに大事起こしてくれるとは……分かってるよね?シャト・メングアル君?」
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