第7話 オセロ

 中田は駒を一つ捲ったのち、勝手に語り出す。

「さて、野崎先輩が見たようにシーラカンスを泳がせるためには中庭を横切るようにして糸を張る必要があります。じゃあ、どうやって糸を張ったのか。いちおう考えてみましょうか。黒瀬くんなら頑張ればできるって言いそうだけど。

 たとえば糸の片端がついたボールを被服室から教室棟のベランダに目掛けて投げてみるというのはどうでしょう。この場合はかなりの投てき能力が要求されるでしょう。

 では、そのような能力がなかったらどうすればいいのか。作業を細分化すればいいんです。つまり糸の片端がついたボールを可能な距離だけ投げていく。具体的に言えば、被服室からそのボールを落とし、下にいる人がそれを捕る。で、その人はプールの柵を超えるようにボールをプールに投げ込む。だからそのときにはプール内に人がいないといけない。カギは事務室から拝借してたものです。この人はボールを持ってプールを横切り、反対側の柵からボールを中庭に投げだした。そのボールを受け取った人は教室棟三階のベランダに向かってボールを投げ上げるか、もしくは三階から垂らされた糸にそのボールをくくりつけるかをして、三階にボールを送ったのでしょう」

「……、まるで見てきたように言うね」と林は口を挟みつつ、駒を置いて盤上を黒くする。中田は盤上を一瞥したのち簡単に白を二つ増やして、話を再開した。

「ここで考えるべきなのはその三人ないし四人がそういった作業をいつやったのかということです」

「そりゃあ、当然みんなが居なくなってからだろうね」と言いつつ林はぽとりと駒を置いた。

「そうです。でも、野崎先輩が来る十九時半には終わらせておく必要がありました。そして、野崎先輩たちは十九時少し前まで校内に居たようです。そうなると十九時からが、最も早い作業開始時間になります。通常ならばこの時間帯にはまだ小寺先生が一人で体育教員室にいるようです。体育教員室は中庭に面してます。つまり普通に仕掛けをしてると小寺先生に気付かれる可能性が大きいんです。でも、あの日は気が付かれなかった。なぜでしょうか。吉野先生と話に熱中していたからです」と言って中田はぱちりと駒を捲った。林は長い腕を伸ばして、同様にぱちりとやる。

「吉野先生はよく小寺先生と話すんだ。習慣的なものだね。イタズラした人たちはそれを利用したんだろうね」と彼女は言った。

「もうひとつ気になることがあります。吉野先生は十九時近くになると電気を消してカーテンを閉めたんです。このおかげで、小寺先生は中庭で仕掛けが作られていることもシーラカンスが飛んでることを知らなくて済みました。どうして吉野先生は十九時に怪談を始めたんでしょうか。簡単な話です。それは準備とシーラカンスを見せないため」中田はそう言いきり、ぱちぱちと盤上を白くする。

「なるほど。それでノックは吉野先生に向けられたものだったと考えるわけか」と林は愉快そうに言って、駒を置いた。

「あのノックは仕掛けをすべて回収したことを吉野先生に伝えるための合図だったはずです。それを聞いた吉野先生はカギが開いている教室をちゃんと閉めに行ったんですね。朝になって開いてたって文句を言われないように。

 そもそも、舞台を整えるためには吉野先生が必須なんです。ふたつのスカイフィッシュ観測会は校舎で行われました。どちらも仕掛けを作るには校舎を無人の状態にする必要がある。そのためには生徒を追い出す役目の人物がいなければならない。そして、それは明らかに吉野先生が担っていた役割でした。

 第一回目の観測会においては、十九時までに仕掛けを設置できるようにするため、吉野先生はいつもより早めに校内で部活動を行う生徒たちを追い出していきました。

 第二回目の観測会においては、意図的に技術家庭科棟で部活動を行う生徒たちを残しておいて、吉野先生はそのほかの場所で部活をしてた人たちだけを早めに追い出しました。特に、教室棟と特別教室棟はからにしなければならなかった。その場所に生徒がいたら吊るしているところを見つかってしまいますからね。

 そしてこれが、なぜあの時被服室に人を集めたのかの理由になります。被服室は三年一組の教室からもっとも離れているところでした。つまり、たとえ吊るしてる最中に向かって来ても、逃げられる時間を確保できるように計算してたんでしょう。

 このようにして、吉野先生は舞台を整えたんです。違いますか?」

「……けど、証拠がないね。すべて、たまたまそうだったのかもしれないじゃないか」と林はゆったりと身をソファに預けながら、和やかに反論した。

「証拠はそろそろ着ますから、それまでオセロを進めておきましょう」と中田は言って駒を置いた。


 林がミス研部室に入室した頃には、黒瀬は中田の要請に従って山田を連れ立ち、生物室の準備室へと向かっていた。黒瀬の隣を歩く山田は首を傾げている。彼らはいつしかの時と同じくゆったりと三階へと至る特別教室棟の階段を上っていた。天井の方からは吹奏楽の声が元気に響いていた。山田は耐え切れなくなったのか、何度目かの質問を黒瀬に行う。

「どうして準備室にいかなきゃならないのさ?」

「どうしてですかねえ。あっ、そういえば今日も暑いですねえ。そろそろ水不足の季節かもしれませんなあ」と黒瀬はにやついてはぐらかす。

「……、ろっくんはよほど死にたいのかしら?」山田は笑顔で黒瀬に聞いた。その声を聞いた黒瀬は、急いで弁明をする。

「まあまあまあ、怒らないでくださいよ。こっちにも事情ってのがあるんですから」

「それなら、言えることを言えばいいじゃない」

「じゃあ、しょうがないっすねえ。簡単に言えば、そこにサカナが居るからですよ」と黒瀬は機嫌良さそうにようやく回答する。

「はあ? サカナって金魚のこと?」

「そっちのサカナじゃなくて、シーラカンスの方です」

「へっ? なんでシーラカンスが準備室にいるのさ?」

山田は踊り場で立ち止まり黒瀬に尋ねた。黒瀬も立ち止まって山田を眺める。彼女の顔には困惑がありありと見えた。黒瀬はそんな様子の彼女をニヤニヤして見ながら、

「行ってみればわかりますよ」と調子に乗った回答を行う。背も低く沸点の低い山田は怒り、黒瀬の股を勢いよく蹴り上げた。黒瀬は無声の悲鳴を上げて床の上に丸くなる。その丸くなった黒瀬の背中にどかりと小ぶりの尻を乗せて山田は語る。

「いい、ろっくん。私はあんたの幼馴染だけど、あんたの考えたことが手に取るように分かるわけじゃないの。言葉にして伝えてくれなきゃ困るのよ。いきなりウチの教室に来てね、デートしましょなんてあんたに言われれば私がイラつくって事もわからないわけないでしょ。まあ、テストがいい感じに出来てるって思えてたからその時は許してやったんだけど。でも、そのデートの行き先が生物室の準備室ときた。わけわかんないよね。どうして、って何度聞いてもニヤニヤして、天気がいいですねえとかはぐらかすだけでしょ。ねえ、ろっくん、私がね、そうやって無駄にはぐらかされるのが一番嫌いだって知っててもいい頃じゃない。十数年も一緒にいるんだからさ」

「うぅ」と黒瀬は呻き声で返事をする。

「ねえ分かったの、ろっくん?」と山田は優しく黒瀬に問い掛ける。

「うぅ……。あぁ……、分かりましたよ。説明しますから、とりあえずどいて」黒瀬はそう懇願した。山田は慈悲深くもその尻をどかし、黒瀬を重荷から解放する。解き放られた黒瀬は這うようにして壁際により、座り込んだ。それから頭を左右に振って分かってないとぼそりと山田に聞えないように言ったのち、説明を始める。

「はあ、いいですか。あのサカナは昔に先輩も見てるんですよ。ただ、覚えていないだけなんです」

「はあ? どういうことなのさ?」と山田は黒瀬に詰め寄る。

「ウチの姉貴にあの写真を見せたんです。それで、あいつは高校のとき見たことあるって言ったわけです。文化祭の時、吉野先生がよく飾ってたって」黒瀬は項垂れつつ語った。

「ナナさんが言ってたの? それってほんと?」山田は心底驚いたらしい。大きな目をさらに大きくはっきりとし、声も少し大きくさせていた。黒瀬はそんな様子の山田を見て、弱々しくにやついた。

「本当です。たぶん我々が見たのは、姉ちゃんが高校生の時、一緒に行ったこの学校の文化祭のときなんでしょう。四、五年前のことです。覚えてなくても、不思議じゃないっすよ」

「ほお~ん。そうだったのかあ。どおりで見覚えがあると」と山田は真顔でウソをつく。

「覚えてなかったくせに」と黒瀬は笑って、手を山田に差し出した。山田はその手を握り、その身に似合わぬ力を持ってして黒瀬を引き起こした。立ち上がった黒瀬は己の尻を手でぱんぱんと叩いて、

「で、それが準備室にいつも保管してあったと姉貴は言うんですね。だから、準備室にシーラカンスを探しにいこうというわけです」と語る。

「でも、もう持って帰っちゃってたらどうするの?」山田は不安そうに黒瀬に聞いた。

「まあ、その時は金魚にエサをやって部室に向かうことにしましょう。諦めが肝心です」と黒瀬はあっけらかんと回答して、歩き出す。その後ろを山田がとことこ付いていった。

 彼らは三階にたどりつき背中にトランペットの嘆きを担って、生物室の準備室前に立った。山田は躊躇うことなくそのくすんだ青の扉を横に開けようとするが、開かなかった。むむっと山田は唸り、黒瀬を見る。

「教室側から侵入しましょう。あてがありますから」と彼は言って、開け放たれた生物室へと入った。そこには科学部の連中が巣食っていた。黒瀬となんだか似たような連中である。当然、男どもしかいない。そいつらの大半は教室の隅っこでなにやら談笑している。黒瀬が侵入してきても反応はない。彼の雰囲気が彼らのそれと同じモノだからだろう。人間は同族の者の臭いには鈍感である。黒瀬はきょろきょろと友の顔を捜した。その顔は話の輪から離れたところに居て、せっせとノートに何かを書き写しているようだった。その彼のもとへと黒瀬は向かい、そのノートの上に影を落とした。光度の低下を感じたその人物は顔を上げて、黒瀬を見た。

「よう、飯村。なにしてんだ?」と黒瀬はにやついて尋ねる。

「てめえには関係ねえことだ、黒瀬」と言って飯村はノートに戻る。黒瀬はノートの内容を見てみた。所々に数式が書いてある。どうやら数学の解答を写しているようであった。

「おやおや、どうやら平常点を稼がなくてはならないような不味い事態に陥ったようですねえ」と黒瀬はさらににやついた。

「うるせえ、ばか。お前もどうせ今日の英語は赤点だろ」と飯村はせっせと書き写しつつも応答する。

「いや、たぶん今回もギリギリセーフだな。単語と熟語はちゃんと覚えておいた。おかげでアクセントと語彙の所に空欄はない」黒瀬はそう真面目に答えた。

「……、それだとせいぜい三十点ぐらいじゃねえか」

「神託を受けて書いた記号問題がしっかり当たってるはずだ。おれの計算だと、これで五十点はいくはず」と黒瀬は自信たっぷりに言った。飯村は笑ってペンを置き、

「で、なんのようだよ」と尋ねる。

「準備室を開けてくれ。ガサ入れをしたいんだ」

「わけわかんねえが、勝手に入ればいい。部活中は開いてるからさ」飯村はそう言って、ノートに戻った。黒瀬は情報提供に礼を言ってその扉のもとに向かった。準備室に通じるスライドドアに手をかけて、横に引いてみると簡単に開いた。それで黒瀬は中に入ろうとしたが、後ろに山田が居ないことに気がつく。周りを見てみると、山田は教室出入り口のところで、中の様子を隠れるようにして窺っていた。黒瀬はその行動に首を傾げつつ、手招きして山田を呼び、一人で扉を開けたままにして準備室に入る。山田は意を決したようにして生物室に侵入し、すばやく準備室に入った。それから、彼女はさっとドアを閉める。

「なにやってんすか?」と黒瀬はその様子を不思議に思い、尋ねた。

「なんか、独特な雰囲気があってさ……、入りにくかったの」山田はぼそりとそう答える。

「へえ、まあいいっすけど。じゃあ、ちゃっちゃっと調べますか」と黒瀬はそう言って、室内を見回した。部屋の中央には実験用机が設置されている。それから、二面の壁際にはガラス戸のついた棚が並んでいた。棚の中には実験用の薬品が置いてあったり、生物系の本や雑誌が揃えられていたりする。それらの棚の上には雑然とダンボールやらが置いてあった。廊下側の戸とは対面にある窓際には一つ教師用の机があった。おそらく吉野のだろう。黒瀬はそこに近づき、いろいろと物色してみる。

「ねえ、どこにあると思うの?」と黒瀬の背後から山田は聞いた。

「たぶん、床においてあるはずですよ。それなりに大きいので」と言って黒瀬は机の椅子を引いて、机の下の空間を晒した。彼はその空間を覗いて、にやつく。それから屈んでごそごそと机の下をあさり、一つの直方体の形をした鞄を取り出した。横幅が一メートルほどの茶色い皮製の鞄だった。彼はそれを実験室用の机の上に置いた。

「これがそうなの?」と黒瀬の隣に立つ山田は信じられないように言った。

「たぶんそうでしょうな」黒瀬はそう言いつつ、鞄を開ける。中にはシーラカンスが眠っていた。山田はあんぐりと口を開けて、それを見つめる。黒瀬は自身のポケットからスマホを取り出し、パシャリと写真を撮って、その画像を中田に送りつけた。

「証拠を差し押さえたし、さっさと撤収しましょう」とスマホを仕舞って黒瀬は呆然としている山田に提案する。

「……、どういうことなのこれって?」と山田はシーラカンスの腹をぷにぷに突付きながら呟くように言った。

「つまりは、吉野先生がスカイフィッシュ観測会開催者に加わっていたってことですよ。さあはやく、出ないと」

「そうだ、はやく出ないと私に見つかっちゃうぞ」と吉野が黒瀬の言葉の後を継いだ。

 山田は背後から聞えたその声により飛び跳ね、同時にわぎゃあという意味不明な叫びをあげる。振り返って黒瀬は幽霊を見るような眼で教室との境に立つ吉野を眺めた。

「黒瀬、姉は元気か? やはり姉弟そろって油断ならないな」と言って吉野は上機嫌でドアを閉めて準備室に入ってくる。ついでに彼女はその戸のカギをも閉めた。

「……、クソ元気です。ついでに弟をよろしくと言ってたような気がします」と黒瀬は姉の言葉を借りて自己保身に走った。

「そうかあ、あの黒瀬の弟だもんなあ。アイツには世話になったし世話もしたからなあ。ちゃあんと面倒見ないとなあ」と言いつつ吉野はカーテンをし、その上暗幕をも閉めた。準備室の光度は激減し、怪談向けのいい雰囲気になった。

「なんで、暗くするんですか?」と黒瀬はおそるおそる吉野に尋ねる。吉野はよっこいしょと言って自身の席に座り、椅子を軋ませた。

「いいじゃないか。暗いほうが私は安心するんだ。ところで山田、暗いからって前の合宿のときみたいに逃げ出すなよ。めんどくさいから」と吉野は黒瀬の手首を掴んでちぢこまる山田に言った。

「逃げないよ!」と山田は虚勢を張る。

「よろしい。じゃあ、その辺の椅子を持ってきて、こっちに来なさい」と吉野はおだやかに命令した。二人は恭順の意を表して、吉野の前に言われた通りにする。身体を小さく丸めて座る生徒二人を眺め、吉野は満足したように頷いてから、なにやらにやにやと言い出した。

「さて、キミたちはどうしてこの部屋に入ってよいと思ったのかな? この部屋は私の許可なしでは入れないはずなんだが」

「……、ごめんなさい」と黒瀬と山田はそろって己の非を認める。

「素直でよろしい。で、あのシーラカンスを見てどう思った?」

「……、先生があのシーラカンスを貸したんだと思います」と黒瀬は率直に言った。

「なるほど。確かにその通りだ」と吉野は簡単に自白する。「では、取引と行こうか」

「取引?」と山田は復誦した。

「そう。キミたちがこのことを広めないのなら、私はキミたちの不法侵入をこの場で許してあげよう、ということだ」

「……はあ、じゃあそういうことでよろしくお願いします」と黒瀬は簡単に承諾した。山田もうんうん頷いて、肯定の意を示す。そんな二人の様子に満足した吉野は嬉しそうに笑った。

「よし。じゃあ、ついでに怪談でも聞いていきなさい」

「えっ?」と二人はそろって言った。

「だって、夏だし」と訳の分からぬ理由を述べて、吉野は怪談を静かに話し始める。こうして、二人は吉野の怪談に付き合わされることになる。


 机の上にあるスマートフォンが震えたのは、中田が盤上の二隅を獲得した頃であった。中田はそれを取り上げ、操作をして、画像を林に見せた。

「これが証拠です」

「……へえ、確かにネット上にある画像のと似てるね」と林は盤上の駒をぱちぱちと捲り、画像を見た感想を言う。「でも、吉野先生がそれを持っていて、かつ、シーラカンスを浮かす手伝いをしてたとしても、私がその犯人になるわけじゃないよね」

「たしかにそうですね。林先輩の関与があると決ったわけじゃありません。けど、吉野先生がシーラカンスを持っていることで、その可能性は大きくなりました」中田はぱちりとやって黒を減らす。

「それはつまり、吉野先生がオカ研顧問だから、その部長である私も関係してると言いたいのかな?」

 林は不敵に微笑んで、そう聞いた。

「そういうことです」

「だとしても、動機不明だね」林はそう言い、駒を置いてマスを埋めていく。

「動機は、実は今日まで分からなかったんです。それにどうして二回もシーラカンスを飛ばす必要があったのかも。だって、普通、あんな人のいる前でシーラカンスを飛ばすなんてばれるリスクが高すぎます。第一回目の時なんて一人で来いってわざわざ指定してたのに。けど壮行会のあの盛り上がり方で、分かっちゃったんです。すべてはやっぱり野崎先輩のためだったんだって」駒を置いて、中田はまっすぐ林を見た。林は悠然とその視線を受け止める。

「どうして?」

「第一回目の観測会は招待状からして、明らかに野崎先輩に見せるために計画されたものだと分かります。問題はさっき言ったように二回目の観測会です。これを野崎先輩につなげるような要素は今日までありませんでした。しかし、今日の奇妙な壮行会がその要素になりました。

 言っちゃ悪いですが、たかが関東への壮行会であんな盛り上がることはあまりないんです。そもそもあたしが中学で全国行ったときはああ言った壮行会なんてありませんでしたよ。報告だけで終わりです。まあ、これは個人の資質と学校の体制の問題かもしれませんけど。

 それで、あの盛り上がり方はあきらかにシーラカンスの噂も一役を担ってると思うんです。あの噂のおかげで野崎先輩が関東大会に出場することを事前に周知できたんですから。ちょっと名前だけ知ってる人が前に出れば、どんな人なのか気になります。それで体育館は静かになって、野崎先輩の一言が伝わるようになる。たぶんここまでが、噂を広めることの効用で意図してたことです。

 それで噂を広めるためには多くの生徒に体験してもらう必要がありました。それが二回目の観測会を催した理由だったんです。あの会のおかげで噂は常識になれたんです。

 で、あたしはあの時の会についてよく考えました。どうやって、あたしたちの行動を制限したんだろうって。だって、普通ならおかしなことが起こってる教室にすぐさま向かうはずでしょ。でも、そうしなかった。あの場は確実に、そして緻密に制御されてたんです。貴方達オカルト研究部に」

「へえ、どうしてかな?」

「あの時、被服室にいた半数近くがオカルト研究部部員だったんです。調べてみれば分かることですが、料理研究部の三分の二はオカルト研究部と掛け持ちをしてる人達です。手芸部部員にもオカルト研究部はいました。第一発見者であり、人々を集めた、高木先輩です。彼女がいなければシーラカンスは発見されなかったでしょう。カーテンを開けた時、教室棟三階をわざわざまじまじと眺める人はあまりいませんからね。

 シーラカンスを見てる時、彼女たちはあたしたちに話しかけたりして、窓際から離れることを防いでいました。それに加えて、彼女たちは率先して写真を撮りました。シーラカンスを強調するようにして。なぜなら他の人々に普通に撮られたら後になって冷静にその写真を観察してみた時、廊下側の窓が開いてることに気づかれるからです。このことに気付かれればタネがすぐにばれてしまいます。できるだけ隠しておきたかった事実なのでしょう。タネがばれると噂の神秘性は減少してしまい、同時に話題性も低下しますから。

 実際、SNSに出回ってる写真はすべてシーラカンスをクローズアップし、廊下側の窓を隠してます。そして、それらをアップロードしたのはやはりオカルト研究部の方々です。

 さて、彼女たちがどんなに話しかけたりしてたとしてもそれを振り切って教室に向かう人が出てくるかもしれません。その可能性は時間が経つほど高くなるでしょう。で、そのための対策が謀ったような停電でした。あの停電は幕引きの合図でした。そして、それは演技を始める合図でもありました。オカルト研究部の方々は悲鳴を上げて床に座り込みました。他の人々も巻き添えにして。このおかげで被服室にいた人々の意識をシーラカンスから背けることができたんです。それでシーラカンスを片づけるのを見られずに済んだ訳です。彼女たちの悲鳴がなければその様子は見つかってたでしょう。

 ここまで考えてみれば明らかです。オカルト研究部はこの観測会に確実に関わっています。なぜなら、あの場に彼女たちがいなかったら、私か山田先輩にシーラカンスは捕獲されてたでしょうから」

「まあ、そうとも考えられるね。でも、私たちが関与しているという確実な証拠はないけど、そこはどうなのかな?」林は角に駒を置き、足を組みなおしつつ言った。

「決定的な証拠は確かにないです」と中田は素直にそう認めて、オセロ盤に白を増殖させる。

「じゃあ、私が犯人だと言うのは見当違いな意見だということだね」と林は静かに笑って、中田の仮説を圧殺した。

「でも、オカ研がやったという情況証拠はいくつもあります。それらはすべて偶然なんでしょうか?」中田はそう言って林を見つめた。林はその視線に優しく微笑んで、それから盤上に駒を置き、言った。

「全部、偶然だよ。私たちはきっと上手く利用されただけなのさ。文化祭の時みたいな誰かさんたちのイタズラに」

「けど、その誰かさんたちは本当に野崎先輩のこと思って、これらのことをやったんだと思います。じゃなきゃ、こんな面倒なことはしないはずです。たぶん、その誰かさんたちの野崎先輩を慕う気持ちは何もしてないと言い張るオカ研の人たちより、はるかに大きいと思います」

「そう言われちゃ、困るね」と林は笑った。

「あたしはそう思うだけです」

「そういう思い違いは、私が犯人だという思い違いよりもはるかに遺憾だね。訂正しなくちゃならないな。野崎先輩を一番慕ってるのは、水泳部でも、どっかの誰かさんたちでもなくて、私たちオカ研だよ」

「じゃあ?」

「そうだ、私たちが全部やった」林はそう誇らしげに自白する。

「そうですか」と中田は柔らかに言って、最後の角を獲った。結局、その角のおかげで中田は勝利を獲ることになる。


 オセロを終えて、林はにこにこしながら

「久々に、心踊るオセロだったなあ」と朗らかに語った。

「あたしも、黒瀬くんのこととかどうでもよくなりました」

「そりゃ、よかった」と林は笑った。その笑いのおかげか部室の扉が開かれる。黒瀬と山田が入ってきた。山田は自分のソファに座る林を見て声をあげる。

「あっ、容疑者発見! 確保だあ~」それから彼女は元気に走って、林に抱きついた。

「もう、汗拭かないでよ」と言って林は山田の頭を撫でる。

「大丈夫、今日は汗かいてないから。それよりシーラカンス飛ばしたのは林ちゃんたちなんでしょ。野崎先輩のためにやったんだって、怪談のあと吉野先生がゲロってくれたよ」林の両手を拘束しつつ、山田は言った。

「あらら、吉野先生も自白しちゃったのか。参ったね」と林は苦笑する。

「じゃあ、詳しく事情を聞かせて貰おうじゃないか。とりあえず、どうやったかを現場で説明して貰おう!」と山田は林の手を引っ張って、外に連れていこうとする。

「ええ~、外は暑いよ、山田ちゃん」と林は文句を言いながら引っ張られていった。

「問答無用っ!」山田はそう言って林を引き連れて部室から出て行く。おかげで残された二人は、開いたままのドアを見つめることになる。

 ドアを閉めて、気を取り直した黒瀬は中田の近くに寄った。それから机の上にあるオセロ盤を見る。

「勝ったのか?」と彼は中田に聞いた。

「勝ったよ。だから林先輩に負けた黒瀬くんにも余裕で勝てるよ」と中田は宣言する。

「なるほど。じゃあ勝ってもらおうじゃないか」と黒瀬はにやけて山田のソファに腰掛けようとするが、中田に阻まれる。中田はそのソファに座りたいと主張した。黒瀬はそれを受け入れて、中田の座っていた椅子に腰掛ける。

「ふわふわだぁ」と中田はソファに腰掛けて、その感触を笑顔で愉しみはじめた。黒瀬はその間に駒を回収して、初期配置に戻す。それから彼らは作為性のないジャンケンを行い、黒瀬が先攻となる。

「あたし、白ね」と中田は言った。

「分かってるよ」と言って黒瀬は黒を二つ増やした。それから彼らは少しの間、沈黙を共有してオセロを楽しむ。隅を一つ白が支配したところで、黒瀬が思い出したように発言をした。

「そういえばさ、金魚って一体なんだったんだ? そもそも金魚を放った奴を探すのが山田先輩の目的だった気がするんだが」

「金魚ねえ」と言って中田は白を増やす。「ちょっと考えてみれば分かるよ」

「なんだ、あれもオカ研がやったっていうのか?」

「たぶん、そうじゃないかな。二匹の金魚がプールを泳いでたんだし」

「……、二匹の金魚ってのが何かの暗号なのか?」

「まあね、早く駒置いてよ」

「う~ん」と言いつつ黒瀬はぽとりと置いて白を減らす。「もしかして、スカイフィッシュが化けたっていうこと?」

「そんなわけないじゃん」と切り捨てて、中田は駒を置いて盤上を白く塗り潰そうとする。

「わかんねえよ。教えてくれ」

「ただの縁起物みたいなものだよ」と悩んでる黒瀬を見て中田は笑った。

「どういうこと?」

「だからさ、『金』魚でしょ。金メダルとかけてるんだよ。一番とって欲しいなってこと。鯛がめでたいのと同じ論理だね。二匹泳いでたのは、野崎先輩が二種目泳ぐから。わかった?」

「……、なるほど」と言って黒瀬は納得して駒を置いた。

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