第6話 祭りの前
シーラカンスが教室を飛んだ翌朝、黒瀬はあくびをして制服に着替え、あくびをして日照りの中を登校し、あくびをして冷房の効いた一年六組の教室に入った。このまま順当に行けば、彼の人生はあくびで埋め尽くされるにちがいない。人生があくびで満たされるのは日々が退屈と眠気で満ち溢れるのと同じことであろう。退屈と眠気で塞がれる人生とは悲惨なものである。彼はそんな未来をも恐れずに、再度あくびをしつつ窓際の端にある自分の席へと向かうのだった。
椅子を引いて彼はよいしょと座った。それから鞄をだらしなく床に置いて、遠慮なく伸びをする。いちいち行動が爺くさい男である。幸いなことに教室にいる人は疎らで、黒瀬の行動に頓着する者はいなかった。生徒たちは机に向かって期末考査の対策をしているわけでもなく、仲のよい者同士で任意の人物の机に集まり雑談に興じているだけである。文化祭を過ぎても友少なき黒瀬は、そのような無為な雑談に招かれることはない。雑談に花を咲かせるよりは芝生の育成具合を調べる方が有意義な時間の過ごし方である、と彼は自分に思い込ませているため傷つくこともない。彼は机に肘をつき外の景色を視界に収めた。寂しい人間である。ひそかに悲壮感を漂わせながら、彼は日がさんさんと注がれる中庭の観測に従事した。だがプールを越えた先にある技術家庭科棟の窓が目についたとき、昨夜の出来事が彼の脳裏をかすめた。脳内で芝生の成長記録をとるのを止めて黒瀬は教室内を見回した。
生徒たちは相も変わらず駄弁を弄している。彼の興味はそこにはなく教室そのものに有った。この教室と三年一組の教室の構造は変わらない。したがって、この教室に対する観察はシーラカンス浮遊現場に対するものに等しい。というような類推が働いたのだろう。彼はものぐさにも机に座ったまま目だけで教室を眺めていた。
プールと平行に教室は並んでいる。正面は体育館側で後ろは管理棟方面である。方角で言えば東を背に、西を頭にした構造だ。黒板は正面にのみある。掃除用具入れは黒板の対面にあり中庭側の隅に設置されていた。昨夜黒瀬が現場に入って一番初めに覗いた掃除用具入れも同様の位置にあった。そして今は黒瀬の真後ろにある。黒瀬は振り向いてそれを確認してから、カーテンへと目を移した。カーテンボックスが取りつけてあり、その壁面には小さな洋灯吊が取りつけられている。詳しく見なければ気が付かないものであった。開口部を天井に向けて差し込まれているため、おそらく下に何かを垂らすために取り付けたものであろう。それが等間隔に三つ並んでいた。この教室にあるということは事件現場にもあるだろう。黒瀬は顎を撫でる。視線をそのまま反対側、すなわち廊下側に向けた。前後の出入り口の間には白いカベがある。その上部は窓が設置されており、教室ないからだと廊下の天井がうかがえる。黒瀬は廊下の景色を思い浮かべた。教室側のカベにそって二段ロッカーは備え付けられている。その高さはおそらくあの窓の下枠までだろう。ロッカーの上によじ登ればあのガラス窓から教室の様子をのぞけるはずだ。あの窓が開くことが出来れば簡単な話になるのだがと黒瀬は頭を掻いて出入り口のスライドドアの上部を見る。そこにはクレセント錠のついた横長の窓が設置されていた。
「なるほど」
黒瀬はそうつぶやき、目をつむった。そんなふうに冷やされた空気と同化しかけている黒瀬に稲沢は、ようと声を掛けてきた。
「なんだよ、なんかいいことあったのか? お前の好きなシーラカンスは田舎に帰ったよ」
「まあ、聞きなさい。あんな、俺も昨日いろいろやったんだ」
そうして彼は昨夜のシーラカンス消失後の行動を語り出した。
稲沢は被服室の電気が回復した後、シーラカンスの所在よりもなぜブレーカーが落ちたのか気になった。それは他の工作部の部員たちも同様だった。彼らはとりあえず一階にある配電室に向かった。そこには各教室のブレーカーがあるからだった。暗がりの中、階段の裏にあるその扉の前に立って、彼らは知らぬうちに固唾を呑んだ。一人が金属製の取っ手に手を掛けて、開けようとする。開かなかった。鍵が掛かっていたのだった。それで彼らは頭を傾げることになる。それから、部員の一人が思い出したように呟いた。各教室の準備室にも教室電灯用のスイッチパネルがある、と。それを使えば教室内の電気を消し続けることができる。教室のほうで誰かが電気をつけようとしたら、準備室の方で消せばいいのだ。
彼らは階段をのそのそと上って、被服室入り口と垂直な壁にある戸の前に立った。確かめてみたが、そこの鍵も閉まっていた。彼らは中に入って黒板の前を通り、教室からの準備室に通じるドアも確かめた。やはり閉まっていた。男たちはまた首を捻った。一つ唸り声が過ぎたのち、誰かが内側からでも閉められるぞと意見した。立て篭もっているのかもしれない。彼らはそう考えて手芸部員たちに事情を話してから、鍵はないのかと尋ねた。手芸部員たちはひそひそ相談したのち、高木に連絡を入れた。そのとき高木は吉野のもとに向かっていたのだ。高木に頼んで、吉野から鍵を借りてこようという算段だった。それを聞いた男たちは、手分けをして、準備室からの扉を高木がくるまで見張った。
高木がイライラな感じでやってくるまで、十分もなかった。その間、見張られた扉から人っ子一人も出てきやしなかった。高木は誰もいるわけないじゃんとぼやきつつ、借りてきた鍵で通路から入る方の戸を開けた。工作部と高木を除く手芸部の人々は興味津々で暗い中を覗く。高木がためらいも恐れもなく中に入って、電気を点けた。煌々と照らされた室内には人は居なかった。高木はやっぱりとため息をついた。工作部の男たちは諦めきれないのか、高木の冷たい視線の中、数分ほど捜索した。けれども、人のいた痕跡は見当たらなかった。結局、彼らは高木にお手数かけましたと頭を下げ、さっさと自らの部室へと撤退し帰宅の準備を始めた。
「あのときどうも妙だなとあれだけだったな。どこもかしこも鍵がしまってちゃあさ、どうして電気が消えたのか不思議でならない」
「シーラカンスは不思議じゃなかったのか?」
黒瀬は意外そうに稲沢を見た。
「そりゃ、あれもヘンだったさ。けどいくらでもやりようはあるだろ? 例えばだがあっちの白い壁を使ってプロジェクションマッピングしてもいいわけだ。十分暗かったしな」
「……、機材はどこ置くんだよ」
「そこら辺の机か椅子の上におけばいいじゃないか? ばれないようにカバンでレンズ以外かくしておけばいいだろ」
「……、確かに椅子の上に置いてたらわからないな」
黒瀬はそう納得してしまう。
「鍵がかかる前に設置して時間になったら操作すればいい。となると別に不思議じゃない。ま、あれだけリアルっぽく映す技術はすごいけどね」
「カベに映してたらもう少し低いとこにならないか? 記憶ではほぼ天井すれすれを泳いでた気がするんだ」
「ああん? ……確かにそうだな。カベに映す方法だとせいぜい机の少し上くらいになるか?」
「たぶん」
稲沢はうなってから考え込む。黒瀬は降って湧いたプロジェクションマッピング仮説をもう一度考え直していた。そんな二人の間にまるい声が振ってきた。
「おはよう。昨日はすごかったね」
料理研究部である後藤だった。彼女は稲沢の隣にある自席に座った。
「ああ、すごかった」稲沢は頷いて応答する。黒瀬は虚ろに天井を見上げている。
「わたし、あのあとストーリーにあげちゃった。スカイフィッシュ発見!って」
後藤はにこにこしてそう言った。
「見たよ、それ。画像も上げてたじゃん。でもあれ、暗くってあんまし見えてなかったな」と稲沢は笑って意見する。
「サカナっぽさが出てたから、大丈夫でしょ」と後藤は微笑んで言う。
「まあ、たしかにサカナってのはわかったかな。クローズアップされてたし」
稲沢が笑みを持ってそう答えると黒瀬が顎を撫でつつ唐突に言葉を発した。
「後藤さん、写真撮ってたんだ」
ただの呟きなのか、それとも問いかけなのか、どうかなのかがあいまいな言いようである。黒瀬自身のはっきりしなさが滲み出ている。言葉は立居を表すとはよく言ったものだ。後藤は慈悲深くも黒瀬の声に反応した。
「うん。黒瀬くんが来る前に撮ってたんだぁ。というか、黒瀬くんってスマホ持ってたんだね。持たない人かと思ってた」
「いまどき持たない奴ってどんな奴だよ」と稲沢は笑う。
「どんな人だろう?」自分の発言であるにも関わらず、困ったように笑って後藤は首を傾げる。
「社会不適合者だろうな」
そう真面目に答えて場を凍らしてから、黒瀬は、「ほかに撮ってる人いた?」と後藤に尋ねる。後藤はさすがに面食らうが、少し思い出す間を置いたのち、
「数人は、撮ってたかな」とおぼろげに答える。
「へえ。そうだったんだ」
黒瀬もそうおぼろげに応答する。そんな黒瀬の呆けた面構えを見てさらに何か思い出そうとするのが稲沢である。稲沢はこめかみの辺りを人差し指で撫でながら、
「あのシーラカンス、なんか出てなかったか?」と脈絡もなく周囲に聞く。
「さあ?」と後藤はたれ目を少々細めて言った。
「なんかってなんだよ」と黒瀬は稲沢にさらなる情報開示を求める。
「口から、出るやつ。糸引いたように見えるやつ……、そう、よだれだ!」と稲沢は思い出した。黒瀬は片眉を上げて、
「よだれ?」と疑念の滲んだ声を発する。
「へえ、よだれ出てたんだ。じゃあ生きてるって証拠だね」と笑みを持って稲沢の発言を迎えるのは後藤である。
「天井すれすれでさ、あいつ、口からなんか出てたんだよ。きらって一筋光ったんだ。それからそれは霧散した。一体、あれはなんだったんだ」と堰を切ったように稲沢は黒瀬に聞いた。
「知らん」と黒瀬はすげなく答える。後藤はニコニコしている。稲沢は頭を抱えて何かを考え始める。そんな稲沢を無視して後藤は勇敢にも黒瀬に話を振った。
「ねえ、黒瀬くん。昨日の『不思議なセカイ』見た?」
「なにそれ?」と黒瀬は真面目に聞いた。
「え~、知らないの? 怪奇現象とか幽霊とか、不思議なのを追っかける番組だよ。再現ドラマとか、海外ロケとかいまどき珍しいほど本格的で気合入ってて面白いんだよ。夜の十一時からやってるんだぁ。見たほうがいいよ~」と後藤は番宣を始める。
「う~ん」と黒瀬は目を瞑って唸ったのち、「姉ちゃんが見てたような気がするな」と答えた。
「でしょ、みんな大体見てる」と後藤は一般論にすりかえる。
「後藤、そいつにテレビの話をしても意味ないぞ。そいつはテレビと絶縁中だからな」と稲沢が思考を諦めたのか顔を上げて横槍を入れる。
「違う、ニュース以外はあんまり見る気がしないだけだ」と黒瀬は訂正を行う。
「へえ。なんか大人って感じだね」と目を丸くして後藤は言った。
「後藤、勘違いしちゃいけない。そいつはただの痛いやつなだけだ。周りと違うことをしたいだけさ」と稲沢は鼻で笑って、真実を述べる。黒瀬は抗弁する気もないらしく、沈黙を守って窓を見やる。どうやら少しばかり自覚はあるようだ。後藤はそんな黒瀬を感心するように見やってから、
「でも、ウチのお父さんもそんな感じだなあ」と言葉を漏らす。
「まあ、黒瀬はおっさんだからな」と稲沢は笑ってまた真実を述べる。黒瀬は無言で芝生を漂う蝶々を観察しはじめた。それにも自覚があるようだ。自覚があっても治す気がないというのは、重傷である。自己肯定の極地でもある。そのようなナルシスティック重傷者を放置して後藤は、
「そういえば、稲沢は見たの?」と稲沢に聞いた。
「見たよ。スカイフィッシュがハエの残像だってことを知った」と稲沢は笑みをもって答える。
「ちがうよ。あれはヘビみたいな動物なんだって。羽がついたヘビ」と稲沢の見解を後藤は明るく否定する。
「それはオカ研の新人研修での教えか?」と稲沢は笑った。
「オカ研に入る前から知ってたよ。でね、昨日の番組のスカイフィッシュってのはバングラデシュで観測されたやつなんだけど……」
そうやって二人は、打ち解けた様子でその番組の話をし始めた。
黒瀬の前にいる男女二人は、別段黒瀬をのけ者にしたわけでもない。むしろ黒瀬が話から勝手に退けただけだ。彼は二人の関係を取り持とうという気概でいるのだった。そのお節介さは黒瀬自身の社交性の無さに覆われて見えなくなっている。おかげで二人は自然に二人だけの世界に移行できるのである。それで話の輪の近くにいる黒瀬は孤独を噛みしめることになる。荒野の鋭利な孤独は人を傷つけ強くするものだが、群衆の中にある丸い孤独は人を疲れさせるだけだ。無味のガムをひたすら噛みつづけるようなもので、徒労しか生み出せない。黒瀬はあくびをして徒労を身から追い出す。そうして頬杖をついて照りつける陽射しを眺め、耳を男女の仲睦まじい会話に晒しつつ彼は始業までの時間をぼんやりと過ごした。
ものぐさな彼にとって嬉しいことに二時限目までは机に座ったまま過ごせた。されど残念なことに三時限目はそうはいかない。その時間の家庭科は調理実習であった。出汁巻きたまごを作るようである。何人の生徒がそれを作れるかは定かではない。黒瀬は床に放ってあるカバンからエプロン等を持って席から立ち上がり、廊下にある自身のロッカーに向かった。さきほど想像したように、木製のロッカーは教室と廊下の境界となる壁に沿って設置されている。それは少しばかり巨大である。幅は六メートルで、高さは二メートル半もある。だが奥行きはそんなに無い。せいぜい五十センチほどだ。この大きな箱が上下二段で四十ブロックに区分けされている。その一ブロックが生徒個人の占有空間とされるのだった。黒瀬はそのロッカーから家庭科関係の教材を引き出し、人のうごめく蒸した廊下を独りで歩いていく。それから中庭に出て、石畳の道をたらたら歩き、彼は技術家庭科棟に至るのだ。
ガラス戸を引いて、棟内に入り込む。玄関は空調が効いていて不快な空間ではなかった。そんな中、右手にある工作室のガラス戸を見て彼は稲沢の言ったことを思い出した。そして階段の裏にある配電室へと歩いてみる。そこには白いドアがのっそりと佇んでいた。彼は取っ手に手を掛けて、扉を開けようとする。結果、鍵が引っかかる鈍い金属音がした。彼はなるほどと呟いて、階段へと戻る。のんきに薄明の中を歩いていると、階段から足音がした。その足音の主は一階に降り立って、玄関ドアの方に向かっていた。黒瀬はその後姿を見て誰だか分かった。声を掛けようかと彼が思えば、その人物はショートヘアを揺らし、ふいっと振り返って彼のほうを見た。
「黒瀬くんじゃん」と彼女は言った。中田だった。
「卵はちゃんと焼けたか?」と黒瀬は偉そうに聞いた。中田は黒瀬の前にやってきて、
「焼けたよ。真っ黒になるぐらい」と言う。
「それは燃やしたって言うんだよ」黒瀬はそう笑った。
「そんなことより、知ってた? あそこの窓」と言って中田は工作室入り口を指差した。黒瀬はそこを見る。ドアの上には、ドアの幅に合わせた窓があった。それは教室の出入り扉の上方にある窓と同じようにクレセント錠がついた窓であった。
「知ってるよ」と黒瀬は答えた。
「なーんだ。じゃ、山田先輩への説明は任せた」と中田はそう言って立ち去った。黒瀬はため息をついてから階段を上って調理実習室へと向かう。それから焦げた臭いの漂う室内に入ったとき、どうやら放課後また集まらないといけないようだとぼんやり予感した。
その漠然とした予感が厳然たる事実として提示されたのは、放課後のことである。黒瀬は六時限目まで唯々諾々と授業を受けた。帰りのホームルームを終えた彼は、あくびをして教室から出る。それで彼は中田が壁際の手すりに寄りかかっているのを知った。中田は声を出さずに教室から出てきた黒瀬をじっと見るのみである。黒瀬もじろじろと中田の端正な顔立ちを見物する。それから彼は脈絡もない質問をした。
「誰がやったか予想ついてるのか?」
「だいたいね。あとで教えてあげる」と中田は簡単に言う。
「へえ。あとっていつ?」
「これから始まる山田先輩主催の捜査会議が終わったら」
「……、今日は部活禁止なんだけど」
「捜査は禁止されて無いらしいよ」と言って中田は手すりから離れた。黒瀬は一つため息をついた。
「会議ってどこでやるんだ? 部室は使えないし」
「三年一組でやるらしいよ。現場検証も同時にやりたいんだって」
中田はそう言って廊下を歩き出す。黒瀬はその後ろを追った。
廊下は生徒で溢れていた。騒々しさは大挙をなして、二階にある下駄箱に向かおうとしている。彼らもその流れに混じった。教室をやり過ごすたびに人が増えていった。人に揉まれつつ階段までいたると、夏の富士を登るような景色が見られた。その事実にげんなりしたのか、黒瀬が提案した。
「奥の階段使おうぜ」
中田はその案を可決し、人の流れから外れて廊下を直進した。彼らの先には外に向けて開放された扉がある。もう一つの階段はそのドアの手前に存在した。
黒瀬は中田の隣を歩きつつ、振り返って人の群れを見わたす。半袖たちが存外楽しそうに歩いている。運動部の奴らは早く帰れて嬉しいのだろうかとその光景から黒瀬は推測した。その推測を中田に聞かせようと彼は思ったが、群れの中にいた一人の見知らぬ女子生徒の制服姿を見て、それを取りやめた。彼はそちらの方が重要な問題となると考えた。それで彼は、なぜ夏服なのに派手な下着を着るのだろうかと隣に居る中田に真顔で聞いた。デリカシーに欠ける男である。当然なことに中田は侮蔑の目を黒瀬に向けて、ヘンタイと彼をなじった。彼らは曲がって階段に足を踏み入れ、そこから無為な会話が始まる。
「見せるほうが悪くないか」
「きっと黒瀬くんは痴漢したら、あいつがイヤラシイ格好してるからいけないんですって言っちゃうタイプだね。つまり責任転換のクズ野朗」と中田は的確に黒瀬を評する。
「下着ごときで興奮するわけがない。分かってないな」黒瀬はそう鼻で笑って、首を振る。
「分かりたくもない」と中田は拒絶する。
「おれは姉ちゃんが居るから女性用下着で興奮する気にはなれないんだ。分かるか? 家族の洗濯物を干してみろよ。ブラとパンツなんて布にしか思えなくなってくるぜ」と黒瀬は勝手に語った。
「へえ。じゃあ布の下にしか興味ないんだ。もっとヘンタイじゃん」
「……まあ、それはいいさ。おれが言いたいのは、なぜ薄着なのに真紅のブラをつけるのだろうかということなんだ」とそろそろ十六歳の黒瀬は熱心に言う。
「知らないよ、そんなの。個人の自由じゃん」ともう十六歳の中田は話を流そうとする。
「じゃあ、なんで中田はブラウスの下にTシャツを着てるんだ?」黒瀬は隣に居る中田を観察して言った。中田は確かに青白く染色されたシャツを着込んでいた。
「だって、着たいから。黒瀬くんだって着てるじゃない」中田は黒瀬を見て言う。黒瀬は灰色のシャツを着ていた。
「そうだ。おれもシャツを着てる。ついでに言うと、制服ズボンの下にも半ズボンを穿いてる。家に帰ったとき、制服を脱ぐだけですむからだ。山田先輩もそういう理由でスカートの下に短パンを穿いてるよ。中田もそうなのか?」
「……、そうじゃないけど」ものぐさ一味に介入しないよう中田は否定する。
「だろ。おそらくだが、お前の場合はブラを見せないようにするためにインナーを着込んでいるという奥ゆかしい理由に違いない」と黒瀬は断言する。
「黒瀬くんって、やっぱりバカなの?」中田は呆れて言う。
「男はみんなバカさ」と黒瀬は過度の一般化を行い、「それでそういう奥ゆかしさがあの真っ赤なブラには見受けられないから、イヤなんだ。中田だって、偶然男の派手な、真っ赤なパンツを見たらイヤな気分にならないか?」と中田に聞く。
「……、なるけど」いやいやながら中田は頷いた。
「そうだろ。隠すべきところを目立たせようとするから、目に障るんだ」
「じゃあさ、何色がいいの?」中田はそう下らぬことに文句を垂れる男に聞いた。
「そうだなあ、インナー着れば一番なんだけど。強いて言えば、薄い水色かな」と真顔で黒瀬はのたまう。
「それって結構目立つじゃん」
「じゃあ、ベージュとか」
「おばさんくさいよ」
「グレーなら問題ないな」
「ダサくない? センスないよ」と黒瀬の透けて見えるTシャツを横目で見ながら中田は言う。
「黒はイヤラシイし。どうしようか」とその視線に気がつかないで黒瀬は真剣に悩む。
「どうしようもないよ。ただ黒瀬くんが他人の下着見なきゃいいんだ」
「じゃあさ、白ならどうだろう。純粋無垢の白だ。ブラウスと同化して見えにくいはずだし。これなら完璧に違いない。というか、大抵の女子は白ブラだった気がしてきた」と黒瀬は人の話を聞かない。
「もういいよ。話に付き合ったあたしがバカだった」と言って中田は無言になる。賢明な判断である。愚か者とやり取りをするほど無駄な時間は無い。沈黙の中二人は二階にたどりついき、黒瀬は昨夜のことをふと思い出した。
「なあ、昨日なんで中田は管理棟からやってきたんだ?」
「……、犯人を見たかったから」と中田はためらいを持って簡潔に答える。
「どういうこと?」と黒瀬は簡潔さに物申す。
「あそこの教室から外に出るためには階段を使わなきゃいけない。教室棟の階段と非常階段は見つかるリスクが高いから使わないだろうと思って、管理棟か特別教室棟の階段を見に行ったの」
「へえ、それで誰もいなかったのか?」
「うん。たぶんリスク承知でこの階段を使って外に出たんだろうね」
「はあ、なるほどね。なかなか度胸があるな」
「二回もサカナを飛ばしたんだから、度胸が無きゃやっていけないよ」
「そうだよなあ。というか撮影するだけなら、わざわざ放課後に教室でカーテン開けてやる必要は無いよな。昨日と一昨日とが矛盾してる。一昨日はこそこそやって、ばれないように人まで監禁したのに、昨日はカーテン開けて衆目の前で堂々とサカナを浮かしやがった。一体何がしたいんだ?」と黒瀬はぼやいた。そのぼやきに中田は薄く笑って、話を変える。
「黒瀬くんはサカナの画像見た?」
「画像ってつぶやかれた奴か? それなら見てないよ」
「そういえば、黒瀬くんも写真撮ってたんだっけ?」
「ああ、誰にも公開してないけど」
「じゃあ、あとで送ってよ。あたし見たいから」
「ああ、分かった。なんか関係有るのか?」
「さあ、なんか臭うなあと思ったから」
「なんだよ、それ」
彼らはそう会話を重ねて、三階フロアに足を踏み入れる。それからがらんとした廊下をぺたぺたと歩いて、現場に向かった。三年一組の教室の前に立ち、黒瀬はそっと中を窺う。人は昨夜と同じく居なかった。
「なんで誰も居ないんだ?」黒瀬は不安げに言った。
「三年は今日五時限目までだよ」と中田は答えて教室に入る。へえ、と黒瀬は納得したように呟いて中田の後に続いた。中田は教室の真ん中辺りに立ち、中庭を観察し始めた。黒瀬はその隣に立ってその様子を眺める。
「誰かプールで泳いでる」と中田がつぶやいた。
「野崎先輩だろう」と黒瀬は答える。そんな暇そうな二人の間に山田がのこのことやって来る。
するすると音もなく教室のドアは開けられて、山田がその隙間から小さな顔を覗かせた。彼女はきょろきょろと教室内の状況を把握して、己の仲間しか居ないと知ったのち、意気揚揚と教室に侵入する。
「やあやあ、諸君こんにちは」と言って山田は教壇の上に立ち、くるりと黒板に向き合って白いチョークで捜査会議と大きく綺麗に書き記していく。それから指先についた白い粉を払って、彼女は振り返って笑顔で二人を見た。黒瀬はうつろに山田を見つめている。中田はぼんやりと黒板を眺めている。二人は挨拶もせずに山田の存在を容認した。山田はその事実に気を悪くすることもなく、えへへ遅れちゃったと笑って、なぜ遅れたのかを弁明し始める。それは事情聴取のためであるという。山田は昨夜スカイフィッシュ観測会に参加した生徒たちのほとんどから話を聞いてきたらしい。そんな山田曰く、昨夜の観測会の始まりは次のようであった。
まず、高木がカーテンを開いた。そのカーテンは山田たちが去った後、高木がなんだかまぶしいという理由で閉めたものだ。帰るために開けたときには外は暗く、微かな光が街から届いているだけであった。それゆえ校舎が星空の中に浮いていた。輪郭をはっきりとせずに、揺らめくように白い校舎があったのだ。その景色はなかなか趣があった。仔細な観察を強いるものだったのかもしれない。じっと校舎を望んでいた高木は一つの教室の異変に気がついた。それで、他の手芸部員たちを呼んで、それがなんなのかを尋ねた。皆、眼を凝らして、シーラカンスかもしれないと答えた。このとき彼女らの前にシーラカンスが存在し始めた。それから、高木が先陣を切って他の人々に伝えた。まず被服室階下の料理研究部に、それから工作室に居残っていた男子どもにその情報は伝達された。人々は暇だったのか、すんなりと高木の言うことを信じて、被服室へと向かった。もしかしたら、水泳部や手芸部を通じてSNS上で地味に広がっていた野崎のスカイフィッシュ目撃情報のおかげかもしれない。または、二匹の金魚が彼らの心を広くしたのかもしれない。不思議なことが起こされてもおかしくはないという期待が彼らの中にあったのかもしれなかった。とにかく、彼らは被服室に行った。それで窓際により、シーラカンスがゆらゆら泳いでいるのを発見した。静かなざわめきが被服室を満たし、人々はその現象の中に入り込んだ。それから、部室棟から三人がのこのことやってきた。
「で、あとは私たちが見たようなことになったらしいよ」と山田は話を締める。
「ということは、シーラカンスは五分ほど飛んでいたということですか?」と中田が聞く。
「そうらしいね。天井すれすれで黒板の前あたりをぐるぐる回ってたってだいたいの人は言ってたよ」と山田は教卓に両手をつき、独り頷きながら答えた。それから、あとね、と言って彼女はシーラカンス消失後の工作部の行動を話した。それは黒瀬が稲沢から聞いた話と同じものであった。
「以上が事情聴取の結果。で、諸君は密室のなぞを解けたかな?」
「黒瀬くんが解けたって言ってました」と中田がチクる。
「え、まじ、ろっくん?」
「マジも何もぜんぜん密室じゃないっすよ。そこ見ればわかるでしょ」
黒瀬はそう言って出入り口ドア上部の窓を指示する。山田はうろんげな顔をしてから、その人差指のさきを見た。ふむ、と首をかしげてからクレセント錠の存在を認識し、あっと声をあげる。
「ま、まさか」
「あそこから入ったかなんかしたんでしょ。簡単な話っすよ」
「でも、結構高くない?」
「紐でもはしごなんでもぶら下げてよじ登ればいけんじゃないっすか」
「黒瀬くん、はしごなしでやってみる?」と中田が提案する。
「遠慮しとくわ」
「密室じゃないってことはどういうこと……?」
山田は二人の会話も耳に入っていないようだった。教壇の上からきょろきょろと教室内を見回す。そんな山田の様子を見た中田が肘で黒瀬をつついた。黒瀬はため息をついてからカーテンボックスに刺さっている洋灯吊を山田に教えた。
「カーテンボックスに刺さってるあれ見えるっすか?」
「ん? あ、なにあのちっこいフックみたいなの」
「なんか吊るすやつじゃないんすか。まあそれが三つ横に並んでんのわかりますよね?」
「ほんとだ」
「で、あそこの窓が開くと」
「うん」
「じゃあ、そういうことっす」
「は?」
山田はそう言って黒瀬をにらむ。
「いやいやいや、わかるでしょ。簡単な話っすよ。紐かなんか、まー、釣り糸っすかね。そんなのを前のドア上の窓からあのフックみたいのを経由して後ろのドア上の窓まで通せば、横向きの簡易滑車っぽいのできますよね。その釣り糸にシーラカンスをぶら下げて横に揺らしたりして糸を動かせば昨日見た感じになるんすよ。たぶん」
それを聞いた山田は無言で出入り口のドアまで行き、教室のなかを見渡すようにして眺め始める。
「どうやって方向転換するの?」
「その前に」と黒瀬は聞いた。「シーラカンスがよだれ垂らしてたって誰か言ってませんでしたか?」
「よだれ? ……、そういえば真奈美ちゃんとか絵梨ちゃんとか朋絵ちゃんとかがそんなこと言ってたような。オカ研の奴らはなんも言ってなかった気がするけど」と山田は会議にて未報告の事実をぼそりと述べる。
「なんだか見た人が多いみたいっすね。おれは見なかったんですけど。まあ、そのよだれというのはサカナの口元についていたガイド用の糸のことでしょう。それで、サカナの頭の向きを変えたんです。糸はおそらく他のものと同じく、あの開いた窓を通って廊下に出ていたにちがいない。廊下側から中庭側に向かうときは緩めておく。それで逆方向に転換するときにそれを引っ張っておく。シーラカンスと教室を横切る糸を繋ぐ糸のねじれを利用するんです。こうしておくと、サカナがターンしたように見えるはずです。まあ、どう頑張っても多少はぎこちなくなるでしょうね。おれが不自然だと感じたのも方向転換のときでしたから」と黒瀬は説明した。
「……むうん。そうなると、かなり大掛かりな仕掛けになるなあ。というか、どうやってあんなに早く撤収したんだろう」と山田は不思議そうに言う。
「おそらく、まずシーラカンスを廊下側の窓際に寄せて、移動用の糸から切り離し、ガイド用の糸で引き揚げて回収したんでしょう。それから教室を横切る糸を片方切って使ってたリールかなんかで巻き取る。その後に二つの窓を閉める。そうすれば簡易密室が出来上がる」
「待ってよ、あの紙はいつ黒板に貼ったのさ?」
「仕掛けを準備してるときじゃあないっすかね。サカナが泳いでたときにはもう貼ってあったんでしょう。確認してみますか」と言って黒瀬は自身のズボンからスマホを取り出した。なにやらそれを操作して画面を凝視する。それから唐突に彼は固まって、むず痒いような顔つきをした。
「なに、どうしたのさ?」と山田は妙な顔をしている黒瀬に聞いた。
「いや今思い出したんですけど、なんかこのサカナ、どっかで見た感じがするんですよ」と黒瀬は息詰まるようにして応える。山田は顔を傾げて、
「そりゃあ、昨日見たからね。当然じゃん」と見当違いの反応をした。
「いや、そうじゃなくてですね。もっと以前にこのサカナみたいなのを見た気がするんですよ。たぶん、山田先輩も一緒に見てた気がする」と黒瀬は何かを思い出そうとしながら言った。
「じゃあ、あれじゃないの。夏休みの宿題やるのに、中学の時一緒に行った博物館とか。たぶん、そこらへんで飾ってたのに似てるんだよ。それよりも見せて。結局、貼ってあるの?」と山田は黒瀬に右手を差し出す。
「そうかなあ……」と呟きつつ、黒瀬は山田に携帯電話を渡した。山田は画面に表示されている画像を見て、
「なんだあ、黒板は見えないじゃん。ドア上の窓が開いてるのは見えるけど」と漏らす。
「山田先輩、ほんとそれに見覚えないんですか?」と黒瀬は再度尋ねた。
「う~ん。ないだろう」と山田は自信なさ気に答えて、黒瀬にスマホを返した。黒瀬はそれを受け取りつつ、なおも悩ましげな顔つきで虚空を見つめる。山田は事がだいたい明瞭になったので、気が晴れたような顔つきで教室を見回している。中田はぼんやりと中庭を見て突っ立っている。外は快晴で、夏の薫りが強まっている。世界はこうして静々と回っていく。うなる黒瀬を一目見てから中田は口を開いた。
「一つ気になることがあります」
「え、なになに? なにが気になるの?」と山田は興味深そうに聞いた。
「あの犯行声明です。あれが昨日あったなら一昨日の時はどうだったんだろうって」
「ああ、確かに。気になるなあ、それ」と山田はうんうんと肯いた。
「じゃあ、聞きにいきますか」とプールを確認してから黒瀬は提案する。野崎はプールから上がって小寺となにやら話しているようであった。
「そうだね、そうしよう。私も野崎先輩に聞きたいことがあったし」と山田は立ち上がり、教室を出て行った。黒瀬と中田もその背中に付いて行く。彼らは黒板を汚したまま教室から立ち去った。飛ぶ鳥は跡を濁さないが、暇人はそうでもないらしい。こうして彼らは野崎に三度目の尋問を行うことになる。
三人は開放された鉄の扉の前で上履きを脱ぎ、プールに侵入した。プールサイドには腕を組んで水面を眺めている小寺が独りいるだけだった。山田はぼんやりとしている小寺に声をかけた。
「あれ? 野崎先輩は?」
「うん?」と小寺は現世に戻って山田を見たのち、「ああ、山田か。野崎さんなら更衣室だよ。何か用でもあるの?」と聞いた
「シーラカンスについての尋問を行うの」山田は笑顔で言う。
「ああ、そう。まだ捜査してたのね」と小寺は笑って山田たちを見た。
「小寺先生は昨日のこと知ってますか?」
そう中田が横から突然に発言した。そこで始めて小寺は中田の存在に気が付いたようである。
「えっ? 昨日なんか有ったの?」と小寺は驚いたように言う。
「サカナが教室飛んだんだよ。知らなかったの?」山田がそう答える。
「サカナって、一昨日のと同じ奴?」と小寺は目を丸くして山田に聞いた。
「まだ、わかんない。それも野崎先輩に聞こうと思ってたの」と山田は首を振って応える。
「昨日、小寺先生は早めに帰ったんですか?」中田は質問をさらに行う。
「ええ、まあ。やることはすぐ終わったし。……、用事もあったし」中田を見て、小寺は素直に応えた。山田がにやにやして、
「用事って何? デート?」とからかう。
「だったらいいけどね」と小寺は陰鬱そうに応えた。触れてはいけない話題であるらしい。そして触れたとしても人生の哀しみと愚痴しか掘り出せないにちがいなかった。山田はそう推測して無言になる。変わりに中田が声を出した。
「他の先生方も早めに帰ってましたか?」
「いや、校長先生とか教頭先生とか体育科の先生たちとかはさっさと帰ってたけど、テストつくらなきゃいけない先生方は職員室で教科ごとに集まって会議したりして、なんか色々と忙しそうだったなあ。遅くまで職員室に篭ってたんじゃないかな」
「一昨日はなんで遅くまで残ってたんですか」
「そりゃあ、いろいろやることあったし、……吉野先生が話しに来たし」と小寺は笑う。
「吉野先生に怪談話されたんでしょ? 怖かった?」と山田が聞いた。
「かなり怖かったよ」
「やっぱり」
「吉野先生は何時ごろに来たんですか?」と中田は質疑を重ねる。
「えっと、十九時頃だったと思う。で、怪談を話してくれたんだ。しかも電気消して、カーテンも閉めてね」
「そうでしたか」と呟くように言って中田は取り調べを終了する。
「というか中田さんってミス研だったの?」小寺はじろじろ中田を見つつ聞いた。
「まあ、一応そうです」と中田は小寺をぼんやりと見返しながら答える。
「もったいないなあ。なんで陸上部に入んないの? 長距離かなり速いのに」
「こらこらウチの部員を誘惑しないでよ」と山田が横槍を入れる。
「だって、中田さんセンゴは四分後半で走れるし、三千なんて十分切れそうだし。非常にもったいない」小寺は心底残念そうな面持ちで中田を見て言った。
「けど、私の方が速いもんね」と山田はもう一度慎ましい胸を張って自慢する。
「山田はもういいよ。本読んでる方がいいんでしょ」小寺は呆れたように山田を見て言う。
「そうなのだ。もう運動はこりごりなのだ。夏とかは涼しい部室で本読んでる方がいいの。それはかなちゃんも同じなんだから、いくら誘っても意味ないよ」と山田は中田を怠け者に組する。
「もったいないなあ」と小寺は中田を見て未練たらしく呟いた。そう言われても中田はどこ吹く風である。黒瀬はそんな三人のやり取りをぽつねんと眺めていた。
それから数分後、小寺と山田の散発的な会話の中、野崎は制服姿になって更衣室から出てきた。野崎は手を振って小寺を呼び寄せ、更衣室を施錠させた。それから彼女は山田たちがプールサイドいるのに気が付いて、笑顔になって彼らのもとへと向かった。
「なになに、どうしたのキミたち?」野崎は三人の前に立ってにこにこと聞いた。
「昨日、教室でシーラカンスが飛んだって知ってる?」山田は三人を代表して質問する。
「めっちゃ知ってるよ! 今日、いろんな人から言われた! ついでに応援されたりもしたよ!」野崎はそう元気よく返事をして山田の頭を両手でわしわしと撫でた。
「写真見た? 野崎先輩が見たのと同じだった?」山田は野崎の両手を捕捉しつつ尋ねる。
「うん。部活のみんなが見せてくれた。そうだなあ、だいたい似てたかな。形も雰囲気もああ言った感じだったよ」野崎はうんうんと頷いて答え、「やあ、まさか昨日も放し飼いにされるとはね、一生の不覚だよ。めっちゃ見たかったなあ」と付け加える。
「昨日はさ、犯行声明らしきものが黒板に貼ってあったんだけど、一昨日はそういうのあった?」山田は野崎の両手を拘束しつつさらに尋ねる。
「あれ? 昨日もあったんだ」と野崎は目を丸くして言った。
「ということは、あったの?」山田はずいっと野崎に詰め寄って聞いた。
「あったよ。言わなかったっけ?」野崎は首を傾げて言う。
「言ってないよ」山田も首を傾げて答える。そんな二人の背後から小寺が
「さっさと帰ってよ」と言った。
それで四人は団子になってプール敷地から出て行く。彼らは石畳をとことこ歩いて管理棟と教室棟の狭間にある自販スペースで立ち止まった。野崎はそこでごそごそと自分の通学カバンでもあるスポーツバックをあさり始める。それから一枚の白紙を取り出した。
「これが男子更衣室に落ちてたんだ。おかげで閉じ込められちゃった」と山田に紙を渡して野崎は言った。山田はその紙の書かれている文章を読んだ。
「今夜は、スカイフィッシュにうってつけの夜です。お楽しみいただけたでしょうか?」
「昨日の奴と同じ字体で、ほぼ同じ文句っすね」と山田の後ろから紙を覗いていた黒瀬が口を挟む。
「挑戦的な奴らだなあ」
山田はイラついたように言った。中田は無言でその紙を見つめている。
「でも、まあ感謝しないとね。スカイフィッシュ見せてくれたわけだし」と野崎は明るく言う。
「む~ん。なんで、こんなことしなきゃいけないんだろう。劇場型の犯罪かなあ」山田はそう呟いて、紙を野崎に返した。野崎はそれを丁寧にカバンへと仕舞って、
「それが聞きたかったの? というかそこのクール系美少女は誰じゃ?」と三人に尋ねる。
「え? ああ、中田かなちゃんだよ。うちの部の後輩」と山田は中田を野崎に紹介した。中田は野崎に軽く会釈する。
「へえ、部員三人に増えたんだ。よかったじゃん」と野崎は嬉しそうに言った。
「うん。廃部の危機は何とかまぬがれたよ。今年の文化祭は演劇部の手伝いもできたし、部誌も10冊刷れた」山田はにこにこして答える。
「去年は山田ちゃん独りだったからねえ。寂しいからってよくウチの部に来てたもんねえ」と野崎は懐かしそうに述べた。
「寂しいからじゃなくて暇だったからだよ」と山田は否定する。黒瀬は首を傾げて、
「山田先輩、水泳部に出入りしてたんですか?」と二人に尋ねた。
「いや、そうじゃないよ。私はね、今年の文化祭までは掛け持ちでオカ研にいたんだ」と野崎は笑顔を振り撒いて黒瀬に対応する。
「……へえ」と黒瀬は気の抜けた返事を行った。
「山田ちゃんの怖がる姿はめちゃくちゃ可愛くてね、みんなのアイドルだったよ」と野崎はにやにやして一年生の二人に伝える。
「怖がってなかったもん」と山田は強がった。
「そうかねえ。だって去年の合宿のときなんて、高木ちゃんとねえ……」とにまにまする野崎はさらに続けて証明を行おうとしたが、強引に山田に阻まれた。
「そんなことよりっ、野崎先輩まだ隠してることあるでしょ?」
「……、なんのことかなあ?」と野崎は山田の唐突な詰問により顔をふやけさせた。
「やっぱり。その顔はそうなんでしょ。野崎先輩が忘れ物なんてしないもの」山田はしたり顔で独り納得した。黒瀬は首を傾げた。
「どういうことですか?」
「野崎先輩はねえ、こういう感じにも関わらずかなり几帳面なんだよ。食後の歯磨きは欠かさないし、脱いだ服はしっかり畳むし、シーツはしっかり皺なく引いて、寝相も悪くなくて、小学生の時なんて夏休みのラジオ体操を休んだことがないような人なんだよ。そういう人がね、忘れ物なんてするわけがない」と山田は自信ありげに言った。
「はあ、そうっすかねえ」と黒瀬はやんわりと反論する。
「そうだ! 黒瀬くんはよく分かってる! 私のような人間でも忘れ物はするんだぞ、山田ちゃん」と野崎は黒瀬の弱々しい反論に雄々しく乗っかる。
「ふうん。じゃあ、そのカバンの中を見せて貰ってもいい?」山田はにやりとして野崎に提案した。野崎はぎくりとしてカバンを自分の身にたぐい寄せて、
「それとこれとは話がちがくない、山田ちゃん?」とか細く言った。
「違わないよ。見せてくれないなら、強制執行だよ。奪っちゃうよ」
「それは犯罪でしょ」と黒瀬は横合いから小さく口を出す。
「う~ん。山田ちゃんにカバンあらされるとか地味に苦行だしなあ」と野崎は困り顔で呟いて、「まあ、もう隠さなくてよさげだし、いっか」と勝手に納得して、自身のカバンをがさごそ探って、一枚の紙を山田に手渡した。それを受け取った山田は紙に書かれている文字列を読み取った。それは以下のようであった。
『今宵の午後七時三十分ごろに、プールにてスカイフィッシュの観測会を開催いたします。貴殿にはその会に参加する資格がありとの声が非常に多いため、このような招待状をお送り致しました。どうぞ奮ってご参加してください。ただし、他の者にこの事を伝えた場合はその限りではありません。』
「これって、招待状?」山田は首を傾けて野崎に聞いた。
「うん、そうだと思うよ。そう書いてあるし。あの日の朝、下駄箱に入ってたんだ」 野崎は頷いて山田の問いに答える。
「……、よく行きましたね」とその文言を見た黒瀬は感想を洩らした。
「だって、気になるじゃん」野崎は明るく黒瀬に言った。
「はあ、まあ確かに気になりますけど」と野崎に晴れやかな笑顔を向けられた黒瀬はしぶしぶそう同意した。
「でしょう? キミもなかなか話が分かるじゃん」と野崎は黒瀬の肩をばしんと叩く。
「野崎先輩は一昨日何時に部活を終えたんですか?」と中田が痛がる黒瀬の横で聞いた。
「えーとね、終わったのは十八時半くらい。んで時間潰すために更衣室でいろいろだべってたから、十九時少し前くらいに学校を出たと思うな」と野崎は首を捻って思い出し、答えた。
「それで、これがだれから送られてきたのか心当たりはあるの?」と山田は野崎に紙を返しつつ尋ねた。紙を受け取り、カバンに仕舞ってから野崎は一つ唸って、
「いつしかオカ研でやった黒魔術の成果かな」と答える。
「……ああ、そう。じゃあ、もう帰ろうか」と山田は諦めたように言った。
「そうしよう! 勉強しなくちゃね」と野崎は陽気に同意した。
彼らは団子となって管理棟二階にある下駄箱へと向かい、靴を履き替えて、学校から出た。校門の前にある坂をのんびりと下っていくと、横手にそれなりに大きい公園がぽつんと存在している。そこは春になると花見の客がわらわらやって来て、夏になると虫かごを持った少年たちがちょろちょろやって来る。セミがわんわん鳴いて、騒々しい森があるのだ。その公園に近づくと野崎が、
「セミの声がしますぞ、山田氏」と嬉しそうに言った。
「そうですな、野崎氏」と山田も笑って答える。
「セミと言えば、狩りですな」と分けのわからぬことを言って野崎は山田の手を取る。
「まあ、そんなころもあった気がしますな」山田はつながれた手を不思議そうに見ながら言った。
「じゃあ、いつ狩るの?」と野崎はイタズラっぽい眼で山田を覗いて言った。
「……、今でしょ!」
二人は笑いながら手をたずさえて森の中へと駆けていく。残された二人は呆然とその背中を見送るのみである。目の前で唐突に幼児退行が起こったのだから仕方あるまい。
「なんなんだ、あの人たちは」と黒瀬はようやく言葉をひねり出した。
「……、怪我しないように見守っとかなきゃ」中田はそう保護者のようなことを言い出して、二人の後を追う。黒瀬も一つため息をついてから、森の中に入った。存外、木々の間を歩くのは苦痛ではなかった。森林特有の涼しさがあったゆえである。黒瀬が中田の隣に立った時には、すでに元気な二人はそう奥まったところではない場所で、肩車をして木に引っ付くセミを捕獲しようとしていた。中田と黒瀬は近くにあったベンチに座って、その様子を観察することにした。野崎の肩に乗る山田は、おしっこかけられたあと叫んで、顔を袖でごしごしと拭っていた。野崎は、めげるな頑張れと声援を送りつつ、次なる獲物が引っ付いている木へと向かう。
蝉時雨の中で中田が唐突に口を開いた。
「けっきょくさ黒瀬くんはどうやったかを説明しただけで誰がやったかを推理してなくない?」
「……、今それ言う?」
「なんで山田先輩に言わなかったのかなあって」
「そりゃあめんどいからだろ。ぜったい捜査だなんだであのままどっか行くことなってたぜ。そんなんならここでセミ狩りしてるのを眺めてるほうがマシだね」
「べつに推理してなかったわけじゃないんだね」と中田が試すように笑みを作った。
黒瀬はその中田の表情をとっくり鑑賞してから頷いた。
「なんとなくは考えてる。とはいえただの愉快犯だろ」
「愉快犯ってことは吉野先生とかは関係してないってこと?」
「おそらく。昨日のやつならカギが必要なわけでもない。入口のとこの窓開けとけば済む話。あと野崎先輩が男子更衣室に閉じ込められたのだって事務室から更衣室のカギだけパクっとけばいいだけ。野崎先輩を狙ったのは水泳でまあまあ有名なのとオカ研っていう無垢な属性を持ったからじゃないかな。宣伝効果が高いと思ったんだろう。被服室で停電のやつとかは人数増やせばできる。頑張ればできる」
「黒瀬くんならできそうだもんね」
「……、今回はオレじゃない。それに何回も言ってるように文化祭のは巻き込まれただけ。仮にこういうことやるならもっとばれないようにうまくやるし、あとはサカナ泳がすよりでっかい花火を打ち上げてやるね。ともかくその辺の暇なやつが思い出づくりにやっただけなんじゃないか」
「ふーん」と中田はつま先で地面を軽く削っている。
「なんだよ、聞いておいて」
「だって犯人像は推理してるけど、犯人は推理してないじゃん」
「いや、そこまでする必要あるのか?」
「文化祭のときみたいなのだったらよかったのにな」と中田はじっと黒瀬を見つめた。
そんな視線を無言で黒瀬が受け止めていると歓声が森に響いた。元気な二人が幾たびの失敗を乗り越えてセミを捕獲した結果であった。わいわいと彼女らはセミに負けずひとしきり騒いだあと、ベンチに座る二人の下へとやってきて、セミを見せ付けた。
「ろっくん、食べる? 汗と涙とおしっこの結晶だよ」と山田は聞いた。
「炒めるとおいしいかもよ。たぶん塩味ついてるし」と野崎は提案する。
「食べませんよ」と黒瀬は首を振って立ち上がった。
「むむむ、じゃあ、このセミくんはどうしましょうか?」と山田は野崎に案を求める。
「そうですな。ここは彼が短命であるという点に情状酌量の余地があると思いますね」と野崎はにこにこして述べた。
「なるほど。ならば、こうだ!」と言って山田はセミを離した。セミは森の網へと喜んで引っ掛かりにいった。こうして、彼女たちのセミ狩りは終わったのだった。
彼らはおとなしく帰路に着き、家に帰って勉学に励んだ。人生は何かを成し遂げるのには短く、何もしないのでは長すぎるという怠け者の感慨もある。うちこむことがあると、人間誰しも時間が短く感じるものである。テスト対策に身をゆだねる人々が多いのか、学校自体も時間経過が早くなり、いつの間にかにテスト前日となった。そうして、あれよこれよとテスト期間は瞬く間に過ぎていき、憂鬱さと開放感に溢れる日が来た。
テスト最終日には、体育館で全校集会があった。その集会で生活指導の教師たちが夏休みの注意事項を述べていった。その間、生徒たちは蒸し暑い体育館に閉じ込められてイライラしつつも、やはりどこか浮ついていた。その浮つきは騒々しさを呼び、校長の話となるとそれは頂点に達する。そうして出来た喧騒の中、司会者吉野は水泳部への壮行会を始めると言った。それで、壇上に野崎一人だけが上って、にこにこと生徒たちを見回す。生徒たちは微かに聞えた野崎という名に反応した。テスト準備期間を経て、シーラカンス事件は全校生徒の常識となっていた。それはSNSの効用かもしれない。おかげで、第一発見者である野崎の名前はよく知られるようになっていた。ついでに彼女が水泳部で関東大会に出場することも、知れ渡っていた。喧騒は徐々に静まり、野崎への感心が強くなった。吉野は野崎が平泳ぎの百メートルと二百メートルで関東大会に出場すると紹介し、その抱負を言うようにと野崎にマイクを渡した。それを受け取った野崎は、
「え~、ぶっちぎって一番獲ってきます」と短く宣言した。一瞬の静寂の後、おお、というどよめきが走って、万雷の拍手が体育館を長く満たした。野崎はそれに応えてお辞儀をし、主に女子からの声援を受けつつ、手を振りながら壇上を笑顔で降りていった。こうして、彼女の壮行会は盛況の中で終わった。
熱気に満ちた体育館から出た生徒たちは暑い暑いと異口同音に文句を言い合いながら石畳の上を行進していき、教室へと戻っていく。それから彼らは帰りのホームルームを受けて、家に帰ったり、再開された部活動に向かったりする。林しずかも例外ではない。彼女は機嫌良さそうに部室棟へと赴き、オカルト研究部の扉を開いた。そこにはがらんとした埃っぽい空間が広がっている。人はいなかった。かわりに寂しさが詰まっている。林は仕方がないので、オセロを持って暇人の巣窟である隣のミス研へと向かった。扉を気軽に開けると、中には中田しか居なかった。
「あれれ、山田ちゃんは?」と林は扉を閉めつつ、友の安否を中田に聞いた。
「いま出かけてます」と中田は簡潔に報告をする。
「そうかあ、残念だなあ」と言いながら林は山田のソファに腰掛けて、その前にある机にオセロ盤を置いた。
「いい椅子だなあ。これ」と彼女は呟く。そんな様子の林を中田はじっと見ていた。その視線に気がついて、
「中田さん、オセロやる?」と林は誘った。
「……やります」と中田は応えて立ち上がり、席を林の前に持ってくる。その様子を林は目を丸くして見ていた。いつもはたいてい中田は林の誘いを断っていたからである。それから林の中で驚きが喜びに変わっていった。この風変わりな後輩と対局するのは面白かろうという気分になったのである。中田は林の対面に椅子を置いて座り、スカートのポケットからスマートフォンを取り出して机に置く。林はオセロ盤を整えて、
「白と黒、どっちがいい?」と前にいる少女に尋ねた。
「白でお願いします」
「よし、じゃあ遠慮なくやりあおうじゃないか」と林は嬉しそうに言った。
「その前に一ついいですか」と中田は水をさした。林は首を傾げて聞いた。
「どうしたんだい?」
「オカルト研究部の顧問はどなたですか?」
「……、吉野先生だけど。それがどうかしたのかな?」
「いえ、ただの好奇心です。気にしなくていいです」
「なんか、気になる言い方だなあ」と林は口元を笑わせる。
それから公正なるじゃんけんの結果、先攻は中田となった。中田は駒を一つ取り、盤上に置こうとする。が、寸前で何かを思い出したようにして動かなくなった。そんな後輩の奇妙な様子を眺めていた林は、心配そうに尋ねた。
「どうしたの中田さん?」
「……、ちょっといやなこと思い出しちゃって」と身体をもとの体勢に戻した中田は悲しそうに呟いた。林はそんな様子の彼女を興味深げに見た。
「もしかしてさ、テストで悪い点でも取ったりしたの?」
「ええ、そんな感じです。今日ですね、初日にやった数学のテストが返ってきたんです。平均点は65点ぐらいだったんですけど、あたし、そのテスト97点だったんです」と中田はしょんぼりした様子で言った。
「……、残念ながら私にはどこに不満を持てるのか分からないな」
「あの黒瀬くんは98点取ってるんです。それが、すごく悔しくて、むかつくんです。あたしに勝った事を知ったときのあいつの、あのにやついた顔思い出すたびに虫唾が走るというか、ぬいぐるみを殴りつけたくなるというか、そういう気分になっちゃうんです……」
「ああ、黒瀬くんって数学とかは得意だったねえ。けど、黒瀬くんに負けたからってそんなイラつかなくてもいいじゃないか。英語とかだと勝てるんだし、数学もつぎ勝てばいいんだし」と林はにこにこして応える。
「そうです、次負けなければいいんです。けどさっき、うっぷんを晴らす方法を思いついたんですよ。黒瀬くんのアホさ加減を証明してやるんです。ところで、シーラカンスが飛んだって噂覚えてますか?」
「覚えてるよ」林は不思議そうに中田を見て言った。
「それを聞いた黒瀬くんは偉そうにこう推理したんですよ」と言って、中田は黒瀬が話したシーラカンス浮遊方法とそれを実行した人物像の説明をとうとうと述べていった。それを聞いた林は、満足そうに笑って感想を語る。
「へえ、妥当な推理だね。まさしくそうだったんじゃないかな」
「いや、この頭のイイ黒瀬くんの推理には穴があるんです」と中田は嬉しそうに言った。
「そうなの? 私には思いつけないけど」林はそう首を傾げる。
「小寺先生たちが聞いた、『幽霊ノック』の説明がありません」
「幽霊ノック? それは噂では聞いてないな」
「幽霊ノックというのは野崎先輩が監禁された頃に、体育教員室に響いたノック音のことです。吉野先生がその音に反応してドアを開けたんですけど、ドアの外には誰も居なかったというので、幽霊ノックとあたしは命名しました」
「ほお。そんなことがあったのか。それでそのノックがどういうふうに関係してくるの?」
「イタズラだとしたら、どうしてドアをノックする必要があるのか分からないんです。野崎先輩の監禁を知らせるためなら、窓をノックすればいいですし」
「ただの気まぐれだったんじゃないかな。まさしく悪戯心からのノックだよ、きっと」
「それでもいいと思うんですけど、あたし、今日の壮行会でこのノックは合図だったんだって思いついたんです。それで、全部分かっちゃいました」と中田は晴れ晴れとした笑顔になって林を見た。見られた林は足を組み、顔に微笑みを貼り付けて先を促した。
「どう、わかったのかな?」
「あのノックが何かの合図だとしたら、吉野先生がとても怪しくなるんです。だって、きっとそのノックは吉野先生に聞かせるためにされたものだから。小寺先生はそのノックを聞いたあとなにも行動を起こしませんでした。でも、吉野先生は体育教員室から出て行った。もちろん帰るためだったのかもしれません。けど、あたしにはそう思えないんです。直観的に言って」
「その話の流れだとひょっとして吉野先生が今回のイタズラに関わってるってことかな?」林は中田を見据えて言った。
「そうです。だから、あなたが犯人なんです、林先輩」
「……、それはないね」
「では、白黒つけましょうか」
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